第70話 『石油は越後か? そして激動の時代へ』(1845/9/15)

 弘化二年八月十四日(1845/9/15) <次郎左衛門>


 先月、老中の阿部正弘が海防掛を設置した。


 設置して外交と海防問題にあたらせようとしてるんだろうけど、結局根本が変わらんと何も変わらんのよね。


 さて、他藩との交易の事で信之介から相談があった。


 石油だ。


 石油を採掘して販売している藩はないか? という事だ。なんでも発注元(?)は一之進らしく、コカインをつくるのに石油がいるらしい。


 うーん……。お里いわく新潟や秋田、それから静岡らしいが……。


「申し上げます」


「なんじゃ?」


「先日お申し付けいただきました『草生水くそうず』なるもの、越後国高田藩(上越市)にて売り物になっているようにございます」


「誠か! あいわかった!」


 ……とは言うものの……。


 遠いなあ。


 石油買って輸送費払って、例えばコカイン1kg作るのに(薬の適量がわからん)、石油どんだけいるんだろうか? 安くても輸送費がかかりすぎなら、ちょっと厳しいなあ。


 石油……あ! アスファルト! それから天然ガス? そういえば石炭でなんか今、石炭窯からアンモニアがどうとか硫黄がどうとかってやってるな。





「信之介!」


「なんだ?」


「石油、いるんやろ?」


「ああ、発注元は一之進」


「あ、うん。で、石油で何ができる?」


「うーん、まあ、天然ガスに灯油に軽油、それからナフサにタールにアスファルトに……」


「わかった! つくれる?」


「いや、まあ……。時間さえくれれば」


「THANKS!」


「なんだあいつ。台風みたいなやつだな」





 よし。とりあえず灯油だな。菜種油(照明用)の代わりに使えば儲かるか? とりあえず諸経費ペイできて、儲けがでるならオッケーかな。


 それにしても、埋蔵量と産出量ってどうなんだろうか? それに値段は?


 ……調べたら、米1升が138文。これとほぼ同じ値段のようだ。菜種は……1石で銀355匁……1升で3.55匁。……570文。


 良し、決定! 越後の石油、全買い。





 ■精煉せいれん


「ああ、忙しい忙しい」


 精煉方の職員すべてが忙しく走り回っている。


 精煉方は火術方、大砲鋳造方、そして理化学・工学研究所と、大村藩の技術の粋を集めたエリート集団であり、次郎から発生するとんでもアイデアを金の元にする部署でもある。


 ・高炉、反射炉による大砲の鋳造

 

 ・新型ペクサン砲の研究開発

 

 ・ミニエー弾の製造とゲベール銃のライフリング、ならびにドライゼ銃の開発製造

 

 ・石炭乾留からのソルベー法の実現

 

 ・ジエチルエーテルによる冷凍・冷蔵設備研究開発

 

 ・ガラス製造の研究開発

 

 ・石炭ガス(新規)によるガス灯利用研究開発

 

 ・石油精製(新規)による照明油の精製ならびに副産物の商工業利用研究


 ・コカの葉からコカイン生成(一之進協力) 


 ・蒸気機関、蒸気船、蒸気機関車の他、蒸気動力の工業利用


 ・電気、発電、蓄電、電信電話の研究


 ・エトセトラ……


 数え上げれば切りがない。





「うーん。これ、嘘ついたか?」


「先生、いかがなさいましたか?」


「いや、何でもない」


 信之介はジエチルエーテルを使った冷蔵庫の製作過程で、大量に必要だから大量の硝石がいる、と次郎に説明していた。


 それは大量のエーテルの気化熱で水を凍らせて氷を作らなければ、物を冷やす事はできない、という意味である。気化したエーテルがなくなれば、気温はすぐに上がってしまう。


 しかし、気化したエーテルを循環させるなら、話は別である。


 まさに、これが冷蔵庫の原理なのだ。


 エーテルを気化させるための減圧ポンプ、そして循環させて常圧部と減圧部をつなぐ荷重弁の作製、一式の設計図はできているが、細部の開発がまだだ。


 嘘は……うん、ついていない。


 そう自分に言い聞かせる信之介であった。


 やる事いっぱいあるんだよ、と。





 ■杭出津くいでつ 大村藩処刑場付き腑分ふわけ場


「こう……体にそってまっすぐ切開する。腹部縦切開と呼ぶ」


 一之進は長与俊達、二宮敬作、石井宗謙、そしておイネを周りに囲わせて解剖を行っている。

 

 この時代、解剖は一般的に許されたものではなく、罪人で、しかも執刀や立ち会いは許可を得た者しか許されなかった。


 藩の医学方の頭取と副頭取、そして他藩でも高名な医師と弟子である。許可は問題なかった。今回だけでなく、定期的に解剖の許可を得る事ができ、回数も増えたのだ。


 今後医学方に入ってくる医者や、将来的にできるであろう医大の解剖実習の素地をつくろうとの試みだ。もちろん、現役医師であっても、実践じっせんを重んじている事は間違いない。


「ただし、実際のオペ……手術の際に、生身の人間でこの苦痛に耐えられる者はいない」


 全員が想像した痛みに顔をゆがませる。


「そのためには、麻酔が必要になる。この日本にも、麻酔はあるが……」


「華岡青洲先生の、通仙散ですな」


 俊達が答えた。


「さよう、青洲先生の教えである『内外合一 活物窮理』。らん方と漢方の融合、まさに私も共感するところである。が、通仙散は秘伝であるし、配合や処方を間違えれば死に至る。ゆえにエーテルを用いるのだ」


 実際に医学方へは、できあがったジエチルエーテルが研究所から届けられている。


「しかしそのエーテルも、体に負担がないとは言いがたい。引火性・爆発性があり、流涎りゅうえん、気管分泌液の増加や喉頭痙攣まひの原因となるおそれもある。したがってこれも将来的に変更しなくてはならないが、それよりも全身にかけなくても良い麻酔が必要だ」


 一之進はおイネを見た。


「まだ実践はないが、産科の手術に帝王切開というのがある。妊婦の腹部を切開するものだが、全身麻酔では母子ともに危険であるし、かといって麻酔なしで耐えられる手術ではない。そこで局所麻酔だ」


 一之進は、そこでコカの葉から抽出されるコカインの麻酔作用について話し、話し終えると解剖を再開した。


 全員が、一之進の一挙手一投足、一言一句を聞き逃すまいと真剣である。





 ■大砲鋳造方


 7回目の操業で完成した核鋳造砲の試射が行われた。これで3回目の試射である。


 口径や長さは2回目の試射と同様であり、砲弾の重量も2回目の試射と同じであった。火薬は3.75kgを使用し、押え板1枚を装填そうてんしたところで砲身が破裂した。


 破損面の検査をすると、6回目の操業で鋳造された砲よりも、多少は性能が向上していたことがわかった。


 



 来年、仁孝天皇が崩御して、孝明天皇が即位する。例の、あの幕末に有名なお方だ。激動の時代の幕があける。


 次回 第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』

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