04-41 血ヘドに塗れて その①



「『50,000ポイント分の土砂を作成しますか?』」


「“承認”」


 そう唱えると同時にヘルメスの頭上に光の球が現れた。ヘルメスの意のままに動かすことができるそれが、隣の部屋に向かって、光の尾を引きながら宙を滑っていく姿は、さながら妖精のように見える。しかしこの妖精のような光が3秒後には大量の土砂に変わり、部屋全体め尽くすのだ。部屋に残っている命をもれなく飲み込み押しつぶす、体積と重量の爆弾が炸裂するのである。


 3、2、1……。 頭の中でカウントをしながら、ヘルメスは光の球を動かしていた。


 0。


 光の球が壁をすり抜ける。直後、ズウウンン……という重低音が隣の部屋から響いてきた。それは50,000ポイント分の土砂がその部屋にいたすべての命を押しした音、あるいは……。ヘルメスは息を呑んだ。


「『マスターが、〈ブラッディナイト〉を3体、〈血まみれマン〉を3体、〈血みどろエルフ〉を3体、〈血液一気飲み男爵〉を3体――合計12体の敵を撃破しました。合わせて230,000ポイントを獲得。さらに、ダンジョンの外で敵を倒したことによりボーナスをゲット、115,000ポイントを獲得しました。またマスターが直接手を下したことによるボーナス、50×12ポイントを獲得しました』」


 ステラの棒読みアナウンスが先ほどの攻撃の戦果を告げた。 今度は12人も殺したのか。こんな簡単に。


 と思った瞬間、ヘルメスは胸から込み上げてきた衝動に耐えきれず、嘔吐した。ダンジョンマスターになってからほとんど食べ物を口にしていなかったので、胃液だけが床にぶちまけられ、水たまりになったそれから酸っぱい臭いが立ち上った。


「ご、ごめん。きたなくて」


 ヘルメスは謝罪した。誰に対しての謝罪かはよくわからない。とにかく頭の中がごめんなさいでいっぱいだった。ステラは「ちっともかまいませんよ」、と言いながら、背中をさすってくれた。


「すごいですよ、マスター。12体も倒してしまうなんて……。でもやっぱり、マスターはあんまり殺すのには向いていないようですね」


「そうみたいだ」


 ヘルメスの顔は青ざめていて、あせをびっしょりかいている。直接戦ったわけでもないのに。直接死んだ姿をみたわけでもないのに。不可避の殺意と暴力を問答無用で発現し、それによって多くの命を奪った、と認識しただけで、もう、駄目だった。


 ――肉体ではなく心が殺戮のストレスに耐えられず悲鳴を上げている。


「でも、きっとじきに慣れますよ……」


「ホントか?」


 このストレスに慣れる? ヘルメスにはにわかには信じられなかったが、しかし、おそらくそれが、自分の心を殺すということ――人間をやめるということなのだ。やりきれない思いが胸に去来したが、すぐさま仕方がないんだと自分に言い聞かせその思いを打ち消した。


『やらなきゃやられる。死にたくなければ心を殺せ。敵がいたなら躊躇をするな』


 ステラの言葉を反芻する。そして、ここは戦場なのだ、人間の心なんて邪魔なだけだ。おれはダンジョンマスターだ。みんなを、ステラを守るためなら、人間じゃなくなったってかまわない。と頭の中で唱え、吐しゃ物で汚れた口元をジャケットの袖でぐいと拭うと、ヘルメスは顔を上げた。


