第59話
俺は川を眺めながら、月光仮面のテーマ曲を口ずさんだ。どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている。プリキュアは、誰にも知られてない感じだな。端役の誰も、プリキュアに助けてもらおうだなんて言いやしない。華やかな見た目だが、意外と切ない正義の味方かもしれない。
「月光仮面、良い人なんだ。」
最後まで歌うと、ショコラが感想を漏らした。
「ああ、良い人だとも。」
「父つぁんと同じだ。」
「俺は良くも悪くもねえよ。誰だって、そうさ。」
良くも悪くもないし、良くも悪くもある。見る側によっても受け止め方は違う。どっちか一方なんて奴はいない。だが、それは全体を俯瞰して物を言った場合だ。神様仏様じゃあるまいし、いつもそんな公平な気持ちになれるもんじゃない。嫌いな奴、好きな奴がいて当たり前だ。
ショコラは地面に降り、俺の脇に寝そべった。俺はその背中を撫でる。いつの間にか、おもちゃみたいな羽は消えている。
「悪役は分かったけどよ、キュア連中はどういう選定なんだ?」
俺はショコラに尋ねた。
「たまたま近くにいたんじゃないの。ボクが呼んだわけじゃないから、知らないよ。」
「何だそりゃ。」
「人間って、何でもかんでも理由とか原因を欲しがるよねえ。ボク、よく分かんないなあ。」
ショコラは大きな口を開けてあくびをした。イヌらしい、大きな犬歯が見える。ショコラは俺と同じく、毛は抜けたが歯は丈夫なままだ。俺は釈然としない気持ちで、それを眺めた。確かに深谷はたまたま近くにいたが、田中と孫はどうなんだ。もっと手近な人間もいただろうに。
「あ、でもね、深谷さんは必要だったんだ。」
「どういうことだ?」
「時々いるんだよ、ボクらとの道を作りやすい人間って。自分では気づいてないと思うけどね。そういう人が近くにいると、ボクは父つぁんの夢で遊んだり、ちょっとだけ喋ったりできるんだ。」
「夢は見たかもしれんが、お前、喋る方はくうんしかやらないじゃねえか。」
「うん、ボクはね。でも、クロはよく、おはよーって言ってたよ。」
クロ。ああ、あの野良ネコか。一時うちの軒下に居ついていた。人の顔を見ると、でかいだみ声で挨拶をくれたものだった。よくよく思い出してみると、朝はにゃーでなくて、おはようと聞こえる鳴き方もしていたな。こちとら、ネコが喋るわけが無いという頭だから、ネコも朝は声が出にくいんだろうと思っていた。そうと知ってりゃ、ちゃんと挨拶を返してやるんだったな。
「お前が俺と喋るのに、俺はそういう特殊な人間でなくてもいいのか。」
「うん。えーと、携帯電話って、電波を出すおっきい塔を立てて、みんなでそれを使うんでしょ。それと似てるんじゃないかなあ。」
「ああ、基地局のことか。俺も詳しくは知らんが。」
イヌのくせに、よく知っている。10年以上俺と一緒にテレビでニュースを眺めているのは、伊達ではないというわけだ。
となると、深谷は移動式の基地局のようなもので、ショコラはその電波を使って俺と通話していたというところか。もしかしたら、田中や孫にもその能力があったから、混線して入り込んできたのかもしれないな。真相は分からないが。
「深谷さんはすっごく乗りやすくって、いっぱい使っちゃった。ボクのせいで、毛が抜けちゃったかもしれない。父つぁん、謝っといてよ。」
「気にするな。あいつは元から薄いんだ。それに、あいつも一時的に髪の毛フサフサに戻れて、良かったんじゃねえのか。まあ、あの口上とか、こっぱずかしくはあったが。あれはどっから湧いて出たんだろうなあ…。」
「うーん、細かいところはボクも分かんないよ。」
まあ、イヌの脳みそがひねり出した文句だとはこちらも思っちゃいない。が、あれが俺の深層心理なんだとしたら、ちょいと虫唾が走る。
ショコラは俺の懸念をよそに、甘えるようにして俺に鼻先を押し付けた。これは、耳の辺りを掻いてくれという合図だ。俺はショコラの丸っこい耳の付け根を指先でコチョコチョとやってやった。気持ち良いのか、ふがふがとショコラの鼻息が漏れる。
「ボクはね、父つぁんさえいてくれたら、それで良かったんだ。」
ショコラはそう言って、顎を俺の脚に載せて目を閉じた。薄桃色の柔毛は、まだら禿げの剛毛に変わっている。俺の大好きな毛だ。俺はしわと染みだらけの老いた手で、ゆっくりとショコラの背を撫でた。ショコラの垂れて伸びた尾が、時折思い出したように揺れる。
遠くから、鳥のさえずりが響いてきた。風に混じって、子どもたちの遊ぶ声や車の走る音も聞こえる。
「ああ、気持ちいいなあ…。」
ショコラがくうんと鼻を鳴らした。
「ボクね、ずっと、父つぁんといっぱいお喋りしたかったんだ。」
「これからも、好きなだけすれば良いじゃねえか。」
「うん。そうだね。」
ショコラは黒い鼻から長く息を吐いた。ゆっくりと、呼吸に合わせて腹が上下する。その間隔が、少し、また少し、長く延びていく。
俺は黙って、ショコラを撫で続けた。ショコラの身体が冷たくなるまで、ずっと、そうしていた。
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