#210「灰色の男」
その結末を、群青が否定した。
「なんだッ!?」
魔術式の崩壊。
綺羅神殿が引き裂かれ、世界が元の鴉ヶ山の光景に引き戻される。
雨は止み、地底の宝物殿も掻き消され、驚いたリュディガーが慌てて空を見上げて目にしたのは──神の失墜。
世界の半分を支配する〝夜〟が、敗北を喫した驚愕の光景だった。
「エンディアが……負けた?」
「ぐっ、クゥ……!」
魔術師が呟く傍らで、生成りが呻き声をあげながら人間の姿に戻る。
もともと無理をして魔物化を繰り返していたのだろう。
丸眼鏡の優男は、立ち上がるコトもできない様子で地面を這いつくばっていた。
トドメを刺すのは容易い。
だが、
「やはり──継承は済んでいたか」
「エンディアは倒した。後はオマエだけだ、リュディガー・シモン」
「メランズール・ラズワルド・アダマス」
ザ、と。
山頂より儀式場に現れる若きダークエルフ。
森羅斬伐を担ぎ、英雄奥義をも己がものとし、魔女のチカラを纏う埒外のカイブツ。
リュディガーはさりげなく儀式の進行状況を確認し、最後の正念場が来たと悟った。
「……儘ならないものだ。貴様らは
「ああ。今日で終わりにしてやる」
「まったくふざけている。私がいったい、どれだけの準備を重ねたと思っているのか……」
「悪だくみに費やした時間なんざ、最初から無駄になる覚悟をしとくもんだ」
「違いないが……フン、まだそうとも限るまい?」
宝石の光弾を空中に多数展開しながら、リュディガーはダークエルフと向かい合う。
幻術は継続している。
儀式はもう一工程で完了する。
生成りの神父も気が付いてはいない。
ならば、後はもう時間さえ稼げばリュディガーの勝ちだった。
(さて、昔話でもしてやるか──)
魔術師は堂々と首を晒しながら、あたかも悪足掻きかのように抵抗を開始した。
────────────
────────
────
──
光弾が発射される。
まるで速射砲のような威力で宝石が煌めく。
しかし、リュディガーの魔術は俺には通用しない。
効果は半減以上に減衰し、輝く光の乱反射も漆黒の闇には届かない。
届きかけた礫も、斧が弾く。
「無駄な足掻きだ。諦めて降参しろ」
「気が早いな。森羅斬伐を手にして、最強にでもなったつもりか?」
「おちょくったって無駄だ。アンタの
「だとしても、貴様は私を殺せまい。連合王国は大罪人を捕縛しろと命じたはずだからな」
「ああ。だから、半殺しぐらいはできる」
「野蛮人め。ならば私は自殺してやるぞ」
「は?」
リュディガーがわざとらしく口角を歪めて、俺をせせら笑った。
「止めようとしても無駄だ。治療も間に合わんと思え」
「なにを言ってんだ、アンタ?」
「私は自分の命など惜しくはない。その気になれば、秒とかからずあの世に行ける。言っておくが、予備動作など何も必要としない」
真の魔術師ならば、己が心臓の鼓動ひとつで爆発を生む程度は容易なコト。
老いたニンゲンの無惨な臓物を見たくなければ、大人しくしてもらおうかとリュディガーは宣言した。
支離滅裂な言い分だが、あながちハッタリとは言い切れない。
なにせ、俺もこの手の主張には身に覚えがあった。
思わず足を止めてしまう。
「……自分を人質にして、俺たちに終末の巨龍が復活するのを黙って見過ごせって言うのか?」
「メラン殿下ぁ……!」
ゼノギアが「ダメだ」と。
そいつは今すぐ殺すべきだと、眼光だけで叫ぶ。
もちろん、言いなりになるつもりなんか無い。
第一、
「アンタが死ねば、術式は不成立だろ。ハッタリにしても、ずいぶん
「……フ。ダメか。騙されてはくれんか」
「俺としては、アンタの意識をここで奪って、
「だろうな。事ここに及んで、私に貴様を上回る打開策は無い。森羅斬伐を継承されてしまった以上、もはや何をしても勝てる道筋が見当たらない」
獣神王エンディアが負けたのだ。
もともと地力で劣っていたリュディガーに、俺に勝利する手段は一つも無い。
意識を奪われれば、老人はアッサリと捕縛されておしまいだろう。
リュディガーも冷静に状況を分析し、しかし、「その前に少し考えてみろ」と言った。
光弾による弾幕は依然として張り続けながら、
「私が為そうとしている行いは、本当にそれほど悪いコトなのか?」
「──なに?」
「今ある世界は、本当に守るべき価値があるのだろうか?」
「犯罪者の
「だがしかし、貴様も一度は感じたはずだ」
老人はドロリとした怨念を舌に乗せて言葉を紡ぐ。
