第61話 事後処理

 洞窟の中はすっかり伽藍洞になっていた。

 直日神の浄化は荒魂にされた神々に留まらず、洞窟の中一帯を清めていた。そのどさくさに紛れて、槐を始めとする反魂儀呪は撤退したようだった。


 禍津日神が生み出した雨雲はすっかり消えて雨も上がっていた。レーダーで観測できない線状降水帯が発生したと一時、世間で話題になったが、それは後の話だ。


 槐の重圧術で負傷した術者はいたものの、死者は出なかった。むしろ一番の大怪我を負ったのは清人だった。


 禍津日神はといえば、枉津日神の姿でまだ直桜の元に留まっていた。


「まぁ、吾が怒ったら真名がでちゃう、みたいなものじゃなぁ。穢れた荒魂で無理に煽られたりせねば、そのままじゃよ」


 直桜の中から現れた枉津日神は、さすが直日神と表裏というだけあって、どことなく似ている。


「無理に真名を封じる必要もないか。惟神を得れば暴走の危険はないしの。それでお主は直桜の中に留まるのか? 直桜なら二柱を降ろすことも出来ようが」


 梛木の問いかけに、枉津日神はいまだ目を覚まさない清人に視線を向けた。


「吾は藤埜の人間が好きじゃ。だが、吾が降りれば負担をかけようなぁ」


 枉津日神の横顔を、直桜はぼんやりと眺めていた。

 惟神は、神が人を選ぶ。一つの家系を選んで代々引き継ぐのが定石だ。神がその血筋を好むのだ。


「俺はどっちでもいいよ。けど、枉津日は清人が好きだよね」


 枉津日神とはまだ魂まで繋がっていない神降ろしの状態だ。それでも、枉津日神の感情は伝わってくる。


「吾のことなど知らぬくせに、刃から庇ってくれた。これからは吾が清人を守ってやりたいのぅ」

「でも、清人さんは私たちのように御稚児訓練を受けていませんし、危険じゃないでしょうか?」


 律が梛木に問い掛けた。

 律の懸念は尤もだ。何の準備もせずに神を降ろせば、人間の体の方が壊れかねない。

 梛木は腕を組んで黙り込んでいた。


「方法を考えれば、可能かもよ。枉津日は清人の傍にいたいんだろ?」


 直桜は枉津日神を見上げた。

 枉津日神が深く頷く。


「直桜の元におるのが良いと、わかってはおるが。これは我儘かの」


 困り顔で笑う枉津日神は、さっきまで暴れていた禍津日神とはまるで別の神に見えた。


「神様なんだから、多少の我儘言ってもいいんじゃないの」

「訳の分からん理屈じゃな、直桜。とにかくこの件は持ち帰りじゃ。結論が出るまで枉津日神は直桜に留まれ。今はこの場所から撤退するぞ」


 梛木の指揮で、皆が動き出す。

 直桜は、黙って皆の話を聞いていた護を振り返った。両手には包帯が巻かれている。封印と解除を短時間で行った鬼の手は、流石に負担が大きかったらしい。更には雷の刃を素手で掴んだ代償で、結構な火傷を負っていた。


「治りきらなかったんだね」

 

 護の手を、そっと握る。

 我に返った寄りにぴくりと肩を震わせて、護が直桜を振り返った。


「え? ああ、そうですね。何度か朽木室長の所に通う羽目になりそうです」


 護が眉を下げて笑った。


「今、何を考えてたの?」


 ストレートな問いかけに、護が言葉に詰まった。


「また逃げられてしまったな、と。あと何回、こういうことを繰り返せば、反魂儀呪との因縁は終わるんでしょうね」

「リーダーと巫子様の正体が分かっただけでも、今回は収穫なんじゃないの。槐相手に焦っても良いことないよ、きっと」


 直桜にとっては初めての大捕物でも、護にとってはもう何度目かの大事件なんだろう。未玖の事件も、その前にも、もう何度もこんな目に遭っているんだと思うと、胸が痛む。

 

「直桜は、大丈夫ですか。巫子様の正体がわかって」


 護が途中で言葉に詰まった。

 気を遣ってくれているんだろう。こういう時の護は嘘も付けないし、誤魔化すような言葉を言える器用さもない。


「何となく、予感してたんだ。楓が普通の人じゃないってことはさ。さすがに反魂儀呪の巫子様とか、槐の弟だとは思わなかったけどね」


 だから余計に、楓の気持ちには答えられなかったのかもしれない。けれど、大事な友達である事実は、直桜の中で今でも変わらない。


「俺、諦めてないよ。槐のことも楓のことも」

「え?」


 直桜は護を振り返った。


「護が守ってくれた、許すってこと。二人がしたことは許せないけどさ。でも、結局大事なんだよね、二人とも。なんかムカつくけど」

「直桜……」

「だからさ、ありがとね。槐のこと禍津日神から守ってくれて」


 笑顔を向けると、護が俯いた。


「私が守ったのは、槐じゃない。直桜の気持ちですよ。私はどうしても、八張槐が嫌いですから」

「知ってる。だから、嬉しかったんだよ」


 護の槐に対する嫌悪感は隣にいれば嫌というほど伝わってくる。それでも、直桜のために体を張って槐を助けた。そういう護に申し訳なさと、それ以上の愛おしさを感じずにはいられない。

 腕を伸ばして護の腰に巻き付ける。体を寄せると、血と汗のにおいが鼻についた。


「今度は俺が護の大事なものを守るからね。今日は全部、護に守ってもらったから」

「だったら自分を大事にしてください。私にとって一番大事なのは直桜ですよ」


 護の腕が直桜の肩を抱く。

 鬼の常態化が定着してから護は少しだけ直桜より背が高くなった。肩に頭を預けるのにちょうど良い。

 優しいキスが頬に落ちる。

 返そうとした口付けは唇に塞がれた。触れるだけの口付けが甘くて気持ちいい。


「すーぐにイチャイチャするのぅ。其方らは家まで待てんのか」


 肩に乗った枉津日神が呆れ顔で二人を覗いた。


「ちょっと黙っててくれない、今いいところだから。てか、そういうこと言うなら早く清人のとこ行きなよ」


 イラっとして枉津日神を睨みつける。

 犬の姿ではない枉津日神は表情がわかり易くて余計に腹が立った。


「清人は受け入れてくれるかのぅ。吾は清人ラブなんじゃがのぅ」

「知らないよ。自分で口説いたら? つか、清人が要らないって言っても俺が押し付けるよ」

「酷いのぅ、直桜。同じ体を共有した仲ではないか」

「そういう言い方、やめてくれない。好きで共有したわけじゃないよ」

「冷たいのぅ。護、何とか言ってくれ」

「いや、あの、仲良くしましょう。しばらくは、このままですから」


 大きく息を吐く直桜の手を、護が握る。

 包帯の捲かれた傷だらけの手を傷めないように、優しく包み込んで、護の手を握り返した。

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