#083「魔術考察・後段」



「魔術に頼り魔術に秀で、いつの間にか引き返せぬところまで、自分たちを追い詰めてしまっていた愚かな種族魔術式について……若者よ、貴殿は何と心得る?」


 そう問い掛けられた時、俺はようやくこの時間の意義を悟った。

 魔術がどんな所以を持つかを語り、魔術がどうやって成立するかを語り。

 目の前の老人にとっては、とっくに既知だろう事柄を、なぜここまで長々と並べ立ててきたか。

 トルネイン・シャーマナイトは本当は、何を聞き出したくてこの時間を容認したか。

 察するに、ここまでの長い前振り、そのすべてが、


(俺にこの国の現状、魔術との関係性を意識させるためだったのか)


 だが、


(となると、どう受け止めるべきなんだ?)


 老人が若者に、国の未来を真剣に考えさせようとしただけなのか。

 あるいはやっぱり、オマエは王族だろうと、こちらの正体に関して揺さぶりをかけてきているのか。


(……判断はつかねぇな)


 どっちも、という可能性も普通にありえそうでおっかない。

 とはいえ……


「大魔術式『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』?」

「左様。貴殿も名こそ聞かずとも、曰くぐらいは知っていよう。それとも、新しき世代にはこう呼んだ方が聞こえがよいか?」


 地熱魔術。


「広大なメラネルガリアの国土を、北方大陸グランシャリオの厳しき自然から守るため、気の遠くなるような大昔、考案・発動された大魔術の銘よ。いまでは国名でもあるがな」


 其れは、

 

「ひとつ実演して見せよう」


 トルネインは座席を離れ、杖を突きながら部屋の中央に移動した。

 そして、客席の前に置かれた足の短いテーブル。

 黒灰色の角卓を見下ろし、


「!」

「ま、こんなものであろうな」


 まったくの無動作。

 まったくの無言。

 何かしらの予兆を一切感じさせることなく、超常現象を発動していた。


「これは……」


 思わず驚き、まじまじと観察してしまう。

 いま、テーブルの上には先ほどまで無かったひとつの物体、黒方解石の仮面が出現していた。

 ツルツル、ピカピカ。

 光沢のある質感は腕のある職人が丹精を込めて磨き上げ、長い時間をかけて懇切丁寧に細工を整えたとしか思えない。

 石斧を作った経験があるから、一目で理解できる。

 これは、一朝一夕で用意できる品物じゃない。

 しかも、


「同じだ……」

「我ながら、鴉の面とは傾いた趣向であると思ったがな。貴殿に実感を与えるには、貴殿の身につけているものをかたどるのが、一番の方法だと判断させてもらった」


 どうだ? これがダークエルフの魔術よ。

 老人は満足したのか、再度杖音を響かせ座席へ腰を下ろす。

 そして背もたれに身を預けると、今度は深く、深く息を零した。


「見ていて分かったであろうが、我らはこと貴石にまつわる超常に限り、通常の魔術師が必要とする詠唱や儀式化を、省略することが可能だ」


 何故だと思う?

 老人は倦み疲れたような声音で呟いた。


「すべての魔術には術式が不可欠。

 しかし、ただダークエルフとして生まれ、代を重ね、幾星霜と生き続ける。たったそれだけのことで、永遠にも等しい間、発動を維持する魔術式が『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』だった」

「永遠……?」

「貴殿も言っていたであろう」


 類似した二つのものを照応させる。

 それこそが、この世界における魔術の仕組み。

 ダークエルフは何と、自分たちを照応させた?


「答えは、

「!」

「黒き貴石の名を氏族の姓としてまで取り込み、我らは自らを晶瑩玲瓏しょうえいれいろうと定めた」


 見るがいい、この国を。

 身の回りのものすべてが黒一色だ。

 建物の色は黒、衣服の色は黒、食器や調度品、普段使いの日用品類まで黒色。

 その街並みは重く、時には威圧感をも与えかねない貴族権威の反映。

 ダークエルフは古来より、何物にも染まらない高貴なる漆黒を敬愛したというが、その理由はなんだ?


