第34話 「リッキーを愛している」

 ベッドに身を横たえながら、キュッリッキはぐるぐると悩んでいた。

 もうじきベルトルドたちが帰ってくる。そしてここを追い出され、ライオン傭兵団も出て行かなくてはならないのだ。


(いつものことだもん…)


 激しく感情を乱れさせ、居場所をなくしてハーツイーズのアパートへ戻る。

 慣れたくはないけど慣れてしまっていることなのに、今度ばかりは辛い。


(こんな大怪我をしちゃったけど、ライオン傭兵団での仕事は楽しかったなあ。召喚の力でみんなの潜在力ポテンシャルを引き上げて、色んなサポートして、充実した気分になれた。誰かと一緒に仕事をするのが、あんなに楽しいなんて初めてだったもの)


 やっと居場所のようなものを見つけた気がしたのに、自らの愚かな振る舞いでもうじき終わろうとしている。

 そこへドアがノックされ、リトヴァが夕食の膳を運んで部屋に入ってきた。


「お夕食をお持ちいたしました。少しでも、お召し上がりなさいませ」

「欲しくない…」


 キュッリッキはポツリと呟いた。

 リトヴァはスープポットから食欲が掻き立てられるような匂いのスープを皿によそい入れ、皿を持ってベッドの傍らの椅子に座った。

 透明な金色のスープは、コンソメスープのようだ。


「お怪我をなさってから、もうずっとなにも召し上がっておられないと聞いております。固形のものは胃に負担がかかりますし、スープなら大丈夫でしょう。温かいスープを少しでも、お口に入れてくださいませ」


 しかしキュッリッキはきゅっと口を引き結び、目を伏せていた。


「お嬢様、少しはお食べになりませんと…」


 リトヴァは困ったようにスプーンを皿に戻す。

 やしきの料理人たちがキュッリッキが元気になるようにと、滋養のある食材を用いて心を込めて作り上げたスープだ。


「少しでもいいので、お口に入れていただきたいですのに」


 リトヴァは小さく吐息を漏らす。


「ごめんなさい、お腹すいてないの」


 相変わらずシーツに顔を半分埋めたまま、リトヴァに申し訳ないと思いつつ、キュッリッキはくぐもった声で小さく答えた。

 お腹ならすでに不安でいっぱいに満たされている。これ以上はもう何も入りそうもないほどに。

 怪我をした日から薬と水以外口にしていなかったが、少しも空腹は感じなかった。むしろベルトルドの帰宅が怖くてならない。まさかそれを言うわけにもいかず、キュッリッキにはほかに言い訳が見つからなかった。

 リトヴァはこれ以上粘っても無理だと思い、諦めて皿を下げようと腰を浮かせた。その時ノックがして、やしきの主が入ってきた。


「今帰ったぞー!」


 元気に言うベルトルドに続いて、アルカネットも入ってきた。


「おかえりなさいませ、旦那様がた」


 リトヴァは慇懃に挨拶をして、そしてキュッリッキに目を向ける。するとキュッリッキの表情かおが一瞬にして緊張に塗り変わっていて、何事かと内心驚く。


「下がれ、リトヴァ」

「はい」


 3人に会釈すると、リトヴァは食事の膳と共に部屋を出て行った。


(ベルトルドさん帰ってきちゃった…謝らなくっちゃ)


「ただいまリッキー、俺がいなくて寂しかっただろう?」


 意気揚々と弾んだ声を出し、不敵な笑みを浮かべながらベルトルドはベッドに腰を下ろす。


「アナタがいなくても寂しくなんかありませんよ。ね、リッキーさん」


 ツッコミながらアルカネットもベッドの傍らに立ち、柔らかな笑みを向けた。


「ん? どうしたのかな?」


 キュッリッキは黙り込んだまま怯えの表情を浮かべ、2人を見ようとしない。言葉は喉に詰まって、なにも発せなかった。


(帰ってきたら謝ろうって決めてたのに、声が出ないの…)


