第49話 狂犬と駄犬

 一通り食事の支度が済んだ頃、十二階から護たちが降りてきた。


「何じゃ、過ごしやすそうな部屋じゃのぅ。こんな場所で訓練しておったのか?」


 梛木が部屋の中を見回しながら呆れ顔をしている。

 直桜はむしろ、その後ろを疲れた顔で付いて来た護の姿の方が気になった。ジャージ姿で髪を降ろしたまま眼鏡も掛けずに項垂れている。

 その肩には枉津日神が乗っていた。よく見ると、護の後ろに直日神がいる。神力で支えてやっているようだった。


「体を大きく使う激しい訓練ではないからな。そういう時は空間を変えていたが、基本はこの部屋だ」


 梛木と話し始めた忍を通り越して、護に駆け寄る。


「護、大丈夫? 梛木に酷い目に遭った?」

「失礼な言い草じゃな。必要な訓練を施したにすぎぬ。軟弱な鬼よのぅ」


 梛木の言葉には耳を貸さずに護の腕を取る。何となく、いつもより目線の位置が高く感じる。


「大丈夫ですよ。ちょっと疲れただけです。神倉さんは、神様というか、私より鬼ですね」


 護が疲弊した顔で笑って見せる。


「護、眼鏡なくて見えるの? てか身長、高くなってない?」


 一見しては普段の護だが、心なしか体付きも大きくなっている気がする。

 梛木が得意げに腕を組んだ。


「鬼の常態化じゃ。完全なる鬼化とは別に、平素から鬼の力を自在に使う訓練を施した。化野は元の体付きが華奢だからの。これくらいでちょうど良かろう」

「鬼化すると視力が良くなるので眼鏡も必要ありませんし、便利なことも多いですよ」


 ははは、と笑う護の顔に覇気がない。

 相当に大変な訓練だったと想像できた。


「大丈夫だ、直桜。吾の神力を送っておるから、しばらくすれば回復する。つい先ほどまで梛木と戯れておった故、疲れたのだろう」

「戯れて……?」


 直日神が護の体を抱きかかえる。

 振り返ると、梛木がニタリと口端を上げた。

 

「実践訓練じゃよ。惟神を守るのであれば、まずは自分の身を守らねばの。命の危機を感じねば、本気の訓練にはなるまい」


 さっと血の気が引いて、直桜は護をソファに座らせた。

 体を横にすると、直日神が護に膝枕した。


「このまま少しでも休みなよ。眠ってもいいから」

「そうだな。吾が膝枕してやろう。可愛い護。ゆっくり回復するといい」

「大丈夫ですよ。ちゃんと起きていられますから」


 恐縮して起き上がろうとする護を、直桜と直日神が有無を言わさずに押さえつけた。

 

「過保護すぎやせぬかの? 主が従者を気遣い過ぎじゃ」


 吐き捨てる梛木を、睨みつけた。


「従者じゃなくて相棒だよ。そもそも梛木が本気出したらこの国くらい吹っ飛ぶだろ。考えて訓練してよ」

「本気など出してはおらぬわ。直桜は大袈裟じゃのぅ。恋人に甘すぎるわ」


 つん、と顔を逸らしてしまった梛木に、直桜もつん、と顔を逸らす。

 そんな直桜の頭を直日神が優しく撫でた。目が合ってニコリと微笑まれる。子供っぽさを指摘されたようで、バツの悪い心持になった。


「ほれ、吾も神気を送ってやるから、元気を出せ、護」


 枉津日神が護の腹の上に寝そべる。


「なんだか、擽ったいですね。でも心地良いです」


 護が嬉しそうに笑うので、色々とどうでも良くなった。

 何のかんの、枉津日神は護に懐いているなと思う。


「その程度でへばっちゃうの? 化野、弱くなった?」


 知らない声が聞こえて、顔を上げる。

 ソファの背に腕を預けて護を見下ろす者がいる。直桜は思わずソレの顔を鷲掴みにした。


「お前、誰? 人間?」


 掴まれたソレは、指越しに薄ら笑んだ。


「俺の気配、すぐにわかるんだ。最強の惟神って面白いね」


 ニタリと笑んだ顔は薄気味悪くて肌が粟立った。

 力が緩んだ隙を見て、白い顔の何かが直桜の手をすぃと退けた。


「僕たちはね、二人を守る刀だよ。律から聞いてない?」


 直桜の手を握り、ずぃと顔を近づける。その頭を、後ろに立った律が叩いた。


「これから話すのよ。順番は守りなさい。話し終わったら、いくらでも直桜と遊んで構わないから」

「え? 嫌だよ。気味が悪いし、仲良くなれる気がしない」


 何より、護に親し気にしている時点で、直桜にとっては印象が良くない。


「大丈夫よ。今日連れてきた二人は、きっと直桜と仲良くなれるから。怪異対策担当が誇る、狂犬と駄犬よ」

「二人? 狂犬? 駄犬?」


 よく見ると、律の後ろにもう一人、誰かがいる。あまりに存在感がなくて、律の陰かと勘違いするほどだ。


「水瀬統括、俺は別に、仲良くなりたいとは思っていませんが。あくまで仕事ですので」


 陰のようだった男が律に話しかける。声も小さく覇気もない。だが、引き締まった体躯は普段から鍛え上げられたものだと、すぐにわかる。

 黒い男の前に出て、白い男なのか女なのかもわからない人間が、直桜に顔を寄せた。


「僕はね、咲矢さきや白雪しらゆきだよ。怪異対策担当のメンバーでね、今は剣人とバディを組んでるんだけど、本当は化野と組みたかったんだよね。直桜に持っていかれて、ざんねーん。だけど、直桜も面白そうだから、仲良くしてよね」


