第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9)

 遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城


 二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。


 史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘を実施する。1年早い実施となった。


「殿、本当によろしいのでしょうか?」


「無論だ。我らがやらずして、いったい誰が広めるのだ」


 佐賀藩主鍋島直正は、藩医の楢林宗建の息子に種痘を施した事もあって、実子である直広(当時4歳の淳一郎)にも受けさせ、藩内の天然痘の撲滅に寄与したのだ。


「玄朴よ、昨年命じた翻訳はどうだ?」


「は。つつがなく進んでおりますが、今はおおよそ三分の一ほどにございます。来年の末までには全て訳し終わるかと存じます」


「うむ。頼んだぞ」


 翻訳が終わってすぐ、佐賀藩の試行錯誤が始まるのであった。





 ■十一月二日(1847/12/9)


 実はお里は養蚕にも手を加えていた。手っ取り早く(?)金になる石けんとは違って、椎茸しいたけの種駒と同じように、何年も前から研究していたのだ。


 もともと大村藩には実際に養蚕方という役職があったのだが、今回の一連の藩政改革のなかで、産物方に組み込まれた。

 

 明治になって廃止される役職に、息を吹き込んだのである。


 おそらくは明治にはなるんだろうが、それが西暦何年なのかはわからない。孝明天皇も天然痘でなくなったというのが通説だが、毒殺説というのもあって賛否両論なのだ。


 毒殺はわからないが、天然痘ならもしかすると……助かるかもしれない。



 


 話がとんだが、養蚕に限らず、農業に関して言えば、温度管理というのは重要なファクターである。


 お里は現代の知識と幕末で可能な技術の接点をみつけるために、当時の養蚕の技術書を探したが、林宗賢の『養蚕秘伝集』や上垣守国の『養蚕秘録』などの指導書が全国に出回っていた。


「うーん。これなら何とかなりそう」


 当時の養蚕は清涼育(自然任せ)とよばれる方法が一般的で、寒くなると人手はかかるし繭の質も下がっていた。

 

 一方で、蚕室を暖める温暖育が飼育期間を短くさせるとともに、繭質を安定させることが経験上知られていたのだ。


「温度計はあるし、手引き書の通りにすればなんとかなるかな?」


 温度管理が上手くいかなかったり、桑の葉の生育が良くなかったりで生産量にばらつきはあったが、なんとか少しずつ桑畑の作付面積を広げ、現時点での一覧は次の通り。


 ・大村村……16町9反

 ・村松村……35町

 ・福重村……10町5反6畝

 ・松原村……1町6反

 ・鈴田村……8町3反

 ・三浦村……15町9反8畝1歩


 合計……88町34畝1歩(約87.6ha)


 1,006kgの生糸がざっくりでとれる計算。約268,266匁で、生糸107匁を1両換算として、設備投資や人件費を引いて1,003両となる。


「まあ、いくらになるかはわかんないけど、その辺は次郎君に任せておけばいっかな」 


 いずれにしても今は冬なので養蚕はできない。来年の春からとなるのだが、明治以降に使われていた養蚕に必要な器具を製作しているのだ。


「だいたい、最初の石けんが大きすぎたんだよね。だから他のがかすんじゃうんだよ」


 ちょっと愚痴っぽくなっているお里に、うんうん、そーだよねーと、おイネが相づちをうつ。おイネは医学でお里は産物方。

 

 お互いに忙しいのだが、女子トーク(?)も忘れない。


 茶畑の作付面積の増加も進行中だ。


 最終的には400町歩(約400ha……現在の東彼杵地区の茶畑面積)を目指す。


 ……3,500kg×400=1,400トン。嘉永五年で一番安いお茶のレートで1斤11匁。600gで銀11匁だ。これはかなりの収益が見込める。


 しかし大浦屋のお慶が、1万斤を九州一円まわってかき集めたという話があるので、この量は異常だ。いずれにしても、お里は順次作付面積を広げるのであった。





 ■次郎邸


「ああ~静~久しぶりだね~やっと帰れたよ~。ああ、お里~膝枕して~」


 朝だと言うのに寝室からはごにゅごにょと寝言が聞こえる。台所からはとんとんとんとんと、包丁の音が聞こえ、ぐつぐつと鍋の煮える音が聞こえる。


 煙があがっている。朝食の準備をしているようだ。


「おはようございます、信さま。あ! 旦那様はまだお休みになってます!」


 どんどんどんどん、と廊下を音を立てて信之介は歩いて行く。びしゃん! と障子をあけて寝室に入ると、足元に転がっていた枕を投げつけた。


 まだ、おきない。


 ふたたび枕を持って部屋の隅に行き、投げる。


 顔に命中した。


「あ痛ぁ! だいや(誰だ)! くそがあ!」


「おいさ(俺だよ)!」


「何や、信之介か! 朝っぱらから何ばしよっとや! いくらわい(お前)でも許さんぞ!」


「別に許さんでよか! 許さんでよかけん(いいから)、おいばなんとかせろさ(俺を何とかしろよ)!」


 ……。


「わいわ(お前は)月に十日しか働いとらんやろがっ!」


「はあ! ? 何ば言いよっとや! わい(お前)は知らんやろうけど、家老っちゅうとは、いろいろと仕事のあるっつぉ(あるんだよ)!」


「のぼすんなって(ふざけんなよ)! なあおい! おいの顔ば見ろさ! くまの(クマが)見ゆっやろが! 寝とらんっつぉ(寝てねえんだぞ)!」


「ああ……ごめん。そいは……ごめん。どがんかせんば(どうにかしないと)いかんって思うとるとやけど、なかなか……ねえ」


 次郎の勢いがまったくなくなった。借りてきた猫みたいだ。


「とにかく人の足りんけん。お前さ、歴ヲタなんやから、この時代の技術者知っとるやろ? 化学者じゃのうしても(なくても)よかけん、何人か連れてこいさ。頼むけん(頼むから~してくれの意)。頼むぞ、さすがの天才のおいでも、このままやったら過労死すっけんな(するからな)」


「わかった……」





 ■その後 <次郎左衛門>


 さて、どうするか。ええっと、いやあ、書き出せば何人も居るんだけど、来てくれるかどうかは正直わからん。それよりも……。


 誰を使者にするかだよね。礼儀礼節がしっかりしていて、ある程度のユーモアもわかる。


 うーん。あいつしかいないかなあ……。





 次回 第90話 (仮)『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』

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