第96話 『上野俊之丞と宇田川興斎の大村藩舎密探索紀行』(1848/2/29) 

 弘化五年一月二十五日(1848/2/29) <次郎左衛門>


 最初は大丈夫大丈夫! だと思っていた招聘人材。


 緒方洪庵に本を貸し出して村田蔵六に佐久間象山と、だんだんビッグネームが大村にきていることに、怖さを感じながら……頭の中でいくつものIFを考え、紙に書き出している。


 ……これがルーティンになりつつあった。



 


 ■科学研究棟内 化学実験室


「これはですな……惣奉行様(山中信之介)が以前行ってこられて、いつだったか『わかった!』と仰せになって止めてしまわれた様々なものなのです」


 村田蔵六は上野俊之丞と宇田川興斎を案内しながら話す。


「あ! これ彦馬! 勝手に触ってはならん!」


 俊之丞は好奇心旺盛で室内をぐるぐる見回っている彦馬に注意する。


「ははははは。元気な息子さんですね。勉学はいかがなさるおつもりですか? 大村藩には五教館という藩校と、御家老様がお作りになった開明塾があります。どちらも日ノ本でも有数の学び舎とみんな口々に言ってますが、開明塾の方がどちらかというと開放的でしょうか。武家ではない町人であれば、開明塾の方がいいかもしれません」


 蔵六の提案ににこやかに笑う俊之丞である。ちなみに蔵六をはじめ二宮敬作や石井宗謙など、招聘した人達はすべて、大学生待遇(大学がないので、五教館あるいは開明塾を卒業程度の学力とみなしている)だ。


 そのため敬作や宗謙は医学部相当の一之進の医学方で働いて(学んで)いる。蔵六はわかりやすく言えば、学部が決まっていない、専攻が決まっていない? 学生のようなものである。


 しかし次郎を含めた四人は、大学の必要性を強く感じていた。


 どうしても教えながら研究するのは時間がかかるのだ。すでに(1848年時点で)開発されているものは、書物を読めばいいが、それ以降は自らの知識と経験で作り上げるしかないのだから。


「蔵六殿、これは……これはいったい何なんでしょうか? 木箱が二つあって銅線でつながっている。見たところかなりの長さあるようだが、それにこの瓶は? いくつもある。それとは別に、何やら小さな……なんでしょうか?」


 今度は宇田川興斎だ。


「それは……何と言いますか、私もはっきりとは存じ上げないのですが、電信というもののようです。何でも遠く離れた所との文のやりとりを、この瞬く間に行ってしまうもののようです」


「なんと……エレキの事はこの私、少なくともこの日ノ本では先達と思うていましたが、これは何とも奇妙奇天烈な。このようなもの、誠に動くのでしょうか」


 蔵六は苦笑いをしながら言う。


「はい。先生いわく原理のとおり問題なく動く、と。されど電力と仰せでしたかな、電圧と仰せでしたかな。長い時間そのままの様を保つ事ができぬようで、また他にも様々な研究をなさっておいでなので、別のところに関心が移ったのでしょう。気になるなら聞いてみたらよろしいですよ」


 蔵六は説明しながら、天才と呼ばれる者の考える事はわからない、とでも言いたげである。同時に、次郎の無理難題をこなしている信之介のすごさに改めて感服しているのだ。


 しかし興斎は思う。


 新参者の自分が藩の精煉方惣奉行である信之介に、そう簡単に会えるのだろうか? しかも質問など。弟子でもないのに。


「ああ、問題ござらぬよ。惣奉行様は、その手の質問は好かれるようですからな」


 興斎の心を見透かしたかのように、笑いながら蔵六は答えた。





 ■蒸気機関製造方


 この部署は田中久重が管轄している。蒸気機関の研究開発を行っているのだが、すでに和訳された手引き書である『応用機械学の基礎』があるので、まずは模型の製造を試みているのだ。