「たかだか肌の色、髪の色が黒かったからだけではないぞ。歴史に曰く、アダマスの初代王は石炭を生み出す特別な力を持ったことで、王としての立場を認められた。今日こんにちにおいて、アダマス王家は黒金剛石を司っていると謳われるが、始まりは違う」


 崩落の紀。

 壊れた星の紀。

 巨大彗星衝突により、故郷である〈第五円環帯ティタテスカ・リングベルト〉が〈中枢渾天球エルノス・センタースフィア〉に流れ込んだ後。

 混沌に恐慌する同胞たち。

 エルノスの先住種族は、異邦の稀他人まれびとを各地で拒絶し迫害した。


「そんな中、ダークエルフは次第に北方へと追いやられ、遂にはこの黒白の死世界グランシャリオに辿り着いた。

 ならば、そこから求められるのは必然、自分たちを救う英雄の登場に他なるまい」


 石炭という燃料。

 北方大陸グランシャリオでそれは、いったいどれほどの生命線となるか。

 ダークエルフはもともと寒さに強い種族ではあったが、限界は存在した。

 火は、あらゆる知的生命にとって文明の象徴。


「魔術の有用性に気がつくものが増えるのは、だからこそ当然の流れ。貴石の名を背負う責任は、斯くして十一の名家に与えられた──貴殿、宝石の生まれ方を知っているかね?」

「え?」

「知らぬなら、学んでおくことだ」


 キラキラと艶めかしい装身具の数々を揺らし、トルネインはそっと指輪を見せつける。


「べつに、黒方解石シャーマナイトに限った話ではないがな。あらゆる石は大地の熱と重み、冷却によって成長すると云う」


 融解した岩漿マグマ瓦斯ガスが結晶化したもの。

 地表付近の水溶液が結晶化したもの。

 既存の鉱物が高圧力高温に鍛えられて再度結晶化したもの。

 正確な分類と正しい呼び方が何にせよ、いずれも『熱』が原因の一部であることは〈古態元型像アーキタイプ〉に記録されていた。


「よって、すべては照応」


 アダマス王家だけでなく、なぜ他の一族まで貴族としての地位を確立したのか。

 貴族は何ゆえに貴族足り得ると認められたのか。

 メラネルガリア貴石貴族、十一の名家。


「我らは黒石の名を背負い、真実晶瑩であると集合的無意識世界に認めさせるため、数多のものを黒に染め上げ続けた」


 何故なら、そうすることが術式の純度を上げるのに最良の手段だったから。

 大魔術式『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア

 其れは、ダークエルフを黒色の宝石に見立て、ダークエルフが誕生、成長を続ける限り、必ず地上に暖かな地熱を引き込む文明基盤構築の術。


「じゃあ、貴族街に入って、気温が上がったように感じたのは……」

「ふむ。術式の基幹を担う〝象徴〟が、この街には集まっている」


 ならばそういうことも、無くはないだろう。

 トルネインはこともなげに言った。

 俺は驚きのあまり、すぐには二の句を継げない。

 それほどにスケールの大きい話だ。

 けれど。


「……分かりませんね。今の話だと、ダークエルフは恩恵を被りこそすれ、不都合なことは一切無いように思えますが」

「本当にそうかね?」

「少なくとも、自分たちを追い詰めたって部分は、違うと思います」

「それは貴殿が若い──いいや、意識が低いからだろうな。もっと大局を見据えた視座を持つがいい」

「なんですって?」


 トルネインの発言に思わず反感。

 俺はむっとして眉根を寄せる。

 若さのせいじゃなく、意識のせいだぁ?


(だったら教えてもらおうか)


 ダークエルフが陥っている、その袋小路とやらを。

 俺がそう若干気炎を揚げて眼光を鋭くすると、


「フッ──しかしそうだな。我らも若かりし頃、遥か数千年後の未来を見通すことなど、まるでできなかった」


 それを思えば、愚かな老人の戯言であったわと、トルネインは自嘲の笑みを浮かべて「忘れてくれ」と言った。


「──よいか? 魔術師は己が魔術の強度を上げるとき、術式の純度を考える。この場合、純度とは労力と呼び替えても構わない」


 たとえば、魔術で火を熾そうと思ったなら。


「ある者は指を鳴らすだけの簡単な一動作で。

 またある者は、何かしらの神話や伝承に倣って、火神火精の名を詠唱するかもしれない」


 前者は指を擦り合わせて生じる摩擦の熱、パチンと鳴った音の響きが焚き火との照応を叶え。

 後者は神、精霊の影響力が強ければ強いほど、元素との照応を容易にする。

 ただし、神代、伝承の記憶を利用するなら、術者本人もその神話と伝承に、できる限り寄り添う必要が発生してしまうが。


「具体的には、火神火精を象徴するシンボルなどを身につけ、必要であれば逸話をなぞる舞踊や祭儀。

 とにもかくにも、『代演』が大掛かりなものになればなるだけ魔術は強力になる傾向がある」


 当然だ。

 すべての魔術は〈古態元型像アーキタイプ〉にどれだけ近づくことができるかで、発動の規模を変えるのだから。


「ははぁ。つまり、こういうことが言いたいんでしょうか?」


 俺はトルネインの論調の先を予測し、そこから先を敢えて巻きとった。


「過去、ダークエルフは『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』の術式純度を上げるため、恣意的にの文化を発展させることにした」


