第1章-6
カスミは町を走っていた。一刻も早く、家に帰らなければならなかった。
――学校にはもう行けない……。
私の居場所は完全に損なわれてしまった。
――どうして、トモコまで……。
親友じゃなかったの?
追いかけるように、そんな思いが現れては消え、そしてまた現れた。
家に帰れば、父や母が待っている。あやふやな記憶しか持ち合わせていないかもしれないが、カスミのことをなんとか認識してくれる――思い出そうとしてくれる。
一刻も早く帰らなければならない。
――それなのに……。
どうして、道ゆく人、人、人……こんなにも私にぶつかってくるのだろう?
歩きスマホをしている人はともかく、そうではない前を向いて歩いている人でさえ、遠慮なくカスミの方に向かってくる。
――どうして……?
カスミはうすうす気づいていた。
だが、それを素直に認めてしまうのが怖かった。言葉で言い表してしまうと、すべてが――手の届く、ささやかなカスミの世界すべてが――壊れていってしまう。それが、ただただ恐ろしかった。
つまりはこうだ――。
――誰も、わたしを見ていない……。
本当に見えていないのだろうか?
それとも、網膜に像はむすんではいても、頭の方にまで――意識にまで、自分の姿がのぼっていかないのだろうか?
いずれにせよ、今朝までの悩みとは比べるべくもない深刻な事態が、今も現在進行形で進んでいる――悪化している――ことは間違いなかった。
――早く、家に帰らないと……。
血のつながりがなせる業のはずだ。父と母、姉ならば――家族ならば、どんなことがあろうと自分を完全に忘れたりすることなんてないはず。いっとき忘れてしまったとしても、きっと私のことを思い出してくれる。
カスミは、そう祈るしかなかった。
家が近づいてきた。玄関が見える。
カスミはチャイムを鳴らすことも忘れ、玄関のドアノブに飛びついた。鍵がかかっていた。
「おかあさん!」
カスミは冷静さを失っていた。叫びながらガチャガチャとノブを回し、ドアを何度も強くたたいた。
母親はいつも家にいる。買い物に出かけているのだろうか?
――それとも……。
その続きを考えることが、言葉に表すことが、カスミにはどうしてもできなかった。無意識に心がせき止めているようだった。
「はーい」
遠くに母の声が聞こえた。
返事をかえしてくれている。反応してくれている。
――私に気づいてくれているんだ!
カスミは今にも張り裂けてしまいそうな小さな胸を、ほんの少しだけ、ほっとなで下ろした。そして、さらに激しくドアをたたいた。
「はーい、はいはい。ちょっと待ってね。今、開けるから――」
カチャッと鍵がはずれる音がした。カスミは慌てて扉を開けた。
「ママ!」
『世界はそんなに優しくないよ――』
誰かがまたそうささやいた。
――ああ……。
カスミは奈落の底に落とされそうになった。足元が音もなくがらがらと崩れていくのが分かった。
母親は不思議な顔で『外』を眺めていたのだ。
視線はカスミを透過し、その向こう側にある景色を見つめていた。瞳にカスミは映っていなかった。
「いたずらかしら……」
母親の口からそんな言葉がこぼれた。
目の前で扉は閉められた。
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