夢を追う羊と変わらない町
@stella_90m
プロローグ
1
「ゔおぇぇぇぇぇ……… ああ、最悪だ…… 」
大学二年の夏、俺はトイレで食べた物を吐いている。
「なんで、こんな目に…… 」
ぼやいても仕方がないのは分かっている。
分かってはいても、ぼやかずにはいられない。
俺は今、大吉先生という先生のゼミのメンバーで交流する会にいる。
これで二回目だが、慣れない。
周りは皆、「何か」をしている人達ばかりで、イラストレーターや、作曲家、漫画家を目指している人達がいる。
中にはもうデビューして、名刺まで俺に渡してくる人までいた。
対して俺は夢を失い、目的もなくただ生きている。
成したいこともなく、表現したいこともない。俺には何もない。
だから、そんな人達を見ると眩しくて胸が苦しくなる。
それを誤魔化す為に、毎回ピエロのように自分を偽って、さも自分は出来る人だとアピールする為に声を大きくしたり、取り皿を分けたりしていた。
自分は陽の人間だと、伝えるために。
だが、それをすればするほど自分がちっぽけに思えて死にたくなった。
胃から込み上げてくるモノが止まらなくなって、トイレに駆け込むと食べたモノ全てを便所の中にぶちまけていた。口からは酸の匂いがする。
「ああ、くそ…… 最悪だ…… 」
この状況で戻ったら絶対何か言われる。
せめて何か匂いを消すものがあれば。
ポケットからスマホを取り出し、コンビニがないか調べる。
幸いな事に、すぐ下にコンビニがあることが分かった。
吐き出したモノを流して個室から出る。
洗面所の前で手と口を濯ぎ、コンビニへと向かう。
コンビニには、プッシュ式のマウスウォッシュ、百粒入りタブレットがあった。
2
「どっちにするか」
少し迷ったが、安い方のタブレットにした。
シールを貼って貰い、歩きながら包装紙を剥がす。
タブレットを口の中に放り投げる。
ミント味のスッーとする匂いが口と喉を刺激する。
「おお、意外と強いな、これ」
パッケージをよく見ると、刺激レベル五だった。
「次からはもっと低いのを買うかな」
そもそも、そんなになるまで飲まなければいいだけの話なのだが。
あの光達とシラフで話していたら、飲み込まれて狂ってしまいそうだったから。
自分が自分で無くなってしまいそうだったから、飲まずにはいられなかった。
「…… 戻るか」
エスカレーターを登り、上へ行く。
あの会が嫌いなわけじゃない。
だけど、戻るのは憂鬱だ。
自分は何者でもないと知らしめられるから。
靴箱で靴を入れ、スリッパに履き替え、掘り炬燵の席へと進む。
皆、俺には気付かず、名刺を交換したり色々話しこんでいた。
これならもうちょっと時間潰していても良かったかな。
でも、今ここで席を立てば不自然に思われる。
飲みかけていたビールを飲み干し、店員さんを呼んだ。
「あ、すいません! オーダーお願いします」
店員さんは無言で伝票とボールペンを持って来る。
「えっとビールのおかわりと…… 皆さんはいります?」
「え、ああはい。じゃあ私はピーチハイで」
「僕は、ジントニックで」
「俺はジンジャーハイで」
店員さんはボールペンで殴り書きしていく。
「以上で、よろしいですか?」
俺は周りをみる。皆、また話に夢中で俺なんか眼中にない。
「ああ、それで」
俺の言葉を聞くと、店員さんは奥の厨房へ消えて行った。
仕方なく仕事をしているって感じだな。
仕方なくする事が仕事だと思っているから、そういうものなんだろうな。
「なーんか、つまらなそうにしてるね」
3
腰まで届くくらいの黒髪と、赤のニット、足元まであるベージュ色のスカートを履いた女性
が近づいてきて座った。
席は決まってはいるが、皆勝手に移動して名刺交換などをしているので、あってないようなも