 そしてベルトルドがいつ「出て行け」と言うのか、聞きたくなくて心がビクビクと怯える。

 目を伏せているキュッリッキの顔を、ベルトルドは不思議そうに覗き込んだ。


「顔色が悪いな、また熱でも出たのかな? 下がったと報告を受けているのだが」


 アルカネットが身を乗り出して、キュッリッキの額にそっと触れる。


「熱は、大丈夫ですね」

「そうか」


 物言わぬキュッリッキの反応が想像の範囲外だったのもあり、2人は怪訝そうに首を捻った。


「どうしたのかな? リトヴァになにか言われたのかな?」


 これには即首を振って否定した。


「判った、ルーファスに悪戯でもされたんだろう」


 これにも更に強く否定する。


「どちらも違うのか…」


 ベルトルドは首をひねって考え込む。

 このやしきの中にいるのにキュッリッキをここまで凹ませる原因が、さっぱり思いつかないのだ。部屋の内装が気に入らなかったのか、足らないものがあったのだろうかとアレコレ考える。


「じゃあ……何か、心配事でもあるのかな?」


 困ったように聞かれて、キュッリッキはチラリとベルトルドを見る。そしておずおずとベルトルドに顔を向けると、消え入りそうな声をようやく発した。


「…怒って、ないの?」


 たっぷりと間をあけ、ベルトルドは「はて?」と不思議そうに目を見開いた。


「だって…アタシ、昨夜ベルトルドさんに酷いこといっぱい言ったし、悪い態度とったし…だから」


 だから絶対怒っているはずだ。なのに、そんな素振りが見えない。キュッリッキのよく知る、優しい目をしたベルトルドだ。

 キュッリッキからしてみても予想外の態度で、逆にいつこれが怒りに転じるのかと、余計不安に覆い尽くされていた。


「こんなに素直で可愛いリッキーに、酷いことなんか言われてないぞ? 俺は」

「ウソ!」


 キュッリッキは悲痛な顔を上げた。


「昔のこと思い出すと、アタシ自分が抑えられなくって、いつも酷いこと言っちゃうの。みんな悪くないのに、みんなが悪いっていっぱい言っちゃって、それですぐ仲良くできなくなるの! みんなを怒らせちゃってダメになっちゃう! 昨夜だってベルトルドさん何も悪いくないのに、ベルトルドさんが悪いみたいなこと言っちゃったから、だからっ」


(絶対怒ってるはずだから――!)


 キュッリッキは身を乗り出しかけ、ベルトルドが慌てて押さえ込む。キュッリッキは左手でシーツを握り締め、目を強く瞑った。

 辛かった幼い頃の記憶を夢で見て、感情が噴き出して自分が抑えられなかった。ベルトルドを知らない大人だと誤認して、荒れ狂う感情を迸らせて叩きつけた。


(幼かったアタシを大人は誰も優しくしてくれなかった。大きくなっても、大人は優しくなんかない!)


 出来損ないの飛べない片翼だから。だから、大人はみんな自分キュッリッキを嫌うのだ。


「昨夜も昔のこと、思い出しちゃってて…。それで――」

「うん、判ってる」

「……え?」


 一瞬なんのことだろうと、キュッリッキは目を瞬かせた。


「俺もアルカネットも、知っている。リッキーの過去のこと、全部」


 ゆっくりと目を見開いて、じっと見つめてくるベルトルドを凝視する。


(アタシの過去……、知ってる…? 過去を知っている? 過去を知っているということは、アタシがアイオン族で、忌まわしい片翼のことまで、全部知っているということなの?)


 2人の顔を交互に見て、キュッリッキの呼吸が荒くなった。何かひどく恐ろしいことを聞いたようにサッと顔色が変わり、警戒するような色がその目にありありと浮かんだ。

 ベルトルドは感情の色の伺えない表情をしていた。そしてアルカネットは、悲しげに目を伏せている。

 キュッリッキの身体が、小刻みに震え始めた。

 ベルトルドはベッドに座り直し、可哀想なほど震えるキュッリッキをしっかりと見据えた。


「リッキーをスカウトする前に、全部調べたんだ。生まれも、育ちも、何もかも調べられるだけ調べた。だから、リッキーが気に病んでいる過去のことも、俺たちは知っているんだよ」


