第134話 『魚油・干鰯の増産と藩士続々』(1851/4/16)

 嘉永四年三月十五日(1851/4/16) 江戸城御用部屋 上の間


 江戸城には緊張感が漂っていた。


 大村藩主純あきと家老の次郎が数名の幕閣と対している。老中首座である阿部正弘が静かに口を開いた。


「大村丹後守殿、本日はお越しいただき感謝いたす。此度こたびは、先般の大船建造の禁を廃する儀について、公儀の意向が固まりましたのでお呼びした次第にござる」


 純顕は丁寧に頭を下げ返事をする。


「ありがたく存じます」


 続いて次郎も同じく一礼する。


 正弘は周囲を見渡し、一同の目を引きつけながら続けた。


先度せんど(前回)の協議の結果、大村御家中に限り、以下の条件を付けての特例にて、禁を廃することに決しましてござる」


 牧野忠雅が手元の巻物を広げ、条件を読み上げ始めた。その声は部屋中に響き渡り、全員の耳を集中させる。


「まず第一に、大船建造の禁を廃する代わりに、幕府にその技を供する事。第二に、今後一切、他の家中からの遊学の申込みを認めないこと」


 純顕は慎重に言葉を選びながら答える。


「有り難き幸せにございます」


 万座の老中の全員が、許してつかわした、という大上段に構えている雰囲気がみてとれた。


「さればこの儀につきましては、ここなる家老次郎左衛門と共に国許に帰り、留守居の家老全員とはかりまして、後日お返事いたしたく存じます。此度は誠に有り難き仕儀にて、重ねてお礼申し上げまする」


 瞬間、『なにい! ?』という声にならずとも聞こえる老中達の驚きと戸惑いがあった。


「何を仰せか。公儀としては、許す、と申しておるのだ。何ゆえ国許に帰って諮らねばならぬ?」


 松平乗全のりやすの言葉に、純正は表情一つ変えずに答える。


「もっともな仰せにはございますが、かような重き定めは我が家中全員の考えを一にせねばなりませぬ。特に、造船の技をお伝えするにあたり、つぶさなる術や用いる法については、職人ともども密なる諮らいが要りまする」


「左様な事、丹後守殿とその方、筆頭家老の次郎左衛門とやら、お主らが決め、伝えれば済む事ではないか」


 松平忠固ただかたが、少し感情を露わにして言った。次郎は純顕に目で合図を送り、発言の許可を求める。


「伊勢守様(阿部正弘)、ここなる次郎左衛門が発言の許しを願うておりますが、よろしいでしょうか」


「構わぬ。申すが良い」


 純顕の言葉に正弘は次郎の発言を許す。次郎はゆっくりと、落ち着き払って言った。


「では、一つお伺いしとうございます。以後、他の家中からの遊学の徒を受け入れぬ、というのは間違いござらぬでしょうか。御公儀に求められた造船と運用の技をお教えするのは無論の事、今ひとつの条件は、『今後、遊学の徒を受け入れぬ』。条件は本当にでよいのでございますね?」


 正弘をはじめとした老中全員がポカンとしている。


「何を申すかと思えば、はじめからそうだと申して居るではないか」


「それを聞いて安心いたしました。いえ、後になってこれもいかん、あれもいかんと、条件を加えられては難儀な事。それゆえ、間違いの無いように確かめたのでござる。は御公儀に諮る要なし。……誠、相違ございませんか」


「相違ない」


 正弘の言葉に次郎は続ける。


「承知いたしました。有難うございます。では」


 純顕が次郎に続いて発言をする。


「その条文を、ここにおられる皆様の連名にて、証文として書いて頂きたい。事が事ゆえに、後で齟齬そごが生じても、百害あって一利なしにございます故」





 こうして大村藩に対して大船建造の禁が解かれ、純顕と次郎は最高の条件を勝ち取ったのである。





 ■大砲鋳造方


 研究室では、新しい起爆装置の開発が進められていた。


 木製の起爆装置には、薬室と燃焼する導火線の間に6センチのブロックがあり、そのブロックを固定するためにワイヤーが使われていた。


 村田蔵六(大村益次郎)は、細い金属のワイヤーと小型の工具を手に取り、慎重に測定して針金を特定の長さに切断している。


「この針金が、発射時の衝撃で確実に破断することが求められます」


 そう言って蔵六はブロックにワイヤーを取り付けるため、慎重に工具を使いながら位置を調整した。賀来惟熊これたけと武田みの三郎も、作業を手伝う。


「導火線が推進用の火薬の火で確実に点火されるように、位置を正確に合わせる必要があります」


 蔵六は慎重に導火線の位置を調整し、固定していく。


「起爆装置の耐久性と信頼性を確認するために、何度も試験を繰り返さなければなりません」


 実験装置を何度も見直し、手順を確認しながら慎重に操作し、その結果をノートに記録していく。



 


 やがてワイヤーを固定したブロックが実験装置にセットされた。

 

 全員が見守る中、高島秋帆が装置のスイッチを入れると、模擬発射の衝撃が加わり、ワイヤーが正確に破断して導火線が点火されたのだ。


「成功だ!」


 蔵六が叫んだ。と同時に歓声がわきあがり、全員が喜びを分かち合う。


 試行錯誤の実験が繰り返される中、ついにワイヤーが正確に切断され、導火線に点火される瞬間が訪れたのだ。大砲鋳造方の全員が大声で歓喜乱舞する。


 新しい起爆装置の完成に向けた一歩を踏み出したのだ。





 ■産物方


 殖産方は新たに産業を興し発展させる役所であり、産物方は今ある産業を管理して、これも発展させる役所である。組織的には産物方は殖産方の管轄下にある。


「まずいなあ~魚油も干鰯ほしかも1万両にもならない……」


 お里は出産し、産じょく期なのにもかかわらず、元気だ。とは言っても完全に元に戻ったわけではない。部下に指示を出しながら、少しずつ現場に復帰しているのだ。


 魚油、と言えば菜種油の半値で売買され、煙が出て臭いので敬遠されていたが、酸性白土を使った過で精製し、臭いと煙を抑える事ができたのだ。


 そこで売り込みを行い、順調に売れる、はずであった。


 ……絶対数が足りない。


 干鰯が商品作物(広義で)だとは言っても、大々的に漁をしていた訳ではなかったのだ。


 そこで大村藩の領内には専業の漁師と兼業の漁師、あわせて2,788戸あったので、魚油が高値で売れる事、干鰯も含め藩が買い取ると宣言して、大々的にイワシ漁をするように奨励した。


 しかし、それでも年間1万両に満たないのだ。


 これは、蝦夷地でニシン油に手を出すしかない。そうお里は思い、次郎へ伝えた。





 ■大村政庁 来訪者詰所


 平戸藩や五島福江藩、島原藩などの密約同盟の藩からは藩士が遊学に来ていたが、蒸気船の件で一躍有名になってからは、佐賀藩・福岡藩・薩摩藩・長州藩・伊予宇和島藩など、九州と西国の各藩からの遊学生がごったがえしていた。





 ※嘉永四年度 大村藩収支見込み


 歳入 63万322両

 歳出 54万5千103両


 歳入内訳

 販売利益 58万8千132両

 年貢運上金 4万2千190両


 歳出内訳

 設備投資 19万2千689両

 負債 1万8両

 人件費 21万8千547両

 接待交際費 3万2千998両

 開発医療産業予算 9万840両

 





 次回 第135話 (仮)『松代藩、松前藩との交渉と幕臣、そして西国諸藩』

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