のだ。
「あ、どもっす…… 」
女性を一瞥した。誰が見ても明らかな美少女だ。
俺は正面を向き直り、答えた。綺麗な女性の目を見ると緊張してしまう。
てか、誰なんだこの人。
「うにゃ、なんだか素っ気ないな?」
彼女は俺の身体に密着して、耳元で呟く。
「君も、ここにしがみついている人?」
「え?」
も、ってことはこの人も? 顔を横に向けると、女性の鼻と俺の鼻がぶつかった。
「あ、ご、ごめん…… 」
俺は思わず顔をそっぽ向けたが、彼女は俺の反応を見て真顔になった。
「その反応、つまんないな」
「え?」
「ううん、なんでもない。これ終わった後で話そう下のコンビニで」
「ああ、うん…… 待って君は?」
彼女は大仰に肩をすくめた。
「高校のクラスメイトの顔覚えてないの?」
「え? 高校?」
どことなく見覚えがある気がする。
だけど、高校時代なんてクソみたいな日々の連続で、ずっと下を向いて歩いていたから、クラスメイトの顔なんて覚えていない。
「まだ思い出せないの? 三年同じクラスだった逆浪彩よ」
さかなみあや。その名前で思い出した。カースト上位、陽キャ。
俺が苦手な存在で、休み時間ノートに小説を書いているのを見ては馬鹿にしていた人種。
俺の想像の中では、こういう人間は創作、クリエイターの世界とは無縁の存在だと思ってい
たが、何故ここにいる。
「逆浪彩…… 」
「ち、ちょっとそんな顔で見ないでよ。私だって色々あったのよ」
今、俺はどんな顔をしていたのだろうか。無理矢理口角を上げて、歯を見せる。
「やめて、それ気持ち悪い」
4
「お、おう…… 」
ひでぇ、こちとらフォローしたつもりなのに。
「まあ、とりあえず後で」
逆浪は小さく手を振った。馬鹿!勘違いするだろやめろ。
飲み物とご飯が運ばれてきた。食器を各々の場所に置いていく。
つつがなく時間は過ぎていき、あっという間にお開きの時間となった。
会の終わりには、恒例大吉先生によるお言葉がある。
と言っても校長先生のように長ったらしいスピーチではなく、一言創作頑張れよとか、次の講義もよろしく、と端的に閉めて終わる。
先生のお気に入りの生徒がいれば、二次会をその生徒達と一緒に行くらしい。
俺はまだ、先生のお気に入りになれていない。無理を言って頼み込めば、行けなくもないのだろうが、自分の実力を認めてもらってから
誘ってもらいたい。
「みんな、今日も集まってもらってありがとう! 来年もこの場所で元気で会おう! 自分を信じて! それじゃあ、また」
先生は先に出ていく。お気に入りの生徒達が先生の後についていく。
ああ、眩しいなぁ…… あの輪の中にいつか入りたい。
先生自身もそうだが、周りの人もキラキラしていて、生きているのが楽しくて仕方がないって人ばかりだ。その中で自己肯定感の低く、生きている意味を見いだせない俺がここにいるのは場違いなのは分かっている。だから、この会に参加する時には、自分のキャラを偽って、参加している。慣れないせいか、よく吐いたりする。
あんな眩しい光を直視したら、俺の心の闇が悲鳴を上げてしまう。
それでも、毎回参加する理由は、俺もあの輪の中に入りたい。
何かを生み出すクリエイターという人間になってみたい。そのためなら、身体がどうなろうが知ったこっちゃない。
皆が席を立ち、出口へ向かう。
俺もそろそろ帰らなきゃ。
リュックサックを背負い、出口へ向かう。
「くあっ」
欠伸が出た。帰ったら寝よう。
「ちょっと、忘れてないわよね?」
後ろから声を掛けられ、振り向く。逆浪だった。
「ああ、ごめん忘れてた」
「だろうと思ったわ。ついてきて話があるの」
欠伸を手で押さえる。一体、何の話なんだ?
