第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9)

 嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城





 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。


(同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り)


 十五隻


 和蘭オランダ海軍のバタビアに備えたる艦船は以下の通り


 十九隻

 

 ~中略~


 旧商館長 ヨーセフ・ヘンリー・レフィソン

 新商館長 フレデリッキ・コーネル・ローゼ





「……かようにも英吉利の船がおるとは。十五隻に比べて和蘭の船は十九隻と書いてはいるが、砲の詳細は書かれて居らぬ。おそらくは荷船も含めて書いておるのであろう。やはり和蘭の力は弱まり、清国を征した英吉利が力をつけてきておるようだ。亜墨利加アメリカも二隻おるぞ」


 史実によると、この年の和蘭風説書に記載されていたオランダ海軍の船は一隻であったが、長崎での貿易自由化により往来する船舶も増え、海軍の艦艇も増えていた。


 しかし、正弘が考えていたように、正確には軍艦ではない艦船も含めて記載してあったのだ。


「銀貨の改鋳はいかがであった?」


 正弘は台場建造の資金を捻出するために昨年十一月に銀貨を改鋳し、ひとまずは人件費にあてることにして、残りの費用を天領と江戸大阪などの大都市に献金と御用金として集める事としたのだ。


 この改鋳は史実では3年後の嘉永六年に行われる。


「は。つつがなく行われております。されど改鋳は物の値を上げますゆえ、此度こたび限りと致した方が良いかと存じます」


「わかっておる」


 正弘にしてもやりたくは無いのだ。しかし背に腹は代えられない。


「献金はどうじゃ」


「は。斎藤嘉兵衛ら代官数名に命じておりますが、今のところは金二十万二千両が集まっております。大阪での献金調達には難儀しておりますので、全額集めるには今しばらく時がかかるかと存じます」


 やはり厳しいか。正弘は顔をゆがませる。


「あい分かった。引き続き献金を募るのだ。……対馬守、長崎奉行の井戸対馬守からは、何か言うてきてはおらぬか?」


「それが……」


「いかがした? 申せ」


 正弘の声に聞役の男はゆっくりと話し始めた。


「対馬守様が仰せには、大村家中は長崎の警固に金が掛かる故、そうそう簡単に献金は能わぬと仰せのようにございました。されど……」


「されど?」


「されど、国家危急の時なれば、五万両までは、献上能うと仰せにございます」


「何? 五万両? (弘化のみぎり、江戸城本丸のお手伝い金で大名よりの献金が十八万四千百五両だったというのにか?)」


 正弘はその金額の多さに驚きを隠せない。たかが表高五万七千石ではないか? それが正直な感想である。


「はい。更に台場の建造は一年で終わらぬであろうと、五年の間献金能うとの事にございます」


「なに? すると二十五万両か?」


「はい。されど条件があるとの事にございます」


「なんじゃ? ゆゑだつでない(もったいぶるな)。申せ」


「は……。されば大船建造の禁を、大村御家中のみ、廃していただきたいとの仰せにございました」


「なに? さ、左様な事能うはずもない!」


 正弘はぬか喜びに終わった事に多少のいらだちを覚えたものの、一方で大村藩の財政については嫌な予感を禁じ得なかった。


 幕府は歳入が86万2千690両に対して、歳出過多で赤字なのだ。


 5万両献金ができるということは、10万、20万の歳入があるのか? という疑問である。もしあるとすれば、長崎の貿易で巨利を得ているとしか考えられない。


 諸大名が力をつけるのは避けねばならぬが、献金を求めている以上、また長崎の警固のために許した貿易である、いまさら廃止となればオランダの心証が悪くなるだけだ。害しかない。


「……有り難き申し出なれど、許すは易き事にあらず、と内々に伝えておくのだ」


「はは」





 ■佐賀城


「いったい何だったのだ、あれは?」


 身分を明かすわけにもいかず、数名の供回りだけを連れて大村藩を訪れた直正は、自らの理解を超えた大村藩の異常事態に、佐賀に戻ってからも考える日々が続いていた。


 反射炉が九つもあったぞ。海の上を走る蒸気船とやらに、長崎で会うた様なオランダ人が何人もおったではないか。しかも一緒にいる日本人はオランダ語を話し、なんの違和感もない。


 いったい大村の家中は何をしておるのだ?


 至る所に陣幕が張られ、見張りのような者が何人も張り付いていたではないか。まさか公儀に黙って大船を造っておるのか? いや、まさか。さすがにそれはなかろう。


 直正の疑念はつきない。


 一つ確かな事は、佐賀藩より数歩先を歩んでいるという事実であった。反射炉の存在を知ったときに、そうではないかと考え、ここに至って確信となったのだ。


 佐賀はこれからいかがすべきか? 大村に教えを請うか? いや、近代化は推し進めねばならぬが、競争している訳でも戦をしている訳でもない。いずれ追い越せばいいのだ。





 先進的な考えを持った名君であったが、やはり大藩の呪縛からは簡単には抜け出せそうではない。





 ■鹿児島城


 島津斉彬が、薩摩藩の第11代藩主となった。


 藩主となった斉彬の行動は早い。



 


 斉彬は記録所に入ると書物を広げ、注意深く閲覧した後に家臣に命じた。


「史料を広く集めよ。日ノ本にあるオランダの書物を集め、出島を通じて買い集めるのだ」


「はは」


「この花園を撤去し、薬剤と化学応用諸品の製作所とせよ。名を開物館とする」


「はっ」


「これからは石炭の時代じゃ。聞けば福岡の黒田家中は石炭の採掘に長けておるそうじゃ。人を遣りわが領内にも炭鉱がないか調べさせよ」


「承知いたしました」


 福岡から二人の専門家が招かれ、長島、獅子島、甑島、種子島の炭鉱を検査したが、炭質は良好ではなく、炭層も薄いとの結果がでた。


「では、水車の利用法を研究しよう」


 斉彬は、新たな道を切り開くための命を下し続けた。


 昨年までにヘルダムやホイヘンスの本を翻訳させ、製造していた蒸気機関の開発に力を入れるのと同時に、ヒュゲーニンの反射炉製造法をもとに、反射炉の製造にも取りかかるのであった。



 


 次回 第127話 (仮)『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』

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