第4話 初めての歓迎会

「リッキーいるのかー? リッキー」


 ドンドンドン!

 激しく叩かれるドアの音で、キュッリッキは薄らと目を覚ました。


「う…ん…」


 両手で目をゴシゴシ擦り時計に目を向けると、針は正午を指し示していた。もう一度ドンドンドンとドアを叩く音がして、何だろうと身を起こす。


「リッキー」

「あ、ハドリーだ」


 聴きなれた声にはっきりと目が覚めて、キュッリッキはベッドから飛び降りる。小走りに駆け寄って玄関ドアを開けた。


「おはよー、ハドリー」

「やっと起きたか」


 髭面を呆れさせていた男――ハドリーは、やれやれと苦笑した。


「朝方帰ってきてたが、仕事だったのか」

「うん」

「じゃあ何も食ってないだろ? 今から昼飯食べに行くんだが、一緒に行くか?」

「行く行く! 顔洗って着替えるから、下で待ってて」

「オッケイ」


 ドアを閉めると、キュッリッキは寝間着のシャツを脱いでベッドに放り投げた。




「お待たせハドリー」


 10分ほどで身支度を整え下に降りると、壁にもたれてハドリーは待っていた。


「港んとこの《うみぶた亭》へ行こうぜ」

「うん、そうしよう」


 魚介類をメインにした、シーフード料理の専門店だ。港から直接素材を買い付けているので、安くて新鮮で2人のお気に入りの店でもある。


「何の仕事だったんだ? えらく半端な時間に帰ってきて」

「うーんと、仕事兼入団テストだったの」

「へ?」

「最初から話すと、アタシね、ライオン傭兵団にスカウトされちゃった」


 暫し間を置いたあと、


「はあああああああああああああっ!?」


 周囲に轟くほどの大声を上げて、ハドリーはキュッリッキを凝視した。


「ライオン傭兵団からお声がかかったのかよ、すっげー」

「うんむ」


 ハドリーはキュッリッキより5つ年上で、同じくフリーの傭兵だ。これまでも現在も傭兵団には属していない。「そこまで実力ねーもん、オレ」と言い気楽にフリーを続けている。それでも、入りたい、もしくは共闘したい筆頭にライオン傭兵団を挙げるほど憧れていた。

 羨望の眼差しを注ぎつつ、ハドリーは納得したように深く頷いた。


「やっぱ召喚〈才能〉スキルに目をつけられたんだろうな。あれだけの凄腕集団なら、リッキーの力を欲しがるはずだ」

「アタシの召喚を見て、ぽかーんとしてたよ」

「そりゃそうだべ。魔法や超能力サイとも比較できない、最早次元が違うモンだからなあ」


 キュッリッキの召喚を、ハドリーは何度か見ている。圧倒的な力というものがあるとすれば、召喚によるものだと断言できる。それは本当に凄まじい力であるとハドリーは思っていた。


「ギルドから仕事の依頼だって連絡もらったけど、依頼主に会ったらスカウトだったの。ベルトルドさんっていってね、すっごくハンサムで、優しい人だった。なんだか怖い雰囲気は滲み出てたけど」

「……リッキー、今、誰と言った?」

「ん? ベルトルドさん?」


 ハドリーは男らしい眉を寄せて、抑えるように声を絞り出した。


「落ち着いてよく聞けよ。その名前は、ハワドウレ皇国副宰相の名だ」

「…………………にゃ?」


 ハワドウレ皇国副宰相ベルトルドは現在41歳で、副宰相に叙されたのは僅か18歳だったと言われている。

 国政を担うエリート養成機関ターヴェッティ学院を歴代1位の首席で卒業するほどの天才で、生まれ持った〈才能〉スキル超能力サイ。歴史上記録にナイOverランクだという。

 容姿も格段に優れており、貴婦人たちを虜にしてやまず、社交界では”白銀の薔薇”とも呼ばれている。

 しかし世間的に最も有名なのは、”泣く子も黙らせる副宰相”という物騒な通り名だ。

 泣いている子が泣き止むのを待つ時間がもったいないので、早急に問答無用で黙らせる、という事実が込められている。つまりは『おっかない人』と思われていた。


「色々な逸話や伝説が尾ひれにつきまくる御仁だが、何にせよ、物凄い大物であることは間違いない」

「うわあ……、ベルトルドさんって、凄いんだねえ~」


 一昨日会った時の印象では、優しくてちょっと面白いおにいさん、という感じだった。でもおにいさんどころではなく、オジさんな年齢にはちょっと驚いた。どう見てもまだ若々しい。


「そうかあ…、ライオン傭兵団の後ろ盾は、かなり強い権力を持ったやつだって噂はあったんだが。まさか副宰相が後ろ盾をしているとはなあ」


 ハドリーはゲッソリと肩を落とした。強いどころか最強である。


「現在の宰相は高齢とかで、皇王から全権を委譲されて、副宰相が事実上国政の長だとも言われてるんだ。んで、身軽になった宰相の仕事は、皇王の茶飲み話の相手だってよ」

「ふ~ん。でもそれなら、ベルトルドさんが宰相に就いちゃったら早いのにね。世間話するだけなら、引退しても出来るじゃない?」

「普通はそう考えるけどな。まー宮仕えのアレコレは、オレみたいな傭兵風情には判んねえ」

「アタシも判んないや」


 揃って肩をすくめたところで《うみぶた亭》に到着した。

 店内はお昼どきで混雑していたが、ちょうど入れ替わりで待つことなく、2人は港が見渡せるテラス席に通された。


「アタシ、カニと海老のクリームパスタ」

「オレは海老フライセット、ライスのほうで」


 メニュー表を見ることなく、いつものメニューをオーダーする。


「仕事とテスト?は、ちゃんと出来たのか?」

「うん、度肝を抜いてやったもん」


 自信たっぷりに言うキュッリッキに、ハドリーは破顔する。


「じゃあ入団決定したんだな。おめでとう」

「えへへ、ありがとう」


 にこっと笑ったところで、キュッリッキはすぐに表情を曇らせた。


「でもね、またいつもみたいに、失敗しちゃったらどうしようって不安なの」


 キュッリッキの言う失敗のことは、ハドリーもよく判っている。ハドリーはキュッリッキの数少ない友人の一人だ。失敗して舞い戻ってくるたびに、慰め、励ましているのだから。