5
逆浪はコンビニの前で止まり、喫煙所の中に入る。
「吸う?」
逆浪は煙草の箱を俺に見せるが、吸ったことがないので遠慮した。
「いや、いいや」
「そう、まあこんなもの吸うもんじゃないしね」
逆浪は作業のように紫煙を肺に吸い込む。
「ここで煙草を吸う為に呼んだのか?」
「いえ、違うの。貴方も私と同じ人間なんじゃないかなと思って声を掛けたの。貴方は私のこと覚えていなかったみたいだけど」
「俺が逆浪と同じ人間?高校時代からは考えられない言葉だな」
皮肉交じりの言葉をぶつける。
「酷い言い草ね。まあ仕方ないわね。私は貴方に酷い事言ったものね」
覚えていたのか。
「許してもらおうとは思っていない。でも私、羨ましかったの。自分を持って何かをしている貴方が」
「なるほど…… な、でもどうしてそれで俺を同じ人間って結論に至るんだ?」
「実は私も創作に興味があって、イラストレーターになりたくて、この芸術大学に入ったの。そしたら大吉先生の講義に出会って、ここでなら私も変われるかもって思ったの。でも、周りの人達がキラキラ輝いていて、自分が惨めになるの」
俺と同じだ。俺もここなら、ここでなら、変われるかもしれないと思っていた。だけど、本
当はそうじゃなく、如何に自分が出来ていないかを見せつけられていて苦しい。
それでも、しがみついていないと、夢を見失ってしまいそうで怖いんだ。
逆浪は息を吐き、続ける。
「でも、夢を叶えるためにはしがみつかないといけない、そう思って一年前からあの会に参加してる。少しでも、前に進みたいから。貴方の目は、そんな私と同じような目だった。だから参加したの」
目か、お世辞でも綺麗とは言えない。濁った目をしている。それは逆浪も同じだった。
「確かに、同じだな。同じかもしれないが、俺はお前が嫌いだよ」
はっきりと相手に悪意を伝わるように言った。
「そう、なら馴れ合いはもうやめましょう」
逆浪は最後の煙草を肺皿に捨てた。
「ああ、俺もする気はない」
過去の苦い思い出は消えない。
6
踵を返し、その場から立ち去ろうとして逆浪の声で振り返る。
「どちらかが先にクリエイターになれるまで、話さない」
「ふん、望むところだ。俺が先に小説家になってやる」
「いいえ、私が先にイラストレーターになって、貴方を雇ってあげるわ」
こいつ、舐めやがって…… なにが、羨ましいだ。全部、噓っぱちじゃないか。
結局、いじめっ子はいじめっ子のままなんだ。人がそうそう変わるわけがない。
「ふん、いいぜ。なら勝負だ。どっちが先に夢を叶えるか。お前にだけは絶対に負けない」
「もし、負けたら?」
逆浪はワンオクターブ声を上げて、挑発する。こいつだけには絶対に負けない。
「その時には土下座でもなんでもしてやるよ。お前も負けたらしろよな」
「そのぐらいお安いもんだわ。じゃあ、未来で会いましょう」
くそ、恰好付やがって…… 恰好いいじゃねぇかよ。小説の台詞で使おう。
「ああ、それじゃあな」
今度こそ、その場から立ち去る。冬の冷気が首元を冷やす。コートの襟を立てポケット
の中に手を入れて歩いていく。
お互いの夢をベットする。何を無くしても、たった一つの夢だけはこの手に掴んでいる。
携帯のアラーム音で目を覚ます。布団を畳み、冷水で顔を洗う。
鏡で自分の顔を見る、冴えない顔だ。爆発している髪の毛をクシで溶かす。
くせ毛のある天然パーマなので、五回くらいクシでほぐさないとすぐ元に戻ってしまう。そんなこんなしている間に、もう十五分経った。
冷蔵庫から食パンを取り出し、貪り食う。
今日は三限からなので、そこまで急ぐ必要はないが図書館でレポートをしたいので早めに行くつもりなのだが、いつも余裕を持っていても、のんびりしていたらいつの間にか出る時刻がギリギリになってしまう。
待つのが嫌なので、丁度で着こうとするのだが、いつも何故か家を出る目安の時間を大幅に超えてしまう。なので、今日は余裕を持って図書館に着いて、レポートをするという完璧な計画を練ったのだ。
「さてと、そろそろ行くか」
玄関の扉に鍵を掛けて、大学へ向かう。
