第102話 『次郎の苦悩と久重の苦労。ハルデスの不安』(1848/9/29)

 嘉永元年九月三日(1848/9/29) <次郎左衛門>


 結局のところ造船所は、規模を変えずに佐賀の三重津海軍所方式でやることとなった。費用はポルトランドセメントと石材の諸々の費用を引いて、8万2千115両885文で見積もられた。半分だ!


 あー、セメントやコンクリートの研究開発もしないとな。一応信之介いわく、時間をかければできるらしいけど……。いや、これは後回しだ。なんたってペリーまであと5年なんだ。


 工期は横須賀の1号ドックが約4年かかったのに対して、今回の見積もりでは2年で終わる計算だ! やっほー! よしよし、良い感じだぞ。これで造船所はなんとかなる。


 ……。


 ……。


 ……?


 いや、ちょっと待て。待て待て。これ、ドック(船きょ)だよな? ドックだけ、だよな? ドックができても工作機械は? クレーンやその他にも造船をするための工作機械一式は?


 それがなくてどうやって造船するんだ? 甘かった! 大甘だ! 箱だけあっても作る機械のなか(~がない)なら意味なかやっか(ないじゃねえか)!


 サスケハナやミシシッピやポーハタン号が、起工から進水まで3年だっていったって、そりゃあアメリカの工業技術力あってのもんだろう? それにそれを扱う技術者や作業員は?


 今日教えて明日からできるもんじゃねえぞ。


 なんもなかったら何年かかるか。明治維新までかかるかもしらんぞ。やばい! どうする! ?





「誰かある! ハルデス殿を呼べ! いや、俺がいこう!」


 俺は馬車を走らせ、川棚の工業地域に設置されたオランダ人居住区へ向かった。実は俺、馬には乗れたけど、本を読んだり考え事をするために馬車をつくっていたんだ。


 周りは珍しがっていたが、どう考えても時間の効率的な活用だ。助三郎と角兵衛には御者の勉強(?)をしてもらった。





「Meneer Jirou, hoe heeft u dit zo snel gedaan?」

(これはジロウ様、そんなに急いでどうなされたのですか?)


 ハルデスは地元の職人や技師とのやりとりを通して、約2年でドックが完成すると知り、それにあわせて人員の配置や教育をどうするかを考えていた。教育をしつつ久重の蒸気機関の開発を手伝うのだ。


 いや、手伝うというのは間違っているな。指導するといった方が正しい。久重も職人気質なところがあるから、そこは素直に教えを請うてもらいたいが、大丈夫だろうか。


「実はな、あれから色々と考えたんだが……」


 俺は今の自分の考えに至った経緯を説明した。通訳が俺の言葉を介し、ハルデスの言葉を介す。


「なるほど。それは賢明なご判断かと存じます。実は私もあの後考えたのですよ。YA(YES)と答えたものの、本当にできるのだろうか? と。私は雇われの身ですから、言われた事をやればいいと考えました。しかし、本当にそれでよいのか? とも」


 うん。ハルデスも職人気質なんだな! 信頼に応えようとしている。ありがたい話だ。


「それで、ハルデス殿はどうすれば、一番確実に五年で船が作れると思う?」


 俺は真剣な眼差しでハルデスを見る。ハルデスも真剣な顔で答えた。


「まず、ドックは今のままで良いでしょう。二年でできるとなれば、問題ありません。ただし、その後が問題です。材料があり、人があり、儀右衛門殿の蒸気機関が改良されていたとしても、問題です」


「……工作機械とそれを操る人材であるな?」


「はい」


 俺とハルデスの考えは同じのようだ。


「造船するとなれば、大小様々な工作機械に運搬機械が必要となります。それを一から教え、作り、それによってさらに大きな機械を作る。このような工程と教育をするならば、到底5年で船を作るなどできません」


 ハルデスは久重の工房にあった初歩的な旋盤や工作機械をみて、驚いていた。驚いていた、が、足りないのだ。


「やはり、そうか」


 いや、違います。こうすればいい、という画期的な考えの答えがハルデスからあるのを、少しは期待していたのかもしれない。しかし、そんなものあるはずがなかった。

 