 * * *


 親のこと、兄弟のこと、家族のこと。それを話題にして盛り上がることは珍しいことじゃない。傭兵だからこそ、話題に取り上げることも多い。

 しかし触れてほしくない奴もいる。それもまた珍しいことじゃあない。

 リッキーがそうだ。

 とある傭兵団からのオファーで集まった仕事で、たまたま一緒になったことがある。それが初めての出会いだ。

 仕事が終わって酒盛りをしていた時、オレは偶然それを見ちまった。

 奇麗な顔した女の子が、何かを必死に堪える表情かおをしている。仲間たちとの談笑にも混ざらず、全身を強張らせて黙り込んでいた。

 話題の中心にいたやつの、愛情あふれる家族自慢の真っ最中だ。

 正直オレもうんざり気味だったのは確かだが、自慢していた奴がいきなりリッキーに水を向けたんだ。

 するとリッキーは突然爆発した。そりゃもうその場にいた全員が呆気にとられる勢いだ。オレも持ってた酒瓶を思わず落としちまったくらいの衝撃を受けた。

 美しい顔を怒りで醜く歪ませ、思いつく限りの罵詈雑言を撒き散らす。

 何があんなに彼女を追い詰めたのか、その時誰も判らなかった。

 判らなかったこそ、場がシラケた。

 やがて彼女が落ち着いてくると、待っていたのは周囲の冷たさだった。

 大人たちは白い目と心を抉る言葉、態度をリッキーに投げつけた。彼女が何故そんな態度に出たのか、知ろうともしない。理解しようともしなかった。

 暴れている時のリッキーには本当に驚いたが、やがて正気に戻った彼女の、あまりにも落ち込む姿に同情したんだ。潮が引くように周りがリッキーを遠ざける中、オレは声をかけた。

 何故あんな態度になっちまうのか、理由を知りたいと思ったからだ。

 その時は何も教えてくれなかった。だが気になってちょくちょくお節介をやくようになった。そして半年位経った頃、少しずつ自分の身の上を話してくれるようになる。

 リッキーは孤児だった。それだけでも辛いだろうに、驚くほど特殊な例の孤児で更に驚いた。

 生まれ落ちてすぐ捨てられたんだ。それだけでも非人道的だというのに、捨てた両親の行いを世間が評価して賞賛したことだ。普通じゃ考えられねえ。

 そして一番残酷なのは、そのことをリッキーは物心つく頃には全て聞かされていたことだ。親が捨てたって。世間は隠すことなく両親を賛美し、被害者のはずのリッキーを貶めたんだ。非常識すぎてありえねえよ。

 それを聞かされた時、リッキーがあの時爆発した気持ちが垣間見えた。

 オレだって同じ境遇なら、絶対触れられたくねえ。それだけは理解できる。たとえ自身の感情を抑えるにしても、態度が頑なになるのは仕方がないだろ。

 でも、いつまでも感情をコントロール出来ないのは生きていくうえで不便だ。リッキーもそこはよく自覚してる。だが、上手に出来ない。それで似たようなことを繰り返してきている。

 居場所をなくし、自ら抜けてくる。細い肩をさらに細くして、目に涙をいっぱい浮かべて帰ってくるんだ。

 だけど何時かは克服できる。リッキーの心を理解し、受け入れてくれる奴が現れれば。こんなに頑張っているんだしな。オレはそう、信じたいんだ。


 * * *


「リッキー、まだ、始まってすらいない」


 いつもの穏やかで言い聞かせるようなハドリーの口調に、キュッリッキは面を上げる。


「また失敗するかも。でも、大丈夫かもしれん。なにせ、相手は傭兵界トップのライオン傭兵団だぞ。リッキーがちょっと取り乱したくらいで、動じるほどヤワな連中じゃないさ。話を聞いてる限りじゃ結束が強そうだから、きっと違う目が出るかもだ」

「う、うん」

「失敗したら、また帰ってくればいい。アパートの部屋は、リッキーが落ち着くまでは、そのまま空けておくようギルドには話をつけといてやる」

「うん。ありがと」

「ただ、がっぽり稼いでくるまでは、気合で堪えろよ?」

「へへっ、判った」


 ようやくキュッリッキの顔に笑顔が戻った。それを眩しげに見やって、ハドリーは心の中で呟く。


(オレにはリッキーの過去は重すぎて、一緒に背負うことはできない。でも、今度はリッキーを本気で支えてくれる奴が現れるかもしれない。ライオン傭兵団と副宰相がついているんだからな…)