大学へは片道二時間。電車で一時間そこから、バスに乗り換えて一時間掛けて通う。
7
都市部だと敷地面積が大きすぎるのと、お金が高いので田舎の土地に、建てたと言われている。それが、私立総合芸術大学。近畿で最大と言われている大学だ。
設備は並みの大学の比ではないだろう。学食も安くて美味い。だが、なんせ遠い。
電車に揺られながら、このまま一瞬で大学に着かねぇかな…… と何度も思った。
寮から通えば、その欠点もなくなるが、近すぎると自分が怠惰になってしまわないかという一抹の不安がある。
「二年間よく通っているよなぁ」
しみじみと、自分を慈しむように呟く。
ここまで通えているのは、ひとえに何かを作り出す楽しさを知っているからだろう。
バスに揺られ、うとうとしていると停止し、身体がビクンと飛び跳ねる。
「んあ、着いたか」
バスから降り、三号館の中にある図書館へ向かう。ここの大学は敷地面積が広く、バス停近くにある十二号館から一号館まで歩いて一〇分ぐらいある。
そこらへんの時間配分を計算していないと遅刻してしまうこともしばしばだ。
「うう、寒い」
寒風が喉元を掠める。マフラーをキュッと結び直し口元をマスクのようにして伸ばす。
寒いのは苦手だ。お腹が痛くなるから。
「久しぶり~! そっちの学科はどう?」
マフラーに巻かれて目の前にいる鷹見に気付かなかった。
「おお、鷹、久しぶり…… まあ、ぼちぼちやってるよ」
鷹見瑞希。俺は鷹って呼んでいる。声優学科で同じゼミだった奴だ。
元々、この大学には夢を叶える為に入った。
でもそれは今の小説家ではなく、声優という夢があった。
それになるため頑張ってきたけど、超えられない壁を感じて諦めた。
そんな時、大吉先生のゼミに出会い、先生に相談してみた。
その時にもらった言葉のおかげで、今の俺がある。
「夢を諦めるんじゃなくて、夢を変えるって選択肢を取るっていうのもいいんじゃないかな」
夢を諦めるじゃなく、夢を変える。俺は声優という夢を諦めて、小説家になるという新しい夢を見つけた。大事なのは考え方だと先生が教えてくれた。
だから、声優学科から文芸学科に転学科することができた。
夢は自分の身体の一部のようなもので、諦めた時は胸が張り裂けそうな想いだったけど、夢を変えることで、自分自身も生まれ変われたような気がする。
「そっか、ぼちぼちか。まあ頑張れよ。じゃあ」
「おう、そっちも」
8
鷹とはそこで別れ、目的の場所へと急ぐ。
声優学科は競争率が高く、皆ギスギスしていたが、鷹だけは俺に優しく接してくれた。俺が転学することを話しても否定することなく、「自分の好きを優先すればいいんじゃない」と言ってくれた俺の数少ない友人だ。
図書館に着き、カウンターで手続きをする。
「今日はどういったご用件でしょうか?」
女性の図書館司書が問うてくる。
「えっと、席の利用で」
「三階のビデオ室は利用しますか?」
「いえ、しません」
「では、お帰りの際にこのカードをカウンターにお渡しください」
十三番と書かれたプラスチック製のカードを渡された。分かりました。と返事をし、窓際の席へと向かい、座る。
バッグからレポート用紙と、シャープペンシルを取り出す。
「えっと確か、テーマが魂変換機ソウルコンバーターについてだっけか」
魂変換機。自分の魂と他者の魂を入れ替えて、器を変える…… らしい。
今から一〇年後を目途に実用化されるらしいが、研究の段階ではまだ不完全であり、ニュースで報道されるような内容しか知らないので、これを二千文字書くのはしんどい。
「コメンテーターのコメントとかバレない程度にコピーして、自分の考えでも書いたら何とかなんだろ」
スマホで検索すると、意味のないアフィリエイトサイトや、小難しい論文などが馬鹿みたい
に出てきた。適当な記事をタップする。