 ステラの心配そうな顔が目の前にあった。


「ごめんねマスター。嫌なことをさせて」


 申し訳なさそうに見つめる視線に、ヘルメスは首を横に振って応えた。


「いいんだ。たしかに殺しは辛いけど……だけどうれしくもあるんだぜ。ステラを守ってるって思えるから」


 そう言うと今度はステラが首を横に振った。


「ううん。マスターが私のために頑張ってくれてるの、うれしいけど……」


 言葉に詰まる。


「けど?」


「ん……なんでも、ないです」


 ヘルメスが尋ねても、ステラはそれ以上何も言わなかった。しばらく黙っていた2人だったが、ステラが沈黙を破った。


「先へ進みましょう」


 ステラは隣の部屋へ続くドアを見つめながら、すらりと刀を抜くと、切っ先をドアに突きつけた。







 12体の魔物が、侵入者の土砂によって一網打尽にされた。壁をすり抜け飛来した光がフッ……と消えた、と思った瞬間には部屋中が土砂で埋め尽くされ、彼らは瞬く間に圧死した。まさに即死だった。 ところが部屋の魔物が全滅したわけではなかった。3体の魔物が生き残っていたのである。


 〈血反吐男爵〉である。この魔物の〈血液同化〉は、他人の血液に自分の体を溶かしこむことによって、物理的な攻撃を無効化することができるスキルだ。〈血反吐男爵〉はこのスキルによって侵入者の土砂の難を逃れることに成功したのであった。


 もっとも彼らは意図的に〈血液同化〉を意図的に発動させたわけではなかった。そもそも〈血液同化〉の発動には、『他人の血液を浴びる』という条件を満たす必要があるため、意図的に発動できる種類のスキルではないのだ。


 それが今回発動したのはただの偶然だった。侵入者の土砂が炸裂する寸前、〈血反吐男爵〉たちは、たまたま死んだ12体の魔物たちと密接していた。そして土砂が炸裂すると、その勢いに押し出された他の魔物たちとさらに密着、そのまま壁まで流され押しつけられぺちゃんこに潰れた彼らの血を全身に浴びた。その結果、〈血液同化〉が発動したのだった。


 〈血反吐男爵〉たちは奇跡のような偶然に感謝した。理不尽極まる物量の暴力から、生き残ることができたことを喜んだ。が、彼らの心に光がさしたのはその一瞬だけで、次の瞬間にはこの部屋にいた自分たちを除くすべての魔物が死んだということを悟っていた。そして自分たちが生き残ることができたのは、彼らの血を浴びたためだということも。


 偶然――で片づけてはいけない。自分たちは死んだ彼らに生かされたのだ。『仇をとれ』という彼らの死に際の意思を託されたのだ。ならば応えなければならない。


 壁の隙間に染み込みながら、3体の〈血反吐男爵〉は侵入者が部屋に入って来る瞬間を待っていた。侵入者が土砂を取り除きドアが開けた瞬間――「血反吐スペシャル(液体化したまま相手の体内に侵入し、内側から喰い破る血反吐男爵の必殺技)」を喰らわせてやる。戦うこともできずに殺された12体の仲間たちの痛みを、何百万倍にもして味わわせてやる。3体の〈血反吐男爵〉は怒りと殺意をたぎらせていた。







 隣の部屋に続くドアはヘルメスの放った土砂に阻まれて開かなかった。なのでヘルメスたちは先へ進むことができなかった。


『先へ進みましょう』


 そう言って抜いた刀をドアに突きつけた美少女剣士――ステラはその姿勢のまま固まっていた。そのポーズは絵としてはなかなか格好が良かったのかもしれない。しかし先へ進めなかった今となっては、むしろ滑稽だった。


「なあステラ、なんで刀を抜いたんだ」


「……っ」


 ステラはしゃりんと刀を納めた。平静を装っているが、頬が若干赤くなっている。格好いいポーズが空振りしたことに動揺しているのだろう。


「抜いた刀をドアに突きつける動作に何か意味はあったのか」


 ヘルメスはここぞとばかりにステラに詰め寄った。ステラをいじれる機会はそうそうない。


「そ、それは……それはですね……っ」


 ステラはしどろもどろの体で何やら言い訳をしようとしていた。しかしなかなか思いつかないらしい。さてさてどんな言い訳が飛び出すのか。ヘルメスはそれをニヤニヤと見ていた。


