第3話 三

「とまあ、そういう状況であります」


 そう言いながら神宮が肩を落とした。


 奉行所の詮議の間で、神宮は奉行の頼方らに調べて来た結果を報告していた。

 筆頭与力の成瀬が顔をあげた。


「おい、あるる」


 「あるる」とは神宮のことである。神宮は相槌を打つときに「ある、ある」と言うのが口癖だが、早口なので「あるる」と聞こえるため皆がそう呼んでいる。


「お前は昨日、市蔵は大きな声で脅し賺し、更にはしつこく付きまとうという男で、この取り立て方が恨みを買ったのでしょう、そう言わなかったか」

「はい、言いました」


 成瀬がジロリと神宮を見た。

「つまりは、その見立てが違っていた、ということか」


 神宮が薄くなった頭に手を当てて苦笑いをした。

「まあ、その、結局の所、そういうことかなと・・」


 成瀬が不機嫌そうにチッと舌打ちしながら視線を将棋盤に落とした。


「いつも口を酸っぱくして言っているだろう。予断をもって事に当たるなと。良いか、何事も地道に調べろ。本筋が見えてくるまでは、勝手な想像で決めてかからないことだ。まあ、この状況だからといって、取り立ての恨みという線も全く無くなった訳では無い。それはそれとして・・」


「それはそれとして」


 成瀬の言葉を遮るように頼方が顔を上げてボソッと呟いた。成瀬が将棋盤を挟んで対面に座る頼方を見て頷いた。


「何でしょう」


「待ったで頼むよ、成瀬さん」


 頼方がニヤリとするのを見て、成瀬は肩の力が抜けた。


「何を言うかと思えば・・」


「今日はまだ一回目だろう、な、良いだろう」


 成瀬がゴホンと咳払いをした。


「奉行、何回目だから良いとか悪いではありません」

「あ、そうか、二回でも三回でも良い場合もあるか」

「いや、そういうことではなくて、たかが将棋です。命まで取られる訳じゃあるまいし、みっともない事はおやめ下さいということです」

「そうは行かない」

「どういうことですか」

「お真美には、俺とあんたの将棋の腕前は五分五分だと言っている。だから、負け続ける訳には行かない」


 お真美とは、頼方が贔屓にしている茶屋の女である。毎日のように通い、一夜を共にしている。


 成瀬が呆れたと言わんばかりに首を振った。

「はい、はい、そうですか。全く、何を言うかと思えば・・」


 成瀬は頼方が最も信頼する与力だ。容疑者の取調べを行う吟味力として部下に対する指導は厳しく、それだけ細かいところまで気が利く。そして何についても筋を通す厳格さを持っている。

 一方で、頭が硬いだけでなく場の空気を和ませる洒落っ気などもあり、部下からも慕われていた。


「その代わり、一つ約束していただきます」

「何だい」

「朝、お真美に奉行所まで送ってもらうような真似は、こんりんざいやめてもらいます」

「あっ、気づいていたのか」


 頼方が恥ずかしそうに笑いながらペロッと舌を出した。


 頼方の名を一躍世に知らしめたのが、博徒にして侠客の国定忠治(くにさだちゅうじ)への裁きである。


 忠治は人殺しや関所破りを繰り返す極悪人であったが、情に熱く、権力に抗う象徴として民衆に慕われ、多くの子分も抱えていた。


 その忠治が捕らえられた時、幕府は忠治をどうするのだと世間の注目が集まった。そして、道中奉行として忠治を取調べて、磔(はりつけ)の刑に処したのが頼方であった。

 頼方は、その二年後に遠山の金さんこと遠山景元の後を継いで南町奉行となった。


「わかったよ、お真美には良く言っておく。では、お言葉に甘えて」


 頼方がサッと駒を動かした。

「はい、王手」


 成瀬の顔色が変わり、目が将棋盤に釘付けになった。

「ええっ?」


「ははは、勝たせてもらった、ははは」


 頼方が上体を起こして、どうだと言わんばかりに満足そうに周囲を見回した。

「成瀬名人に勝つってぇのは、気分が良いものだな、ははは」


 成瀬が腕を組んで首を捻った。

「おかしいなぁ、あんな所に奉行の飛車があったかな・・」


 その成瀬の視線を遮るように頼方が両手で将棋盤を覆い、更に駒をかき混ぜた。

「勝負は時の運、勝つ時もありゃあ、負ける時もある。そうそう、それと」


 頼方が神宮に顔を向けた。


「おい、あるる、その市蔵とやらの仕事以外の知り合いを当たることだな。遊びの仲間だ。どうせ、しょせん小悪党。飲む、打つ、買う、という約束事ぐらいはやっているはず。仕切り直しとなれば、まずはその辺からだろう。なあ、そうだろう、成瀬さん」


 成瀬が不審そうな目付きで頼方を見ながら頷いた。


 なお、余談ながら、頼方は南町奉行を五年後に辞めるものの、一年後には再度南町奉行として返り咲き三年間勤め、更にその三年後には北町奉行となる。

 三度も町奉行を歴任したのは長い江戸幕府の歴史の中で頼方だけである。


 この日も、頼方はお真美の茶屋に向かった。


 店は酒と料理を売りにしているが、女も数名抱えて客の相手をさせている。お真美もそのうちの一人だ。

 お真美は、見た目は清楚で若作りの化粧が似合う女だが、酒がめっぽう強く酔うほどに男勝りの性格が表に出てくる。客の男たちが敬遠するなか、頼方だけは気に入っていた。

 毒舌だが勘が鋭く感心させられることが度々で、何より、奉行の自分に遠慮無く意見してくれる真っ直ぐさが心地良かった。


「へえー、珍しく勝ったの」

「俺だってそこそこの腕だからな」


 お真美が徳利を差し出した。注がれた酒を頼方が旨そうに飲み干す。

「まあ、誰でも上司には気を使うでしょうからね」

「そんなことはない。筆頭与力は誰に対しても手加減などしないよ」


「なるほどね、奥方にも手加減しないから、あんなに子沢山なのか」

「いや、まあ・・、それは又別の話だろう」

 成瀬には五人の子がいる。更に、また奥方が身篭っているらしい。


「でも、今月はかなり負け越しているわよ。これでは、どう贔屓目に見ても五分五分とは言えないわね」

「最近調子が悪かったからな。でも、今日は完勝だった。見事な詰め方を見せてやりたかったほどだよ、うん」


「ふーん、まさか、待ったとかはしなかったでしょうね」

 お真美が手酌で酒を飲みながら、覗くような目で頼方を見た。


「ああ・・、もちろん、そんなみっともないことはしない」

 頼方が視線をそらす。


 何処かで猫が鳴いている。

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