第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

 嘉永三年十二月二日(1851/1/3) 江戸城御用部屋 上の間


「伊勢守殿(阿部正弘)、返す返すも残念にございましたな」


「左様、これは失策にございますぞ」


 松平乗全のりやすに続き、松平忠固ただかたが、やんわりと阿部正弘を非難する。それを黙って聞いていた正弘の横で、常に正弘に歩調を合わせていた牧野忠雅が反論する。


「御二方、そう仰せだが、なんの条件もなしに禁を解き、建造を許してもよろしかったのですか? 伊勢守殿は公儀の体面を保ちつつ、大村家中のみ試しに許すという、一杯(ギリギリ)の条件で交渉したのですぞ」


 至極もっともな反論であった。


 蒸気船を造れると言う事は、鉄を鋳造して大砲も造れるのではないか、と容易に想像できる。台場建設の費用の件もそうだが、大村藩の技術を幕府は導入できるチャンスだったのだ。


 幕府の威厳を保ち、諸藩の反対(大村藩のみ解禁)を抑えるための条件だった。しかし、厳しすぎたのは否めない。


「先頃出した条件が、厳しかったのは否めぬ。来年の三月までは丹後守殿は在府しておる。何を残し、何を削るかを吟味し、再度交渉するしかございませぬな」


 正弘は一同に向かってそう話し、議論を締めくくった。





 ■大村藩


 次郎は1号ドックの建造が決まってから同じ規模の2号ドックの構想をたて、上書していた。昨年の夏に着工し、同様に来年の夏に完成予定である。


 艦載用ボイラーと蒸気機関動力の工作機械のオランダへの発注は一度きりであったが、川棚型ならびに昇龍丸と、飛龍丸の蒸気機関は、久重らが製造したものを搭載したのだ。


 現在、完成した1号ドックで2番艦の建造を始めている。船きょに空きがあるので、来年到着する設備をもって昇龍丸と同程度の排水量の船を建造が可能だ。


 積載量を重視したので馬力は川棚型より大きいが速度はでない。これは仕方が無い。今後の課題だろう。現時点では輸入製品に負けてはいるが、それでも360トン級を動かせる馬力は出せたのだ。


 

 

 

  ……それにしてもお茶の利益が大きい。


 領内で増産できた茶と佐賀藩を除く九州全域、そして静岡ではまだ始まってはいないが、京都の宇治やその他西日本の茶園での仕入れ先開拓のおかげで、なんとか供給できている。


 ちなみに昇龍丸は2,400石積みの船だが、お茶にすると24万斤(144トン)を積載可能だ。





 ■大村藩江戸藩邸 <次郎居室・次郎左衛門>


「おお隼人、久しいな。息災であったか?」


 少しやけてたくましくなった隼人がそこにいた。


「ええ、おかげ様で。なんとか残り四名となりました」


 ん? ちょっと嫌み入ってる?


「おお、さすがだ」


 傍らには信之介から預けられた本があり、何度も読んだんだろう。手あかがついて黒くなっている部分がある。


「ご苦労であった。お主が招いてくれた人材は皆大いに研究し、研鑽けんさんしてる。家中のために新しき知識、新しい技を発見しておるのだ。隼人、お主の力には感服したぞ」


「ありがとうございます。兄上、信之介様は何か仰せでしたか? 廉之助はいかがです?」


 やっぱり気になるのはそこか。廉之助に対するライバル心は半端ないからなぁ。良い意味だけど。


「ああ、信之介は感謝していたぞ。お主が呼んだ人材のおかげで研究の幅が出来たと言っておった。廉之助は、まあ、相変わらずだ。蔵六や東馬とわいわいやっておるよ。電気関連を任されていたようだかな」


「え? 今なんと?」


 あ、やべ。


「いや、何でも無い。それで、あとは誰が残っているのだ?」


 すぐさま話題を変えた。


「はい。後は江戸にいらっしゃる方ばかりなので、まずは調べてからと思います。船大工の上田寅吉様、時計師の大野規周のりちか様、算学者の小野友五郎様、砲術家の田口俊平様の四名にございます」


 おお! 即戦力の人材ばっかりだな! よしよし。


「そうか。ではもし、俺の力が要るようならいつでも言ってこいよ」


「はい」


 うん。良い子だ。





 ■薩摩藩


「なに? それは誠か?」


「は。三隻の蒸気船にて大阪まで行き、そこから江戸まで陸路にて参府したと聞き及んでおります」


 斉彬の決断は早かった。


「よし、ではすぐに手配せよ。江戸のものは間に合わぬだろうが、いや、江戸にも飛脚をとばして知らせよ。職人を鹿児島まで戻せと。昨年から作っておる蒸気缶の職人を集め、全員向かわせるよう手配するのだ」


「されど殿、大村丹後守様は今江戸にございます。まずは文を送り、その上で向かわねば無駄骨になりかねませぬぞ」


 斉彬は考え事をしていた。本当か? 本当に同じ日本人が蒸気缶を? 船を造ったのか?


「……おお、そうであったな。まずは江戸の大村藩邸へ文を送り、丹後守殿の許しを得ねばならぬ。急ぐのだ」


「はは」





 ■佐賀城


「それは、誠にござるか?」


 直正は兄であり、佐賀藩執政である茂真に対して聞き直した。


「殿、誠にございます。大村家中が参府の際の定宿に聞きましたところ、今年は使って居らぬそうでございました。毎回豊前の大里より船で向かっておりましたが、此度こたびは大村よりそのまま船に乗り、例年より随行も大幅に減らしております」


 昇龍丸は三隻分の石炭と、水と食料、そして大阪で売る塩と石けんなどを積んでいたのだ。


「なんと……」


 直正はストンと腰を落とし、しばらく絶句していたが、やがて我に返ったように口を開いた。

 

「そうか、大村家中が蒸気船を造ったのはこの目で見た。されど三隻も造り上げ、あまつさえ江戸参府に大阪まで動かしたとは。大村家中には優れた職人がおると聞いていたが、まさかここまで来ているとは……。我が家中も負けてはおれぬ」

 

 直正は悔しさをにじませながらも、大村藩の技術力を認めざるを得なかった。

 

「殿、薩摩守様(島津斉彬)も、すでに手を打ち始めておられるそうです。我々も蒸気船建造に着手すべきかと」

 

 茂真が進言すると、直正はうなずいた。

 

「うむ、その通りだ。されどまずは蒸気缶であるな。船はおそらく造れるであろう。そうだ、江戸におる佐野常民を呼び戻して指揮をとらせよう。製鉄に蒸気船に、やらねばならぬ事は多い」

 

「しかし、大村の家中に後れをとったのは痛恨の極みです。彼らに倣うだけでなく、佐賀独自の道を探らねば」


「うむ」


 直正は迷っていた。


 このまま佐賀独自の道をいくのか、それとも大村藩に藩士を派遣して学ばせ、その上で技術を上げていくのか……。

 


 


 次回 第132話 (仮)『薩摩からの手紙と、ゴムのその後と産物方』

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