第137話 『松代藩と松前藩。ソルベイ法とアンモニア』(1851/7/3) 

 嘉永四年六月十五日(1851/7/3)  松代城


 松代藩領内の浅川油田では調査の結果、油井として産出が認められたのは十八カ所で、産出量の見込みは一つの油井で1日平均1石7斗3升との事であった。精製すれば約三分の一が灯油となる。


 そのまま『臭水』して販売しても良かったが、灯油にすれば菜種油の灯明の約13倍、行燈の約16倍の明るさである。馬鹿売れすることは間違いない。


 明治に入って灯油は照明用として普及する。価格は菜種油の半額だ。これが普及を後押しした一因でもあるだろうが、価格設定というのは慎重に行わなければならない。


 しかし上総掘りという方法は独特ではないものの、その後の灯油精製については大村藩独自の物である。事故や失敗はあったものの、一応の成果をあげ、精製法としている。


 今後の精度の向上に期待である。


 


 

 次郎は価格を半値とし、大々的に販売する事にした。

 

 菜種と同じ値段、いや照明の明るさで考えると倍や三倍で売っても良かったが、なんせ菜種油も高価である。それで需要と供給のバランスが取れているのだ。


 今参入したとしても勝てるとは思うが、菜種業者からの横やりが入るかもしれないし、不買運動などが始まるかもしれない。それならば、まったく違う安価で明るい油として売り出した方がいい。


「して、如何いかほどの利が見込めようか」


 藩主の真田幸貫は、次郎の名代として来た勘定組頭の小塚伝兵衛に聞く。


「は、されば只今の菜種の値が一石で銀三百七十六匁にございますればその半値、百八十八匁と相成りまする。御領内での産出が日に三十一石一斗四升にて、月におおよそ九百石となります。菜種の半値で明るさ十数倍となれば引く手数多。間違いなく御家中の勝手向きのお役に立てるかと存じます。しめて月に八百五両となり、年に九千六百六十八両となります」


「おお、素晴らしい。大村御家中には地震の際にも世話になり、今もこうして支えて頂けるとは、誠にありがたき事である」


 とんでもございませぬ、と伝兵衛は平伏し、松代藩領内における石油採掘作業に取りかかるのであった。

 

 次は新潟、そして秋田である。ガソリンエンジンが出来るまでガソリンは無駄になってしまうし、重油は船舶用としての用途はまだ先の話である。





 ■松前藩


 松前藩家老、下国宮内しもぐにくないは大村藩の勘定奉行である浪岡源三郎と会談し、蝦夷地における石炭ならびに海産資源、油田開発等の協議を行っていた。


「では御家老様、嘉永元年より進めてまいりました、わが家中による蝦夷地開発の儀につきまして、御家中のお考えは是という事でよろしいのでしょうか。これまで我が家中の小塚伝兵衛がお伺いした際には、勘定奉行様ならびに金山奉行様におかれては、運上金さえ払えば問題はないと仰せにございましたが」


 まず伝兵衛が話を進め、その上で勘定奉行の源三郎が担当となって試掘を進め、見込み有りとの事で、最終的な事業展開の許しを家老の宮内へ申し出たのだ。


 一カ所ではない。蝦夷地全体の総括的な開発である。もちろん各々の採掘や事業展開においては都度申告が必要である。


「無論、障りはない。我が家中としても勝手向きを良くするのは急務である故、願ったり叶ったりである。今に始まった事ではないが、公儀のやり方に、我が家中は良い迷惑を被って居る」


「と、いいますと……」


「いや、何度も足を運んで頂き、伝兵衛とともに貴殿とも知らぬ仲ではのうなったゆえ、言うがな……」


 そういって宮内は話しだした。


「享和のみぎり、返して頂けるはずの蝦夷地は返して頂けず。加えて領地召し上げの上転封、はたまた返して頂けたと思えば、やれオロシアだ北方の備えだと費えは増えるばかりにて、いい加減に困っておったのだ。この先如何なる処遇を命じられるか分からぬ。前途多難な砌ゆえ、開発は我らにとっても重き題目である」


 恨み節ともいえる宮内の言葉を、源三郎は我が身のように聞き入る。実際、幕府にとっての外様など、それくらいの存在なのだ。自分の意のままに操れる都合の良い存在だと思っているんだろう。