 《うみぶた亭》で食事を終えた2人は、市場で食材をそれぞれ買い込んだ。あまり料理はしないが、外食ばかりだと出費がかさむのでなるべく自炊するようにはしている。

 雑談をしながら港をぶらついて、2人は帰路に着いた。


「引越しは何時なんだ?」

「来週にする予定」

「今週は仕事もないし、暇してるから荷造り手伝うよ」

「ありがとう、助かる~」

「来週は恒例の仕事が入ってるから、荷運びが手伝えるかどうかだな」

「それほど多くはないし、手押し車借りたら自分で運べると思う」


 ごく当たり前のように言われて、ハドリーは眉間を寄せる。


「……やっぱ心配だな。時間の都合つけて手伝うわ…」

「タブン大丈夫だと思うんだけどなあ」


 キュッリッキは自覚していないが、かなり非力である。それが判っているハドリーは、上り坂で難儀しているキュッリッキが容易に想像できて不安でたまらない。

 馬車を借りればいいが、生憎街の中で馬車を操るには専用の免許が必要になる。ハドリーは持っているが、キュッリッキは持っていなかった。

 アパートに着いた2人は、そこで別れてそれぞれの部屋に戻った。




 買ってきた食材を保冷箱に入れてお湯を沸かす。食後のお茶はご近所の主婦からもらった紅茶をチョイスする。澄んだ香りがとてもいい。


「おばちゃんたちとも、暫くお別れかあ」


 人生の大先輩である”おばちゃんズ”は、人見知りなキュッリッキを温かく迎えてくれ、時々他愛ない差し入れもくれたりする。

 癇癪を起こして失敗すればすぐ戻ってくることになるだろうし、つつがなく続けていければお別れになってしまう。

 複雑な思いと寂しさに、ちょっとうるっときてキュッリッキは頭を振った。


「せっかく凄いとこに入れたんだし、頑張らなくっちゃね!」


 両手の拳をギュッと握って気合を入れたところでお湯が沸いた。

 お茶を飲み終えると、ベッドに足を投げ出して座り、キュッリッキはボーッとしていた。連日馬車での移動が、ちょっと身体に堪えているようだ。なんとなく疲労感に包まれていてだるい。

 窓の外に見える空はだんだんと青みを薄くし、オレンジ色や紫色が侵食し始めている。夕刻だった。


「今日はもう、動きたくないかも…」


 疲れたように言うと、コンコンっとドアを叩く音がして小さく首をかしげた。


「? 誰だろう」


 ハドリーなら、あんな上品なノックはしない。もうひとりの友人も、ノックは派手なほうだ。

 出ないわけにもいかないので、キュッリッキは小走りに玄関ドアへと駆け寄った。

 ドアを開けると、知らない男が立っていた。男は小さく会釈をする。


「あ…」


(確認しないで開けちゃった…)


「いいか、女の一人暮らしは危ないんだ。無闇にドアを開けるなよ!」


 そうハドリーから念押しされていたのに、迂闊にも開けてしまった。

 無用心に開けたことを後悔しつつ、身を固くして男を見上げる。

 キュッリッキの怯えたような表情を見て察したのか、男はすぐ柔らかな笑顔を浮かべ、慇懃に頭を下げた。


「いきなりごめんね。オレはライオン傭兵団所属の、メルヴィンって言います。今夜キミの歓迎会があるから、迎えに来ました」


(歓迎会……、あ)


 明け方カーティスたちと別れる際に、誰か迎えに寄越すようなことを言っていたのを思い出した。


(そうだ、今夜は歓迎会してもらうんだった)


 今時分まですっかり忘れていたので、キュッリッキは内心慌てた。


「ちょっと待っててね」

「はい」


 とは言ったものの、ドアを閉めていいか戸惑い神妙な顔で考え込む。素っ気ない態度になりはしないか、果たしてドアを閉めていいものだろうか。


「オレは下で待っていますから。ごゆっくり」


 メルヴィンは感じの好い笑顔で言うと、直ぐにその場から離れていった。それに安堵してドアを閉めると、キュッリッキは室内に駆け込んだ。


「着替えなくっちゃ」


 肩出しになっている中袖のオレンジ色のカットソーと、小花がプリントされた白いミニスカートを取り出し着替えた。

 自分の歓迎会ということだから、数少ない外出着をチョイスする。

 姿見で身だしなみをチェックし、ポシェットをかけるとキュッリッキは部屋を出た。




「お待たせなの」


 下へ降りると、メルヴィンは夕暮れの港の方を見ていた。


「船が沢山見えて、眺めのいいところですね」

「うん」


 メルヴィンの傍らに立ち、キュッリッキは心の中で唸る。


(どうしてこう、みんな背が高いんだろう。こないだのギャリーたちも高かったし)


 自分の背が低いだけ、という点は除外する。キュッリッキと比べれば、大概の人は背が高いのだ。

 スタンドカラーの裾の長い黒い上着に、白いゆったりめのズボン姿のメルヴィンは、肩幅もしっかりあって威風堂々とした雰囲気をまとっていた。そして整った顔立ちはハンサムという表現より、凛々しいといったほうがしっくりくる。


(傭兵っていうより、騎士とか軍人とか、そんなイメージがする人だな~)


 メルヴィンの顔をジッと見上げてアレコレ考えていると、視線に気づいてメルヴィンは優しく微笑んだ。


「そろそろ乗合馬車が来る頃ですね。停留所へ行きましょう」

「う、うん」


 停留所へ向けて歩き始めたメルヴィンを、キュッリッキは慌てて追いかけた。




 乗合馬車が来るのを停留所で待ちながら、メルヴィンは傍らに立つキュッリッキをチラッと横目で見る。

 昨日、ルーファスのテレパシー中継で見せられた彼女の戦闘は、仰天するほど摩訶不思議なものだった。巨大な壁と黒い水。一瞬でソープワート軍を消し去った、その凄まじい力。

 18歳と聞いているが、まだ幼さをまとった少女である。童顔というわけではなく、全体的に幼い雰囲気がするのだ。あどけなさと危なっかしさを同居させた、そばにいてやらないと不安になるほどに。

