#141「魔都への胎動」



 然れど、肉体的欠損など、意味は無かった。

 落とされた両腕を鎖で補い、傷口からジャラジャラ鋼鉄を生やしながら、鉄鎖流狼はますます大きくなる嘲りの気持ちを自覚する。


「アァ……痛ェ……痛ェ痛ェ痛ェ痛ェッ!」


 苦痛はある。

 霊的な傷も負った。

 しかし、だから何なのか?

 地面に倒れ伏して、激痛にのたうち回り、血と涙と呪詛を撒き散らし、ミミズのように無様を晒すなど、鉄鎖流狼には常のコト。


 魔物に転生する以前、未だニンゲンであった頃から、何ひとつ変わらない。


 ──████。オマエのためだ。オマエのためなのだ……!


「うるせェよ! クソジジイ!」


 世界は常に残酷で、痛みと共に回転し、苦しいからこそ価値を持つ。

 ただ人を殺したいだけの魔物が、戦闘に秀でるとか、そんなはずあるワケないじゃないか。

 人狼は暴力に酔い痴れたゲスな魔物。

 実力もあって、本気で立ち向かってくるマジメな敵に向き合えば、こういう目に遭うコトだって不思議は無い。

 古代でも、それは変わらなかった。

 鉄鎖流狼は、いつだって、みっともなく地べたを這いずり回り。

 その度に、敬愛する主人にも笑われる。


 ──ただ、それでも。


「……不思議だよなァ。勝つのは昔から、何故かオレなんだよッ!」

「こやつ……!」

「霊核には届かずとも、たしかに手応えはあったはずだがなッ」

「なんでだろうなァ? 分からないよなァ? その悔しさのままに、顔を歪めて死んでいった英雄が、どれだけいると思う?!」


 赤黒い空に遠吠えひとつ。

 敵を強いと認めて、満月を拡大。


「……貴様、何をした?」

「さァ、何をしたと思う?」

「がフッ!」

「ルカ!?」

「ぬっ!?」


 女の刻印騎士が崩れ落ち、口から血反吐を吐いて地面に膝を着いた。

 その様子を、ニタニタと眺めながら、鉄鎖流狼は大きく飛び上がり、戦場を離脱。

 不快な水晶光の結界から離れ、城の方へ足を伸ばした。


「ッ、逃がすか」

「おぉっと! 追ってくるのは勝手だがな! それは止めた方が、いいと思うぜ?」

「……おのれ!」


 咄嗟に動き出そうとした、三名の男たちに「街を見ろ!」と教えてやる。

 すると、耳のいいダークエルフは、すぐにハッとした。


 GYAAOOOooooooooooooooooooーー!


白蛾虎竜ヴァイス……!?」

「ヒッヒッヒャッ、ゲヒャヒャヒャヒャッ!

 悪心よ、萌芽せよ! 地竜だけじゃねェ! 獣神も、そこらのゴミも!」


 精神ココロあるモノは、皆全て鉄鎖流狼のカワイイ捕囚。

 今この瞬間より、リンデンには我を失ったバケモノが収監されるのだ。


 〝悪心萌芽の縛鎖狼〟

 

 鉄鎖流狼が持つ、もうひとつの名の所以に従って──!

 




 ────────────

 ────────

 ────

 ──





 その異変に真っ先に行動を開始したのは、フェリシアだった。

 貴族街は避難が終わっていた。

 だが、年輪街と瓦礫街。

 城塞都市の中層と下層は、大混乱の真っ只中だった。


「テメェ、いまぶつかっただろ!?」

「誰か、うちの子を知りませんか!?」

「どけよクズども! 道を開けろ!」

「死にたくねぇ、死にたくねぇ……!」

「ママー!」

「落ち着いて! 皆さん落ち着いて!」

「ふざけるな税金泥棒!」

「殺してやる、退かねぇなら殺してやる!」

「ど、どうせ死ぬんだ。なら、なら……!」


 人々の悲鳴と怒号は、人狼の悪意に絡め取られ、すでに半ば危険な発狂状態に変わっていた。

 殺し合いの一歩手前。

 暴動の大混乱。

 抵抗力の少ない者は、血走った眼と泡混じりの唾を飛ばして、人語を失った姿で暴力に溺れている。

 そんななか、フェリシアは頭を打ち、意識が朦朧としていたところを物陰に連れ込まれた。

 最初は正気を失った暴漢かと思ったが、そうではない。


「──それで、どうだ騎士様?」

「マズイ状況です。市民の皆さんは、外へ向かっていますが、リンデンにいま出口はありません」

「ヤベェな。このまま外に外に集まってったら、窒息死や圧死する連中も出てくるぞ」

「それだけじゃねえ。さっきのが聞こえただろう。ありゃ森の暴君と、神さんの声だ」

「地竜ヴァイスに、森林歩きフォレストウォーカーの親玉だって?」

「どうすんだよ……このままじゃ、逃げ場はねぇぞ!」


 寂れた酒場の、カウンターの奥だった。

 傭兵ジャックと数人の自由民。

 林業組合のティンバーボーン。

 彼らに危ないところを救われて、フェリシアはようやく脳震盪が治まったところだった。

 魔法陣も展開し、精神の防護は行っている。

 上司であるルカほどの優れた代物ではないが、梟杖は故郷で信じられていた智恵の女神のお護り。

 乱癡気騒を鎮め、理性的な意識を維持させるには、今しばらく効果を持つはずだ。

 元々はフェリシア自身の、怯気を退けるために修得した技だったが、おかげで為すべき行いが分かる。


(監視役の任務は、もう完遂できない)


