第4話 マスクタウン4

 リビングでは、母がソファーに座り込んでぐったりとしていた。目をつむりながら、部屋の天井を仰ぐようにして後頭部をソファーの背もたれに預けている。


「おかえり」


 母は、ぼくの方に顔を向けずに「うん……」と目をつむったままうなずいた。


「メシ、作ろうか?」


 母は小さくかぶりを振った。「いいから勉強しなさい……」

 元々は、父同様、大学で教えていた母は、父以上に教育熱心な人だった。


「おじいちゃん、全然よくならないの?」


「まあ、いつもどおりね……。八十代の子どもっていう感じよ。やっぱり、理性をつかさどる大脳新皮質の機能が弱まってるのね」


 ぼくはうなずいた。父方の祖父の介護のため、母は毎日、家から二駅向こうにある父の実家に通っていた。特養(特別養護老人ホーム)などに祖父を預けることも検討されたのだけれど、世間体を考えた父が、祖父の介護を母に押し付けたのだった。


「おばあちゃんも、あいかわらず?」


 母はうなずいた。「できるだけお義父さんと係わらないようにしてるわ。まあ、お義父さんの介護で鬱になっちゃったんだから仕方ないんだけどね。しばらくはお母さんが看るしかなさそうだわ……」


 母がめずらしく不満を口にする。わがままな父と違って、女性らしい忍耐力と現実性を持った人なのだけれど、よほど介護がつらいのだろうと思った。そして、そのつらさが父への反感を余計に強めているのがわかった。


「まあ、オヤジの父親だからね。あのわがままなオヤジが、おじいちゃんはわがままだったって言ってたくらいだから……」


 母はうなずいた。「お母さんも、おばあちゃんの介護を実家に残ってた妹に任せっきりだったから、お義父さんの介護をしてみて、本当に申し訳なかったなって今さらながらに思うわ」

 

 母の両親(ぼくの母方の祖父母)はすでに二人とも亡くなっていた。


「でも、お金はほとんど出してたんでしょ?」


「お金を出す方がよっぽど楽よ。お義父さんの介護をしていると、つくづくそう感じるの。人間が人間らしくあるためには、理性というものが本当に大切なんだなって」


「……そんなにヒドくなってるの?」


「少なくとも一人の大人として話をすることはもうできないわね……」


「そうなんだ……」ぼくはうなずいた。


「あんたは将来結婚しても、自分の奥さんにお父さんやお母さんの世話なんかさせちゃダメよ? お母さんも、お父さんも、いつも言っているとおりボケちゃったら、どんなに高額でもいいから施設に放り込んでくれればいいから」


「それはもうわかってるから、いちいち言わなくていいよ……」ぼくは苦笑した。これまで何度、母からこの言葉を聞かされてきたのか、わからなかった。


「……ねえ、よかったらほんとにメシ作るけど?」


「いいから、勉強しなさいって言ったでしょ?」母親が苛立ちを含んだ声で言う。「ご飯はもう少ししたらお母さんが作るから、あんたは余計なことを気にせず、自分のことに集中しなさい」


 ぼくはうなずいてリビングを出た。部屋に戻ると、マスクタウンのことを調べるのは夕食後にすることにして、母に言われたとおり少し勉強をすることにした。


 机の前に座ってパソコンの電源を入れ、数学の英語の動画をくり返し見た。学校の授業が全部英語だということもあったが、将来、欧米の大学に留学するつもりなので(もちろん、その進路先は両親が決めたことだった)、基本、勉強の動画は英語のものしか見なかった。おかげで、子どもの頃から両親にみっちりと英語を仕込まれたこともあり、現在のインターナショナルスクールに転校してきたときも、授業についていくことだけは何とかできた。


 一時間くらい経ったところで、「ご飯、できたわよ」とリビングから母の声がした。


 ぼくは動画を止め、部屋を出てリビングに入っていった。テーブルには、ご飯、お味噌汁、野菜炒めと、シンプルなメニューが並んでいた。多少がっかりはしたが、介護で疲れている母のことを思えば文句も言えなかった。

 ぼくは不満を押し隠してテーブルにつき、母と二人で遅い夕食を取った。


 介護で疲れた母は、黙々と夕食を口に運んだ。


「北海道に行くことになったよ、ハンスとの最後の旅行」


 母は少しだけ顔を上げてぼくを見た。「確か、夏休みに行くのよね?」


「うん」ぼくはうなずいた。「ハンスが少しでも安い時に行きたいって言うから、梅雨の頃に」


「そうなの、まあ楽しんでらっしゃい……」


 ぼくはうなずいた。


「旅行に行くのはぜんぜん構わないけど、ハンス君が帰国するときには、ちゃんとお礼をしないとダメよ? お世話になったんだから」


「わかってる」ぼくはうなずいた。


「もし、ルイくんと一緒に何かプレゼントを贈るんだったら、一緒に買いに行きましょう。お金はお母さんが出すから」


 ぼくがうなずくと、玄関の方から扉の開く音がして父が帰ってきた。ややあって、眉間に皺を寄せた父がリビングに入ってくる。


「おかえり」


 ぼくが言うと、「ああ」と父親はいつもどおりの平板な声でうなずいた。

母が何も言わないので、「ご飯、食べる?」とぼくはつづけて尋ねた。


「いやいい、食べてきた」


 父はそう言って洗面所に入っていき、家着に着替えてきてからキッチンに立った。「一緒に買いに行くって何の話だ?」そして冷蔵庫からビールを取り出した。


「ハンスへのプレゼントだよ。ほら、来年ドイツに帰国しちゃうでしょ? そのときのお礼として」


「ああ、そうだったな」父はソファーに腰を下ろしながらうなずいた。缶ビールを飲みながら、「それにしても、お前もう高校二年だろう。友だちへのプレゼントくらい、自分一人で買いに行けないのか」


