第二話その3「お前がパパになるんだよ!」
さて。時刻は午後一〇時を回っている。わたしが今いるのは蓮ちゃんのお家で、金沢美術工芸大学に程近い集合住宅だ。鉄筋三階建ての三階で、窓の外には神田川……じゃなく、浅野川が流れている。実家は市内なんだけど大学進学を期にここに移り住んだという。部屋数は2Kと、単身者にはかなり広い物件なんだけど荷物が多く、また仕事中はアシスタントの人が出入りするからこれでも手狭だって話である。
さて。あの後気持ちが盛り上がるだけ盛り上がって、ここで求められたら断れない……むしろ求めてくれないかなー(ちらり)とか思ってたんだけど、さすがに初体験青カンは難易度が高くてちょっとためらわれたみたいだった。
わたしはこのまま蓮ちゃんの家に連れ込まれるのを期待し、蓮ちゃんも当初はそのつもりだったんだけど、
「むしろ今から姫宮さんのところに戻ってエイラさん達に土下座してけじめをつけるべきじゃ?」
とか言い出し、わたしをちょっと慌てさせた。
「大丈夫大丈夫、今日お見合いをぶっちするのはエイラにとっても織り込み済みだから!」
「そうなの?」
「うん! だって絶対嫌だ、死んでも行かないって散々ごねたし。それに、ほら!」
とわたしは資材置き場の物置から、スポーツバッグとヘルメットを引っ張り出した。
「蓮ちゃんがわたしをさらっていくのもエイラはちゃんと想定して、わたしが色々と準備したのも黙認していたのよ。もうとっくに相手をいいようにあしらって上手くやってくれているわよ」
「そう?」
首を傾げながらも蓮ちゃんは一応納得。よし、上手くごまかせたとわたしは胸をなでおろした。
……そもそも今日、見合いの予定も何もなかったって真実は、黙っていた方がいいだろうなぁ。もし蓮ちゃんがへたれたまま、今日さらいに来てくれなかったら京極さんとお見合いをするってエイラと約束したけど、それは今日じゃなくて近日中のことだし。当日ドタキャン前提でお見合いの約束をするのはさすがに相手に失礼ってレベルじゃない。
蓮ちゃんと出会ったその日のうちにわたしは「見合いは全部断って」と指示。エイラは、
「姫宮家のお嬢様のお見合いは時任家が勝手に進めていたことで、それを初めて知らされたお嬢様は激怒。『お見合いなんか絶対にしない』と、今揉めに揉めているらしい」
という噂を関係者に流し、この件が自然消滅するよう仕向けているという。その話を聞かされたのは三日前にお見合いの話が出て、蓮ちゃんが帰った後のことなんだけどね。それでも保険のために一件だけ残しておいたのが京極さんだったわけである。
わたしとエイラは賭けをし、わたしはそれに勝った。蓮ちゃんとの愛の絆が勝利したのである!
その後、わたしはドレスからライダースーツに着替えて蓮ちゃんのバイクで金沢市内に移動。今こうして蓮ちゃんのお家にお邪魔している。わたしが先にお風呂を借りて、今は蓮ちゃんがお風呂に入っているところだった。
わたしが今身にしているのは下着の他は、蓮ちゃんから借りたシャツの上だけだ。生足全開はちょっと肌寒いけど今は我慢……! いや、でもやっぱり寒い。わたしは蓮ちゃんのベッドに上がって毛布を足にかけた。とりあえず彼が出てくるまではこうしていよう。
「むー、いっそ素っ裸になって毛布にくるまっているべき? でもそれじゃ脱がす楽しみが」
ベッドの上であぐらをかいて腕を組んで「うーむ」と首をひねり、そのまま身体も傾いてわたしは横にこてんと倒れた。
「ん?」
枕の裏に何かを隠しているのを発見。それを取り出し――
「ももちゃん?」
蓮ちゃんがお風呂から上がったのはそれから少し経ってのことだった。わたしは黙ったまま彼に背を向けている。彼がベッドに腰かけてわたしの肩に手を回そうとし……わたしは凍り付いたように身動き一つしない。
「えっと……」
彼が回りこんでわたしの顔を覗き込もうとし、それで気が付いたようだった。わたしが手に何を持っているかを。わたしが今どんな顔をしているかを。自分で見えるわけじゃないけど、穏やかな心を持ちながら激しい怒りに目覚め、それを無理に抑え込んでいるため人形のような無表情となっていることだろう。
「あ! いや、それ……」
うろたえながらも言葉が出てこず、今度は蓮ちゃんがおかしなポーズのまま彫像のように固まってしまった。わたしは頭部だけを動かして視線を下に向けて、
「『外側の高潤滑ゼリーと内側の超密着ゼリーの二層構造。今までにない滑らかな使い心地を実現し、パートナーとのより強い一体感を味わえる』」
「読まないで! パッケージを淡々と読まないで!」
半泣きになって頭を抱える彼に、
「蓮華さん」
わたしが静かにその名を呼ぶ。彼は「はい」と神妙な顔をし、床に正座した。わたしの冷たい目が彼を見下ろしている。
「これは何ですか?」
「いやあのその……いわゆる一つの、避妊具です」
「どうしてこんなものを?」
「その……今日使う機会があるかも、と期待していました」
ベッドから降りたわたしは机の上の大きめのはさみを手に取った。外装を雑に切って中身を取り出し、いわゆる一つのこんどーさんを、
「ていていていていっ!」
「ああああーーっっ!」
はさみで切り刻む! 蓮ちゃんが悲痛な声を上げるけど無視してはさみを入れまくって、色紙で作った七夕の飾りみたいになったそれを「ていっ!」とゴミ箱にダンクシュート!
