第26話 呪術の現場

 清人が仕事を持ち込んでから三日後、直桜と護は栃木県小山市に来ていた。郊外にある廃墟のアパートは立ち入り禁止のテープが張られている。

 

「邪魅の濃さが桁違いですね。浄化は済んでいるはずですが、元々、邪魅が溜まりやすい場所でもあるのでしょう」


 辺りを見回す護の横顔を眺める。

 未玖の魂魄を祓って以来、護が邪魅に中てられることはなくなった。


(むしろ邪魅の多い所にいると調子良さそうに見えるな。鬼って本来、そういう生き物か)


 安心する反面、少し残念にも思う。


(もう、邪魅を吸い上げてやる必要はないんだな)


 頭の片隅でそんなことを考えながら、直桜は護の後ろについて歩いた。

 アパートの外階段を昇っていく。錆びかけた鉄製の階段は、一歩踏み込むたびにギシギシと音を立てて揺れる。

 二階の一番奥の部屋の前に立つと、籠った邪魅の気配だけで吐き気がした。


「本当に浄化、済んでるのかよ」


 口元を覆い、思わず漏らす。


「辛ければ、待っていてください。私が確かめてきますから」


 直桜を下がらせようとした護の手を押しのけて前に出た。


「行くよ。俺が入れば、それだけで清祓できるし。中の様子、実際に確認しないと意味がないから」

「そうですね。では、こうしましょう」


 護が直桜の手を握った。

 顔を見上げたら、ニコリと微笑まれた。


「これは何か意味があんの?」

「私が盾になれば、直桜に向く邪魅が減るでしょうから」


 護が嬉しそうなので、手を握ったまま、部屋の中に入った。

 現場は呪術が行われた状態そのままで保管されていた。

 一間しかない部屋の中には紙垂が下がった縄が張られている。その中心に護摩焚きを行った跡が残っていた。

 周囲をぐるりと見回し、畳の上に膝を付く。


「一見しては、降霊術の跡にも見えますが。それだけではないのでしょうか」

「そうだね。多分、まだ何かあるよ」


 護摩焚きの燃えカスに手を翳す。

 そっと指を入れて、煤と木屑を避けていく。紫がかった黒い塊があった。手に取り匂いを嗅ぐ。


「それが、反魂香ですか」


 直桜を表情を見詰めていた護が問う。


「間違いなさそうだ。けど、やっぱり、それだけじゃないね」


 直桜は、もう一度護摩焚きの煤の中にてを突っ込んだ。黒く煤けた芯のようなものに白い蝋がべったりと付いた塊を取り出した。


「蠟燭の燃えカス、ですか? よく回収されずに残っていましたね」

「回収、できなかったんだろう。13課も、反魂儀呪も。神蝋なんて、こんなモノまで持ち出していたのか」


 蝋の塊の匂いを嗅ぎながら、直桜は呟いた。


「強い神気が残ってる。普通の人間じゃ知覚できないし、気が付いても触れない。相当に強く、拒絶されたんだろうね」


 蝋に残る神気に集中する。

 神気の残滓が続く場所に神経を尖らせる。


「拒絶? 神気ということは、降霊術ではなく、降神術をしていたと?」

「偶然の可能性もあるけど、目的であったことは間違いない。神の怒りに触れれば、無傷では済まなかっただろうけど」


 立ち上がり、部屋の中を見回す。天井に溜まった邪魅を確認して、気配が最も強い北側の壁に目を向けた。

 漆喰が今にも崩れそうな壁に軽く触れる。何もない壁には、すぐに違和感が見つかった。


「神、だったとして、一体、どの御柱を降ろすつもりだったのでしょうか」


 護が護摩焚きの燃えカスの中を覗き込みながら問う。

 直桜は壁に手をあてると、三歩、後ろに下がった。


「護、そのまま動かないでね」


 直桜の動きを見守りながら、護が頷いた。

 手を斜め上に振り上げて、壁に向かって素早く投げつける仕草をする。


「針?」


 壁に刺さった細く長い針から壁に向かい神気が流れ出す。

 まるで壁紙が剝がれるように、薄い膜が剥がれ落ちて霧散した。

 針が刺さった場所に、一枚の札が現れた。


「降ろしたかった神様は枉津日神、桜谷集落が失った祓戸の最高神の一柱だ」


 朱の呪語が並ぶ札を掴むと、直桜は針から破りとった。


「そんでこれが、槐からの招待状。今日中にあと二か所、廻ろう。三枚揃わないと、多分、意味がない」


 朱色の文字が蠢く呪符を護に向ける。

 息を飲んで、護が立ち上がった。


「直桜がここに来ることを見越していたのでしょうか? それとも誘い込んだ?」


 呪符を見詰める護の目には不安が滲んで見える。

 この呪符も神蝋も直桜でなければ見付けることすらできなかったと、護は気が付いているのだろう。


「誘い込みたかったのが俺かは、わからないけどね。見つからなければ、それまで。程度にしか、考えていないんじゃないかな」


 何十何百と張り巡らせた罠のうち、一つでも獲物が掛かれば御の字。そんな考え方ができるのが槐という男だ。


「気が長くて結構だよね。本当に、ムカつく」


 手にした呪符を握り締める。

 その手の上に、護が手を重ねた。


「気乗りしないなら、招待状は無視しましょう。直桜が相手の誘いに乗る必要はありません」

「それじゃ意味がないだろ。これを見付けられるのは、俺か祓戸四神の惟神くらいだ。ターゲットはわかりきっている」

「それでも、です。清人さんにお任せしてもいい案件です」


 今のこの状況下で槐が接触したい人間など、直桜に決まっている。直桜が13課で仕事を始めてから一カ月以上経過している。槐が情報を掴んで動き出すには、ちょうど良い頃合いだ。


(それとも、護の中の呪詛を祓った気配を感じ取ったか。いや、13課が結界を張って保管している現場に後から呪符を仕込むのは流石に無理か。だとしたら、祓う前から接触するつもりでいたのか? 狙いは、俺じゃなくて護の可能性も……)


 気持ちがささくれ立って、思考が先走りする。

 纏まらない頭の中に、余計に苛立ちが募る。


「直桜、直桜!」


 護の強い声で、我に返る。

 握り締めた呪符が燃えかけていた。


「やべ。確認する前に祓うとこだった」


 直桜の手から護が呪符を抜き取った。


「私が持っています。今の私なら呪符の影響を受けることもない。直桜のようにうっかり祓ったりも出来ませんから」


 護が直桜の手を優しく見込んだ。

 ささくれ立った気持ちが、凪いでいく。


「うん、わかった」


 離そうとした手を、護の手が強く握る。

 思わず顔を見上げた。


「直桜、その……。今日中にあと二か所回るつもりなら、急がないければいけません。この場所の清祓をお願いできますか」


 笑いかける護の顔が、困っているように見えた。

 言いたいことを飲み込んだ時の顔だ。


(焦っているように、見えたかな)


 確かに焦っている。八張槐が次はどんな手段を使って護に手を出してくるか、わからない。あの男の存在を思い出してから、言い知れぬ不安と怒りは常に直桜の中で燻ぶっている。


「清祓と浄化しておくから、証拠品の保管、頼んでもいい?」

「わかりました。一度、車に戻りますね」


 心配そうな視線を向けながらも、護が部屋を出て行った。

 少しだけホッとして、息を吐く。

 額をとんと叩いて、直桜は部屋の浄化を始めた。

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