 それよりも差し迫った重大事実に、対応しなければいけなくなった。

 たぶん、いまこの都市でそれが最初にできるのは、フェリシアひとりだけ。


「皆さん」

「なんだい騎士様?」

「確認させて欲しいんですが、銀冬菩提樹と丸酸塊の森には、地竜と獣神がいるんですね?」

「嬢ちゃんもさっきの声は聞いたろう!」

「はい。だから教えてください。私はまだこの都市まちに配属されたばかりで、リンデンの詳しさでは、皆さんに頼るしかありません」

「……何が聞きたいんだ?」


 銀色のヘルメットを被った材木齧りティンバーボーンが、紫色の水煙草シーシャを吸って訊ねる。

 名前はたしか、ティバキン。

 リンデン林業組合の若頭であり、森の事情にはかなり精通しているはずの人物。

 フェリシアは頷いて、


「獣神の正体を、知りませんか?」


 必要な情報を確認した。

 もちろん、それがリンデンで、大昔から謎のひとつとされているのは聞き知っている。

 森の深くには誰も入らない。

 神の祟りも竜の災いも、目の当たりにしなくていいなら、皆んなそちらを選ぶ。

 けれど、


「心当たりだけでもいいんです。推測や、噂でも構いません」

「んなコト、言われたってな……」

「森の神さんの正体つったって、色んな話があるぞ?」


 組合員を中心に、カウンター内がにわかにざわめく。

 大狼ダイアウルフ巨角王冠篦鹿ギガンティスエルク

 昔から森に棲息し、人々の畏れを集める動物といえば、だいたいその二種類。


「だけど、狼と鹿の言い伝えなんて、せいぜいが何処にでもあるようなモンだ」

「ああ。森の神様ってのを裏付けるような話は、たぶんジジババたちでも聞いたコトが無いだろう」

小夜啼鳥ナハティガルの話なら、子どもの頃から聞かされたけどな」

「……小夜啼鳥ナハティガル?」


 フェリシアは「待った」と話を止めた。


「リンデンの森には、小夜啼鳥ナハティガルが?」

「あ、ああ。年中な」

「夕方まで森にいれば、いつも鳴き声を聞かせてくれる」

「森の歌姫なんて呼んだりしてな」

「その話ならオレでも知ってる。美しい鳥だってんで、リンデンじゃ狩りを禁じられてる鳥だぜ」

「……なるほど、分かりました」

「分かったって……オイオイ、まさか」


 ティバキンが目を丸くして、フェリシアを見上げた。

 ジャックや他の者も、揃って同じような反応を浮かべる。

 失礼ではあるが、学の無い彼らは知らないのだ。


北方大陸グランシャリオでは小夜啼鳥ナハティガルは、数年前に絶滅しています」

「なんだって?」

「ありがとうございました、皆さん。魔法陣は残します。息を潜めて、なるべくそのまま隠れていてくださいね」

「お、おい! 騎士様!」


 カウンターを飛び出て、酒場の窓を開ける。

 刻印騎士団は人界を守る盾。

 情報を入手した以上、あとは大勢を守るために行動しなくてはいけない。

 建物の壁を蹴り上がり、屋根へ登って、呪文を呟く。


「“翔翼アーラ”」


 舞い上がる風と、空を翔ける猛禽の羽。

 外套を翼に変化させ、上昇気流に浮かせただけの不格好な模倣。

 それでも、フェリシアはエルダースで、人類では史上初の、〝飛行魔法使い〟として認められた。

 本物の鳥のように滑らかに飛ぶことはできないものの、上昇と滑空を適切に繰り返せば、空を素早く移動できる……!


師匠せんせいにはまだ、止められてるけどっ!」


 空を飛ぶ脅威に対抗するには、この手しかない。

 年輪街を越え、瓦礫街を見下ろし、森の奥から複数の影が現れ出るのを確認。

 こちらは鉄の監獄を抜けられないが、あちらはすり抜け侵入していた。

 魔物。

 非生物。

 異界の輩。


「……地竜だけは、違うって信じたかったな」


 鉄鎖流狼の影響下に置かれたためか。

 あるいは、仮にも星の最強種に、境界の区別など関係ないのか。

 大蹄大野牛ジャイアントバイソンよりも、なお大きく。

 地響きと風切り。

 身動ぎひとつで崩壊する都市の城壁。

 蚕蛾のような白い体毛、斑に生えた黒い棘鱗。

 額から伸びる角は、獣の王の証であり。

 天蓋のような翼、巨人の鞭のごとき尻尾。

 見るのは初めてだが、間違いない。


「孵化登竜現象……」


 白蛾虎という猛獣が、ドラゴンへ転生し始めた姿。

 息を呑むほど恐ろしく、同時にひどく美しすぎて指先が震える。


「……止めないと」


 リンデンの人々を、ひとりでも多く魔物の脅威から救うために。

 地竜の後ろには、森林歩きフォレストウォーカーがぞろぞろと、壁の中へ歩き出していた。

 小夜啼鳥ナハティガルの歌声も聞こえる。

 白緑川からは、水掻き鬼アドゥーの姿もある。


「──やるよ、フェリシア」


 やらなければ、たくさんの人が死んでしまう。


「私は、刻印騎士団だ……!」





────────────

tips:避難先の酒場


 鉄鎖流狼の魔法によって、リンデン住民は悪心萌芽の影響下に置かれてしまった。

 しかしながら、その効果から運良くも、一時的に逃れられた者も数人いる。

 対人戦のプロである傭兵たちは、暴動を起こした民衆の波を躱して隠れ場所を見つけ、獣人である林業組合員は、背が低いために満月の光を自然と避けられた。

 彼らは寂れた酒場のカウンターで、少女の残した魔法陣を頼りにジッと息を潜めている。

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