第157話 『缶詰のその後と技術の波及。』

 遡ること嘉永五年九月二十一日(1852/11/2) 精煉せいれん方 研究所


 早朝の研究所の静けさを破るように、新しい機械が運び込まれた。


 佐久間象山はその前に立ち、設計図を片手に満足げに微笑んでいる。その『打抜蓋底』製造機は、打抜き機で作られた円形の金属片(メンコ)をフタの形に成型するためのものだ。


 より圧力に耐えうるボイラーを造るための、ロール機やプレス機の改善は逐一進んでいる。

 

 造船部門や兵器部門、それぞれの現場で新しい発見や失敗を繰り返しながら、より高品質なものを作るために切磋琢磨せっさたくましていたのだ。


 研究所に運び込まれたのは、この年のうるう二月に成功した打抜きメンコ(蓋と底の原形の鉄板)機の原理を応用して、メンコをプレスして型に押し込み、蓋と底を形成する工作機なのである。


 彼の隣には、助手の杉亨二が立っていた。亨二もまた、この新しい機械の登場に興奮を隠せないでいる。


「準備はいいか、亨二」


 象山が問いかけると、亨二は力強くうなずく。


「はい、先生。すべて準備完了です」


 亨二は金属片を慎重に機械にセットし、レバーを引いた。


 機械が動き出し、均一な機械音とともに、精密な動きで金属片がフタの形に成形されていく。


「見てください先生。これで手作業で蓋底をつくる時代は終わりです!」


 亨二の声には感嘆と喜びが混ざっていて、象山の顔にも笑みがこぼれる。


「そうだ、亨二。これからはこの機械が我々の手となり、もっと多くの缶を効率的に作り出すことができる。これが未来の技術だ」


 厳密には5年前と3年前に欧米で開発されている技術であるから、未来の技術ではない。

 

 しかしこの日本においては、それはほぼ正解であった。亨二はもう一度機械のレバーを引き、さらに多くのフタが成形されていく様子を見守る。


「本当に素晴らしい。これで、我々の生産能力は飛躍的に向上しますね」


「うむ」


 象山は、未来の可能性に目を輝かせながら答えた。





 ■嘉永六年二月二十六日(1853/4/4) 


 数年前に分厚いブリキ缶を薄くし、ハンダ付け以外の方法で缶詰を作るとオランダ人技師に言った象山であったが、慶応六年(1853年)の今、まだそれは実現していなかった。


 食品関連には使われていないが、はんだ付けによる缶の製造は続行しており、蓋の内側にゴムを接着して密閉可能にして、原油の運搬などに利用できるよう改良と開発が行われている。


 象山が新たに開発した機械は手動式のはんだ付け機械である。


 缶の底を缶胴にかぶせ、その縁を溶融はんだ槽に斜めに浸し、手で回転させることで均一にはんだ付けを行うことができた。象山と亨二は新しい機械の前に立ち、準備を進めている。


 象山が慎重に缶をセットし、亨二が機械の操作を確認した。


「よし、始めよう」


 象山が言うと、亨二は頷いて機械を操作した。

 

 溶融はんだ槽に缶の底を斜めに浸し、手で回転させながらはんだ付けを行う。はんだが滑らかに流れ、缶の縁をしっかりと接合していく様子を見て、亨二は満足そうに微笑んだ。


「これで製品の品質が格段に向上しますね」


 亨二の言葉に象山のニヤケは止まらない。


 そして缶詰の製造技術は、そのまま一斗缶やドラム缶の製造技術と組み合わさって発展してゆく。





「ふははははは! やはりわしは天才よ! ゴムにスクリューに缶詰に! わしほど多岐にわたって開発や発明を成した者はおるまい! これであの御家老様も、わしを見る目がまた変わろうというもの!」


 次郎に尊敬、畏敬……さらには畏怖(?)の念を持っている象山は、あの居酒屋での出来事を忘れてはいない。

 

 もちろん、信州松代の地震の支援もあって、複雑な思いではあるが、『あなた程度は数名以上いますよ』という一言が頭に残って離れないのだ。





「ぐしゅん! なんだ? 誰か噂でもしているのか?」⇐今回出番がなかった人。


「御家老様?」





 ■海防掛 


 飛龍丸(73.5t)は次郎が交渉に使い、蒼龍丸(360t)は産物方が商談に使っている。昇龍丸(360t)のカノン砲をペクサン砲に積み替え、ライケンをはじめとした海軍伝習生は運用を行う。


 試作品が完成したペクサン砲であったが、射程と精度を増すために更なる改良が続けられ、別の戦術思考から新型の大砲も開発中である。


 ペクサン砲自体は30年前に開発されていたが、実際に艦船に配備されたのはフランス海軍における1841年の事で、以降イギリスやロシア、アメリカにおいて艦砲として採用された。


 それはオランダ海軍も同様であり、ライケンは本国から寄せられる情報をもとに大砲鋳造方へ資料を渡し、それが独自生産の一助となっていた。



 


「Schiet op, schiet op, schiet op !  Meer dan drie stappen is rennen!(急げ急げ急げ! 三歩以上は駆け足!)」


 相変わらずライケンのスパルタはブレない。厳しい訓練からのみ精鋭ができあがり、それがすなわち精強な海軍へとつながると言うのが持論である。


「Linker artillerie gevechtsklaar !  Begin met vuren!(左砲戦用意! 撃ち方始め!)」


 伝習所には幕臣をはじめ近隣の藩からの遊学生も多く、当然大村藩士も多数伝習を受けていた。その中でもひときわ異彩を放っていたのが江頭隼之助(24)と荘新右衛門(22)の兄弟である。


 海防掛総奉行の江頭官太夫の長男と次男で、大村藩士の伝習生の中では年長でもあり、リーダー格でもあった。兄である隼之助が砲術長を務め、弟の新右衛門が航海長を任されるまでに成長していた。


 もっともそれは伝習生の中で、という意味で、ライケンにしてみれば全員がヒヨッコである。





 ライケンのスパルタによるオランダ海軍のノウハウの直伝は続く。





 次回 第158話 (仮)『大村純顕の帰国と緒方洪庵と九条幸経』

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