【魂変換機ソウルコンバーターが実用化されるとスパイ活動が誰でもできるようになり、それが戦争の引き金になる。尚且つ今は、恐竜的科学技術進歩時代となっており、一九九七年にブラックホールを燃料とした永久機関の開発が成功したのを境に、人類の技術は前までとは比べものにならないほど飛躍的向上している。さらに、近年物質X という宇宙から飛来した謎の未知の物体から重力を無視したような動きがみられるという噂がある。巷ではタイムマシンができるのも時間の問題という声もある。時間を自由に操る。それはまさに神の所業だ。このままいけば、人類はバベルの塔のように、技術を追い求め過ぎて、自滅する未来が待っているのではないか、と筆者は考える。杞憂に終わればそれ以上のことはないが、読者諸君も技術に頼りすぎず、自分の手で未来を掴み取って欲しい】
読み終わり、深く、深呼吸をする。
「陰謀論かよ」
この手の記事は不安を煽るだけ煽って、最後は自分を信じろ、とか精神論で締めくくる。反吐が出る。確かに、永久機関ができたのは間違いない。だけど、それで科学的に役立っているならそれでいいじゃないか。
ソウルコンバーターができるのだって一〇年先だ。俺は明日生きていくので精一杯だ。
一〇年先のことなんて考えられない。
「技術進歩なんて言っても俺達一般庶民には関係ないね。結局は金持ちの道楽なんだよ」
悪態をつきながら、俺はレポートを書き殴る。
「あら、また誰かの悪口?」
俺が集中して書いていると、中学から今のゼミまで、ずっと同じの加奈が俺の正面に座っていた。
「世界は変わらないんだから、悪口くらい別にいいだろ…… っていうか、急に声掛けるな。おかげで集中力切れた」
「ありゃ、そりゃ悪いことしたね。お詫びに飲み物いる?」
加奈は缶の暖かい生姜レモンを渡してきた。こいつ、わざとだな。
「いるけど、初めから邪魔する気で声掛けたろ」
貰った生姜レモンのプルタブを開けて、ちびちび飲む。
「まあまあ、私と椿の間柄なんだしそんな細かいこと気にしないでいいじゃん~!」
手を団扇のようにして仰ぐ加奈。
「いや、むしろ長い付き合いだから気にするんだろ…… まあ、いつものことだしいいんだけどさ」
「ならいいじゃん~」
「これは決定のいい、じゃなくて呆れてる方のいいなんだよ!」
こいつといると、いつもペースが狂う。レポート用紙をチラッと見る、あと少しか。
「あ、ごめん。レポートまだだったね。じゃあ、私行くね」
加奈はそれに気づき、椅子を中に入れ立ち去ろうとする。
変に気を使うんだよなこいつ。
「…… 情報処理概論」
「え?」
俺のボソッと言った言葉で足を止める加奈。
「いや、次情報概論だろ?」
「うん、そうだけど?」
「なら、俺も一緒だし。先に行く必要はないんじゃないか。まだ、ここにいても」
回りくどい言い方になったが、加奈なら伝わるだろう。
シャープペンシルの先端を押しながら、加奈の方を見る。
「ふーーーん、そっか、ふーーーん。いいよ! なら一緒にいてあげる!」
「別に、そうとは言ってねぇだろ…… 」
「照れなくていいんじゃよフォフォフォ」
そう言いながら、加奈は俺の頭を撫でる。
「何キャラだよ、クリスマスにはまだはえーぞ。ってかなんで、そんなニヤニヤ笑ってんだ
よ」
「えへへへ…… 」
加奈は笑うばかりで答えない。
本当、こいつといると調子が狂う。
レポートも書き終わり加奈とともに、二号館の講義室へ向かう。
「そういえばさ、昨日高校同じクラスだった逆浪彩と会ったよ」
「逆浪さん? そういえば、大学もここらしいね」
加奈はリボンの付いた手袋を付けて、手を合わせている。
「知っていたんなら教えてくれてもいいいのに」
「今までで忘れてたの。で、どこであったの?」
グッと顔を近づけてくる加奈。近い…… 手袋で顔を抑えるな。
「どこって、大吉先生のゼミだよ」
加奈は俺が転学したことも、新しい夢のことも知ってくれていて応援してくれている。
加奈は大吉先生のゼミを取っていないが、加奈の友達がそこにいるみたいで知っている。
女子免疫のない俺だが、長い付き合いというのもあって、目を見て話せる。
「は~~!? 大吉先生のゼミで?! 変なことしてないわよね!!」
「………… してないよ。加奈も知っているだろ俺、女子と目を合わせて話せないって」