「御家中のお力添えがあれば、我が家中の先も明るいというもの。是非にお願いしたい。ちなみに松前の港に泊まってあったのは、あれはなんじゃ? 聞けば風もなく、がなくても進む船と聞いておるが」


 源三郎は蒸気船の話をしながら、具体的な開発案の話し合いを続けるのであった。石炭の補給地としても重要な拠点である。





 ■大村藩 精れん


 ヤン・カレル・ファン・デン・ブルークは嘉永元年に医師として招聘しょうへいされたが、化学の知識が豊富だったため、その方面での開発や研究に携わっていた。


 具体的には電気全般、ゴム・潤滑油・スクリュー、魚油のけん化に、ソルベー法の実現である。ソルベー法に関しては時間はかかったが、ようやく一連の装置の仕組みを構築し、実際に設置をしようとしていた。



 


 高炉の前で、ブルークが信之介から受け取ったソルベイ法の化学式を元に説明している。上野俊之丞と杉亨二が真剣な表情で聞き入り、適塾の四人は助手としてサポートしていた。


「さて、ここに信之介殿から受け取った新しい化学式があります。これに基づいて我々は炭酸ナトリウムを効率的に生成する設備を作り上げられるはずです」

 

 ブルークが図面を広げながら自信を持って話していたが、その『はず』という言葉には少しの不安が込められていた。初めての試みだからである。


 図面を一通り確認し、細かい部分まで説明を加えていった。すると上野俊之丞が口を開く。


「信之介様の知識は我々を大いに助けるでしょうが、具体的に如何なる事をなさるのですか?」


 その声には期待と不安が入り混じっていたが、ブルークは微笑みながら答える。


「まず、二酸化炭素の生成から始めましょう。この部分は高炉で既に準備されています。しかし、重要な点はアンモニアの供給です。幸い、ガス灯の実用化に伴い、アンモニアは既に分離されています」

 

 ブルークの説明を聞きながら、杉亨二は図面を見つめ、細部を確認していた。彼は眉をひそめ、ブルークに問いかける。


「アンモニアは如何にして供するのですか?」

 

 ブルークは手元のメモを見ながら、丁寧に答える。


「先ほど言ったように、ガス灯の生成過程で得られたアンモニアを使います。このアンモニアを用いるための配管と貯蔵槽を設置する必要があります」


「具体的には如何に進めるのですか?」


 助手の一人が興味深そうに尋ねた。ブルークは図面を広げながら説明を続ける。


「まず、アンモニアを貯蔵するための槽を設置し、そこから反応塔、そう呼びますが、そこへの供給管を設置します。この管を通じてアンモニアを供給し、食塩水と反応させて炭酸水素ナトリウムを生成します」

 

 図面の上で指を動かしながら説明するブルークに、杉亨二がさらに質問する。


「必要な材料は揃っていますか?」

 

「一部の部品は既に手に入れてありますが、腐食に強い材料がもう少し必要です。鉄や銅などを適切に加工して使用します」


 ブルークはうなずきながら答えた。助手の一人が試験材料を手に取りながら提案する。


「代替材料を試してみることもできます。試験を行い、適切な材料を選定しましょう」


「そうですね。それと同時に、炭酸水素ナトリウムの熱分解装置も作製します。この装置では高温で炭酸水素ナトリウムを熱分解し、炭酸ナトリウムを生成します」


 ブルークは賛同しながら答えた。上野俊之丞が心配そうに尋ねる。


「温度管理はどうしますか? 正確な温度測定は難しいでしょう」

 

「その通りですね。水銀温度計やゼーゲルすいを使って大まかな温度管理を行います。それと同時に、熟練した職人の経験を頼りに、炉の色や材料の変化を観察して温度を推定します。試行錯誤を重ねながら、適切な温度管理方法を見出していくしかありません」


 ブルークは少し考え込んでから答えた。上野俊之丞はその答えに納得し、全員に声をかける。


「わかりました。まずはアンモニア供給管の設計と設置から始めましょう。各自、担当箇所を確認して作業を進めましょう。温度管理については、皆で知恵を出し合いながら、最善の方法を見つけていきましょう」

 

 全員が気を引き締め、ソルベー法の成功のために取り組み始めた。

 

 おそらく何度も失敗するであろう。前途多難ではあったが、互いに協力し合い、挑戦しつつ開発を続けるのであった。





 次回 第138話 (仮)『造船計画』

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