 こんな少女が、あれだけのことをやってのけてしまう。召喚〈才能〉スキルとは恐ろしいものだと思った。

 この先どういうふうにキュッリッキを使っていくか悩みどころではある、とカーティスは言っていた。キュッリッキ自身は力のコントロールは出来るだろうから、その強大すぎる力を如何に仕事に活かしていくか。そこがカーティスや他のメンバーたちに課せられた、最大の試練になるかもしれない。

 仲間に取り込んだからには、その力を上手に活かしてやらなければならない。メルヴィンもそう思うのだった。


「ね、馬車きたよ」

「あ、はい」


 キュッリッキに促されて、メルヴィンはハッとなって慌てて馬車に乗り込んだ。すっかり自分の世界に入り込んでいた。

 並んで座ると、メルヴィンはひっそりと息をつく。他にも乗客が2人いた。


「考え事でもしてたの?」

「ええ、まあ」

「ふーん」


 一応聞いてみた、といった感じの口調で言われメルヴィンは苦笑する。

 先程から、極力目を合わせようとしない。ツンケンしているわけでもなく、もしかしたら人見知りする子なのだろうかとメルヴィンは気づく。小さな身体を固くして、どう接すればいいのか判らないといった感じだ。


「昨日の戦闘、凄かったですね」


 何か会話でもと思い、唐突に切り出す。話しかけられるとは思っていなかったのか、キュッリッキはビクッとなって身構えた。


「召喚〈才能〉スキルの力というのは、凄いものなんですね。初めて見たので驚きましたが、この先色々な力を見ることが出来るのは楽しみでもあります」

「あ、ありがとう」


 頬を赤く染めて、キュッリッキは少し俯いた。褒められるのに慣れてなさそうな反応だ。


「あれは、魔法のようなものなんですか?」


 思ったことを問うと、キュッリッキは否定するように首を横に振った。


「アルケラに住んでいる子たちを、こちらの世界に呼ぶの。そして、アタシの思った通りに動いてくれるんだよ。だから、魔法とは違うの。うーん、どう説明したら判りやすいかなあ…」


 細い顎に人差し指をあてて、キュッリッキは上目遣いに暗くなってきた空を見上げた。


「アルケラって世界には、色んな子がいっぱーい住んでるの。神様とか不思議な姿の生き物とか。昨日は敵を一気に倒す方法を考えていたら、ゲートキーパーと闇の沼がアタシの作戦に同調してくれて、それであの子達にこちらにきてくれるようお願いしたの。魔法じゃないの。この目でアルケラを視て、呼び寄せることができる、そういう力」


 メルヴィンは判ったような、判らなかったような、そんな複雑な色を顔に浮かべた。実際想像を絶するものだからだ。


「判りづらかったかな…、ごめんね」


 メルヴィンの表情を見たキュッリッキは、しょんぼりと肩を落とし切なげにため息をこぼした。

 あまりにもガッカリと落ち込まれてメルヴィンは慌てた。


「い、いえ、こちらこそごめんなさい! オレの想像力が乏しいから、想像しきれなかったんです。アルケラがどういうところなのか、とか。でも、召喚するという仕組みのようなものは、理解出来たと思います」

「……ホント?」

「ええ。100パーセント正確ではないかもしれませんが」


 照れくさそうに笑ったメルヴィンに、キュッリッキはとても愛らしい笑顔を向けた。


「この先いくらでも機会はありますから、教えてくださいね、召喚のこと」

「うんっ」


 喜んだキュッリッキの声が弾む。

 こんなにも屈託のない顔で微笑まれて、メルヴィンは一瞬ドキッとした。

 つい今しがたまで緊張を貼り付けたような表情かおをしていたのに、今は素敵な笑顔を浮かべている。もとより美しい顔立ちだから、眩しささえ感じてしまう。

 これをきっかけに少しずつ馴染んで、みんなとも話ができるようになればいいとメルヴィンは微笑した。




 乗合馬車はエルダー街の入口の停留所に停まった。運賃を御者に支払って、メルヴィンとキュッリッキは降りる。


「……うわ」


 陽も落ちて辺はすっかり暗くなっていたが、エルダー街は家屋から漏れる灯りで街灯がいらないほどだ。それに、人々の話し声や怒鳴り声、音楽も鳴り響いて賑やかである。一昨日の昼間にきたときは、静かで閑散としていたのにえらい違いだ。


「吃驚するでしょう。エルダー街は夜の方が賑やかです」

「吃驚したの…」

「さあ、行きましょう。みんなもう、飲み始めていそうです」


 停留所から歩いて10分ほどのところに、酒場豪快屋は建っていた。

 煤汚れたような古い木材で建てられている《豪快屋》からは、酒や料理の匂いと、賑やかな笑い声が溢れていた。

 道路に面した壁には、剥がれかかった汚いポスターが適当に貼られ、幾人かの酔っぱらいがもたれかかっている。まだ夜になったばかりなのに、すっかり出来上がっていた。


「こんばんはマスター。もうみんな集まってますか?」


 開けっ放しの店に入り、メルヴィンがカウンターに声をかける。


「おう! 奥に陣取って飲み始めてるぜ」

「判りました、ありがとう」


 キュッリッキもカウンターのほうへ顔を向けるが、そこには誰もいない。首をかしげていると、時々背中のようなモノがチラチラ浮き沈みを繰り返している。きっとあれがマスターなのだろうか。


「行きましょう」

「はい」


 店の中は淡いオレンジ色の光が優しく照らし、洒落た飾りなど一切なく、隅々には酒樽や酒瓶をいれた木箱が沢山積まれていた。建物と同じように年季の入ったテーブルやヒビの入ったオイルランプが、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 しかし店内はすでに満席で、タバコの煙が舞い踊り、陽気な笑い声が乱舞していた。


「おーい、メルヴィン、こっちこっちー」


 ルーファスの声だ、とキュッリッキは気づいた。メルヴィンは奥の方へ手を挙げる。


「みなさんお待たせしました。キュッリッキさんを連れてきました」


 メルヴィンは身体をずらして、キュッリッキに前にくるよう目で合図する。

 気恥ずかしさにモジモジしていると、


「よう、ちっぱい娘」

「ちっぱい言うな!」


 ギャリーのからかう言葉に、即反応して前に飛び出た。


「そら、顔出した」

「はっ」


 ギャリーのニヤニヤする顔を見て、謀られたことに気づいて口をへの字に曲げた。


(またちっぱいってもお!)


