第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29) 

 嘉永二年うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門>


 やっべ……重大な事を思いだした。


 あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど辻褄つじつまがあうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上がりだよ。


 お茶の国際的な需要に気付いた各藩や商人は、まだ乾燥が不十分なものや梱包不良、柳の葉やクコの葉を混入したニセ茶を輸出するんだ。

 

 その結果大ひんしゅくをかって、日本茶の信用ががた落ちする。


 そう考えれば、あの量も納得できる。いやいや、これじゃあいかん! 俺の、いや大村藩輸出お慶ちゃんブランドの確立と、製茶技術の確立を急がないと!


 それから二千四百石船の建造見積もりを出した。


 1万6千923両……まじか。


 ちなみに人材の育成はなんとかなっている。深澤家の奴らが漁に出ない時期に、まったくの新人(希望者)に船の扱いを教えているし、スパルタのライケンの教えにもみんなついてきている。


  ああ、そうだ。海軍兵学校(伝習所)をつくろう。四年制で考えれば、去年から勉強している人員は2年生となる。陸軍士官学校(調練所)は、秋帆先生に相談だな。

 

 今は小さな帆船で武装も6門だけど、360トン級ができたらそっちで航海演習。ライケンにしてみれば、早く蒸気船が欲しいだろうな……。


 それは俺も同じだ。





 ■江戸城


「申し上げます、エゲレス船が浦賀に来航し、測量を行っております!」


「なんと! ただちに人をやり止めさせるのだ」


 老中首座の阿部正弘は頭が痛い。


 幕府の財政の立て直しはもとより、国論の統一と来航する外国船をはじめ、外圧に対処しなければならなかったからだ。






 ■閏四月十日(1849/5/31)


「申し上げます! 浦賀代官に支度をさせ退去を命じましたが、いっこうに退く気配がございませぬ」


「なんと……無礼な! ……されど情けなし。して、今はいかがしておるのだ?」


 正弘はめまいがしそうである。


「はい、浦賀から下田に移っては、同じように測量をしております」


「この江戸表で! あろうことか公方様のお膝元でかような事をいたすとは!」


 正弘はなんとかして退去させなければならないと思い、誰か適任者がいないかと考えた。


「……おおそうだ! 太郎左衛門! 太郎左衛門を呼べ! あの者にエゲレス船の立ち退きを命じさせるのだ」


 江川太郎左衛門英龍。幕末の歴史において知る人ぞ知る人物であるが、今世でも高島秋帆の同門である下曽根信淳と共に、海防掛として辣腕を振るっている。





 ■イギリス船マリナー号 艦上


 江川英龍は兵士40名と共に、大筒(携帯用の小型)や鉄砲を携行して小舟でマリナー号へ向かう。その装いは越後屋に繕わせた蜀江錦の野袴を身にまとい、黄金の大小を差したものであった。


 まずは見た目で相手に舐められないようにとの考えである。

 

 身の丈6尺(180cm)の英龍がその格好をすると、まさに威風堂々であった。随行した家臣もきらびやかな装束に身を包んで乗艦する。


「人民十五万を治める官司である」


 英龍はそう言い放った。声に張りがあり、自信に満ちあふれている。それを見たマリナー号艦長のハロランは、英龍をひとかどの人物だと思って対応をした。


 英龍は相手の行いを非難するのではなく、敬意を表し、日本の祖法を尊重して帰ってくれと告げたのだ。その毅然きぜんとした態度でありながらも、相手を敬う姿勢にふれて、ハロランはその後退去する事となる。





「ミスター英龍、一つ聞きたい事があるのだが、よいかな?」


 ハロランが会談も終わりに近づいた頃に聞いてきた。


「日本は清と明、そして朝鮮と琉球とのみ交易を行っている。これは私も知っているが、なぜ我らイギリスは交易を許されぬのだ?」


「それは……今ここで論ずる事ではないと存しますが、交易をするには互い信頼が大事かと存じます。イギリスを信用していない、という事ではございませぬ。アメリカもフランスも、ロシアもそうだが、信頼を築くのは簡単ではありません。ここ数年のお互いのいさかいを見れば、わが国民の外国人に対する思いは良いとは言えないのです」


 ……。


「なるほど、交易に際して互いの信頼関係が必要なのは、良くわかります。それは私も同じ考えです。しかし、少し困った事が起きているのです」


「? 何でしょうか」


 ハロランは続ける。それほど重大事というほどでもないようだが、かと言って取るに足らない事でもないようだ。


「ここ数年、オランダとの貿易の額、量が明らかに増えていますよね? ある程度制限を加えた貿易だったからこそ、わが国も黙認してきた部分もあるのですが、議会で問題となっているのです」


