第175話 『坂本龍馬との出会いと日米条約再交渉』

 嘉永七年二月十日(1854年3月8日) 横浜


「突然お伺いしたにもかかわらず、お目通り叶い、恐悦至極にございます。まずはその儀、伏して感謝申し上げまする」


「う、うむ。苦しゅうない」


(やっべ! 思わず声が出てしまった。知るはずのない若者の出現で驚くなんておかしな話だからな。というか龍馬ってこんなかしこまった話し方もできたんだ?)


 何事も無かったかのようにすぐに表情を変え、龍馬に対する次郎である。


「して、如何いかがしたのだ? ただ顔を見たい、という訳でもないのであろう?」


「いや、ただそればあ(それだけ)にございます。昨年の黒船騒ぎの時に、なんと日本人で異人相手に大立ち回りをした人物がおるというがやないがですか! それに最初は異人の黒船の吐く黒い煙に驚いたけんど、なんとその船も同じように煙を吐いちょる。いやまっこと、この艦隊を操って異人とやり合うたお方はどがなお方なんじゃろうと、気になって仕方がなかったがじゃ」


(あ、戻った)


「ははははは。で、どうだった会ってみて。俺はどんな風に映って見える?」


「いやあまっこと、すごいお人じゃ。同じ時を生きているとは思えんがです。まるで先の世を見てきたかのような気配は、気のせいじゃろうか」


「龍馬とやら、面白い事を言う。久しぶりに気分が良いぞ」


(なんだこの心地よさは。龍馬が人たらしだって言うのは、本当だったんだな)





「御家老様、そろそろ……」


「ああそうだったな。龍馬とやら、すまんが時間のようじゃ。……そうだ、これを」


 時の経つのも忘れて龍馬と歓談をしていた次郎は、サラサラと紙に何かを書き込んで、龍馬に渡した。


「江戸、大坂、京都、そして長崎に大村の藩邸。それから我が海軍の艦艇には、これを見せれば自由に出入りできる。これからやることも多いだろうが、体にだけは気をつけるのだぞ」


「ありがとうございます」


 龍馬は平伏して次郎を見送った。





 ■嘉永七年三月三日(1854/3/31)


 当初幕府は、薪・水・食料・石炭の供与および難破船と漂流民救助の件は了承するが、通商の件は承諾できないと回答していた。これまでの薪水給与令と遭難時の対応と同じである。


 つまり、日本側は通商の件は承諾できないが、その為の港を開くのはやむなしとして、開港までの猶予期間を5年と提案したのだ。

 

 しかしペリーは即時開港を求めてきた。

 

 献上品や返礼品の目録の交換や饗応きょうおう、度重なる交渉の末、下田と箱館の二港を開港する事となる。


 ここまでは史実と変わらない。


 変わっているのは、限定的ではあるが、日本がオランダと長崎のみで自由貿易を行っている事である。自由といっても、長崎会所を通した貿易は幕府の管理下に置かれ、貿易できる藩も福岡・佐賀・大村の3藩のみであった。


 もちろん、民間での取引は許可されていない。しかし実際は、大村藩が良い例だが、小曽根乾堂や大浦お慶のような民間の商人に委託いたく、もしくは協力を得て貿易を行っていた。


 それでもアメリカやイギリスなどの列強にとっては垂涎すいぜんの的であり、オランダに対する特別待遇を良くは思っていなかったのだ。


 条約締結までの間、次郎はオブザーバーであるので、同席はするものの直接交渉には関与しなかった。林大学頭など優秀な人材がいて、問題なく交渉していたからだ。


 しかしアメリカ側にとっては次郎がそこにいるだけで緊張感が走る。言葉がわかるから筒抜けなのだ。





「なんだこれは? しばしお待ちを」


「如何なされた?」


 大学頭は条約の草案を読んでいる次郎のただならぬ様子を見て、尋ねた。


「大学頭殿、これ、この第十一条ですが、この部分」


 次郎は指を差して条約草案の11条部分を指摘した。


「和文には『両国政府が必要と認めた時に限って』と書いてあります。オランダ語はどうですか森殿」


 森山栄之助はオランダ語の通訳であったが、そうだ、と言う。漢文も同じである。


「では森山殿、ここをご覧下さい。『either』とあるでしょう? どちらか一方が、という意味でござる。つまり、日本とメリケンどちらかが必要と認めたら、という事で、これは全く意味が違ってきます!」