 なぜなら、そうすることで術式の強度は安定し、ダークエルフの国領……地熱による生活基盤を整えることが可能だったからだ。

 山地、盆地、平地、高地。

 過酷な北の環境で、なおも逞しく繁殖する獣たち──畜犛牛オーノック駄鳥ドルモア牧山羊パルサ野雉羊ウルヌク──を、ダークエルフは古くから家畜・品種改良化している。

 しかし、地熱による恩恵がなければ、こうまで広大な国領を活かし切った大規模放牧は、不可能だったに違いない。


「で、あるからこそ、我らはいつの間にか魔術を使うのではなく、魔術に依存するような生き物に堕落してしまった」


 黒ければ黒いほど、善い。

 混じり気なく、美しき黒色を湛えれば、未来は磐石。


「その思想は間違いではなかった。当時の情勢を鑑みれば、強きものが上に立つ社会、優れたものが弱きものを導く社会こそ、秩序の維持には最適だった」


 だが、そこから始まった暗き闇路。


「術式の純度を保つには、貴種の純血性はできる限り守られなければならない。我らは貴族間の繋がりを深め、しばらくは何の問題もないとタカをくくっていた」


 何しろダークエルフは長命だ。

 千年、二千年、三千年と生きるのは当たり前。

 子どもを作るのは得意ではないが、生きるだけなら永くやっていける。

 けれど、そうしてやっていく内に……


「──新しい世代が、明らかに数を減らした」

「……」

「〈学院〉に通う若者も、はじめは五百、四百はくだらなかったというのに……今ではたったの八人ばかり!」


 貴族だけに留まらず、ダークエルフは種族全体として大幅に出生数を減らしてしまった。


「何故か?」


 理由は言われずとも分かる。


「然り」


 くどいようだが、何度でも繰り返そう。

 魔法も魔術も、〝求める結果〟という目的があるから発動される。

 どんな奇跡が必要で、どんな超常現象が目の前に欲しくて、自分の寿命を、世界の寿命を、使い潰してでも叶えたい願いがあるから犠牲を厭わず理を曲げる。

 では、


?)


「シャーマナイト公、ひとつ確認です」

「……」

「メラネルガリアの国民、ダークエルフの総人口は、いったい何時ごろから変化しなくなりましたか」

「……さてな。所詮、我が手掌の届く範囲など自領が関の山よ。他家の所領のコトまでは、ハッ! 第三妃家でもなし。さすがに把握しかねる」

「なら、黒方解石シャーマナイト領だけの話でも構いません」

「それこそ、答える必要はない。貴殿は黒尖晶スピネルであるのだろう? ならば自領に帰り、スピネル公にでも直接訊くがよい」


 事はダークエルフ全体に伸し掛る問題なのだから、敢えて他家の懐を探るような真似はせずとも答えは知れる。

 その回答、それ自体がすでに答えを言っているようなものだったが、トルネインは〝シャーマナイト〟としての線引きか、あくまでも名言を避ける形で返答した。


(つまり──)


 ダークエルフは繁栄の限界にブチ当たった。

 魔術式『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』による文明基盤の構築。

 地熱を利用した国土温暖化は、種族の繁栄を助け大いに生活を助け続けてきたが、逆を言えばそう……



 言うなれば、魔術の型に嵌められている。

 国の施策として長年、黒色信仰を浸透させてしまったのが諸刃の剣。

 大魔術式の恩恵は当初は大きかった。

 だが、たとえどんなに凄い魔術でも、それが人の考案した〝設計思想の賜物〟である以上、最初に想定されたコストパフォーマンスを上回ることだけは絶対に無い。


(自作PCみたいなもんだな)


 金をかけていい部品を集めれば、高性能のマシンを組み立てることができるが、どんなPCも部品以上のスペックは叩き出せない。

 魔術で叶えられる奇跡の最大値。

 現状のダークエルフは、そこに到達してしまったんだろう。

 そして、


「術式を成り立たせる象徴として、あまりにも永いあいだ自分たちを記号として磨き上げ続けてしまった。だから、魔術に頼り魔術に秀で……ですか」

「まこと愚かな話よの。我らはもう、術式の手綱を握ることすらできん」


 なにせ、ダークエルフであることそれだけで、術式の構成要素には自動で拾い上げられる。

 拾い上げられてしまうから、すでに目的は達成できているとされて未来が無い。


(魔術式『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』とは、種族の繁栄を願って発動されたもの)


