第139話 『蒸気缶と工作機械。台場造成と海軍伝習所』(1851/9/19)

 嘉永四年八月二十四日(1851/9/19)


 この月の17日に、上野俊之丞が亡くなった。陽気で明るく、ムードメーカー的な存在で、年齢を感じさせない気さくな性格は、誰からも好かれていたのだ。

 

 葬儀はしめやかに行われた。上野彦馬は14歳。五教館中等部に在籍中で、優秀な成績らしい。父の仕事を引き継ぎ、精れん方へ入り浸る事となる。





 3年前に発注したオランダからの蒸気ボイラー主機と造船機械が、ようやく到着した。早速1号ドックに備え付けられ、造船にとりかかった。

 

 大野弁吉と前原功山が、久重の抜けた穴を補うようにして、その全容を理解し模倣しようと試みる。


 主機と工作機械の到着とあわせて完成した昇龍丸の2番艦は、蒼龍丸と名付けられた。100馬力の主機がはじめから備えられ、ついでネームシップの昇龍丸にも順次搭載する予定である。


 これが新しい船の諸元だ。


 排水量 400トン

 全長 52.7m

 全幅 9.1m

 喫水 7.3m

 主機 軽圧揺動機械

 推進 外輪

 出力 150馬力

 帆装 3しょうバーク

 定員 97名

 兵装 6門


 1号ドックで建造し、150馬力の主機が製造可能となったら、2番艦の建造に取りかかる。1番艦は徳行丸、2番艦は至善丸と名付けられた。徳行丸が現状では一番大きい船なので、御座船となる。


 これで完成すれば、大村藩の艦艇は以下の通り。


 御座船 徳行丸(400トン・2,700石)

     至善丸(400トン・2,700石)


 昇龍丸(360トン)・蒼龍丸(360トン)


 旧御座船 飛龍丸(73.5トン・490石)

 川棚型(67.5トン・450石)


 これまでの御座船というのは参勤交代で使うだけだったが、非常にもったいない。次郎は上書して、藩の繁栄のために使い、参府の際には御座船とする、という事を認めてもらった。





 外海地区、福田・式見・三重・神浦・瀬戸・面高の六カ所での台場の造成が進められている。カノン砲もしくはペクサン砲を設置するのだ。


 大砲の開発状況にもよるが、台場にも薩英戦争の時期までにはアームストロング砲を開発し、実戦配備したいところである。


「官太夫殿、良い具合に高所に設置できそうですな」


 次郎は陣頭指揮をとって台場の造成に取りかかっている、家老で海防掛、海軍奉行の江頭官太夫に声をかける。


「おお、これは次郎殿。お陰様でつつがなく運んでおりますぞ」


 次郎の事を次郎左衛門殿でもなく、太田和殿でもなく、短く次郎と呼ぶ人間は少ない。官太夫は小禄の身であったが、純顕に見いだされて家老になり、海防という重要な役割を担っている。


「さすが殿が見込んだ方ですね」


 冗談混じりに次郎が言うと、すぐさま官太夫が返す。


「それを言うなら次郎殿ではござらぬか。あれよあれよと言う間にわが大村家中は借財を返し、商いと殖産を盛んにしては和蘭の文物を取り入れ、ついには蒸気船なる物を造りだしてしもうた。皆、次郎殿のお陰にござろう」


「ははは。皆様の精進の賜物にございます。それがしなどまだまだ……」


 本音だろうか建て前だろうか。それでも二人の会話に裏を感じる事はない。官太夫の開放的な性格がそうさせているのかもしれない。


「されど次郎殿、陸の台場には船よりも大きく威力のある砲を備え、高所より狙えば味方に利すると存じますが、敵がより遠くへ飛ばす大砲をこしらえて船に載せれば、いかな台場でも太刀打ちはできませぬぞ」


「承知しております。そのため新たに、威力と飛距離の増す大砲の仕組みを考えておりますれば、敵に後れをとることがないよう策を講じております」


「おおお、さすが次郎殿、それがしが案ずる事ではございませんでしたな。わはははは」


 そう言って豪快に笑う官太夫に、次郎もあわせて笑う。


 しかし本当は全くの手つかずであった。


 勢いで言ってしまった次郎であったが、ペクサン砲と同時進行で、後装砲のための閉鎖機の研究開発を新たに命じるのである。





 ■川棚岸壁 <次郎左衛門>


「お主、何を申すか! 道を譲らぬか!」


「馬鹿を申すな! こちらは脇に避けたではないか。何ゆえさらに譲らねばならぬのだ」


 見れば幕臣とおぼしき団体と、薩摩藩、そして長州藩、佐賀藩の藩士が固まって言い争いをしていた。


「そこまで言うならお主、名を名乗れ! それがし、小姓組番士、永井尚志なおゆきと申す」


「同じく小姓組番士、岡部兵衛尉(長常)と申す」


「それがし両番格(書院番と小姓組番両方)、木村芥舟かいしゅうと申す」


 幕臣の永井、岡部、木村は旗本格である。


「島津家中、記録奉行五代直左衛門が次男、五代才助と申す」


「同じく島津家中、小松尚五郎(帯刀)と申す」


 お互いの名乗りが終わった後、よいか、と前置きをして永井尚志が話し出す。


「我ら三人は幕府直参の旗本であるぞ。格下の者が格上の者を敬い、行いを正すのは当たり前ではないか」


 3人が尊大な訳ではない。


 ちょっとしたイザコザが発展して引っ込みが付かなくなってしまい、売り言葉に買い言葉のようになっているのだ。


「旗本旗本と、ここは江戸ではない。西国肥前ではないか。しかも『言路洞開』、大村の殿様は英明で、腹心の太田和様は分け隔てなく我らと接してくださる。古いのだ、考え方が。それにここは海軍伝習所。家の格が上か下かで学べるものか」


 五代才助がそう言い放つと、全員が一触即発の雰囲気となった。長州藩や佐賀藩の者もいたが、周りで見守るだけである。


「やあ、皆さん。如何いかがなされた。これから座学でござろう? こんな所で油を売っている暇はないのではないか? ライケン殿は厳しかろう」


 ライケンはスパルタである。


「こ、これは御家老様!」


 たまたま居合わせた次郎の一言に、永井が驚いて挨拶をすると、他の全員も頭を垂れる。


「守るべき礼儀は守らねばならぬが、いらぬ礼儀を守って死んでしまえば意味がありません。船の上では階級がすべて。そして今、みなさんは横一列なのです。お忘れなく」


「は! 失礼いたしました!」


 そう言って全員が頭を下げて挨拶をした後、校舎へ向かって走って行った。


 悪気はないんだろうが、長年染みついた慣習というのは簡単には抜けないのだろう。今回の場合は、武士同士だからそこまで問題にならないが、平民が上官となった場合にこうでは、命令系統が機能しない。


 大村藩では五教館でも開明塾でも、男女を問わず、身分に関係なく勉強をしている。

 

 そろそろ海軍伝習所から兵学校を作ろうとしていた次郎であったが、こういった身分制度の面倒な問題を解決しなければならなかった。





 次回 第140話 (仮)『ゴムの安定供給とスクリュー、金属加工、後装砲の研究』

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