1話③ 役目
その後、緋媛は顎に手を当て、考えながらマナの私室へ歩を進めた。
彼女は縁談の話を受け入れるのだろうか。いや、恐らく受け入れないだろう。
マナは十一年前から城という鳥籠の中に閉じ込められた小鳥。思春期を大人しく過ごしていた為、外の世界に対する憧れはある。子供の頃は城下に出ていたとはいえ、記憶は薄れているだろう。
憧れ、といってもそれは国内での話。他国ではいかがなものか。ましてや閉鎖された国と呼ばれる我が故郷では――。
考えても仕方がない。マナの私室の前へ着いた緋媛は、二度程扉をノックして入る。
食事の終わった彼女は、入ってきた緋媛に気付かない程ぼーっと外を眺めていた。
自分の存在を知らしめるように、扉をバタンと音を立てて閉める緋媛。マナは「いつも音を立てぬよう静かに入るのに」という驚きの表情を浮かべた。
そして先ほどの疑問を投げかける。――もし縁談の話があったら、貴女はどうするのですか?……と。
マナは視線をやや下へやり、下唇を噛みながら考えてからくすりと笑った。
「殿方次第です。ですが、あまりにもおじ様でしたら考えてしまいます」
手を口元に当て、ふふっと柔らかく笑う。
ある程度の回答を予測していた緋媛。やはり彼女は人間同士の縁談、それもレイトーマ王国内だと考えているらしい。それは普通の事だが、それでは本来の目的を果たせないと考えた緋媛は、具体的な国名を出す必要があると考えた。
「閉鎖された国、江月からの縁談ですと?」
その国の名を聞いたマナははっと緋媛の顔を見ては、いけない事をした子供のようにすぐ視線を逸らす。
彼はその一瞬を逃さない。やはり見られていたのだ、過去を。
緋媛の額から、緊張の一滴がつぅと滴る。
「それは……わかりません。ですが江月出身の貴方が教え――」
「そうか。やっぱり見たんだな」
マナにとっての緋媛は常に微笑んでいる、心強い存在。だがその笑みはどこか嘘があるようにも思えていた。
この時マナは、自分に冷徹な視線を向けた緋媛を初めて目にしたのだ。初めて見た緋媛の表情に戸惑い、恐怖すら感じた彼女は、がたりと慌てて椅子から立ち上がる。
かつかつと近づく緋媛とは対称的に、マナは窓の隣の壁へと下がってゆく。
「俺に触れた四年前、俺の過去を見たんだろ」
聞いた事のない苛立ちの声色から逃げるように、マナの背中がトンと壁にぶつかる。そして、壁と緋媛の間に挟まれてしまい、「どこまで見た」という言葉と同時に、緋媛の拳がドンと音を立てて壁に付きたてられた。
戸惑うマナは思う。このシーンを何かの本で読んだと。
「あ、あの……」
「答えろよ」
囁くようにマナの耳元で温かい息をかけるように緋媛が言う。照れくさそうに真っ赤になった彼女から咄嗟に出た言葉がこれだ。
「か、壁どん……」
城中の本を読み漁っているマナはその殆どを読んでしまった。その為、メイドに何かお薦めの本はないかと尋ねたところ、城下の女性が読んでいるという雑誌を借りたのだった。そこには、壁ドンというものが、世の男性が女性を落とす技術だと記されていたという。
無論、ずっとマナの傍にいた緋媛はその事も知っている。マナは自分を口説くために行ったのではないかと勘違いしてしまったのだ。
「わ、私そんな簡単に落ちませんから!」
顔が赤くなったままドキドキを高鳴る心臓に抗うように、唇をきゅっと歪ませながら反発するマナ。どうやら緋媛に乱暴されるのではないかという考えは塵ほどもないようだ。
この状況でそれを言うのかと、緋媛はいきなり笑い出して壁から手を放した。
マナは何が可笑しかったのか分からない。その疑問と彼の笑い顔を初めて見た驚きで、彼女の目がきょとんとなる。
「確か前に読んでいたな、そういう本。俺があんたを口説こうとしてたとでも思った?」
「い、いえ、そういう訳ではありません!」
「あーいい、いい、分かったよ」
必死になって全力で否定したマナを気にも留めていない緋媛は、先ほどまで彼女が座っていた椅子に脚を組んでどかっと座った。
ちらりと横目で部屋の外の気配を探り、見張りがいないと確信するとゆっくりと口を開く。
「そうだよ。あんたが昔見た通り俺は……江月の
あっさり他国の出身だと認めたのだ緋媛に、目を見開いて驚くマナ。
何故閉鎖された国の者がレイトーマにいるのか、自分の護衛なのかと疑問は多い。それ以上に、笑顔の素敵な爽やかな印象だった緋媛が、冷たい男だったその豹変ぶりに興味が沸く。
「過去を覗く能力を持つあんたを護るためにレイトーマにいる。それが俺の役目だ。ようやくあんたを迎える準備が出来たらしくてな、何が何でも俺の故郷に来てもらうぞ」
「納得できません。行くかどうかは私が決める事です。そんな強引に言われて、縁談の話があったとしても……」
とはいえ、江月は唯一歴史調査を行える国であるために、強引な縁談は好かないが歴史の真実を知りたい。その葛藤がマナの心を揺さぶる。
そもそも縁談があるかどうかは例え話でしかないのだから、その時考えればいいとマナは思う。
「まあいい。近々国王からあんたに縁談の話があるだろうから、そん時までに考えておいてくれよな。ただ、俺が江月の者だって事は、誰にも言うなよ」
念を押すようにじろりと氷のような視線を向けられたマナは、「は、はい」と反射的な返事をした。
近々、とは言ったが、まだツヅガから国王に縁談の書状の話はされていない。マナの意志を尊重したい老兵にこの結果を報告する為、緋媛はマナの私室を出た。
また一人になったマナは、素を晒した緋媛と近々持ち込まれる縁談の話に戸惑いながらも興奮している。
きっと緋媛は歴史の真実を知っているに違いない。何故江月は閉鎖しているのか、にも拘らず彼は自分の護衛の為に他国であるレイトーマにいる。彼自身にも興味が湧いてきていた。緋媛は素の方が素敵だと。
この時マナは知らない。自身の能力が過去を覗くだけではない事、隠された過去と歴史を巡る事、そして歴史の影で生きる異種族の存在を――
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