第9話
ウィリアスはとある事情から、結婚相手を探している第一王子だ。
ジュリエ男爵家の劇団が上演する舞台を見に来たのも、結婚適齢期の令嬢の存在を嗅ぎつけたからである。
ところがウィリアスは、ヘンリエッタの手がけた脚本に魅了され、舞台上の彼女に一目惚れしてしまうのだ。
政略的な結婚なら、まだ心の中で考える隙もあったかもしれない。
王族の遊びだと言い聞かせ、両親と話し合う事も出来たかもしれない。
しかし読者だったヘンリエッタは、これからの展開を頭に浮かべて、どうしても彼を突き放すことが出来なかった。
なぜならウィリアスは今後、彼女に対して熱烈な愛情を注いでいくことになるのである。
「あそこで
「え、ええ」
「なるほど。だから花籠があそこに……。視覚的に心情を分かりやすくする工夫だろうか」
王国の第一王子という相手に控え室で応対など出来るはずもなく、一行は急いで劇場を片づけて、屋敷へと戻った。
花束と惜しみない称賛を残して、一旦引き下がった王子も、別の日に改めて屋敷を訪れている。
応接室には父と母、そして護衛のノアが待機し、ヘンリエッタはテーブルの反対側にいるウィリアスと向き合っていた。
両親はもちろんだが、ノアは胃が痛くなりそうな顔をしていて、気の毒である。
年齢的にウィリアスと知り合いではないが、ノアは辺境伯家の次男だ。第一王子の従者やその周囲に、知り合いがいないとも限らない。不安で仕方がないのだろう。
ウィリアスはしばらく、ヘンリエッタと舞台に関する話題を続け、冷えきった紅茶を一気に飲み干した。
下を向く仕草さえも優美で、彼女が単なる男爵令嬢だったとしたら、この美しさに見惚れたことだろう。
しかし残念ながら、ヘンリエッタの心は落ち着かなかった。
原作小説でこの場面は読んでいたが、彼が真剣に観賞していたことが、はっきりと伝わってくる。舞台装置の配置や、小道具の意味。役者たちの動きや視線などから、物語を解釈しようとする姿勢は、脚本家として感激するほどだ。
「……すまない、あまりに素敵な舞台だったから。一人でしゃべり続けてしまって……これだから、母上に叱られるのだな」
「いいえ、とんでもないです」
ヘンリエッタが笑顔を見せれば、ウィリアスも応えて微笑む。耳を赤くし、とろけそうな笑みだ。顔立ちの美しさも倍増し、恐ろしいほどの破壊力である。
そんなウィリアスは一息つき、表情を真剣にすると背筋を伸ばした。
(来た……!)
その仕草で察知したヘンリエッタは、テーブルに置かれたクッキーを手で指さし、再びにこりと笑う。
「どうぞ殿下、お召し上がりください。父が隣国へ行った時に買ってきたクッキーです。どうやら、ハーブを練り込んだものらしいです」
「ハーブ?」
「はい。こちらの紅茶も、お気に召しましたか? これもクッキーと一緒に買ったもので、実はまだ国内では手に入らないのです」
ウィリアスが屋敷を訪れた真の目的は、ヘンリエッタへの求婚だ。
ヘンリエッタが昨夜、西山にウィリアスの登場を伝えたところ、彼は求婚回避策を考え出してきたのである。
名付けて『絶対求愛させない作戦』。徹底的に話題を逸らし続ける作戦だ。
(確かに原作でもヘンリエッタは断るし、なんなら最新刊でも断ってたし、ウィリアスのことはキャラとして大好きだけど、わたしだって求婚されても困るしね……)
原作者の意向を踏みにじって動くわけにはいかないが、その原作者から了承を得られたなら問題はないだろう。
ヘンリエッタの想像を超えて、西山は色々な話題を考えてくれ、逆に申し訳なくなってしまったほどだ。
小説どおりの展開なら、この場で求婚を受けたヘンリエッタは、これからも脚本家として活躍していくと告げ、求婚を断る。男爵家にはヘンリエッタしか子供がいないので、入婿を希望していることも影響していた。
もし第一王子の花嫁になったら、いずれは王太子妃、将来の王妃になるだろう。王族と血縁関係になる利点は大きいが、一座の脚本家を続ける道は封じられてしまう。彼女にとってそれは、堪え難い苦しみでしかなかったのだ。
(……それにウィリアスがヘンリエッタにプロポーズするのは、王家の事情が一番大きいんだよね……)
ウィリアスが結婚相手を探すのは、王位継承権の危機に陥っているからである。
エーデル国王には二人の息子がいて、第一王子ウィリアスと、第二王子をビリィと言う。
実は第二王子の方が統治者として有能で、国王夫妻からの信任も厚いのだ。それゆえに兄弟仲があまり良くなく、ビリィを推す派閥の勢力も増して、ウィリアスは王城内で肩身の狭い思いを強いられていた。
しかし幸いなことに、ビリィはやや尊大な性格をしていて、婚約者との関係がうまくいかないのである。立太子を囁かれる第二王子の婚約者は、高慢な令嬢が多く、互いにぶつかり合ってしまうことが、しばしばあるのだ。
ウィリアスは容姿の良さと穏やかな性格を武器に、弟よりも先に結婚し、国王に認可されたい思惑があるのだった。
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