第59話 『脚気の治療と可愛いハーフのお医者さん(のタマゴ)』(1844/1/31)

 天保十四年十二月十二日(1844/1/31) 伊予国宇和郡佐田浦 <尾上一之進>


「まったく、長崎で無駄な時間を食っちまったな」


 俺は次郎に言われて長崎から豊後へ向かい、船に乗って伊予にたどり着いた。


 なんでかって?


『楠本イネ』っていう未来の女医さんを探して連れてきてくれって言う、あいつの頼みを聞いてはるばるやってきたんだ。


 遠い! だいたい長崎にいるって話じゃなかったのか?


 いないならいないで、最初から伊予にいるって言えよな!


 そういえばみんな、最初は知ってそうな素振りだったけど、シーボルトの名前を出したら急に黙り込んでいたな。

 

 なんでだ? それで行方がわからず、ここまで来たんだ。


 ああ! 俺だって暇じゃないんだぞ! 





 ■数日後 磯崎浦


「二宮先生かい? あー、確かにこの村の生まれだよ。長崎で学んで、十二、三年前だったか、十年くらいまえだったかに戻ってきてたな」


 何? いないのか?


 一週間かけてきたのに、無駄足か?


「来てたって、今はいないのかい?」


「今は卯之町で町医者の先生やっとるよ。卯之町にいきゃあ、誰でも知っとる」


 人の良さそうなおばあちゃんだ。とにかくその『卯之町』とやらに行ってみよう。





 ■さらに数日後 卯之町


「御免候! 御免候!」


 俺は卯之町について二宮敬作という名前を出して片っ端から調べた。

 

 片っ端、というか、おばあちゃんが言っていたように、名前を出すとすぐに教えてくれて見つかったのだ。


 ……のだが、なんじゃこりゃあ。


 呼んでも出てこないはずだ。

 

 なんだこれ、相当繁盛してるじゃないか。ただ、患者の身なりはまちまちだな。綺麗な身なりの武家もいれば、痩せ細った農民もいる。


 治療器具や薬も十分じゃないだろうに、ヒポクラテスの誓いを地でいってるのか?





「先生、最近だるくて、すぐ疲れんだよ。頭も痛いし、立ちくらみをするんだ。それから……」


「うーん、お妙さん。また始まったねえ。好き嫌いなくちゃんと食べないと。特に血虚の場合は大事だ」


 これはもしや貧血? ……へえ、貧血を問診だけで見抜くか?





「先生、だるくて力が入らないんだよ。ときどき手足もしびれるし、飯を食っても治らねえ。いったいどうしちまったんだ、俺の体は」


「あんた、見ない顔だね? 他所からきたのか?」


 今度は男だ。地元の人間じゃないようだ。


「昨日、江戸から戻ってきたのさ」


 なんだ、出戻りか。


「江戸? (……そうすると、症状からすると……江戸患いか? だとすれば治すのは難儀だな)ちょっと触らせてくれ。(ああ、やっぱりか)」


 ? なんだ、どうしたんだ? 二宮敬作さんよ。膝蓋腱しつがいけん反射がないなら、どう見ても脚気じゃないか。何を悩んで考え込んでいるんだ?


「脚気だな」


 やべ、口に出た。


「何? お主はなんだ? 患者ではないのか。医者でもない者が口を出すでない。帰れ」


「はあ! ? 何言ってるんだ! 脚気も見抜けねえやぶ医者が! 俺は医者だ!」


 やっちまった! と思ったが、医者じゃないとまで言われたら、引っ込みがつかない。


「何を! やぶ医者とは聞き捨てならん! 私は長崎にて和蘭の(ドイツの)シーボルト先生から教えを受けたのだ! 私が日ノ本一とは言わぬが、どこの馬の骨ともわからぬやつに、やぶ医者呼ばわりされるいわれはない!」


 ……はあ。ため息がでた。


「じゃあその、大先生よ、この病気をどう治すんだ?」


「……」


「わかんねえなら、医者なんて辞めちまえよ! どう見ても脚気じゃねえか。脚気はビタミン欠乏症の一つで、ビタミンB1の不足が原因だ。食いもん変えれば勝手に治る。そうだな、豚肉がわかりやすいけど……大豆や豆類、玄米や大根の味噌みそ漬けなんかだな。これ食ってるだけで治るぞ」


 やっちまった! ……どうしようか。





 ■一ヶ月後 旅籠


 さーて、どうしようかな。路銀は多めに貰ったから、まだ十分に足りるが……。


 いっその事、会って話してみたけど、わからずやでダメだった事にするか? 