 実際の大きさよりかなり小さい。しかしそれでも、蒸気を動力として物を動かしたり、回転運動や往復運動に変換するしくみとあわせ、まずはこれができなければ話にならない。


「さて、問題なのはこの『シリンダ』や『ピストン』なるものの材質であるな……これには鉄製と書かれてあるが……」


 ピストンやシリンダなどの金属製品は、材料を溶かして『湯』となったものを『型』と呼ばれる形状をした空間に注ぎ、冷やして固めた後に型を取り外し、粗製品を作る。


 この粗製品を最終的な寸法や形状に仕上げるためには、二つの工程が必要だ。


 まず初めに鋳造工程では粗形材を形成し、次の機械加工工程で製品を完成させる。この基本的な方法は、現代の内燃機関のシリンダを製造する際にも用いられているものだ。


 18世紀半ばには、大気圧機関のシリンダ用の材料として黄銅と鋳鉄が使用されていた。黄銅は薄く加工できるものの高価であり、鋳鉄はそれほど薄くはできないが、その低コストが魅力であった。


 シリンダは薄く仕上げられるほど熱のロスが少なくなり、効率が良くなるのだが、鋳鉄製のシリンダもコストの面で有利である。





「……まあ、よいか。銭の事は気にするなと信之介殿は仰せであったし、御家老様もそう言うであろう(多分)」





 ■信之介研究室(電気)


「いや、ちょっと待て。今のところ、ガス灯は実用化してるよな? 武家屋敷と調練場、そしてこの工場地域。コストは別として。んで、アーク灯つくっても、結局白熱電球になるやん。そんでかーなり後だけど蛍光灯になってLEDになる。いやいや蛍光灯も放電灯と言えば放電灯か。……そんな事はどうでもいい」


 何かを、考えているようだ。


「じゃあアーク灯じゃなくて最初っから電球でよくね? 確か……京都の竹をフィラメントで作ったんだっけ」

 

 信之介はLEDは無理でも、しばらくはガス灯を使って、いきなり電球の方がトータルコストは安く上がるのではないか? と考えたのだ。


 電球が実用化されるのは31年後の1879年だが、その素地はできている。


「ああもう! 面倒臭い! 面倒臭さをなくそうと思って考え出した事が、よけいに面倒臭くなってるじゃねえか! まあいい。コストや歴史の順番なんかはもう考えるの止めよう。俺の仕事じゃねえわ。最近人が増えてるけど全然足りん。卒業生に手伝って貰っているからマシになったけどな」


 実際、五教館と開明塾の高等部を卒業した生徒は、ほとんどが信之介の精錬方か医学方、産物方(殖産方ではない)に配属(就職)されている。


 現時点では招聘した人材よりも優秀もしくは同等である。





 『Nouvelle force maritime et artillerie.Henri-Joseph Paixhans.』

(新しい海上戦力と大砲 アンリ-ジョセフ・ペクサン)


 『Experiences faites sur une arme nouvelle.』

(フランス海軍の実施した新型兵器についての実験)


 『A treatise on naval gunnery by Sir Howard Douglas.』

(艦砲に関する論文)





「これは火術方と大砲鋳造方に丸投げだな。原書だが問題ないだろう。奴らオランダ語は俺よりできるからな。儀右衛門さんは蒸気機関だし、うん、そうしよう。まあ、アーク灯は仕方ねえか。街灯も言ってみれば放電灯でアーク灯の親戚みたいなもんだからな。とりあえず屋内照明はあとから考えよう」


 翌月、信之介はダニエル電池を電源とするアーク灯の点灯実験を行って成功した。しかし、長時間の電力供給問題や、電極間隔の改善などの必要性で、実用までは改善が必要のようだ。


 しかし必要とは言っても、2024年の化学・科学知識を持つ信之介にとって、原理は簡単である。先人が残した開発の歴史をなぞればいいだけなのだ。


 前世でも信之介は、世界の科学界を担うホープであった。しかしここではまるで神かの様である。


 ……あがめ奉られるのは、信之介は嫌いではなかった。





 次回 第97話 (仮)『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』

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