「ああ、うん……」ぼくはうなずきながらも曖昧な返事をした。


「ちょっと、隼人が誰と買い物に行こうが、あなたには関係のないことでしょ?」母がとがった声で父に反論する。


 父はうんざりしたように肩でため息を吐いた。「まあ勝手にすればいいが、いい加減、母子ともども距離を置いた方がいいと思うがな」


 父はそう言って缶ビールを飲み干すと、リビングを出て書斎に入っていった。またSNSで発信をするのだろう。


「何よ、自分のことはすぐ棚に上げるくせに、他人のことになるとほんとに偉そうなんだから」母はそう言って鋭い眼差しでぼくを見た。「あんたは将来、あんなふうになってはダメよ? どんなに社会的に地位があろうとも、傲慢な人間は決して一人前ではないのよ? いつも言ってることだけど」


「うん、わかってるよ……」ぼくは内心のわずらわしさを隠してうなずいた。この言葉も、耳にタコができるくらい母から言われてきたことだった。


 大学で福祉という分野に身を置いていた母は、経済学者として有名な父が、SNSや他のメディアでは散々威勢のいいことを言いながら、その裏で不倫をしたり、自分の父親の世話を母にばかり押し付けることに対して、ほとんど敵意に近いような感情を抱いていた。


 ぼくは、これ以上ここにいると八つ当たりをされかねないと思い、残りのご飯を早々と食べ終えると部屋に戻った。


 机の前に座ってパソコンの電源を入れ、「マスクタウン」のことを調べ始めた。AIの自動音声ガイダンスが「マスクタウン」の説明を始めた。

 

 日本にマスクタウンが初めてできたのは、二〇二〇年代の後半に入ってからのことです。きっかけは、二〇二〇年頃から流行し始めたコロナウイルスです。コロナウイルス自体はその後三年ほどでおおよその収束を見ましたが、その三年の間に日本人の間では日常的にマスクをすることが定着してしまったため、コロナウイルスの収束後も、国民の一部には生活の中でマスクを外せない人々が現れました。そのほとんどが基礎疾患を抱えた高齢者や、その三年の間に思春期・青年期を迎えた人々です。


 しかしその後、マスクをしている人たちと、マスクをしていない人たちとの間に、「意識の間隙」が生まれるようになりました。マスクなし派の人々は、マスクをつけたままの人々を、「草食系」「根性なし」「非リア充」などと「社会的弱者」としてのレッテルを貼るようになっていきました。


 以上のような経緯から、マスク派の人々の一部には、クラウドファンディングなどで資金を集め、全国各地に自分たちだけのコミュニティをつくり始める者も現れました。具体的には、地方の限界集落を買い取ったり、古い建物をリノベーションするなどして、各地に小さな町を作り上げ、独自の生活を営み始めたのです。これが現在の「マスクタウン」の始まりです。しかし、マスクタウンの多くはやはり収益性に乏しく、コミュニティの継続が徐々に難しくなり、住人の中には生活保護を受給する人も現れ始めました。当然、インターネット上では彼らに対する誹謗中傷が盛んに行われ、たちまち「マスクタウン」の全国的な批判へと繋がっていきました。歳月の経過とともにそうした状況がいっそう深刻になるにつれて、いくつかのマスクタウンの中には社会との断絶をよりいっそう深め、新興宗教集団のごとくコミューン化していったものもありました。その代表格が、やはり北海道帯広市のマスクタウンと、沖縄県名護市のマスクタウンでしょう。


 しかし、二〇三〇年代に入り、状況が変わりました。諸外国のSNS上でマスクタウンのことが話題となり、各国から観光客が訪れるようになったのです。そのため、地方自治体の中にはマスクタウンを地域の重要な観光資源と定め、公然と補助金を出すところも現れ始めました。


 しかし、そうしたマスクタウンへの厚遇が、マスクタウン反対派の人々と、マスクタウンの住人の対立にいっそう拍車をかけることになりました。

国内のそうした状況とは裏腹に、海外におけるマスクタウンの注目は年々高まっていき、二〇四〇年代の現在でも依然として多くの観光客が海外からマスクタウンを訪れています。


 なるほど、とぼくはうなずいた。漠然としたイメージしかなかった「マスクタウン」のことが、少しだけわかった気がした。


 時計を見ると、十時を回っている。明日も学校があるので、今日はこれくらいにしておこうと動画を止めた。


 パソコンの電源を切り、部屋を出る。リビングに入っていくと、両親はすでにそれぞれの寝室にいたので、灯りは落とされていた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲み、洗面所に入っていくと、顔を洗って歯を磨いた。


 部屋に戻ると、服を着替え、電気を消してベッドに倒れ込んだ。タオルケットを頭からかぶると、たちまち眠りの中に落ちていった。

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