 いや、それともそのおイネって子が嫌がって長崎に帰りたがらなかった……事にするか。


 うーん、どうしても無理っぽいな。もうちょいしてから、謝りに行こうか……うーむ。


「旦那、旦那」


 宿の主人が呼んでいる。


「何だい? ご主人」


「旦那のこと呼んでますよ、二宮先生です」


 ええ! どうした? ?


「これは……二宮先生。その、先日は私も言い過ぎました。申し訳ありませぬ。それで、その……こたびは何用で?」


 俺は気まずいながらも、ちゃんと謝った。言葉のアヤとはいえ、言い過ぎた事は確かだ。


「とんでもありません。私のほうこそ、無礼をいたしました。先生のご慧眼けいがん、誠に恐れ入ります。長崎にて学んだ私が、医学において劣るなどないと思っておりました。されどあの患者……先生の言うとおりの食事にしたところ、先日、治った治ったと診療所に来たのです」


 まあ、治るだろうね。これが、怪我の光明?


「この旅籠にお泊まりになっていると聞き、ぜひ拙宅にてお話をお聞かせ願いたいと、考えた所存にございます」


 なんだかトントン拍子だぞ。よし、行ってみるか。




「先生、お帰りなさいませ」


「おお、イネ。今帰ったよ」


 イネ? この子が? うわあ、めちゃくちゃカワイイやん! ハーフだ! (当たり前)





 ■玖島くしま城下 <次郎>


 さて、さてさてさて……。


 とりあえずは、一之進がイネちゃん連れて帰ってくるだろ? 

 

 これで一応女医さんの道は開けた、と。この時代は医学校はないし医師免許もない。ましてや女医なんているわけない。


 だから、開明塾(小学バージョン・中学・高校バージョン)から発展させて大学も作りたい。それを言うと海軍兵学校や陸軍士官学校もつくりたいな。


 ああ、話がとんだ。


 技術面では大坂にいる儀右衛門さんを招聘しょうへいしようと、殿に願いを出して受理された。殿は藩校である五教館に、豊後日田の広瀬淡窓を招いたり、大坂の儒学者の朝川善庵を招聘している。


 教育が藩の礎となることを分かっているのだ。


 さて、他にも前に考えていた人は……。宇田川榕庵なんかは信之介と気が合いそうだけど、津山藩医だから無理。箕作阮甫も津山藩士。筒井信藤も長州藩医……。


 だめだ。


 秋帆先生に、象山(生意気だから呼び捨て)に長英さん。それから英龍さんは、どうかな?


 ああ、その前に適塾留学生を決めないと。13~15歳くらいがいいか。それは殿と相談しよう。五教館の教授ともね。昭三郎とも。


 ええっと、秋帆先生。あーでも先生は大好きだけど、昭三郎とかぶるなあ。どうしたもんか。今の段階だったら、まだ先生の方がギリ立場は上で招けるかな。


 昭三郎はちゃんと礼儀をわきまえて、年長者や師匠を敬うことができる奴だから大丈夫かな。よし、先生を呼ぼう。


 英龍さんも……あと門人の下曽根信敦も幕臣かあ。ちょっと無理かな。かぶるし。


 長英さんはどうだろう? 恩義は感じてくれているかな? というかネゴシエイトやロビー活動に俺が関わっている事は知らねえか。


 まあ、陸奥の家督を捨てた時に他家には仕えないという約束をしたらしいけど、俺個人に協力するという名目ならなんとかならんかな? 確認してみよう。


 後は……。安積艮斎! 

 

 そうだ! 偉人の師匠の師匠をたどればいいんだ! ……ダメだ。今は二本松藩校の教授だ。えーっと確か、一年半勤めるから、弘化元年。


 ああ、来年やん。これから江戸にいくから、無理だ。


 仕方ない。諦めよう。





 確かこのころ、琉球の八重山にイギリス船サマラン号が上陸して測量をしている。


 お隣の佐賀藩はさかんに藩士に洋式調練をさせているようだ。


 経済面でも石炭を採掘してはコークスをつくって販売している。特にアヘン戦争ではイギリス海軍が長崎出島や唐人屋敷から大量の石炭を購入して、大もうけしたようだ。


 商売上手だな。うちもやろう。


 あー、それから鍋島直茂は島津斉彬とも仲がいいらしい。


 次回 第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)


 ※作中で『お薦めしない表現です』と校正ソフトで表示されても、あえて表記している場合があります。

 

 まったく差別的意図はありません。重ねて書きますが、ありません。

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