#208「星が瞬く夜だった」
星が瞬く夜だった。
その山の尾根は鳥が羽を広げているようで、鴉ヶ山と云う名をつけられるのにも納得がいった。
泰山鳴動。
標高は恐らく3000を超えるだろうか。
常春の東方大陸といえども、これだけの高さに至ると気温は低く雪景色もちらつく。
吹く風は懐かしく、空はけれども見知ったものより遥か厳か。
星が瞬く夜だった。
「来たか」
そんな山の頂上で、奇妙な人影が待ち構えていた。
黒いフード付きのローブを纏った鴉頭の異形である。
ローブの袖は鴉羽であり、服の内側には極小の金の粒や星砂が輝いていた。
獣神王エンディアの
どことなく天文学者のような雰囲気もあった。
魔術師の姿は見当たらない。
「リュディガーは?」
「あの壊人なら、少し降りた先で儀式の最中よ」
「そうか。巨龍復活のための
「足りない物は他所から取ってくる。魔術師という手合いの中でも、アレは特にそのあたりが上手い」
クク、と。
エンディアは肩を揺らして右斜め後ろを一瞥した。
俺から見て左の山奥に、リュディガーが隠れていると仄めかすような動きだった。
王の誇りか、絶対の自信か。
森羅斬伐を携える俺を見ても、エンディアには焦りの色が見えない。
決戦のための戦闘はもう始まっている。
精霊圏では薔薇男爵が二柱の獣神と〈領域合戦〉を開始したし、巨龍圏からの侵攻にはフェリシアが制空権を奪って
だからこそ疑問だった。
「このままだと、
「ほう。何故そう思う?」
「精霊圏との〈領域合戦〉で劣勢だし、仮に勝てたとしても復活した巨龍には敵わないからだ」
精霊女王は冗談めかして誤魔化していたが、薔薇男爵は自らの格を獣神圏の三柱に匹敵すると断言していた。
だが、古代圏の王によって三柱の一角は崩され、薔薇男爵は残りの二柱を正面から打ち破るだろう。
あの大精霊にはそれだけの凄みがある。
「リュディガーを救うためだったのか何なのか……それとも、ヨキの注意を逸らしたかったのかは知らないけど、あそこで力ある配下を使い潰した時点で勝敗は見えてたはずだ」
「なるほど、たしかに。挙げ句、羽虫どもとの合戦で疲弊した吾が軍では、如何に〈領域〉を広げようとも終末の巨龍に敵うはずもなし」
六千年前、巨龍は致命傷を負ってようやく三つの〈領域〉と互角だった。
ならば、精霊圏を仮に食ったとしても、一が二になったところで三には届かないのは自明の理。
エンディアは「ふむふむ」と頷いて、
「
「ッ」
青色の眼を、ギュルンと見開き神気を炸裂させた。
「勝てないから挑まない? 届かないから戦わない? 初めから負けると分かっているから諦める?」
笑 止 千 万 ッ !!
「よいか? 吾が要石よ。吾はもう飽いたのだ。勝算と書いて言い訳と読む怯懦の後悔! たしかに、戦わなければ負けるコトは無い! だが、勝つコトも永遠に無い! たった一度ッ、たった一度の恐怖によって! 六千年間がまるで泥中の底! 翼を捥がれたにも等しい屈辱だった!」
獣神王エンディアは怒りに震え叫ぶ。
一介の闇夜鴉としてこの世に生を受け、昼知らぬ小さき鳥と謗られたがゆえに太陽に反骨した。
たとえ死するとも、最期には光の炎のなかで「ついに知ってやったぞ!」と満足して息絶えた。
死後、東の果てで死界の王となり、絶大な権威を以って君臨してからも、誇り一つだけは決して損なうコトなく己が世界を拡大し続けた。
エンディアの中核にあるのは、どこまでも誇りの二文字。
……なのにそれを、終末の巨龍が台無しにした。
「吾は誇りのために戦うのだ! 失った矜持を取り戻すため、届かずとも挑むのだ! 己が飛翔の彼方にこそ、栄光があると識るがゆえに!」
第一級の〈
獣神王にして死界の王。
名をエンディアは、まさに王の覇気で宣戦布告していた。
思わず膝を着きそうになる威圧だった。
けれど、
「……なるほどな。動機は理解した。でも、そのうえで言わせてもらうぞ」
誇りのために命を懸ける。
瑕ついた信条を癒すために終末の巨龍に挑戦する。
エンディアにはエンディアなりに、積み重ねた想いがあるんだろう。
それでも、敢えて否定せざるを得ない。
「オマエは戦えて満足かもしれない。だけど、オマエが負けた後に残されたモノたちは? オマエが死んだ後でどうなる?」
「さてな。吾が負けた後の世界など、考えたコトもない」
「ふざけるなよ、化け鴉」
終末を目覚めさせ、巨龍を封印から解放し、エンディアが敗北した後、迷惑を被るのは全世界だ。
手に握る斧の重みが、断じて見過ごせないと怒りに
勝ち目があると云うのなら、まだ理解しよう。
何かしらの切り札があって、それをもとに六千年の沈黙を破ったというなら一定の共感はできる。
(だけど、コイツはいま敗北を前提に語りやがった──!)