 あああ! と栄之助。直に通訳が出来るほどではないが、栄之助も長崎でラナルド・マクドナルドから英語を教わっていた。


「本来ならば、和文と同じように、ここは『both』、つまり両方が、という言葉がこなければおかしいのです。向こうのオランダ語通訳がわざとやったのか、それとも偶然か……」


「なんと……!」


 普段は温厚で感情を表に出さない大学頭の顔がゆがむ。


「交渉とはそもそも、互いに信頼をもってすべき事ではないのか? 互いに言葉が通じぬ相手だからこそ、和蘭語や漢文で相手に通じるよう、面倒でも手間暇かけてやっているのではないか。それを……」


「お待ちください、大学頭殿。ここは某が確かめましょう。加えて、通詞には中浜万次郎殿が任じられたと聞いておりましたが、なぜここにおらぬのですか?」


 次郎は万次郎がスパイ疑惑をかけられた事を知っていたが、あえて聞いたのだ。そして言った。


和蘭オランダ語がどうとか、漢文がどうとか、良し悪しの話ではありませぬ。間に通訳が二人も入れば、絶対に言葉の齟齬そごが起きぬとは言い切れませぬ。ゆえに直に言葉を解す者が要るのです。某も英語は解しますが……その上で、このような事を致したとは。いずれにしても万次郎殿を呼んで下さいませぬか。彼の力が要りまする」


 世襲で通訳の家柄であった森山栄之助は複雑な表情である。

 

 おそらく個人的には万次郎が必要だと思っているのだろう。しかし、職を失う事を恐れたオランダ語通訳が、万次郎の通訳採用に反対したのも事実である。


 そして老中首座の阿部正弘と水戸斉昭。この二人も反対している。


「承知しました。叶うかは分かりませんが、願い出てみます」





「Now, what the hell is this all about, Admiral Perry?(さて、これは一体どういう事でしょうか、ペリー提督)」


「What is “this”?(これは、とは?)」


「This is the Article 11 portion. Why is the word “either” used here?(この11条の部分です。『両国政府が必要と認めたときに限って』のはずですが、なぜここが、"either"となっているのですか?)」


「Huh? Which one?  ......(ほほう? どれどれ……)」


 ペリーは知ってか知らずか、条文を読んで、驚く。


「This is ...... true. No, I'm sorry. You are correct. Let's have it rewritten as “both Japan and the United States.”(これは……本当だ。いや、申し訳ない。正しくはその通りだ。『日米両国』に書き換えさせましょう)」


 ペリーはすんなり受け入れた。肩透かしをくらったような次郎であったが、認めさせた意義は大きい。本当に知らなかったのか? それとも、しらばっくれているのだろうか。


「Now, I was an observer, so I didn't directly interject, but I guess I should have checked every single detail.(さて、私はオブザーバーだったので直接口を挟まなかったが、いちいち細部を確認した方が良かったようだ)」


 次郎はそう言って、第9条の変更も認めさせたのだ。9条に関してはかなり抵抗があったが、このままではあまりに不利である。





 『第九条:両国は、本条約に基づいて開港された港において、他国に与えられた船舶の寄港、乗組員の上陸、必要物資の補給に関する権利と同等の権利を相互に享受するものとする。これらの権利は、大規模な貿易活動や恒常的な商取引の開始を意味するものではなく、あくまで船舶の緊急時対応と一時的な滞在に必要な範囲内でのみ認められるものとする』


 



 最後に次郎はペリーにこう加えた。


「May I? This treaty is to open the two ports of Shimoda and Hakodate. It does not endorse the opening of Japan to the outside world and the conclusion of trade on demand.(いいですか? この条約は、あくまで下田と箱館の二港を開港するというもの。日本が要求に応じて開国し、通商を結ぶ事を是とするものではない)」






 次回 第176話 (仮)『幕府海軍とベッセマー炉。通訳派遣の申し出』

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