加奈は俺の顔から手を離し、腕を組んで首を縦に振る。
「うん、うん、そうよね。椿が目を合わせて話せるのって私だけだもんね~!」
「否定できないのが悔しい。あ、そういえば逆浪とどっちが夢を叶えるかって勝負をしたっけな」
「なにそれ…… 」
加奈はピタッと動きを止めた。
「いや、それ以上でも以下でもないよ。まあ、でも勝負ってなると負けられないよな」
「ズルい、それ」
加奈は俺のマフラーを引っ張る。ぐえっ。
「いや、ズルくはないだろ正々堂々の勝負だし。っていうかマフラー離してくれ首が閉まる」
「はぁ~~~椿はそういう人だもんね。うんいいよ。私が見守ってあげる」
加奈は俺のマフラーを離し、深いため息を吐いた。
「見守るってなんだよ。俺はお前の保護者じゃねえぞ」
そう、自分のことは自分でできる。
「修学旅行、私がいなきゃ迷子になった人は誰?」
「俺です…… 」
「テストの時、宿題を見せていなきゃ留年したのは誰?」
「俺です…… 」
「大学入学当初、履修のやり方分からないって泣きついてきたのは誰?」
「俺です…… 」
「中学時代…… 」
加奈が言いかけて、俺が遮った。
「もういい! もう、十分分かりました」
「うん、ならよろしい! ホンット! 椿は私がいないとダメダメなんだから」
加奈は太陽みたいな笑顔で満足そうに笑った。
本当、こいつには敵わないな。
「ほら、早く講義室行かないと遅刻するぞ」
「うん!」
加奈は、手袋をにぎにぎさせながら歩く。
存外俺は、加奈との関係が気に入っているのかもしれない。
そんなことは、口が裂けても言えないけれど。
講義室に入ると後ろは埋まっていた。前の方はがら空きだった。
「加奈、前でいいか?」
「うん、椿と一緒ならどこでもいいよ」
「そういう冗談は他でやってくれ」
勘違いしちゃうだろ。それに恋愛とかそういうのは面倒くさいんだよ。
「冗談じゃないよ」
ボソッと呟いた。
「え?」
聞こえていた。だけど聞き返した。加奈の気持ちも知っている。だけど、いつもはぐらかし
てしまう。ズルいのは俺の方だな。
「ううん、なんでもない!さ、早く席に座ろう!」
俺は頷き、教卓から一番近い席に座った。
バッグから、レポート用紙と筆記用具、ノートを出して授業の準備をする。
キンコーン、カーンコーン。チャイムの音が鳴り、奥の扉から霧先生が出てきた。
霧先生は頭の真ん中が一〇円禿げで、二〇代らしいが顔の皺と漂う哀愁で、いつも四〇代と間違われている。出席カードを渡され、後ろの生徒に渡す。学生番号と名前を書いて、筆記用具を重りにして置いておく。この先生は基本的に最初に出席カードを渡す。レポートがある日は最後にレポートを出して初めて講義の出席になる。
講義の内容はソウルコンバーターのことで、記事に書いてあった陰謀論から特異点、第三次世界大戦の可能性など、突拍子のない話ばかりだった。
眠たくなるのを堪え、上唇を噛む。いつもは聞いている講義だが、今日は途轍もなく眠い。
何とか居眠りをすることなく、講義を受けることができた。
九〇分間興味のないことを聞くのは地獄以外何者でもない。
講義終了後、教卓にレポート用紙を出して講義室を後にする。
眠い…… 本当に眠い…… 幸い次の講義は五限からなので一八〇分ぐっすり寝られる。
「ねぇ、椿大丈夫?」
「ん?おう、だいじ…… いや大丈夫ではないな。眠い…… 次は五限からだから図書館で寝てくるよ」
眠過ぎて意識が朦朧としてくる。
「ん、分かった。晩御飯持って行こうか?」
加奈と俺の家は近く、よく残り物を持ってきたりしてくれる。
「いや、いい。今日はネットの人達と飲み会だから」
アイドル物のアプリゲームのコンテンツが好きな人同士が集まった飲み会兼オフ会だ。これで二回目となる。本名も知らない人と仲良くなんてなれないと思っていたが、好きを共有できればそんなことは関係ないのだ。会えるのが楽しみだ。
「そっか。前に話していた人達ね。気を付けてね~!」
「うん、そっちも」
加奈は大きく手を振る。目立つから止めてくれ…… っていうか俺、加奈にオフ会の人達のこと話したっけ?