 目の前でドッと笑いが起き、隣でメルヴィンも口を押さえて笑っている。キュッリッキは顔を真っ赤にして、悔しそうに頬を膨らませた。


「ハイハイみんな、そんなに笑ったら可哀想ですよ。今日はキュッリッキさんの歓迎会なんですから」


 その場に立ち上がって、カーティスが掌をパンパンっと打った。


「ギャリー、あんまり言うとぉ、セクハラよぉ~?」


 ギャリーの斜め前に座る女が、間延びしたアクセントでケラケラ笑う。


「巨乳っ子じゃねーから、ルーが残念がっててよっ」

「やだあ、オレにふらないでよー」


 さらに笑いが起きて、カーティスはしょうもないといった表情かおで肩をすくめた。


「キュッリッキさん、こっちへどうぞ」


 苦笑しながら、メルヴィンが席の方へとキュッリッキを促す。キュッリッキはプンッとしながらも、指定された席に座った。

 奥の誕生席に座らされたキュッリッキは一斉に注目を浴びることになり、再び顔を赤くして俯いた。


「よう、追加注文の酒を持ってきたぞ」


 大きなトレイに木のジョッキを沢山並べて、それを両手にそれぞれ持って大男がやってきた。


「ありがとうございます、マスター」


 キュッリッキの斜め左に座っていたメルヴィンが、立ち上がって片方のトレイを受け取る。


「よう嬢ちゃん、俺はこの《豪快屋》の店主でグルフ、って言うんだ。よろしくな」


 もみあげがやたらと毛深く、筋肉隆々のガタイ。上半身裸にフリルのピンク色のエプロンをした、何とも言えない迫力のグルフに、キュッリッキは興味津々の眼差しを注いだ。

 グルフ自らキュッリッキの前にジョッキを置き、それぞれ皆の前に並べていく。


「歓迎会って聞いちゃいたが、おめーらのところに新入りとか珍しいな。こんなめんこい子だからメイドか?」

「違います。ちゃんとした傭兵ですよ」


 カーティスが否定する。


(なんでみんな、メイドと間違えるのよ…)


 キュッリッキは憮然とした。


「傭兵!? こんなに細っこいのにか? 魔法とか使うんかい?」


 黒い目を丸くして、グルフはキュッリッキの顔を覗き込む。


「アタシは召喚士よ」


 首すくめてグルフの目を見つめ返しながら、キュッリッキはもそもそと言った。


「召喚士ぃ~~!?」


 グルフのドデカイ声に、店内が一瞬静まり返る。そしてドヨッと騒然とし、ライオン傭兵団の席に客たちが群がりだした。


「オイ召喚士ってほんとか!」

「召喚士ってあの召喚士か? 初めて見るぞ」

「ハーツイーズんとこのギルドにいるって噂を聞いたことあるぜ」

「召喚士ってなんだよ?」


 ワイワイとむさっ苦しい連中が人垣を作り、誰だ誰だとウヨウヨ叫ぶ。

 騒ぎをおさめようとメルヴィンが腰を浮かせたとき、ガタリと勢いのいい音が鳴り響き、一瞬場が静寂に包まれた。


「さあオマエたち! 拝観料を払うがいい!!」


 空のジョッキを野次馬の群れに突き出し、もう片方の手を腰にあて、やたら長身の金髪男が仁王立ちで叫ぶ。


「ありがたい召喚士サマだぞ! 一人金貨一枚だ!!」

「高すぎるだろ!!」


 異口同音に野次馬たちが叫び返した。


「なんだ払えないのか! ならあっちへいくんだ。俺様たちはカンゲーカイの真っ最中なのだ!!」


 金髪の男のいちいち偉そうな言い方と態度に気圧されて、野次馬たちはぐっと引き、渋々と退散を始めた。その野次馬たちに舌を出し、鼻を鳴らして金髪の男は腕を組む。美形な顔立ちなのに、その尊大な態度の存在感が強かった。


「なんてケチな連中だ!」

「ごめんなー嬢ちゃん、騒いで見世物にしちまってよ」


 反省の色を浮かべた顔で謝るグルフに、キュッリッキは「大丈夫」と微笑んだ。

 グルフは面目ねーと苦笑い、後頭部をガシガシ掻いた。


「召喚士ってもんがなにをするのか俺は判らんが、ライオンに入ったからにゃあ、俺の店も格が上がるってもんだな」

「そうですね。ライオン傭兵団御用達の店、などと、勝手に吹聴しているようですし」


 カーティスが肩をすくめて苦笑する。


「はははっ。まあ、事実じゃねえかよ」


 豪快に笑い、グルフはカーティスの背中を一発叩いた。


「ライオン傭兵団御用達プラス、召喚士様も御用達。こりゃあますます客が増えて、従業員増やさねえとならんな」


 明るい未来設計が脳裏に浮かび、グルフはニヤニヤと無精ひげの顎を摩った。


「高額の宣伝出演料もらっとかないとね、キュッリッキちゃん」


 ルーファスがにっこり言うと、キュッリッキも頷いた。


「ギルドの口座番号教えるよ?」

「勘弁してくれや~~」


 ドッと笑いが起こり、いつの間にかキュッリッキも声を立てて笑っていた。




 カラのジョッキを引き取ってグルフがカウンターへ戻っていくと、コホンッとカーティスが咳払いをした。


「さて、改めまして。今夜はキュッリッキさんの歓迎会です」


 カーティスがジョッキを持つと、全員それに倣う。


「入団テストに合格し、新たに仲間に加わったキュッリッキさん、我々は歓迎します。ようこそライオン傭兵団へ!」


 乾杯!