 物を作るのに、必要な物は必要なのだ。


「ではまず、何がいかほど要るのだ。それにいかほどの金がかかる?」


 ハルデスは考えている。本当に正直に申し上げていいですか、と前置きをした後に言った。


「まず費用ですが、九万両、設置に四万五千両ほどかかるでしょう」 


 きゅ、九万両! ? さらに据え付けに四万五千両! ? ぷらーす! 技師を追加で雇わなくちゃならないって? やべえあり得ん! 横須賀1号ドックやっか(じゃねえか)!


 ちょっと待て。勘定方は何て言ってたかな? 今年度繰り越し見込み、いくらだ? ……14万。くう! ギリギリじゃねえか。できれば余裕を持たせたい。


 ああそうだ! 作事方と二人で言っていたな。工期を複数に分割して、必要な分だけ支払えば一度の負担は減るって! よし! よしよし! それでいこう。


「ハルデス殿! ではそれを発注して、二年後には届くか?」


「……」


「どうした?」


「……在庫があれば問題ありませんが、もし在庫がなく、本国についてから製造となるとさらに半年から1年かかります」


「!」


 ……。


 確かに、造船所で使う工作機械や蒸気機関なんて、そうそう頻繁に作るもんじゃない。日用品ではないから、オーダーメイドというか、必要に応じて発注しているのかもしれない。


「いかがなさいますか?」


「……いたしかたない。藩内の議論は俺がまとめるから、発注の手配をお願いできるか? 長崎の商館経由だろうから、すぐに手配できるよう力を尽くす」


 貿易の自由化にともない、大村・佐賀・福岡の3藩は長崎会所を介さずに、直接商館とやり取りが可能となったのだ。

 

 もちろん軍艦や大砲(幕府もできないが)が輸入できないのと、銅や樟脳しょうのう、刀剣などが禁輸品で輸出できないのは変わらない。でもそれ以外ならなんでも良いのだ!


 ああ! 生糸やお茶、それに石炭を売りまくろう!


「わかりました。ではそのようにいたします」


 ああそれから! 俺は話が終わって立ち去ろうとしたハルデスを呼び止めた。


「もし時間がかかって船に積み込めないなら、部品だけ作ってこちらで組み立てるのはできるか?」


「それは……やろうと思えば可能ですし、2年後に間に合う可能性も高まります。しかし……こちらで本国で作ったものと同性能のものが組み立てられるか、となると話は別です」


 ……どうするか? 賭けだな。しかし、藩の運命を左右する重要な事。できませんでした、じゃ済まされない。


「ハルデス殿、もし3,000トン級の船を造ろうと思えば、3年はかかるのだな?」


「その通りです」


「では、それよりも小さな2,000トンや1,500トンの船ならば、半年や1年くらいは工期が短くなるか?」


「それは、物理的な範囲で短くなるとは思います」


 俺は考えた。考えに考えた。もの凄く時間が経ったような気がした。


「よし、では完成品を注文するとしよう。それから、万が一の事も考えて、修理に必要な部品も何点か余分に発注する」


「わかりました」





 どうか、どうか上手くいってくれ。あまりに小さいとペリーを驚かす事はできないだろうが、何種類かの大きさの船の設計図を作り、到着の時期によって決めよう。


 まじでこれ、今までで一番の決断かもしれないな。



 


 ■蒸気機関製造方


「御家老様にはああいったものの、今まで以上に必死で昼夜を問わず研鑽けんさんすれば、おそらくは作れるだろう。来年には御家老様いわく、昨年発行された新しい蒸気機関の書物も届く。されど……それを幾種類、いくつ作らねばならぬのだろうか? 蒸気の釜そのものは作れても、それをもっと多く作る機械は? その動力を使った造船をする、様々な工作に使う機械を、わしは5年後、いや2年後までに作れるのだろうか……」





 次回 (仮)『宇田川興斎と上野俊之丞の試行錯誤と、質問攻めに辟易へきえきする精煉せいれんそう奉行』

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