「素振りっ! そう、素振りですからっ」


 今更言い訳が浮かんだらしい。ステラはすごい勢いで話し始めた。


「ほら、マスターが隣の部屋の魔物を全部倒してくれたじゃないですか。さすが私のマスターやるときはやってくれますよねー。ところが敵が全滅したのはいいけど、それってつまり私が剣を振るう機会がなくなってしまったってことじゃないですかっ! 私、剣振れなかったってことじゃないですかぁ。えーん、私剣振りたかったのに~! ――だから素振りしたんですッ! 剣士たるもの鍛錬を怠ってはいけませんからね! ほら筋が通った! すごくない? 筋通ってません? アハハハハ」


 全然すごくないし、筋も通ってない。ステラはしばらく勝ち誇ったように笑っていたが、ヘルメスの冷たい視線に気がついて「コホン」と咳払いをした。そして取り繕ったような真顔になって、言った。


「先へ進むには、まず土砂を取り除く必要がありますね」


「そうだな」


 先へ進むには土砂を取り除く必要がある。しかしどうやるのだろう。


「シャベルとかで掘るのか?」


「日が暮れてしまいますよ。そんなことしなくても一発で土砂を消し去る方法があるんです」


「へえ」


「では説明いたしましょうっ。ダンジョンマスター能力の上級者テクニックその②――『ポイントへの変換』をっ」


 ステラは人差し指をびしっとヘルメスに突きつけた。


「『ポイントへの変換』だって!?」


 ヘルメスは大げさに驚いて見せたが、だいたい見当はついていた。どうせあれだろ、バター男爵を消し去った、あれなんだろ。


「はい。ポイントへの変換っていうのは、えーっと。バター男爵を消し去ったあれです」


「やっぱりか」


 ヘルメスは落胆した。


「はい。ダンジョンマスターの所有物をポイント化するってことですね。マスターのモノは、ポイントに変換すると同時にこの世から消滅します」


「バター男爵もこの世から消滅したわけだ」


「はい。塵一つ残さず消滅しました」


「切ねえなァ。ま、今回はそれを土砂の除去に使うってわけだな」


 ステラは「はい」と返事をして、説明を続けた。


「具体的なやり方についてお話しましょう。ポイントへの変換はアイテムの作成とほぼ同じ手順で行います」


「選択、確認、承認?」


「そうです。ポイントにするモノを“選択”、それでいいのかを私が“確認”、最後にマスターが“承認”するという毎度おなじみの手順です」


「簡単だな」


「はい。ではさっそくやってみましょう」


 ヘルメスは「おう」と応え、ポイントへの変換を手順通りに実行した。 まず選択。


「さっき作った土砂をポイントに変換する」


 つぎに確認。


「『土砂を25,000ポイントに変換しますか』」


 そして、


「承認」


 これで終わり、のはず。 だが何も起こらなかった。


「何も起こらないぞ?」


「実はポイントの変換には、もう一つアクションが必要なのです。ポイントの変換は承認したあとで、やっぱやめた! ってなることが多いので。安全のためですね」


「なるほどな。で、そのアクションっていうのはどうやるんだ?」


 ステラは右手の親指と中指の先をくっつけ輪を作った。


「私の手の形を覚えてください。中指に力をいれて、親指を人差し指の方向へずらします。親指の付け根に中指を


 するとパチンと音が鳴った。


「ようは『指パッチン』だな」


 ステラは「はい」と頷き、顎でヘルメスにやってみろと促した。ヘルメスはステラと同じ指の形を作り、パチンと指を鳴らした。


「『土砂をポイントに変換しました』」


 ステラの棒読みアナウンスが無事にポイントへの変換が実行されたことを告げた。


「よし、これで先へ進めるわけだな」


「はい」


「あれやらなくていいのか」


「あれ?」


「ほら、刀抜いてさ……先へ進みましょうって」


「……もうっバカぁ」


 ステラは赤面し、逃げるようにドアを開けて隣の部屋に入っていった。だけどその動作はあまりに軽率だった。敵は全滅したと思いこんでいた。だから、その直後にステラが襲われるなんてヘルメスは思いもしていなかった。

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