#096「起き抜けに幼女」



「──もし、もし?」

「ん──ああ……」


 声をかけられ目が覚める。

 意識の覚醒は、滑らか且つ一瞬だった。

 崩壊する世界は消え、肉の感覚と一緒に身体が重くなる。


 ……こうなってはもう、どうしようもない。


 最後にひどく気がかりなことをブチかまされてしまったが、考えるのは後にしよう。

 生きてる人間は目の前の現実に大忙し。

 仕方がないので、シャキッと人生を再開する。

 それで、あー、ええと……?


「君は?」

「あっ! しっ、失礼いたしました!」


 甲高いソプラノ、小さな背丈。

 メイドの格好をした幼い子どもが、ビクリと体を跳ねさせ勢いよく頭を下げる。

 目の前にはダークエルフの女の子がひとり。

 手には薄盆を抱え、テーブルに湯気の立つカップがひとつ。

 となると……ははーん? これはどうやら早速謎が解けてしまったみたいだ。


「なるほど。殿下が寄越した使用人かな」

「あっ、はい!」

「お茶を持ってきてくれたのか。ありがとう」

「!? い、いえ! 殿下のご命令でしたから! そ、それより……」

「ん?」

「ご、ご気分がすぐれないのですか? よろしければ、医官の方々をお連れいたしますが……」

「……医官?」

「は、はい! 恐れながら、閣下は先ほどから、呆然と立ち尽くしていらっしゃったご様子ですので……」


 もしやご気分でも優れないのではないかと。


「差し出がましいことを申したようでしたら、申し訳ございません……」


 メイド幼女はビクビクしながら謝った。

 なんだか年の割に、ずいぶん言葉遣いのしっかりした子どもである。


(閣下?)


 悪くない呼び方だな。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 俺は腰をかがめ、両膝に手を着く。

 仮面をつけているから、効果は薄いかもしれないが、このくらいの小さな子どもは、自分よりデカい生き物をナチュラルに恐怖する傾向にある。


王宮ハガルになんで、こんな幼気いたいけなメイドがいるのかは知らんけど……)


 ナハトが寄越したというなら、愛想良くしといて損はあるまい。

 見たところ、意識を失っていた俺に何か、悪意を持って近づいて来たという様子でも無さそうだし。

 きっとどこかの貴石貴族が、歳の近さ(といっても五、六歳は離れていそうだが)でも理由にしてナハトの元に送り込んだ、妾腹の子どもか何かだろう。

 薄汚い陰謀のかほりがする。……知らんけど。まあ、それはともあれ、


「体調は問題ないよ。心配してくれたんだな。君は気が利くね。ありがとう」

「!? そ、そんなっ! とんでもございません! えへへ……」


 礼を伝えると、幼女は謙遜しながらくしゃり! と顔を綻ばせた。

 なんという無邪気。


(な、和む〜)


 もし俺がロリコンだったら、思わず自首していた可能性もある小動物感。

 あまりの愛らしさに、思わず年上好きで良かったと心から胸を撫で下ろした。


(て、そうじゃねーだろ……)


 どうやら俺は、意識がまだ完全にはシャッキリしていないらしい。

 素早く首を振って、深く息を吸う。


「スゥ────よし」

「?」

「とりあえず、お茶は後で飲んでおくよ」

「はい!」


 ニコニコニコニコ、ニコニコニコニコ。

 幼女は愛らしくこちらを見つめている。

 ……さて、まいったな。


(この子、なんで立ち去らないんだ?)


 目的を達成したとはいえ、せっかくの王家の書架室。

 どうせだから貴重な書物の二、三冊、存分に読み耽ってから帰ろうと思うのだが、幼女は何故か立ち去る様子がない。

 人前で仮面を外せない都合上、そんな風にじっと見られたままだと、もらったお茶も冷めてしまうんだが……ポッケに忍ばせた干し肉もつまめない。

 さては飲み終わるまで、ずっと待っているつもりなのか?


「……お茶、後で飲んでおくからね?」

「? はい!」


 言外に下がっていいよと伝えてみるも、幼女には効果がない。

 おかしいな。ナハトから俺について、聞かされていないのだろうか?


「…………えっと、カップ、早く片付けたかったりする?」

「いいえ!」


 返事は明快。

 けれどこちらは、ますます困惑が増した。

 なんだ。いったい何が望みなんだ。


「えっと、じゃあ……まだ何か?」

「はい!」


 用件を訊くと、幼女は元気に頷いた。

 そうか。お茶とは別に、他にも用件があったんだね。


(だったら早う言いなされ……)


 俺は苦笑しつつも「何かな?」と続きを促す。

 すると、


「えっとですね……閣下さえよろしければ……」

「うん?」

「お顔を見せて欲しいのです!」

「マジか」

「マジで!」


 幼女はキラキラした目で信じられないことを言った。

 嘘やろ? いままで俺の仮面について、直球で「それ外せよ」って言ってきたヤツはひとりもいないぞ。〈学院〉の三馬鹿どもでさえ、決してその一線は越えてこなかった。

 第二妃のスピネル家。

 持病持ちという設定。

 後者はデタラメなのでともかく、前者はメラネルガリア貴族社会でそれなりの礼儀を要求するステータスだったはず。

 俺は一瞬、目の前のメイド幼女が子どもの姿をした刺客・間諜の可能性にまで思いを巡らす。

 が、


「…………!」


(う、う〜ん……?)