 発動された超常現象は、すなわち国土の温暖化。

 地熱による安定した生活産業基盤インフラストラクチャーの構築とともに、ダークエルフは北方大陸グランシャリオで最も広範な王国を築き上げて来た。

 だが、


「──奇跡の副作用。望まぬアジャスター」

「そう。我々はこれ以上の発展を見込めない。更なる上を目指しても、魔術式が許さない」


 何故なら、国を覆う大魔術式が、種族の運命とあまりにも永く絡みついてしまった。

 気づいた時にはもう手遅れ。

 自縄自縛の因果の帰結。

 停滞の時、繁栄の袋小路は、いまや術式の庇護対象であるダークエルフそのものにも、決して打破できぬ鳥籠となった。


「術式の歯車としての己を、我々は受け入れすぎていたのだよ」

「……止める方法は、ないんですか?」

「ない」


 即答。そして断言。

 トルネインは嘆くようにせせら笑った。

 肩を落とし、虚空を見上げ、視線を俺から外したのは、現在ではない何時かの後悔を想起したのか。


「……」


 数秒の沈黙の後、トルネインは再度こちらを正眼に捉えて言った。


「で、どう思うかね?」

「どう、って……」

「今やひとつの魔術式とも云える我らダークエルフ──その現状と行く末について、貴殿の忌憚なき所見を、是非ともお聞かせいただきたい」


 其は、我ら魔術を何と心得る?

 老人は少しの欺瞞も許さない鋭い眼差しで、三度にわたり言った。


(……つまり、これこそが本題)


 ただ字面の意義通りに、魔術が何かを尋ねられたワケじゃない。

 トルネイン・シャーマナイトは、俺にダークエルフそのものをどう思うか訊いている。

 言葉の上では魔術に閉じた問いかけだが、話の流れから察せられないほど俺もバカじゃない。

 質問の意図は正しく認識できている。たぶんできているはずだ。

 だが、その上で。


「なに?」


 トルネインの抱えている後悔と反省。

 現状の同胞たちに向ける、恐らくうっすらとした苛立ちに失望。

 そして、国の停滞をどうにかしなければと躍起になって焦っている気持ち。

 俺が本当にダークエルフの〝仲間〟であれば、共感もできたのかもしれない。

 けれども、


「……分からない、だと?」

「ええ。そうなんです。俺には何が問題なのか、いまいちピンと来ませんでした」


 だって、


「魔術によってダークエルフは繁栄した。メラネルガリアは北方大陸グランシャリオで最も大きな王国になった。国交は基本的に鎖ざしているし、内部にいくつか問題を抱えていないワケでもない。

 でも、国全体の方向性としては、ちょっと異常なくらい前向きでしょう」


 王侯貴族は国力強化に余念がなく、民もまたあらゆる方面で強さに貪欲だ。

 セラスランカとティアドロップ。

 メラネルガリアでは忌み子と蔑まれるあの二人。

 彼女たちは昔、スラムで孤児の身分だったらしい。

 しかし、姉妹は周囲からの迫害に膝を折ることはなく、むしろ不屈の闘争心で数々の逆境を跳ね返したと云う。

 所詮は噂話が出所だが、権謀術数渦巻く貴族社会。

 〈学院〉で小耳にする噂も、ひとつやふたつじゃない。

 似たような話を二、三聞けば、それはだいたい真実にほど近いだろう。

 この王国は上も下も、揃いも揃って実力主義に取り憑かれている。


「なので、上昇志向も大概結構なことですけど、個人の意見としては〝それ以上なにが不足なんだ〟と少々呆れもします」

「子孫を残せなければ、我らは滅ぶのだぞ?」

「……!?」


 思想としては恐らく異端も異端な考え方なのだろうが、俺は敢えて言い放った。

 愕然として瞠目するトルネインと正対しながら、ひそかに断絶を感じて。


「俺が分からないのは、シャーマナイト公。貴方が間違いを察して原因まで分析しているのに、なぜ〝リセット〟を図ろうとは考えないのか」


 魔術式『黒石玲瓏晶瑩國體メラネルガリア』が発動をやめず、自分たちの手では止められないなら、その目的である国の方をこそ破壊すればいい。


「さすがに全てのダークエルフに死ねというのは論外が過ぎますけど、国なんてものは、幾らでもやりようがあるのではないですか? ダークエルフが一所ひとところに集まって、生存のための営みを為すのが術式トリガーだとすれば、散り散りになってまた一から始めていく。そういう選択もアリだと思います」


 なぜなら、


ダークエルフ我々は強いのでしょう? すでに十分、術式にまで繁栄を認められた種族であれば、困難にブチ当たっても必ずやそれを乗り越えられる……と、俺は考えたりもしますけどね」

「暴論だ。幾星霜と築き上げ、ともに成長してきた国を、無惨に細切れにして解体してしまえ?」


 挙げ句、同胞と離れ離れになって暮らしていけだと?