「ああああああ……」
蓮ちゃんは身も世もない声で悲嘆しながら正座したまま床に突っ伏した。腰に両手を当て、仁王立ちとなったわたしがそんな彼を見下ろしている。
「ああああああ……あああはへへ」
蓮ちゃんの口から漏れ出るそれは泣いているのか笑っているのか区別しがたいものとなった。やがて何かぶつぶつと言い出したので耳を寄せると、
「ああそうかそりゃそうだ最初から全部夢だったんだちょっと考えればすぐ判ることだったこんなおっぱい大きくてスタイルよくて飛びきり可愛い女の子がろくすっぽ売れない僕の漫画を面白い大好きだ僕の大ファンだなんて言ってくれてつまらない僕の話を目を輝かせて聞いてくれて距離感バグってて身体が触れても嫌な顔一つせずむしろ身体を押し付けてきてそんな子とデートして名前を呼び合って何度もキスをして僕のことを好きだなんてそんな都合のいい話があるわけなかったただの妄想だった新連載のネタに煮詰まって自分で作ったプロットと現実の区別がつかなくなっていたんだそもそもこんなご都合主義エロ漫画でしか許されなかったああそうか僕は全年齢漫画家だからラブシーンのハッピーエンドで終わってそこから先がなかったのかこんなことならエロ漫画家になっていればいや今からでも遅くないこの際妄想でも構わないからももちゃんと」
「蓮華さん!」
「は、はい」
わたしが強めに名前を呼んで彼が反射的に身を起こす。どうやら正気を取り戻したようでわたしは一安心した。放っておいたら未来で大ヒット漫画家が一人消えてエロ漫画家が一人誕生していたかもしれない。
「蓮ちゃん、よく聞いて。わたしはあなたと初めて会ったその日のうちに、あなたに全てを捧げようと決めていました。蓮ちゃんにわたしの全部をあげようと」
「ええっ?」
蓮ちゃんが驚きと戸惑いと疑問に目を見開き、わたしは己が決意と同じくらいに拳を固く握り締めた。
「そう――あなたの子種で子を孕もうと!!」
「えええええっっっ?!!」
「なのになんでこんなもの使おうとするのよ! 男なら『なまでなかだし・孕ませっくす!』でしょうがー!!」
「えええええええええっっっっっっっっ?!!??!」
蓮ちゃんの絶叫が集合住宅を揺るがした。
「ちょっと待って!? お願いちょっと待って! そっちなの?! 怒ったのはそっちの理由?!」
「そうに決まってるじゃないの!」
「いや判らない! 普通判らないから!」
「え……そんな! 今日あんなに情熱的に愛をささやいてくれたのに! 『俺の子種をお前の
「それ犯罪者ぁー!! 最悪の部類!」
「あの言葉は嘘だったの?!」
「言ってない!! そんな息してちゃいけないレベルの変質者みたいなことは言ってない! おかしくない? 僕好きだって気持ちを精いっぱい伝えたよ? あんまりロマンチックじゃなかったかもしれないけど、でも漫画のクライマックスのキメ台詞を考えるときだってここまで必死にはならなかったよ?」
「うん、すごかった……あのときからもう子宮がきゅんきゅん言ってて、今なら確実に受胎できるよ?」
「どこに何言わせてるの?! 普通もっと上!」
蓮ちゃんは頭を抱えて髪を掻きむしっている。このままじゃ埒が明かないと判断したわたしは蓮ちゃんの胴体にしがみつき、彼を立ち上がらせ、小内刈っぽく押し倒して諸共にベッドに倒れ込んだ。わたしが蓮ちゃんに覆いかぶさる形となっているので、
「ほら、身体を入れ替えて」
「いやいやいやちょっと待って、冷静になろう。結婚もせず籍も入れずにいきなり子作りなんて、話が飛躍しすぎだよ。君はまだ一六で僕はまだ売れない漫画家で、自分一人がぎりぎりやっていくのが精いっぱいなのに」
「任せて! わたしの家、県下一の大金持ち!」
上体を起こしたわたしが大威張りで胸を張り、その拍子でおっぱいがゆさっと揺れた。
「子供も蓮ちゃんもわたしが養ってあげる。漫画が売れなくても連載がなくなっても、わたしだけのために『サンセット・ビーチガールズ』の続きを描いていればいいから!」