 幼女はキラキラした視線を送るばかりで、邪念というものを発していない。

 これがもし巧妙な擬態なのだとしたら、実に大したものだ。

 俺の目には、子どもが子ども特有の巨大な好奇心から、つい無茶なお願いをしてきたようにしか見受けられない。

 しかし、そうは言っても……


「悪いけど、この仮面は人前じゃ取りたくないんだ」

「ぇ、そ、そうなんですね……」

「ごめんよ。ちょっとした事情があってね。そのお願いは聞いてあげられない」


 顔を晒せば、眼も露わになる。

 あまり考えたくないが、伏魔殿に等しい王宮内で、死者の怨念がまったくのゼロということも無いだろう。


(だいたい、第一王子メランズールはで、忌み子と囁かれたっつーらしいからな)


 仮面のおかげで今はそうと分からないだけで、きっと〝よくないもの〟はそこいらじゅうに隠れ潜んでいる。

 騒ぎにならないはずはない。

 幼女も仰天だ。パニックホラーである。

 なので、


「用件はそれだけ? もしそうなら、そろそろ下がって大丈夫だよ」


 俺はなるべく優しい口調を心がけて、幼女を帰らせようと思った。

 だが、


「ぁ、っえと……! その!」

「ん?」

「申し訳ございません! わ、私としたことがっ、とんだご無礼をはたらき……!」


 幼女はそこで、ひどく焦った顔をして謝ってきた。

 どうやら、俺が断ってしまったことで、気分を大変に害してしまったと勘違いしたらしい。

 小さな身体がガクガクと震え、突然、気の毒なほど怯え始める。


「い、いや。そこまで重く受け止めなくても……」

「ひっ! 申し訳ございません申し訳ございません! どうかお許しください!」

「だ、大丈夫だって。俺は怒ってないっ」


 言いながら、俺は血の気が失せ始めたのを自覚した。

 この状況、見るものが見れば悪者は完全に俺である。

 王宮というシャレにならない場所で、下手な騒ぎは命取りに繋がりかねない。

 うおおおお〜! 泣くな! 幼女!


「……ぅっ……ぅぅ……!」


 しかし、慌てる俺の真ん前で、幼女の目にはウルウル涙がたまり始めていた。

 周囲に人気は無いが、日本人的魂が謎の危機感を煽る。

 こうなればアレだ。甘い物だ。子どもは甘い物好きだろう? オジサン飴ちゃんあげるからハイ笑って〜? これね、何味だと思う? なんと干し肉味! 肉は肉ってだけで甘美だからな。


「マズ」

「ダメかぁ」


 幼女はもちゃもちゃと乾燥肉をしゃぶり、素直な感想を吐き出した。

 まあ……泣かないでくれるなら何でもいい。

 さっきまであんなに愛らしかったお顔が、今やしわくちゃの社畜ピカチ〇ウみたいな渋面を形作っているものの、この隙にどうにか笑顔に戻せる方法を考えるぜ。

 と、そんな俺に、


「あの、閣下?」

「……ん?」

「取り乱してしまい、申し訳ございません。侍女の身でありながら、閣下に逆にお気を遣わせてしまうとは……」

「全然気にしてない」

「どうか至らぬ私に、挽回の機会をくださいませんか?」


 幼女は慇懃に頭を下げ懇願する。

 俺の返事は若干聞き流されてるフシがあった。

 強引というか、やや思い込みの激しい子なのかな?

 面倒だが、もう少しだけ付き合った方がいいのかもしれない。


「えっと、挽回って?」


 後頭部を撫でながら尋ねる。

 幼女はフンスッ、と意気を取り戻すかのように言った。


「はい! 私に是非とも、閣下の宮殿案内をさせていただければと思います!」


 ……えぇ?




────────────

tips:メイド幼女


 メラネルガリアの王宮には、子どもであるにもかかわらず、なぜかメイドをやっている幼女がいるらしい。

 丁稚奉公なのか何なのか、バックボーンは現状謎に包まれているものの、言葉遣いはかなりしっかりしている。

 性格はやや情緒不安定。

 だが、子どもなら多かれ少なかれ、こんなものかもしれない。

 天真爛漫、元気溌剌、ほんのちょっぴり男性恐怖症。

 幼女はときどき哀れなほど怯えている。


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