まあ、多分話したんだろう。加奈には何でも話してしまう。話さないといけない気がする。否定はしたが、本当に保護者みたいな存在だな。それぐらい、俺は他者に心を預けているということなのだろうか。
いじめられっ子で人を信じることができなかった俺が。一瞬、走馬灯のように昔の出来事が思い起こされる。
「はぁ…… 嫌なこと思い出しちまった。図書館に行って早く寝よう」
重い瞼を頑張って開き、図書館へと向かう。
受付で半分寝ながら、手続きをする。そのままリクライニング式の椅子に座り、最大まで下げて泥のように眠った。
9
目を覚まし、時間を確認すると一七時二分だった。
「やっっば!!遅刻だ!!」
講義開始時刻は一六時三〇分。三〇分遅刻か、あと一時間あるが、次の教養演習Ⅱの先生は
遅刻を絶対許さない人だ。
「ならいっそのことサボるか」
今日の飲み会の開始は一九時からか、バスの時間までまだある。
「もうちょい寝るか」
そして、また微睡の中に溶けていく。
俺は夢の中にいた。そこではアニメーション映像に向かってアフレコをしている自分がいた。
キャラクターに命を与えていた。自分の声で、とても楽しそうに表現していた。
これはなれなかった未来だ。俺が目を背けた未来だ。
「違う…… 俺は…… 」
シーンが入れ替わる。
パソコンで小説を書いている自分が俯瞰して見えた。
部屋の中には、自分で書いたと思わしき本がずらっと置いてあった。
これは、これからなれるかもしれない未来。
俺は一度、夢を諦めて、過去の自分に負けた。けど、新しい夢は絶対に叶えなきゃいけない。
過去の自分を超える為に。諦めた夢を救うために。
そう、心の中で強く願うと意識が戻される。海の中から一気に引っ張られるような感覚だった。
「こら、なんてとこで寝てるのよ。風邪引くよ」
再び目を覚ますと、鼻と鼻が触れ合う距離に加奈がいた。
「近い」
「む、ノーリアクションは酷いな~!乙女の自信なくなっちゃう」
口を尖らせる加奈。
「寝起きなんだよ…… っていうか、今何時?」
「今は一八時だよ。もう帰ってると思ったのに、ここにいてビックリしたよ」
一八時?ヤバイ今バスに乗らなきゃ間に合わない。鞄を背負い、出口へ向かう。
全速力でバス停まで走る。冬の冷気で耳が痛くなる。
後ろを振り返る、大丈夫、加奈はちゃんと付いて来ている。
バス停まで着く頃には、シャツが汗で張り付いて、身体に熱が帯びている。
「ちょっと~!私を置いて行かないでよ!」
バス停の前でポカポカとお腹の辺りを殴る加奈。運転手さんが怪訝な目で見ている。
すんません、直ぐに乗ります。
運転手さんに会釈しながら中に入る。最終前のバスだけど、人数はまばらだった。その中で二
列目の窓側の席に座った。マフラーとコートを脱ぐ。加奈は俺の隣に座った。
「ね~!話は終わってないんだけど~!なんで置いていったの!」
脇腹を突いてくる。地味に痛い。
「加奈も付いて来るって思っていたし、途中で振り返って付いて来てるか確認してたよ」
「ふ~ん、そっか。ならいい!」
加奈は席のリクライニングを倒して寝る体制に入る。後ろの人の許可取れよな。
首だけ振り返ったが、誰もいない。
「誰もいないならいいけどさ」
俺も加奈と同じように寝ようかと思ったが寝過ぎて、逆に眠れない。
運転手さんが運転席に座り、バスが発車する。エンジンが入り、バス全体が揺れる。窓にできた結露を拭い、頬杖を付く。ぼんやりとした頭のまま、外の景色を眺める。
瞳の中で景色が移り変わる。今年は濃い一年だった。夢を変えて、歩き始めた一年。
俺はこれからどうなるのだろう。これで本当に良かったのか、この道を進んだ今でも分からない。そうやって悩んでいるうちに景色はめまぐるしく変わっていく。
「この窓の景色みたいに…… な」
時間は有限だ。だからこそ後悔を残さないよう、最後の最期まで足掻きたい。
バスに揺られること一時間、バス停で加奈と別れて、地下鉄で二駅、そこから徒歩で五分、
ようやく目的の場所に着いた。
10
居酒屋晴沢。事前にネットで調べていた情報によると、飲み食べ放題三時間で、三千円。比
較的リーズナブルな価格で学生のお財布でも優しい。飲み物は、ビール、カクテル、日本酒、
グラスワインと種類が豊富だ。特に日本酒の種類が多く、今から楽しみだ。
食べ物は、肉、海鮮、ピザ、唐揚げ、などがある。俺は海鮮類が食べられないので、必然的に
肉類を食べることになる。
想像していたら、お腹がぐ~っと鳴った。皆はもう中にいるのだろうか?