 穏やかに言われても、その内容にキュッリッキは愕然とした。

 脳裏に走馬灯のように再生していく、初めてベルトルドやアルカネットと出会ったときのこと。


(2人はビックリするほど優しかった。あんなふうに優しく見つめられたり、微笑んでくれたり初めての経験だった。そして大怪我をしたアタシのために、遠い異国まで助けに来てくれた…出来損ないのアタシなんかのために)


 何故、2人は優しくしてくれたのだろう。出来損ないと知っていたのに。

 ベルトルドをまじまじと見つめたあと、キュッリッキは急に心が冷えていくような感じに包まれた。そしてポツリとこぼす。


「知ってるんだったら…、なんで、なんで優しくしてくれるの? おかしいじゃない」


 出来損ないには優しくしないのが大人だ。それなのに。


「なにが、おかしいんだい?」


 首をかしげるベルトルドを、キュッリッキは睨むように見つめた。そして横たわった姿勢で、無理矢理翼を生やした。ベルトルドとアルカネットが驚いて目を見張る。

 翼を出したことで傷に響いたのか、表情が苦悶に歪む。ベッドの上に虹の光彩をまとわせた白い羽根が、粉雪のように舞い上がった。


「見てよ! 片方しか翼はきちんと生えなかった! 左側の翼は残骸みたいに出てるだけ、白い翼にはならなかった!! 飛べないの! 出来損ないだから、だからアタシの親はアタシを捨てたし、修道院でも虐められたわ。誰も優しくしてくれなかった!」


 ハア、ハア、と荒く息を何度も吐き出し、叫ぶように言った。


「召喚〈才能〉スキルがあったって、国もアタシを見捨てたし、誰も受け入れてくれなかったわ。出来損ないのアタシなんて、誰も好きじゃないんだからっ!」


 全身に痛みが広がり、目尻に涙が滲む。傷から身体中に亀裂が走るような痛みに耐えかねて、キュッリッキは急いで翼を消した。

 空気に溶けるように羽根は霧散していった。

 切り裂かれるような痛みに感覚が麻痺してきて、キュッリッキは食いしばるように閉じていた目を開いた。


「ベルトルドさんもアルカネットさんも、アタシを好きだって言った。でもそれは、アタシが召喚〈才能〉スキルを持っているからなんだ…」

「違います!!」


 アルカネットは咄嗟に悲痛な叫びを上げた。


「違わないよ…。出来損ないのアタシを、誰も好きになんてならないもん。みんなが好きなのは、召喚〈才能〉スキルのことなんだから」

「なんてことを言うのです、リッキーさん!」


 叱りながら今にも飛びつきそうアルカネットを、ベルトルドは素早く手で制した。


「リッキー」


 やがて口を開いたベルトルドの声は、驚くほど静かで優しかった。


「アイオン族の都合は、俺には関係ない。俺は、リッキーが大好きだ」

「……それは、アタシが召喚〈才能〉スキルを持ってるからでしょ。ベルトルドさんが好きなのは、召喚〈才能〉スキルなんだよ」


 キュッリッキは顔を背けたまま、突っ慳貪な口調で言った。


(珍しいから。持っている人が極端に少ない〈才能〉スキルだから。だからみんなアタシのことじゃなく、召喚〈才能〉スキルを好きなんだ)


 そっぽを向くキュッリッキを優しく見つめながら、ベルトルドは少しも気にした風もなく続ける。


「確かに最初に興味を示したのは、召喚〈才能〉スキルだったのは否定しない」

「ほらね、やっぱり」


 どこか拗ねたように呟く。結局ベルトルドも、みんなと同じなのだ。

 キュッリッキを見つめるベルトルドの顔に、苦笑が浮かんだ。キュッリッキが何を考えているのか、透視せずとも手に取るように判る。そんな表情を浮かべていた。


「誰だって、何かに興味をもって、相手を知ろうとする。それは当たり前だと俺は思うぞ?」


 きっかけは、ほんの些細なこと。相手が望む望まないにかかわらず、何かに興味を持ち、惹かれるのだ。


「召喚〈才能〉スキルを持っているリッキーと出会った。そして、俺はリッキーを知って、大好きになった。生憎俺は、〈才能〉スキルを好きになったりはしない。何故なら俺は、女が大好きだからな!」