 日本とオランダの貿易自由化がイギリス議会で問題とは、いったい何だろうか。


「それは……貴国の問題であって、わが国とオランダとの貿易と、いかなる関わりがあるのですか?」


 ハロランは少し考えていたが、思いきって話し始めた。


「端から見ればそうかもしれません。しかし、ミスター英龍。貴殿はお茶を飲みますか?」


 いったい何を言い出すのかと思えば。英龍は拍子抜けしたように返事をした。


「人並みに、たしなむ程度は飲みますが……それがいったい何だというのですか?」


「実はわが国をはじめ、アメリカやフランス、欧米では茶を飲むことが流行しており、これまではほとんどを清から輸入しておりました」


「ふむ」


「それが……これは結果論なので、今さら言っても仕方ないのですが、清国の政情は不安定で、いつ革命が起きてもおかしくない状況です。そのような中、茶の生産も輸出も滞っておりまして、十分な量の茶が入ってこないのです」


 英龍はようやく話が飲み込めてきたようだ。


「それでわが国と貿易をして、茶を得たいと?」


「半分はそれが理由です。もう半分は……」


 ハロランは少し険しい顔をした。


「もう半分はオランダです」


「オランダ?」


「わが国は現在、オランダと戦争はしておりませんが、かつてはしておりました。ご存じの通り、古き時代には日本との貿易も邪魔をされ、正直なところ良好ではなく、可もなく不可もなくという状態なのです」


「なるほど」


「そのオランダが、希少な茶を清以外の国、日本から大量に輸入しはじめていると言うではありませんか。わが国は足りない茶を、オランダ商人から買い求めなければならない状態なのです。これはすなわち、オランダの利益であり、国力の増加につながっていくのです」


 茶の売買において、オランダの国力を左右するほどの利益は正直でていない。しかし、今後も同じような状態が続けば、絶対にないとは言い切れないのである。


 茶だけではない。生糸もそうである。


「なるほど。わが国からオランダに渡る茶が、貴国の利益を損ねている、すなわち比べてみれば、オランダの力を強めている、とこう言いたいのですな?」


 ハロランが言ったことを、十分に理解し、間違いがないかと確認するかのように答えた。


「その通りです。これは貴殿一人の問題ではなく……我らはこれより帰りますが、十分に上の方にお伝えください」


「かしこまりました」





 マリナー号はその後、トラブルを起こすことなく帰って行った。





 ■江戸城


「なんと! そのような事を言われたのか?」


 正弘は直に英龍を江戸城に呼び、状況を聞いた。


「はい。いずれにしても、異国は和蘭おらんだのみにあらず、和蘭もまた他の異国との関係があるのでしょう。和蘭との貿易を自由化したのは、あくまでわが国を異国から守るため。それが逆に刺激するとなると……」


 英龍の話を聞いて考え込む正弘であったが、いまさらどうにもできない。


「されど、和蘭にはすでに自由化の通達を正式に行い、技師の招聘しょうへいをも行って居る。長崎奉行を通じて公儀の貿易も増え、益もでておるというのに、いまさら反故にできようか」


「難し事と存じます。さような事をなされば和蘭の信を失い、異国の技を盗むなど、到底叶わなくなりまする」


「されば……この儀は、あくまでエゲレスと和蘭との事、日ノ本は一切関わりなしと貫くほかあるまい」


「然に候。誠に遺憾ではございますが、鎖国の祖法を守りつつ、異国から日ノ本を守るにはそうするしか術がございませぬ」


「……うむ」





 オランダとの貿易自由化が、思わぬ所から開国を早める事になるのであろうか……。





 次回 第114話 (仮)『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』


 








 -大村藩情報・開発経過-


 ■次郎

  ・海軍伝習所、陸軍調練所設立へ。

 

 ■精れん

  ・電信機の距離延長研究。(コイル・継電器・絶縁体)

  ・電力、発電、蓄電、アーク灯……水力発電。

  ・既存砲の更なる安定化とペクサン砲の開発。

  ・造船所(ハルデス他)建設地の造成。

  ・蒸気機関の性能向上と艦艇用の研究。

  ・ゴムの性質改善による品質向上研究と生成したゴムによるゴーグルの製作。

  ・ソルベイ法におけるアンモニアの取得方法について研究。

  ・写真機の研究開発。

  ・魚油の硬化、けん化の研究   

   

 ■五教館大学

  ・石油精製方法、焼き玉エンジンの研究開発。

  ・缶詰製造法の機械化。

 

 ■医学方

  ・下水道の設計と工事を行い、公衆衛生を向上させる。

 

 ■産物方

  ・石炭、油田の調査。

  ・松代藩に人を派遣し、採掘の準備に入る。(越後は価格交渉、相良油田はさらに調査)

  ・3万5千斤の仕入れ達成。残りは国内販売して、茶の増産と仕入れ先の全国的な確保。茶畑における改善はお里が既に実践済み。製茶工場と、全体的な機械化が課題。

  ・2,400石級の輸送船製造(1万6千923両)開始。

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