「ミザリーみたいなこと言い出したこの子!」
「それじゃもう問題はないわね?」
「むしろ問題しかないよ?!」
「初めてなの、優しくしてね? でもちょっと強引なのもいいかもしんない」
「どうしろと!? 童貞には要求が高度すぎる!」
「大丈夫! 初めてなのはわたしも同じだけど自主トレとイメージトレーニングは欠かしていないから!」
「それなら僕だって百戦錬磨だよ!」
「それじゃそろそろ……」
「いや待って、お願い待って」
煮え切らない態度の蓮ちゃんにわたしは「むー」と頬を膨らませる。このままじゃ埒が明かずに夜が明けるとわたしは決断、蓮ちゃんのジーンズとトランクスを強引に脱がせにかかった。
「いやー! 待ってー!」
「この期に及んで四の五の言うな! おらっ、お前がパパになるんだよ!」
「ああーーっっ!!」
蓮ちゃんの悲痛な雄叫びが再び集合住宅を揺るがして……
――ここから先を詳しく描写するとR18になっちゃうから省略するけど、わたしと蓮ちゃんはめくるめく愛と情熱と官能の一夜を過ごしたのでした。すごかったです。
さて。それから二ヶ月後の二〇〇〇年七月初旬のこと。
わたしは金沢市内の蓮ちゃんの実家を訪れていた。なおわたしにはわたしの両親の姫宮夫妻、それにエイラとその父親の時任兆治さんが同行している。
その家の居間には蓮ちゃんとその両親がいて、蓮ちゃんは両親から押さえつけられる形で土下座をし、ご両親もまたその体勢のまま土下座していた。
「別に謝ってほしいわけじゃないですし、話もしにくいから頭を上げてもらえないですか? ただ、わたしと蓮華さんとの結婚を認めてもらえれば」
県下一の大財閥の一人娘を傷物にした以上結婚という形で責任を取らせる、というのはご両親も理解はしたんだけど、
「ですがうちの愚息は社会人としても漫画家としても半人前で」
と難色を示す。それに対しては、
「もし漫画家としてやっていけなくなった場合はうちのグループに就職してもらいます」
と兆治さんが保証(そのためにわざわざ同行してもらった)。親御さんは「いやそれでも」と抵抗しようとしたんだけど、
「責任とってね? お父さん」
――妊娠二ヶ月の一六歳にこう言われてぐうの音もあるはずがないのだった。こうしてわたしと蓮ちゃんは晴れて籍を入れて、夫婦となった(註・結婚可能な年齢が男女ともに一八歳となったのは二〇二二年から)。結婚式は挙げず、ドレスを着て写真を撮っただけである。
一方、お向かいの善那正恵さんのお腹の中では善那悠大がすくすくと育っている。
「わたしも孕みました!」
とわたしは正恵さんに接触し、ご近所の後輩妊婦としてちょっと強引に距離を詰めた。まだ若いのに妊娠なんかしてしまって色々と不安なんだろう、と正恵さんは理解しているようで、何かと気にかけてくれるようになった。
そしてその年の一〇月末、正恵さんが超健康優良な男児を出産。予定通りに「悠大」と名付けられる。そして年が明けて二〇〇一年三月三日、今度はわたしが出産した。当然のように女の子で、生まれた時点でもう珠のように可愛らしく、将来は美人になることが既に確定している。その子の名前は「
あ、そう言えばこの妊娠出産の間に蓮ちゃんが新連載を開始。題名は「海巫女ひめこの大予言」――予知能力を持った巫女の少女と、その幼なじみの少年の、少し不思議な青春ラブコメである。
さて。月日は疾風怒濤のごとくに瞬く間に過ぎ去っていき、二〇〇六年五月。わたしは二二歳になったところである。わたしは姫宮のお屋敷の居間にいて、つけっぱなしのテレビからはディープインパクト四冠だとか、宮里藍全米ツアーだとかのニュースが流れている。
「ももちゃん!」
破りそうな勢いで襖を開け放って姿を現したのは、元気いっぱいの男の子。座っていたわたしは立ち上がってこの子を出迎えた。
「お帰り、ゆうくん」
「ただいま!」