勝算を言い訳と呼び、もはやそのような思考は怯懦の種であると。
思考停止にも等しい無謀を、よりにもよって誇りと勘違いしている。
いや、というより、それだけの〝歪み〟が生じてしまうほどに六千年前の屈辱が深かったのか……
だとしても。
「はじめから
「カカカカカカカッ! 囀るな人間! あるいは
獣神王が本来の姿を晒す。
鴉ヶ山に大鴉の鳴叫が谺響する。
夜が一段と深まった。
瞬く星が、満天の光となって天蓋を塞ぐ。
「“
「 然 り ! 吾 は 夜 、 夜 は 吾 ! 」
終焉の名を冠する美しき死神が、ついに激情を露わにした。
ふと歌が蘇る。
“眠れ 眠れ かわいい子”
“ひと夜 ふた夜 さん夜とこえて”
“夜は 暗く 冷たく恐ろしい”
“鳥の 羽ばたき 耳を澄ませ”
“白の 風が おまえをさらう”
“ゆえに 眠れ 眠れ かわいい子”
“ひと夜 ふた夜 さん夜とこえて”
“いつか 真昼の 花を 咲かせましょう”
“太陽の 車輪 追いかけるため”
闇夜鴉は夜の鳥。
夜出歩くものは、魂運ばれあの世行き。
昔からカラスという鳥には、不吉な信仰が捧げられて来た。
戦場で骸を啄み、屍体にたかる黒き鳥。
死者をあの世へ送る際に、鳥葬という葬送儀礼を行う地域もある。
カラスの中には渡り鳥もいて、そんな生態から
(昼知らぬ小さき王は、星辰運行者ともなった!)
夜=死の世界。
そして、死の世界でカラスの羽ばたきに伴われるのは、あの世に向かった魂だけ。
星は夜と共に訪れる。
人が死後に天へ召し上げられて星座となる神話もある。
ならば魂とは、無数の星に他ならない。
“
子守唄でも童話でも、獣神王エンディアの恐ろしさは警鐘されていた。
俺の中の
五千年の伝承を新たに取り込めば、たしかに霊格は向上するだろう。
青眼の鴉は〈
呼吸は不思議と出来るが、上下の感覚は曖昧になり、どこもかしこも見渡す限りの『夜』そのものになる……!
(これが、本当の
無数に煌めく
流星群・死の飛翔が来る。
上下左右、四方八方。
今度こそ逃げ場のない状況で、黒鴉の翼が全天を取り囲み矮小な俺を狙っていた。
深呼吸して、覚悟を決める。
「……なぁ、最後に聞かせろよ。どうして俺に加護を授けたんだ?」
「 自 惚 れ る な 」
第一級の神話世界相当ともなれば現世からの〝引き剥がし〟は強く、大半は影響力を地上に残すため、楔として打ち込むもの。
「 う ぬ は 吾 の 要 石 に 過 ぎ ん ! 」
「──そうか」
長年の疑問でも、答えが与えられる時は本当に一瞬だ。
死界の王の加護。
夜を視通し、あちらの世界の住人を浮かび上がらせ、死者との縁を強く結ぶ青色の眼。
何か理由があるんじゃないかと期待はしていたが、祝福も呪いも所詮はこんなもの。
高次存在から自分勝手に贈られる望まぬプレゼント。
人間の都合なんて、神が気にするはずがない。
「けど、感謝はするぜ」
「 死 ぬ が い い ! 」
「おかげで、この地平に辿り着けたんだからなッッ!!」
迫る流星。
星が瞬く夜。
泰山は鳴動し天地は呑まれ、因縁の宿業に答えは得た。
神の眼差しが黙したまま語る。
──うぬごときが、その斧を使えるのか? と。
「
「 お も し ろ い ! 」
証明は解号を以って、継承した英雄奥義を自己の心で奇跡に結ぶ。
我が身は夜にありてなお暗く。
我が刃は闇に染まりてなお黎く。
魔術式・古代記憶接続によって暗黒を身に纏い、
「 黎 明 を 謳 う か 矮 小 卑 賤 ッ !? 」
だが分かっているのか!? と。
エンディアは古代圏を識るがゆえに問うた。
不遜なる正史の末裔。
仮にも光の後継を謳うならば、
「 夜 を 識 ら ぬ モ ノ に 夜 明 け は 訪 れ ん ぞ ッ ! 」
見せてみろその覚悟ッ! と。
神は人間に試練を課した。
人間は応えた。
「奇遇だな。俺は
ゆえに到達した。
この斬撃の極地。
何ものも阻めず、何ものも防ぎ得ぬ事象の地平線。
世界すら斬り裂く〝一線〟は、誰のものでもない空白を生み出す。
言うなれば『無』の〈領域〉。
世界はキズを修復するため、空白を作り出した斬撃の主に所有権を認め、ゆえに黎明を冀望する心象は数瞬のみ空漠に映し出される。
「“
青く、青く、世界をどこまでも青く照らす
其れはまるで、北の大気の澄んだ冷たさをも香らせて、同時に昔日の、温かな暖炉の明るさをも予感させるオレンジ色の光。
「 ッ ! 」
荘厳なる鳥葬界は割断された。
相反する概念を内包しきれず、闇夜鴉の幽冥界は音を立てて瓦解していく。
鳥は墜ちた。
それは人が、神を打倒した瞬間に他ならなかった。
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tips:神々の息吹
ゴッドブレス。
祝福、加護、呪業の総称だが、神からのそれには役割がある。
神代は終わり、それでも地上に影響力を残したかった神々は要石を欲した。
人に権能の因子を授けたのである。
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