「それは前進ではない。後退だろう……!」


 種族としても国としても、発展ではなく衰退。強化ではなく弱体化。

 トルネインは恐れ慄いたような震え方で、否定を口にした。

 然もありなん。

 これはメラネルガリアの外で育てられ、ダークエルフとしての種族意識が極めて低い俺だから出せる異端の思想。

 価値観の断絶はもしかすると、老人に俺を異常と思わせたかもしれない。

 それでも。


「歪みをそのままに都合よく未来だけ取り戻そうなんて、そんなのよっぽどどうかしてる」

「ッ」


 間違いがあったなら正す。

 失敗があったならやり直す。

 学びを得ない愚か者は、自然に淘汰されるのが本来極北の掟。

 俺はテーブルの上の石仮面を手に取った。


「なるほど。たしかにダークエルフは、素晴らしい発展を臨んだのでしょう。これほどの技術、これほどの恩恵、手放すのは惜しいと後ろ髪を引かれるのも頷ける」


 実際、俺も目の前で実演されて「え、いいな」と羨ましい気持ちになった。

 いつでもどこでも、好きなように石器を作れるなら、便利なことはこの上ない。

 石炭でも金剛石でも、操れるものなら操ってみたいよ。


「……ですがやっぱり、現状で必要に迫られないなら、無駄な技術だとも感じました」

「無駄……」

「メラネルガリアはすごい国です。ここではただ生きていくことが、人生の〝余分〟に感じてしまいそうなほど、生活のレベルが高い」


 テーブルに石仮面をコトンと戻す。

 貧富の差や、優劣間の溝はあっても、全体的にメラネルガリアは〝いい国〟の評価で落ち着く。

 なぜなら、俺やセラスたちなどはあくまで少数派で、民衆の大半は幸福に暮らしているからだ。

 文明の明かりが国土を照らし、多くのひとが衣食住に困っていない。


「子孫の繁栄が望めない。人口が増やせない。それは、たしかに困った問題かもしれませんが」


 現在いまある状況を見てみろ。

 国は滅亡に窮しているか?

 民は飢えて死にそうなのか?

 否、否否否。

 メラネルガリアは安定している。

 国は現状のままで、何も問題がない。

 だったら、


「現状の幸福で満足していればいい。人口が増えないといっても、ダークエルフにも寿命はある。老いた世代が亡くなれば、新しい世代がその数だけ生まれる」


 そういう現在いまが延々続いていく未来でも、別にいいんじゃないですかと。

 王族としては、あまりに落第点の回答かもしれなかったが、元より王族の立場など居座った覚えもなし。

 求められるまま、個人の意見として素直に回答した。


「……そうか」


 トルネインは静かに受け止めた様子で、


「長話に付き合わせて済まなかった」


 鈴を鳴らし使用人へ合図。


「貴殿の考えに私見を返すのは控えておこう。ただ、極めて得がたい時間ではあった。玄関までは見送らせる──おい」

「は。お客様、こちらへ」

「……」


 俺はどうやら、不興を買ったらしいことを察した。

 使用人が扉を開き、部屋の中から出るよう促す。

 ならば、後の流れは然して言うまでもない。

 来た時はフィロメナと一緒。

 しかし、出る時はひとり。

 ま、怒鳴られなかっただけ穏当な反応だったな、と肩を竦めて、そのまま大人しくシャーマナイト邸の玄関に背を向けた。


「……?」


 最後にチラリと、ロビーの妙な豪奢さ──画廊のような──にだけ目を惹かれて。





────────────

tips:アレクサンドロ・シルヴァンの魔術


 術式名:神代記憶接続。

 どうやらあまり、真面目に名前をつける気が無かったらしい。

 役割と機能を、そのまま表した無骨なネーミングセンス。

 しかし、その術式純度は生涯を懸けて洗練されていた。

 エルフ誕生に関する三兄弟三姉妹の神話。

 〈渾天儀世界〉でも有数の大神話を利用し、木漏れ日=エルフ=陽光の照応式を成立。

 日輪剣カエロラムをも記号に組み込んで、自らを太陽に等しいとアーキタイプ(集合的無意識)に誤認させた。結果、事実上の不老不死を実現する。

 本人にそんな自覚は一切無かったが、個人で成し遂げる魔術としては、もちろん最高峰の領域。



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