 皆ジョッキを高々と掲げ、そして中身をグイッとあおった。


「みんな、ありがとう。よろしくね」


 はにかみながら、でも嬉しそうにキュッリッキはにっこりと微笑んだ。こんなふうに歓迎されると、恥ずかしいしこそばゆく、心があったかくなった。


(上手く、やっていけるといいな…)


 キュッリッキはジョッキの中身を見つめながら、願うように心で呟いた。

 ハドリーが言うように、がっぽり稼ぐまで気合で頑張るという目標もある。けれど、これまで感じたことのない何かが変わって、世界が開けていくような。とってもドキドキするような雰囲気を彼らには感じるのだ。

 それがどんなものなのか、キュッリッキは知りたいと思っている。


(生きる目標みたいなもの…。見つかるのかな、今度こそきっと)


 これまでずっと、ただ生きていくことだけを考えていた。将来の夢とか目標なんて、考えたこともない。食べるために、生きていくために働いていた。誰もがそうだろうが、その中に生き甲斐のようなものがキュッリッキにはなかった。


(とにかく、自分を抑えて、爆発しないようにしなくちゃ。頑張るんだ、アタシ)




 0時を過ぎた時点でキュッリッキは眠ってしまった。昨日までの仕事の疲れと、全員と初めての顔合わせ。緊張とアルコールで限界突破してしまったのだ。

 頬を紅潮させたまま、無防備な寝顔をさらけ出している。


「ハーツイーズのアパートまで、送ってきます」


 メルヴィンは立ち上がると、机に突っ伏して寝ているキュッリッキをそっと腕に抱き上げた。


(見た目通り、やけに軽い子だな…)


 どんなに痩せている少女でも、もっと重いだろうにとメルヴィンは思う。


「あ、オレも一緒についていくよ」


 ザカリーはジョッキのビールを飲みながら、慌てて立ち上がった。


「ヤダあ、ザカリーってばあ~、部屋がどこか確認してぇ、ナニするつもりなのぉ~?」


 派手な化粧の女――マリオンは、ニヤニヤと意味深な表情でザカリーをからかう。


「んなっ、ちげーよブス!」

「えーん、ブスって言われたあ」

「行こうぜメルヴィン」

「はい。――では、カーティスさん、送ってきます」

「お願いします。気をつけて」


 泣き真似をするマリオンを苦笑しながら見やり、肩を怒らせて歩いていくザカリーの後をメルヴィンはゆっくりとついていった。




 すでに乗合馬車は走っていない。エルダー街からハーツイーズ街までは、普通に歩いて片道1時間はかかる。

 2人はハーツイーズ方面へ歩き始めた。


「腕が疲れたら、替わるからよ」

「ええ、ありがとうございます」


 ぐっすりと眠っているが、気にならないほどキュッリッキは軽かった。

 ライオン傭兵団のアジトのほうが断然近いのだが、人見知り体質のキュッリッキをアジトに泊めるのはどうかな、とメルヴィンは思った。まだ引っ越してきていないし、着替えも何もない中、朝目を覚まして恐縮する姿を想像するとアパートまで送ってやりたくなったのだ。

 歓迎会の席ではちょっとずつみんなと話をしていたが、アルコールの手助けもある。素面で話すのには、まだ少し時間が必要だろう。

 2人は黙々と暗い夜道を歩いていた。仲が悪いわけでもないし、会話がないということもない。ただ、普段からそれほど積極的にお互い話をするわけではなかった。

 30分ほど歩いた頃、ザカリーがボソリと口を開いた。


「そいつがさ、ソープワート軍を消し去ったとき、ちょっと怖くなってよ」

「怖い…?」


 少し前を歩くザカリーを、メルヴィンは首をかしげて見つめる。


「直接魔法や超能力サイを使ったわけじゃなく、見たこともない凄い力を呼び出してよ。それで平然とやってのけてる姿は初めて見たせいか、なんか怖く感じてさ」


 ハフッゥっとため息をつき、ザカリーは顔を上げて空を見る。


「なんつーかさ、こんな可愛いくて綺麗な子が、人殺しをするの見るの辛いんだ。1人も600人も同じことだけどよ、やってほしくねーって思っちまう。――こないだのは、オレたちが殺らせたんだけどな」

「そうですね…」

「うまく言えねえんだけどよ、もう二度と、殺しはさせたくねえ。年齢よりずっとガキみたいな雰囲気をしてるくせにさ」

「ええ、オレもそう思います」


 ザカリーが言うように、キュッリッキは年齢よりもずっと幼い。話をしてまだ半日も経ってないが、それだけはハッキリと判った。

 たとえ仕事といえど、殺しがあると気が滅入る。男で年上の自分でもそう思うくらいだ。まだ18歳のキュッリッキには、絶対辛いはずだと思う。


「傭兵という仕事をしている以上、殺し合いと無縁ではありえません。ですが、極力この子には殺しをさせずに済ませたいですね」

「ああ」

「召喚の力がどれほどの幅を持っているかまだ判りません。これからそれを教えてもらいながら、支援も出来るのならそういう後衛担当を任せたりもいいですね。カーティスさんもこの子の扱いをどうするか、悩んでいましたし」

