第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

 天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島くしま城下


「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」


「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」


「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言ってもそれがしのえん罪を晴らしていただいた。では……そうですな、呼び方は御家老様として、心持ちは以前のままで」


「そうなさってください」


 次郎と高島秋帆・高野長英の三人は、久原の演習場で開催された昭三郎麾下きかの部隊の調練をみて感嘆する。


「この長英、齢四十を過ぎて、人とはいかにあるべきかを知りました。一度しか会っておらぬそれがしに対する行い、感謝の至りにございます」


 長英は、自分がなぜ恩赦で釈放されたのか、まったく理解ができなかった。


 親類縁者や知己もいない貧乏な生活ではなかった。かといって幕閣に賄賂を贈り、みずからの大罪(国家騒乱罪)を恩赦にさせるような伝手も金もない。


 偶然を装って仕官の誘いをしてきた次郎に、驚きはしたものの、まさか裏で手を引いていたとは思いも寄らなかったのだ。


 しかし、次郎本人は語らずとも、周りの人間からそういった情報は少しずつ漏れていくものである。

 

 大村藩につく頃には、次郎がいかにして自分の赦免活動を行ったか、理解できたのだ。


「長英どの、そう畏まらないください。それがしも、鳥居殿のやりようには我慢がならなかったのです。御二方ともこのご時世、日本になくてはならない人材ですので」


 次郎は高島秋帆を火術方として加え、昭三郎の上役とした。

 

 管打ち式のゲベール銃には驚いた様だが、調練自体は変わらない。これから二人で切磋琢磨せっさたくましてほしいと願ったのだ。


 高野長英はらん学者・医学者として一之進の下で医学を学びながら、信之介より化学を学び、また五教館と開明塾において蘭学教授となった。





 ■精煉せいれん


「こちらが精煉方にござる」


 次郎は大阪より招聘した田中久重と高野長英に、新設された精煉方の建物を紹介した。看板の下には『理化学・工学研究所』とも書かれている。


 史実の佐賀藩における精煉方は、当初は反射炉の建造を含めた大砲鋳造を主に担っていたが、その範囲は洋書の翻訳・薬剤や煙硝・雷粉の試験、蒸気機関や電信の研究など広範囲にわたっていた。


 この信之介の精煉方も同じである。まず総括として信之介がおり、技術部門(工学)に田中久重、理化学部門に隼人と廉之助、高野長英は全体を学び研究するという編制である。


 大砲の鋳造に関しては、高炉で銑鉄をつくり、反射炉で再溶解するという手順はできあがっている。あとは順次砂鉄を手配して、領内の鉄鉱石の産出量をみながら生産していくだけだ。


 価格で考えても、銅より鉄が安価である。


 天保十三年の一月に一号炉が完成して鋳造を行い、何度も試験運転を行い、ようやく投入した鉄と同量の溶解ができて、実鋳(実際の大砲の形に鋳造する)の段階まできていた。


 できあがった砲身をくりぬいて最終的に形を整え、最後に試射となる。


「これはなんと、素晴らしいとしか言いようがありませぬ」


 久重と長英は、精煉方の建物(研修室)から川棚へと移動し、厳重な身体検査の後に工場敷地へ入った。


 高炉と反射炉から立ち上る煙を見上げ、下に目をやっては赤々と焼けてドロドロになった鉄が流れ出てくるのを見てつぶやく。


「山中信之介にございます」


「太田和隼人にございます」


「松林廉之助にございます」


 信之介と弟子二人が挨拶をする。順に23歳、20歳、6歳である。


「「御家老様、この子供は……」」


 久重と長英が口をそろえて聞く。


「ああ、藩医の松林あん哲先生の嫡男で、本人の希望もあるが、許しをえて信之介の弟子にしています。おかげで責任重大です」


 次郎は明るく笑う(苦笑い)。


「開明塾に入れておりますが、漢学やその他、長英殿、よろしくお頼みいたす」


「は。非才なれど全力をつくします」


 長英がニコリと笑って廉之助を見ると、廉之助も理解したのかペコリと頭を下げた。


 後日、長英は開明塾の教授として教鞭きょうべんをふるうのだが、その長英が廉之助の非凡な才能に気付くのに、そう時間はかからなかった。





 ■医学方 <次郎左衛門>


「二宮敬作にございます」


「石井宗謙にございます」


 伊予と備前から呼び寄せた二人が挨拶をする。


「医学方頭取の、長与俊達にございます。そしてこちらが……」


「いや、俊達先生、このお二人は良いのです。一之進がお連れした、ああ……殿のお許しをえて招聘した医師二人になりますので」


 俺は慌てて補足した。


「さようでございましたか。医学方に新しく医師が入ると聞き、師匠の一番弟子である私がまず師匠を紹介せねばと、早合点しておりました。もうしわけございませぬ」


 ん? 師匠? どゆこと?


「一之進、師匠って?」


「いや……ナントナク。いつの間にか師匠になってた。俺が伊予に行く間にペニシリン以外全部触っていいよって(蔵書読んでいいよ)言ったら、さらに輪をかけて」


 いつのまにか師匠になるって、そんな事あんのか? あんだけ毛嫌いしてたのに。

 

 殿の『のど切開手術』の後、あまりの手技に驚きつつも、一之進の知識や技術、存在すら否定していたのだ。


 学者というか医師というか、そういう人種の人は、ある意味変わっている人が多いのかもしれない。


 極端に言えば昨日の敵でさえ、自分より優れた知識や技術を持っているとわかると、素直に師事できるんだな、とも思う。


「失礼、先生の一番弟子は私、この二宮敬作にございます。先生は弟子をとらないと仰っておいででした。にもかかわらず、弟子がいるのはおかしな話」


 ? なんじゃこりゃ。俊達先生と敬作先生が早くもバチバチしている……うーん。まあ、良い方向に向かえば良いけどさ。


「まあまあお二人とも、三人が三人とも、先生の教えを受けると考えれば良いではありませぬか。誰が一番で二番などと、今は重要ではありませぬ」


 ! 石井宗謙! 先生……。ていうか、産婦人科だから仕方ないよね。史実が事実ならとんでもないけど、魔が差した、という事なのだろうか。


「お、おイネと申します」


「ん? お師匠、いや、御家老様。女子がここにいるというのは、いかがしたのですかな?」


 言うだろうと思っていた人が、やっぱり言った。


「先生、おイネちゃんはあの、シーボルト先生の娘なんですよ」


「なんと!」


 俺がそう説明すると、俊達先生も、不思議と納得したようだ。日本初の女医がシーボルトの娘。なにか運命的なものを感じたのかもしれない。

 

「さよう。この日本に産婆は多くおりますが、女医がおらぬ。これもおかしな話にござる。女性の体は女性が一番よく知っているでしょうし、みだりに体を男に触れさせるなど、それこそあまりよろしくないこと」


 お里の事もあったが、やはり歴史を知る身としては、医師免許をとってほしいのだ。


 あれ? いつの間にか、一之進とおイネちゃん、隠れて後ろ手に手をつないでいる。


 ……なーんだ。そういう事か。頼むぞ、一之進。





 江戸では徳川斉昭の蟄居ちっきょが許され、自由の身になったものの、藩政に関わる事は許されていなかった。


 次回 第64話『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』

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