第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 

 嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20) 


 次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。


 ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅37.8m深さ12.36m工期4年半)の建設。


 3号、4号ともにポルトランドセメントによる施工。耐久性の問題もあったが、下水道整備においてセメントの生産と施工実績を作っておこうという考えだ。

 

 予算は3号ドックが238,500両で4号ドックが449,890両となった。


 また、既存のドックであった0号ドックは老朽化していたので、先行してセメント製の船渠せんきょへと改修を行う。費用は8万両。


 1号ドックでは徳行丸と至善丸(ともに400トン)の造船を行い、2号ドックは既存艦船の補修用とする。

 

 0号ドックが完成すれば、そちらを補修用とする。同時に2号ドックにて、大型艦の造船を行う(スクリューの開発・蒸気機関の開発後)。

 

 ・川棚湊~彼杵そのぎ湊~大村湊~時津湊の港湾整備。

 

 ・大村領北端の宮村~大村~三浦までの電信の敷設(川棚~大村区間優先)……47.5km(2,867両・期間は一年三ヶ月)

 

 ・大村領北端の宮村~大村~三浦までの鉄道敷設(川棚~大村区間優先)……47.5km(1,419,968両・期間は四年十ヶ月)

 

 ・対岸の時津村から浦上村(長崎市浦上地区)までの電信敷設……5.3kmで費用320両。期間は50日。


 次郎としては予算に問題がなければ全部実施したかったが、さすがに鉄道は優先順位が低く、予算的にも金がかかりすぎる。


 そこで敷設用地の選定と設計のみを先行して行い、順次実施していく事とした。


 費用が高いのはすべてオランダの技術者に依存していたからであり、今後技術の導入が図れれば予算は少なくて済むだろう。ちなみに全ての費用の支払いに関しては、工期によって分割され、購入が必要な物のみ一括払いとしている。





「くそ。金がいくらあっても足らん。もっと収入を増やさないと」





 ■江戸城





 謹啓


 時下益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※超訳あり


 此度こたび、大村家中遊学ならびに海軍伝習のお許しを頂き、誠に有り難く存じ候。


 四月よりこの地にて学び候間、領内の様子を詳らかにお知らせしたく筆をとりき候。


 まず始めに、大村家中においてははなはだ驚くべき事ばかりにて、全てをこの書面に書き記すこと能わざりき儀お許しいただきたく存じ候。


 造船につきましては長さおおよそ六十七間(約122.5m)、幅十四間弱(約25m)、深さ四間半(約8.4m)のおおき船渠在り候。加えて今一つ、この夏に出で来たり候。


 費えはおおよそ、あわせて十七万両と聞き及び候得共、加えて二つ、さらに大き船渠を造りたり候。


 鉄の鋳造については高炉ならびに反射炉と言うもの九つありたり候間、自在に大砲をつくりたり候。


 領内の備えのため、福田村をはじめとした外海に六カ所に台場を築きたり候。


 波佐見村から川棚の河口まで建屋が建ち並び、煙を上げているもの、大き(大きな)音を出すもの、様々にて候。


 藩校五教館ならびに私塾開明塾にて、蘭語ならびに舎密せいみ術他(化学や他の学問)を教えたり候間、家中の者皆英明にて、新しき技を究めんと日夜精進いたしたり候。


 もとより我らも精進をいたし候得共、大村家中の技、おおよそ日ノ本の数十年先へ進みたりと存じ候。


 追伸


 われらの他、島津や毛利、鍋島など他の家中の者たちも伝習しております故、公儀の名に恥じぬよう精進してまいる所存に候。


 ※超訳※


 遊学と伝習の許可、有難うございます。大村藩はめちゃくちゃ進んでいます! 


 ・長さ約122.5メートル、幅約25メートル、深さ約8.4メートルの大きな船渠があって夏にもう一つ完成しました。費用は17万両かかっています。


 ・さらに大きな物を別で二カ所で作っているようです。


 ・高炉と反射炉が合計9基。大砲の鋳造には困らない。


 ・外海地区に台場造成中。


 ・川棚川沿いに工場が半端ない。


 ・藩校と私塾が同じ内容を教えています。みんな、頭良いです。


 ・正直、数十年先を行ってます!


 ・なぜか島津や鍋島家中がいますが、負けないよう頑張ります!


 ※超訳終わり※

 

 恐惶きょうこう謹言。


 十一月十一日


 永井尚志なおゆき


 伊勢守様





「伊勢守様、これは……」 


 川棚海軍伝習所に送った幕臣の代表者である、永井尚志の手紙であり報告書である。阿部正弘にしても牧野忠雅にしても、居並ぶ幕閣は、いったいどうしたらそうなるのか? 理解に苦しんでいた。


「うむ。蒸気船を作ったという話から、まさかとは思うておったが、ここまでとは……」


 牧野忠雅の問いに正弘は驚きを隠せない。

 

 ある程度予測はしていたものの、実際に見て聞いた者からの報告でその詳細を知ったのだから、無理もない話である。


「伊勢守どの、まずは、如何にしてなし得たか、それを尋ねましょう。そもそも公儀が、ただの外様の一家中に教えを請うている其の上そのかみ(時点で)、おかしいのです。何を成すにしても人、物、金にござろうかと存ずる。何はともあれ、公儀は壱(一番)ならねばならぬのです」


「うむ、それは確かにそうであろう。川棚に伝習生を送っておるのだから、各大名にも知れ渡れば公儀の沽券こけんに関わる。表向きは公儀が金を出して和蘭人を呼び寄せ、習わせているという体にすれば良いかと存ずるが?」


「障りとなるのはそこではない。良くご覧下され。大村家中と公儀に者の他、薩摩や毛利、鍋島やその他多くの家中の者が同じくして学んでおるとあるではないか。これは、約を違えておるのではないか! ?」


 牧野忠雅の発言に、松平乗全のりやす、松平忠固ただかたが続いた。


「和泉守殿(乗全)、まだそのような事を。それを今論じても詮無き事。加えて侍従殿(忠固)、丹後守殿もそこまで愚かではございませんでしょう。恐らくは公儀と約を結ぶ前に、すでに受け入れていたのではございませぬか。ならば、『以後』と記したように、他の家中の者がおったとしても、何を罰す事が能いましょうや。下手に出すぎるのは如何かと存ずるが、当て所(目的)なく差配しては後々の障りとなりまする」


 正弘の発言に苦々しい顔をしていた乗全と忠固であったが、愚者ではない。分かった上で発言したのであろう。


「まずは牧野殿が仰せのように、遣わしている旗本に、如何にして成したるや、これをつぶさに調べ、報せるよう文を送りましょう。金がなくては話になりませぬ。倣うべきところは、倣いましょう」





 次郎がやってきた藩政改革と財政再建、果たして幕府は導入できるのであろうか。





 次回 第144話 (仮)『アーク灯と場所請負商人』

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