 手を握られて、ブンブン振り回される。

 大変迷惑な行為だが、動きの速さに驚いた。避ける隙のない速さで手を握られてしまった事実の方に驚いていた。


「護にラブコール送ってたのって、お前? あと何で俺のこと、いきなり呼び捨てなの? 仲良くなれる気、しないって言ったよね」


 正直、そこまで嫌いなタイプでない気がしているが、憎まれ口が口を吐いて出てしまった。

 握られた手を通して、白雪の中にある霊元に気を澄ます。


(白雪の霊気の元は、刀か。力の強い刀に体の隅々までを侵食されている。だから人ではない者のように感じられるのか。よく、生きていられるな)


 普通の人間なら刀に総て吸い取られて骨も残らない程に食い尽くされる。そうならないのは、白雪自身にもまた特異な何かが備わっているからなのだろう。刀に侵食されている今の状態では、白雪自身の体質までは、わからないが。


「僕のこと、わかってくれた?」


 直桜に素直に手を握られたまま、白雪がじっと直桜の目を見詰める。

 まるで、自分自身をプレゼンするために直桜の手を握っていたような言葉だ。


「僕ね、自分のこと、良く知らないんだ。だから、感情には素直に生きるようにしてるの。直桜とは仲良く出来そうな気がしてるんだけど、どうかな?」


 屈託のない笑みを向けられて、言葉に詰まる。

 そういう言い方をされてしまうと、悪態も吐けない。


(自分を知らないって、要は記憶まで刀に食われているってことか。今の記憶を保っていられるのは、忍の訓練のお陰、とかかな)


 ちらりと忍を横目に見ると、小さく頷かれた。

 小さく息を吐く。


「護に手を出さないなら、仲良くできなくもない気はするけど。最初から距離を詰めてくるヤツ、好きじゃないんだよ」


 手を離して、白雪の体をぐっと押す。

 全く意に介さない様子で、白雪が直桜に迫った。


「今は直桜に興味が湧いたから、もう化野には手を出さないよ。ねぇねぇ、事務所に遊びに行っていいよね? 泊ってもいい?」


 抱き付く勢いの白雪を護と律が制した。


「落ち着きなさい、白雪。それ以上、しつこくするなら縛るわよ」

「直桜に手を出したら、私が怒りますよ。安易に触るのは禁止、お泊りはまだ駄目です」


 護が呆れるよな顔で本気で嫌がっているのがわかって、ちょっと安心した。


「えー。直桜なら僕のこと、僕よりわかってくれると思ったのになぁ」


 しょんぼりする白雪の顔は本気で残念そうだ。

 表情などとても子供っぽく見えるが、感情に素直に生きているが故だろうか。背格好などは直桜と変わらない年齢に見える。

 白雪なりに、刀に食われた記憶や自分の過去を知りたいと思っているのかもしれない。


(呪法解析室で要に調べられなかった筈はないんだし、それでもわからないってことはお手上げってことなんだろうなぁ)


「そういうことか。だったら別に、良いよ。事務所に来なよ」


 直桜の言葉に、護があからさまに嫌そうな顔をした。

 対照的とも呼べるほど明るい表情で、白雪が顔を上げる。


「俺に何でもわかる訳じゃないけど。期待しないで遊びに来なよ。で、そっちは?」


 直桜は律の隣に視線を向けた。白雪の返事を待つのが面倒だったので、もう一人の方に話題を向ける。

 黒い男が一歩下がって律の後ろに半身だけ隠れた。


「怪異対策担当所属の、丑霧うしきり剣人けんと、です。この度、バディの白雪と共に瀬田さんと化野さんの護衛の任を仰せつかりました。宜しくお願いします」


 下げた頭が律の背中にぶつかる。

 非常にまともな挨拶をくれた割に、態度は照れ屋を通り越して引きこもりに近い。対照的なバディだなと思った。


「うん、よろしく。君は刀に呪われてんだね。上手く共存できてるみたいだけど。二人とも、刀関連のバディなんだ」


 何気なく話した直桜の顔を、剣人が驚いた顔で眺めている。


「俺も白雪も何も話していないのに、わかるんですか?」

「え? うん。白雪は手を握ったから霊元を辿れたし、今の状態は大体わかったよ」

「まるで、紗月さんみたいだ」


 驚愕の表情で剣人が呟く。


「だよね。剣人も遊びに行きたくなったでしょ? 仲良くしたくなったでしょ?」


 白雪の言葉に、健人は素直に頷いた。

 剣人がフラフラと直桜に近付き、握手を求めた。


「俺とも、その、仲良くしてください。剣人と呼んでもらえたら、嬉しい……です」

「あ、うん。わかった」


 照れた顔がやけに可愛くて、思わずその手を握ってしまった。

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