「カーティスが悩むんなら、オレたちも真面目に考えないとか」

「そうですね」


 ザカリーはメルヴィンの横に並ぶと、キュッリッキの寝顔を覗き込んだ。


「ホント、めっちゃ可愛いよな」

「そうですね。可愛いと思います」


 ライオン傭兵団にも女性メンバーはいるが、キュッリッキと比べると…、などと男性陣は思ってしまう。


「オレはルーとは違うからな、ちっぱいでもバッチコイだ」

「……」


 メルヴィンは苦笑するにとどめた。




 キュッリッキの住むアパートに到着する。明かりは点いていないので真っ暗だ。


「ザカリーさんすみません、キュッリッキさんのポシェットから、部屋の鍵を探して開けてくれませんか」

「おっけい」


 暗い中でもハッキリと見ることのできるザカリーは、イチゴのキーホルダーのついた鍵を見つけて直ぐにドアを開けた。

 メルヴィンはそっと、キュッリッキをベッドに寝かせる。

 道中一度も目を覚まさなかった。これなら朝までぐっすり眠っていそうだ。


「片付いてて、綺麗な部屋だな」


 狭い部屋だが、掃除も行き届いているのが見てとれる。


「女の子の部屋は綺麗ですよね」

「イヤ、マリオンの部屋はゴミ部屋だぞ。キリ夫人が怒ってるくらいだからな」

「そ、それは…」

「ところでメルヴィン、オレはあることに気づいた」

「え?」

「このまま帰るのはいいんだが、出たあと鍵を閉めるのはどうするよ」

「あ…」


 2人は暫し考え込み、


「仕方がない、朝まで居るか」

「……せめて起きる前に出ましょうか」

「だな。朝になれば誰か住人は起きるだろうし、それまではさすがに鍵かかってない状態で一人にはできねえ」

「ええ、迂闊でした…」


 考えが足らなかったことに、メルヴィンは額を抑えて嘆息した。




 朝6時、キュッリッキは目を覚ました。

 暫く天井をぼんやり見ていたが、ここが自分の部屋だと気づいて目を眇める。


「いつの間に帰ってきたの…かな」


 昨夜、ライオン傭兵団の入団歓迎会をしてもらっていた。食べろ!飲め!騒げ!で盛り上がり、途中から意識がなくなった。歩いて帰ってきた記憶がない。

 雰囲気に飲まれて、あまり酒も料理も口にしていない。でも、とても楽しかったのは覚えている。あんなふうに初対面の人やまだそんなに話したこともない人と、笑い合ったり喋ったり初めてのことだ。


「えへへ、アレが、新しい仲間かぁ~」


 口にするだけで、くすぐったい気持ちに包まれた。みんな年上の人ばかりだったが、それでも『仲間』になる彼らとの生活が楽しみでしょうがない。


「仲良くできるとイイナ」


 首を引っ込めて、シーツで顔半分を覆う。楽しかった余韻が、身体のあちこちに残っていてとても気分が良い。今日は良い事がありそうだ。


「さて、とりあえずシャワー浴びようっと」


 キュッリッキは身体を起こし、ベッドから出ようとして動きを止めた。


「え……」


 床に座り込んでいる男が2人、目の前にいる。


 メルヴィンとザカリーだ。


「え…え……えっ………きゃあああああああああああああああああっ!?」


 アパート中に轟く大声で悲鳴を上げた。

 少しすると、建物を揺するほどのドタドタドタドターッという足音を鳴り響かせ、人生の大先輩”おばちゃんズ”がドアを蹴破って雪崩込んできた。


「大丈夫かいキュッリッキちゃん!?」

「誰だい女の子に悪さしに来ている奴は!!」


 鉄製のフライパン、ステンレスの鍋、オタマ、包丁などを手にし、同じアパートに住む”おばちゃんズ”は勇ましい姿で憤然と叫んだ。


「そこのアヤシイ2人だねっ!」


 ビシッと指をさし、”おばちゃんズ”は問答無用聞く耳持たずでメルヴィンとザカリーに襲いかかった。

 呆気にとられていた2人は、目を白黒させている間に散々ボコられた挙句縛り上げられてしまった。


「い、一体何事ですか…」


 包丁の切っ先を突きつけられて、メルヴィンは冷や汗をかきながらようやく声を発した。ザカリーと背中合わせに縛られている。


「こんな色男が、何を不自由してんだか。か弱い女の子の部屋に夜這いならぬ朝這いするなんてさ。キュッリッキちゃんはね、まだまだウブで世間知らずなんだ。それを大人げないったらないねえ」