ゆうくんはその勢いのまま突進しわたしのお腹に頭突きをし、さらにわたしの足にしがみついて両手で持ち上げようとする。ゆうくんにもっと体重と体力があればこの諸手刈りが決まるだろうけど幼稚園児に負けてあげるほどわたしも安くはない。ゆうくんの後ろ襟を掴み、ごろりと転がすわたし。
「あはははは!」
畳を転がりながらもゆうくんは楽しそうだ。起き上がり、左右を見回したゆうくんは古い桐の箪笥に目を付け、それによじ登った。わたしが止める間もなく上まで登ったゆうくんはそのまま、
「あいきゃんふらーい!」
大きくジャンプしてフライングボディアタックをかまそうとする。反射的につい逃げてしまうわたし。ゆうくんはそのままべちゃんと墜落し、自動車に轢かれた蛙みたいになった。墜落地点にちょうど座布団があったから大怪我はしてないと思うけど……
「だ、大丈夫……?」
ゆうくんはすくっと起き上がり、
「あはははは!」
何が楽しいのか大笑い。なんだこの生き物、とわたしは戦慄した。
「ただいま帰りました」
「あ、お帰り」
とそこにやってきたのはメイド服のエイラだ。
エイラは今二四歳で今年二五歳。そう言えば言い忘れていたけど六年前にエイラはわたしの代理で京極高彦さんとお見合いをし、メイド服のままお見合いに行ったのが功を奏したのか彼とお付き合いをすることとなり、この時点でもう籍を入れている。
「お茶とおやつを用意しますね」
「ん、お願い」
ゆうくんは走って洗面所まで手を洗いに行きすぐに走って戻ってきて、膝からスライディングするようにちゃぶ台の自分の定位置に着いた。その横では、いつの間にか座っていた一人の女の子がお絵かき帳にぐりぐりと何やらお絵かきをしているところである。
「はい、どうぞ」
とエイラが持ってきたのはウサギの形に皮を剥いた林檎で、ゆうくんは一瞬で自分の分を食い尽くした。
「ちーちゃんは食べないの?」
その女の子――ちーちゃんはペンを動かしたままわたしの方を向いて「あ」と口を開ける。
「自分で食べなさい」
「あ」
「自分で……」
「あ」
根負けしたわたしが林檎を刺したフォークを手にするけど、
「奥さま、ちーちゃんを甘やかすのは止めてください」
とエイラに渋い顔をされる。それもそうねとわたしは林檎をお皿に戻すけどちーちゃんは未だに「あ」と口を開けたままだ。意地でも自分で食べようとせず、未だにペンを動かし続けている。
「あ、そうだ。ゆうくんがちーちゃんに食べさせてあげて?」
「食べていいの?!」
「違う、そうじゃない」
それでようやく危機感を覚えたのかちーちゃんはフォークを自分で持って林檎を食べる。その顔は望まぬ選択を迫られてやむにやまれずそれを呑んだような、苦渋に満ちたものだった……なんなんだこの子。
――さて。説明するまでもないだろうけど、男の子の方は「ゆうくん」こと善那悠大。女の子の方は「ちーちゃん」こと姫宮千尋。今五歳で今年度に六歳となる幼稚園児で、来年には小学生である。
善那正恵さんと親しくなったわたしはことあるごとに善那家にお邪魔し、生まれたばかりのゆうくんを散々にかまい、ちーちゃんが生まれてからは、
「一人も二人も同じことだから!」
とちょっと強引にその世話を引き受けたのだ。正恵さんも不審に思わないわけじゃなかったようだけどこの田舎町ならそこまで不自然な話でもなく、仕事人間で早く職場に復帰したかった彼女にとってわたしは何よりも都合のいい存在だった。結果、ゆうくんとちーちゃんはまるで兄妹みたいに、ほとんど毎日顔を突き合わせて育つこととなる。
でも「一人も二人も同じこと」なんて――そんなわけない! 特にゆうくんは元気の塊というか超常生命体というか、一秒だってじっとしていられず、起きている間中ひたすら動き回っている。その上身の危険を感じる能力が根本から欠落しているとしか思えず、骨折や大量出血をしなければ無問題と妥協する他なく、それでもその手前の事故や怪我はほとんど毎日で……本当、どうやって小学生になるまで生き延びたんだ、前世のわたし。