「カルメンタリス教の浸透した世界では、魔物は悪しきモノとして迫害される。魔物に類するモノも、おしなべて罪ありきと叫ばれる。魔女の遺児ならば、さぞや息苦しくてたまらないはずだ」
「なんだよ。急に」
「私の子はな、半魔だった」
突然の告白。
予想外のカミングアウト。
俺もゼノギアも一瞬、虚を突かれて沈黙してしまった。
それほどに重みを伴う言葉だった。
「昔話をしてやろう。私の生まれは西方大陸のウェスタルシア王国だ。あそこでは毎年、王の杖と呼ばれる大魔術師が
リュディガーは才を見込まれ、弟子に選ばれた。
「と言っても、ある程度の基礎を積むと、後はエルダースに送られて勝手に研鑽に励めといった放任主義だったがな。ま、そんなコトはどうでもいい。私は自分で言うのも何だが天才だった。卒業後はエルダースで教室を開く栄誉も確約された。国では次代の王の杖には私をと推す声も多かった」
若き優秀な魔術師。
王の杖は王族に仕える栄えある近衛の中でも、別格とされる騎士の一員。
ある日、リュディガーの元には縁談が舞い込んだ。
「ヒルダと言ってな。病弱だが美しい娘だった。実家は財務大臣とも繋がりのある豪商の一族で、特に宝石商として名を馳せていた」
西のジュエリーズ・シモンと云えば、その世界では有名なもので、娘もまた宝石のように綺麗だと社交界では華だった。
「私は舞い上がり、すぐに恋に落ちたさ。ヒルダは心臓を患っていたから、魔術で腫瘍を取り除き、すぐに求婚した。ヒルダは喜んで受け入れてくれた。ヒルダの両親も、私になら安心して娘を託せると許しをくれてな」
幸せな結婚生活は、一年から二年のあいだ続いた。
だが、二人の間に子どもが生まれたコトで、幸福は長続きしなくなった。
「……ウェスタルシアではな、異界の存在が非常に恐怖されている。あちら側から訪れるモノに、国民は心底恐れを刻み込まれている。半魔など生まれてみろ、悪評はたちまち駆け抜けて、妻の実家は商売敵からの策略もあって一気に財産を奪われた」
半魔。
半魔物。
「人間ではないバケモノを孕んだ娘の身内。儲かっていたのは悪魔の力を利用していたからだ。清純な顔をして、裏でいったいどんな淫らな悪行に耽っていたのかと……どいつもこいつも、実に好き勝手ほざいてくれてな」
最悪だったのは、その陰口や悪評が暴動にまで発展したコト。
国はカルメンタリス教を国教としていて、ウェスタルシアの王族は聖剣に選ばれた聖王聖君の末裔。
民衆は国の上流階級に、悪しき血が流れるのを許さなかった。
「きっと、一人か二人程度ならば暴動も起こらなかったのだろうな? あるいは妻の実家が、豪商ではなく貴族だったならば力でどうにかできたか。残念なコトに私とヒルダの子は五つ子で、一度に五人の半魔──」
投げられた石の数を覚えている。
破られた窓ガラスの、落ちた破片の向きや形まで覚えている。
踏み入ってきた暴漢が、棍棒を振りかざして正義を叫んだ醜さも。
時間を稼ぐと囮になってくれた養父と養母が、広場で首を括られていた絶望も。
愛する妻と五人の赤ん坊を馬車に乗せ、必死に街を逃げた焦りと怒りも。
馬を走らせ続け、やっと無事に逃げおおせたと思って車内を開けたら、妻と子どもは後ろからの矢で無惨に殺されていた喪失感。
「人類文明を愛する女神だと? 悪しき魔物を討ち破る聖なる教え?」
ふざけるなよクソの掃き溜めが。
「私の子どもたちは、まだ一歳にもなっていなかった! 我が子を守ろうとし、最後まで離れようとしなかった彼女の、どこが穢らわしい魂なのか!
殺したのは貴様らだ。
醜いのも貴様らだ。
カルメンタリス教は欺瞞に満ち溢れている。
「魔に類するモノがすべて許され得ぬ咎を背負うなら、人間はそもそも魔物へ転じ得る生命なのだから、カルメンタリス教とて裁かれるべきだ。なあ、そうは思わんか?」
この世界に守る価値など無い。
助ける価値など無い。
リュディガーは怨念を毒として吐き出し、然れど真実の含まれる言葉で問いかけていた。
灰色の眼差しが、光の隙間から是非を問う。
────────────
tips:ウェスタルシア王国
西方大陸の中北部に版図を持つニンゲンの国。
神話世界と繋がる異界の門扉が多数存在し、王侯貴族によって管理されている。
未発見の門扉もある。
そのため、〈
当代の王は建国王以来の聖剣の担い手であり、その近衛はドラゴンライダーと云われている。
詳細は『ゲーム・オブ・レガリア』を参照。
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