中に入り、掘り炬燵席を探す。
「あっ、いた!」
「お~!待ってたぞ!春樹君」
春樹というのは、俺のネットでのペンネームだ。今俺に話しかけた人は町田さんという人で、
この会の主催者みたいな立ち位置だ。
「春樹君、久々やね」
町田さんの横にいるきゅーとさんが声を掛けてきた。一見女性っぽい名前だが、男性だ。
ネットで女受けを狙った結果、そういう名前になったらしい。
きゅーとさんはお酒が弱く、ビール二杯くらいで顔真っ赤になってしまう。
「よし、みんな揃ったし何か頼もうか」
きゅーとさんの真正面にいるゴリラさんがメニューを見ながら言う。
「あ、じゃあ俺は生で」
「あ、じゃあ僕も」
ゴリラさんの横にいる冬さんが手を上げて言った。
皆、同じように生ビールと答える。
「ん、じゃあ生五個お願いします」
町田さんが店員さんに伝える。
皆と談笑して少しした後、ビールが五人分届く。
「じゃあ、皆久々の再会を祝しまして…… 乾杯~!」
「「「「「乾杯~~!!!!」」」」」
皆の声が蛙の合唱のように重なり合う。
ビールジョッキを持ち、杯を合わせた。
炭酸が喉に流れる。ああ、生き返る。この為に生きているって感じがする。
「このメンバーで会うのも、一年ぶりかぁ」
「多分、そんぐらいですね」
町田さんの問いにゴリラさんが答える。
「アイライも今年で五年目ですか…… 感慨深いですね」
アイライ、アイドルライク。アイドル育成アプリゲームの略称だ。七人のアイドル見習いをトップアイドルにしていくという物語だ。特にストーリーが強烈で、いい意味で心をえぐってくる。感情をかき乱される。
「そっか、もうそんなに経つんですね…… 」
そのアイライが好きな人達が集まったのが、この会だ。
ゴリラさんとSNS でその話をしていた時、この会があることを知って参加させてもらった。
俺は一番最近入ったが、ここの人達はプライベートなことまで深く聞いてこないし、好きを共有でき、居心地が良くて好きだ。
食べ物も注文し、好きなものについて語り合った。
あっという間に三時間が過ぎて、ラストオーダーの時間となった。店員さんがオーダー用紙を持って屈む。
「最後に何か頼む?春樹君?」
「あ、じゃあバニラアイスを」
今、無性に食後のアイスを食べたくなった。
「了解。他の皆は?」
町田さんが皆に聞く。皆お腹を抑えて、お腹いっぱいの様子だ。
「いや、お腹いっぱいなんでいいですわ」
「オッケー」
予め用意していたのか、アイスが直ぐに出てきた。
スプーンで口の中に入れる。バニラの芳醇な香りと、甘くて冷たい感覚舌を伝って、喉を移動する。うん、やっぱりアイスはバニラに限るな。
容器に入ったアイスを全て平らげて、余韻に浸っているとお手洗いに行っていた町田さんが戻ってきた。
「ん、じゃあ皆行こか」
「はい!あ、一人幾らくらいですか?」
「ん?あ、いや先払ったし大丈夫よ」
「ありがとうございます!!」
町田さんはお手洗いに行くフリをして、先にお会計を済ましていたんだ。
映画とかドラマで見るやつだ!か、かっこいい…… !
「いつか、春樹君も後輩ができたら返したらいいよ」
町田さんは振り返ることなく、そのまま出口へと向かっていく。
俺達も、コートと手袋をして店を出る。
「ほなら、また来月かな~」
「そうですね~」
町田さんが言うと、ゴリラさん、きゅーとさん、冬さんが鞄からスケジュール帳を取り出し、予定を確認する。
「皆、来月の十三日の土曜日とかどない?」
「別段問題ないです」
スケジュール帳を開かず、そのまま俺は答える。俺以外の人は皆社会人で予定が詰まっている。対して俺は学生で土日は基本暇でやることがない。強いていうなら執筆作業くらいか。
他の皆もその日は空いているようで、来月の会はその日に決定した。
俺達はそこで別れて、各々の交通機関で帰った。
今日の余韻に浸りながら、ホームに歩いていると走ってきた男とぶつかった。
「あっ、すいませ……… 」
男はそのまま走って逃げていった。お腹の辺りに違和感があり首を下げると、包丁が突き刺さっていた。白いシャツはみるみるうちに赤く染まっていく。
「くそ…… こんなのありかよ……… 」
刺された、という事実を頭で理解すると身体全身が震える。息が上手く吸えない。
苦しい、俺はこんなところで死ぬのか、まだ夢も叶えていないのに。こんな中途半端なまま死ぬのか………… 俺は…… 横を向いて倒れる。意識が遠のいていく。
寒い…… 痛い…… 寂しい…… 色々な感情が渦を巻いていく。
最後に残った感情は後悔だった。俺の人生はそこで終わった。
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