それでも、ゆうくんは叱られればちゃんと反省するし(その記憶がどれだけ持つかはともかく)言われたことには従う素直な良い子である。その一方ちーちゃんは……
ちーちゃんは身体を動かす遊びをろくにしようとせず、ぬいぐるみを持つよりも先にペンを持って落書きを始めたような子供だ。ペンと紙さえ与えていれば延々と落書きを続けて、その点での扱いやすさにはゆうくんとは天地ほどの差があった。でも、自分がやらないと決めたことは何があろうと頑としてやろうとせず、その点では死ぬほど扱いにくい子供で本当に毎日、無駄に疲れさせられる。
わたしだけじゃなくエイラがいて三代さんも力を貸してくれたから何とかなったけど、もし一人だったら確実に育児ノイローゼになっていたよ、わたし。ワンオペじゃ絶対に無理だよ、こんなの……。
それでも――どんなに扱いにくい子供でも、わたしが自分のお腹を痛めて産んだ子なのだ。このちーちゃんが何よりも愛おしく、誰よりも(蓮ちゃんと同じくらいに)愛している。ゆうくんだって、ここまでわたしが育てたも同然なのだ。前世とか何とか一切関係なしに誰よりも幸せになってほしいと心から思っている。
そして、この二人がお互いを大切に想い合い、好き合ってくれたなら。最終的には結婚にまで至ってゆうくんが名実ともに家族となってくれたなら、こんなに嬉しいことはない――この二人をくっつけてラブコメな青春を送らせる!という大目標に何ら変更はないのである!
……ここまで育つのに毎日目が回る思いで、いつの間にか「小学生になるまでゆうくんを無事に生き延びさせる」っておそろしく低いところに目標が設定されていたように思えるけど、それもあと少しの話だ。さすがに小学生ともなれば危険感知能力もまともに機能するはず! ……そのはずだよね?
ともかく、「善那悠大にラブコメな青春を送らせる」を微修正した「善那悠大と姫宮千尋にラブコメな青春を送らせる」というわたしの遠大で壮大な野望は順調に進行中だった。こうして生まれたときからの幼なじみとして兄妹同然に一緒に育ち、一緒にお風呂に入って一緒に眠って一緒に遊んで……なんだかこの二人、一緒に遊ぶことがほとんどなくてお互い素っ気ないというか無関心なように思えるんだけど、気のせいだよね? 仮にそうだとしても幼稚園児、恋心が発達するのはまだまだこれからだから! ……そのはずだよね?
おやつを食べ終わったちーちゃんは引き続きお絵かきに集中。ゆうくんは庭へと飛び出していき、わたしはため息をつきながらそれを追った。庭に置いてあるのはビニール製の大きな起き上がりこぼし。よく判らない、オバケっぽいキャラクターが描かれていて、ゆうくんよりも頭一つ分大きい。重りとして水を入れていて、さらには柔道着を着せている。
「えい! やー!」
ゆうくんはそれを相手に柔道ごっこ。わたしが作った「オリンピック養成マシーン三号」はその役割を存分に果たしており、わたしは満足げに頷いた。ちなみに一号はバランスボール、二号は平均台だったりする。
「やー!」
ゆうくんが背負い投げを決めてそれと一緒に地面を転がり、泥まみれになる。……ああ、また正恵さんに嫌な顔されちゃうかな。でもわたしは満面の笑顔となって、
「すごーいゆうくん!」
と大げさに褒めた。ゆうくんも嬉しそうに笑い、さらに柔道ごっこに熱中する。うん、わたしは褒められて伸びる子なのだ。
「すごいねゆうくん! 大きくなったらオリンピックかな?」
「うん! おれ、金メダルをとるんだ!」
「そっか! そしてちーちゃんをお嫁さんに」
「え? ちーちゃんとは結婚しないよ?」
当たり前のようにそう言うゆうくんにわたしの思考回路がフリーズする。そのわたしにゆうくんはひまわりみたいに明るく朗らかな笑顔を示し、
「おれ、ももちゃんと結婚する!!」
……ちょぉーっと予定通りにいかないこともあるけれど、まだまだ慌てるような時間じゃない! ……そのはずだよね?
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