「朝這いって!?」


 ベッドのほうを見ると、ベッドの上にぺたりと座り込み、ベソ顔のキュッリッキが自分たちを見ている。それでやっとこの事態に気づく。


「ザカリーさん…」


 声を潜めてザカリーに声をかけると、情けないため息が返された。


「オレら寝ちゃってたみたいだな」

「ええ、さらに迂闊でした」

「なあにコソコソ話してんだい!」

「ヒッ」


 振り下ろされた包丁が、鼻先の1ミリスレスレの位置でピタリと止められた。ザカリーは今にも泡を吹きそうである。そこへ、


「大丈夫か、リッキー!」


 血相を変えたハドリーが、転がる勢いで駆け込んできた。


「おはようございます、ご婦人会の皆さん」

「ハドリーちゃん、おはよう」


 狭い部屋に”おばちゃんズ”が5人、床に縛られている男が2人。それを忙しく見やりながら奥のベッドに座り込んで、ベソかいているキュッリッキのところへ向かう。


「リッキー」

「はどりぃ」


 ハドリーが頭を撫でてやると、キュッリッキは大きくしゃくりあげた。


「目が覚めたら、メルヴィンとザカリーが、部屋で寝てたの、ヒック」

「ん? 知り合いなのか?」

「ライオン傭兵団の人」

「へ?」


 ハドリーはメルヴィンのほうへ顔を向けると、メルヴィンが困った顔で頷いた。

 なにか誤解が生じていると気づいたハドリーは、肩で息をつくと、ヤレヤレと首を振った。


「ご婦人会の皆さん、どうやらリッキーの早とちりっぽいです」

「おや?」


 恰幅のいい女が、目をぱちくりさせる。


「えと、そこの人、事情を話してもらえますか」


 メルヴィンに向けて言うと、メルヴィンは「はい」と頷いた。


「オレはライオン傭兵団所属のメルヴィンといいます。後ろの彼はザカリー。昨夜キュッリッキさんの歓迎会があったんですが、彼女が寝てしまったので2人でこちらのアパートまで送ってきたんです。ですが、鍵を掛けて出ていけなくて、せめて彼女が起きる朝までは居なくてはと留まったんですが。不覚にも寝てしまいまして……」

「つまり、施錠出来ない部屋で、無防備に寝ている状態にしておけなかったわけですね」

「ええ」

「なるほど」


 事情が判って、ハドリーは苦笑した。そして”おばちゃんズ”に顔を向ける。


「彼らはリッキーを守って居てくれたようです。ただ、途中で寝ちゃったようですが」

「おやまあ、そうだったのかい」

「朝っぱらからお騒がせしたようで、すみません」


 ハドリーが申し訳なさそうに頭を下げると、”おばちゃんズ”はケラケラと大笑いした。そしてメルヴィンとハドリーを縛っていた縄を解いた。


「じゃあ、あたしらは戻るよ。亭主の朝飯を作んなきゃね」

「洗濯もしないとだ」

「おまえさんたち、叩いてすまなかったね」

「キュッリッキちゃん、何事もなくて良かった。困ったらすぐあたしらを呼ぶんだよ」

「ありがとう、おばちゃんたち」


 ”おばちゃんズ”はメルヴィンとザカリーに詫びて、賑やかに部屋を出て行った。


「すげえババアどもだった……」


 立ち上がりながらザカリーが悪態をついた。


「ごめんね、メルヴィン、ザカリー」


 事情が判ったキュッリッキも、しょんぼりしながら素直に謝る。


「いいえ。我々も迂闊でした。せめて部屋の外で待機していればよかったんですが、うっかり寝ちゃいまして…。そのせいで驚かせてしまって、こちらこそごめんなさい」


 優しく微笑みながら言うメルヴィンに安堵して、キュッリッキは肩の力を抜いた。


「それにしてもよう、あのババアども、マジ凄かったな」

「ああ、彼女たちは戦闘〈才能〉スキルを持つ、元傭兵出身者なんです」

「マジすか…」


 頷いてハドリーは笑った。


「傭兵夫婦がこのアパートには結構住んでいて、この界隈の自警団もやっているご婦人会のメンバーなんっすよ」


 ハーツイーズ街には沢山の船が乗り入れる大きな港がある。表向きの目的、そして裏目的の密航者や犯罪者もまた多く入ってくる。皇国の警務部の目をかいくぐって街の安全を脅かす存在を取り締まるのも、ボランティアのご婦人会の仕事なのだ。


「リッキーはまだ子供だから、彼女たちもいつも気遣ってくれていて。あんな悲鳴をあげるもんだから、吃驚して考えるより駆けつけてきたんでしょうね、たぶん」

「そうですね」

「まあなんにせよ、何事もなくて良かった。お2人もリッキーを送ってくれて、ありがとでした」

「いえ。じゃあ、オレたちも帰りましょうザカリーさん」

「ンだな」

「キュッリッキさん、また」

「またな」

「うん。ありがとう、メルヴィン、ザカリー」

「オレは2人を下まで送ってくるよ。朝飯一緒に食いに行こう」

「判った」


 メルヴィン、ザカリー、ハドリーが部屋を出て行ったあと、キュッリッキは大きな溜め息をついた。




「そうだメルヴィンさん、一つ頼みがあるんですけど」

「なんでしょう?」

「来週アイツの引越し、手伝いにきてやってくれませんか? オレ仕事の都合でどうしても時間つきそうもないんですよ」

「そんなのお安い御用ですよ。任せてください」

「助かります。荷造りは済ませておくんで」

「オレも手伝うぜ!」


 ザカリーが意気揚々と申し出ると、それに頷きかけて、メルヴィンは「ん?」と首をかしげる。


「ザカリーさんはダメです」

「な、なんでだよ?」

「ザカリーさんも来週早々に、仕事が入ってますよ」

「……あ」


 それを思いだして、ザカリーは頭を抱えて悶絶する。それを苦笑げに見やってメルヴィンはハドリーに一礼した。


「それでは。行きましょうザカリーさん」

「おう」


 ザカリーも軽く手を振って、停留所のほうへ歩いて行った。

 2人の去っていく姿を見送りながら、ハドリーは安堵していた。

 凄い凄いという噂話ばかりで、そこに所属するのがどういう人間たちなのか判らない。けど、実際接してみて、少なくとも彼らのことは信じてもいい気がしていた。

 人見知りするキュッリッキを慮って、わざわざアパートまで送ってきてくれた。そして彼女の身を案じて留まってくれた。

 ライオン傭兵団の中で安心してキュッリッキを託せる相手を見出すことができて、ハドリーは心から安心していた。

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