「得意気に断言するのは、そこじゃないでしょう…」


 自信満々のベルトルドに、アルカネットが即ぼそりとツッコむ。


「リッキーだって、誰かを好きになる前は、容姿だったり職業だったり、まずは知り得た部分から興味を持つだろう? いきなり初対面で相手の中身を知るのは難しい。付き合っていって、段々と相手の良さも悪さも知って、それで想いが深まっていく。そうだろう?」

「それは…」

「リッキーと出会うきっかけになったのは召喚〈才能〉スキルだ。しかし召喚〈才能〉スキルだけが好きなら、俺はここまでしないぞ。リッキーという一人の女の子を知って、それでリッキーが大好きになったんだ。言葉でどう言い表せばいいか困るくらいに、リッキーが大好きで大好きでたまらんのだ」


 食いつきそうな勢いで目をキラキラさせながら、ベルトルドはズイッと身を乗り出した。言っているうちに感情が昂ぶり、想いが噴き出す寸前になっていた。


「リッキーが俺のことが大好きで大好きでたまらないっ! というのは物凄くよく判る。ウン、ウン。俺はずば抜けて超絶イイ男だからな。でもそれは、俺が地位も名誉もあり、若くてウルトラブラボーハンサムで格好良くて大金持ちだからという理由で好きになったわけじゃあない」


「どこまで自惚れた自画自賛…」と溜息混じりに背後から聞こえるがスルーする。


「この俺だから、好きになったのだろう?」


 自信たっぷりなベルトルドの笑顔を見つめ、キュッリッキは押し黙った。色々とツッコミたかった箇所はあるものの、ベルトルドのことは好きだ。こんな自分に愛情を向けてくれて、色々助けてくれる優しい大人。それが召喚〈才能〉スキルのためと言われても、ここまでしてくれた大人はいなかったから。

 2人の様子を見守りながら「よくもまあ恥ずかしげもなく言い切れるものだ」とアルカネットは思った。ベルトルドのこういうところは相変わらずだと、別の意味で感心する。

 女にだらしない部分はあるものの、一度口にした決心は必ず実行に移し、成功してきたことをアルカネットは知っている。

 子供の頃からそれは、ずっと変わらない。

 だから――。


「昨夜リッキーが思いをぶつけてくれて、何に苦しんでいるかよく判ったぞ。ずっと、助けてほしかったのだろう? 自分のことを全部判ったうえで、受け入れてくれる存在が欲しかった、違うか?」


 大きく目を見開いたまま、キュッリッキの視線は揺れた。黄緑色の瞳の中に、期待の色が濃く溢れる。


(本当に、判ってくれたの? 誰も気づいてくれなかったの……判って…気づいてくれたの?)


 荒れる感情を迸らせていれば、誰か気づいてくれていたのかもしれない。無意識の救済を。でも、手を差し伸べてくれる人はいなかった。ハドリーもファニーも、一歩手前で踏みとどまっている。キュッリッキが一番望んでいるものは、友人の2人すら与えてくれなかった。

 キュッリッキの瞳を見つめ返し、ベルトルドは力強く言った。


「俺がリッキーの全てを受け入れる。過去のことを思い出したら全部俺にぶつけろ。我が儘も俺に言え。好きなだけ求め甘えていい! リッキーが望むだけの、いや、それ以上の愛を俺が注いでやる!」


(この人は…信じていいんだろうか…)


 18年という長い時間を経て、やっと受け入れてくれる大人が現れた。出来損ないでも愛してくれる大人が。親も見捨てた自分を、愛してくれるのだと。

 そう思った瞬間、キュッリッキの心の中で何かが弾けた。

 キュッリッキは自由になる左腕を、もがくようにしてベルトルドに伸ばした。今すぐにでもベルトルドに抱きつきたくて、動かない右半身を恨めしくさえ思った。

 ベルトルドはキュッリッキをそっと抱き上げると、いたわりながら優しく抱きしめた。キュッリッキは左腕をベルトルドの首にまわして、憚ることなく大声で泣き喚いた。

 悲しい泣き声ではない。

 出会えた喜びにも似た、救い出された安堵のような、心の底から湧き上がるような泣き声をあげた。


「リッキーを愛している」


 耳元でそっと囁くようなベルトルドの告白は、キュッリッキにとって生まれて初めて自分に向けられた『愛』という言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る