邂逅他人丼
①
篠森と私の出会いは、およそ二週間ほど前に遡る。
「桜ちゃん。嫌なお仕事、お願いしていい?」
放課後の生徒会室で神楽坂会長にそう切り出されたのは、ゴールデンウィークが明けた五月上旬のことだった。
「嫌な仕事、ですか」
「そう。これなんだけどね」
会長が手にした紙には、「部活動・同好会申請書」とあった。空欄は、すべて手書きの文字で埋まっている。
「料理研究同好会。活動内容は、放課後の家庭科室で家庭料理を作ること」
とりあえず書いてある内容を読み上げてみたけれど、何か問題があるとは思えない。極めて真っ当な同好会だ。
「この書類が何か?」
「活動内容に瑕疵はないよ。問題はその下」
視線を下げる。
同好会メンバー。1B、篠森楓。出席番号12番。
──以上。
「ひとり同好会ですか。珍しいな。でも、ウチの校則上は問題ないですよね?」
「まあねー」
軽薄な態度で、神楽坂会長が頷いた。
海浜高校において。同好会の新設に人数の下限は存在しない。校則上は一人でも立ち上げが可能だ。
とはいえ、そんなことは会長も百も承知だろう。
「うちのガッコはさ、立ち上げたばかりの同好会にも臨時予算が出るでしょ。部活動に比べたら雀の涙だけどさ」
「はい」
神楽坂会長の言う通り、我が校では、たとえ同好会であっても活動内容さえ認められれば予算が出る。
何代か前の生徒会長が、そういう方針に決めたらしい。
でもね、と神楽坂会長が片眉を上げた。
「ここ最近、運動部の顧問連中がうるさくってね。活動してるんだかしてないんだかわからない同好会に予算回すくらいなら、こっちに分配してくれって」
「……まあ、もっともではありますね」
一部の同好会の悪評は聞いていた。
一定の人数や顧問を集めなくてはいけない部活動と違って、同好会は申請書を提出するだけで設立できる。
だから、それらしい活動内容を書いて名目だけの同好会を設立し、予算を自分の小遣いにしてしまう生徒がいるらしい。特に、人数の少ない同好会ほどその傾向が強い。
こういった「裏技」が問題視されていた折に、部活動に熱心な一部の顧問が声を上げたというところか。
「だから、分担して少人数同好会の主催者に相談しようと思って」
相談、というひと言に含みを感じた。
こういうとき、会長の言葉には往々にして裏がある。
「……同好会の廃止は決定済み。ただ、校則上強制できないから、自主的に辞めるよう説得してほしい。そういうことですか?」
「話が早くて助かるよ、桜ちゃん」
「……一律廃止は、すこし乱暴すぎると思いますけど」
「まあ、ね」
ささやかな反論は、さらりと受け流された。小規模同好会の一斉廃止は、やはり決定路線のようだ。
改めてプリントを見返す。手書きの文字は、丁寧だが角ばっていて、やたら画数の多い名前と相まってどこか刺々しい。
1B、篠森楓。
私が選ばれたのは、新入生に対する神楽坂会長なりの配慮だろう。男の先輩や三年生よりは、二年で同性の私のほうが萎縮させずに済む。
確かに嫌な仕事だ。全くもって気が進まない。
それでも、仕事として頼まれたからにはやるしかないか。
「──わかりました」
プリントを手に席を立つ。
記載内容が真実なら、この時間、彼女は家庭科室にいるはずだ。
†
廊下を歩いて、家庭科室へ向かう。
料理研究同好会。メンバーは篠森楓ひとりだけ。
もしも真面目に活動しているなら、彼女は毎日放課後に家庭科室へ食材を持ち込み、一人で料理をしては黙々とそれを食べている、ということになる。
かなり変だ。
複数で活動しているならまだ理解できる。
だけど一人で、となると全くわからない。そんなに料理がしたいなら、家でやればいいのに……。
本当に、そんな生徒が存在するのだろうか。
それともやはり、名目だけの同好会なのか。
家庭科室に着く。
私は四つ折りにしたプリントをスカートのポケットに落とし、そっと引き戸を開けた。
ふわっと、食欲をそそる匂いがした。
広い家庭科室のなかに、ぽつんと女の子が一人、座っている。
正直に告白すると、一目見た瞬間に私は「おおっ」と思った。
それくらい、綺麗な顔立ちの少女だった。
精巧な人形みたいに、あるべきパーツがあるべき場所に収まっている。
ぱっちりとした黒目がちの目。白い頬に華奢な肩。グロスを塗ったみたいに艶々の唇に、大きな丼──
丼?
そう。彼女は大きな丼を手にしていた。
当たり前みたいに、もう一方の手には箸がある。
ようやく気付く。てらてらしている唇の正体は、グロスじゃない。
食べ物の油だ。
美少女が私を見た。
「なにかご用ですか」
丼を抱えたまま、警戒心剥き出しの目で私を睨めつける。
私は後ろ手に引き戸を閉めて、ゆっくりと家庭科室へ入った。
少女の目つきが鋭さを増す。
なんというか、縄張りに侵入しようとする敵を見つけた猫みたいだ。
「1Bの篠森楓さん、だよね。私は、」
「知ってます。生徒会副会長の蘇芳桜先輩、ですよね」
「……そのとおり。今、ちょっといいかな」
「……食べた後でよければ」
篠森は手元と私を見比べ、いかにも渋々といった調子で言った。
まいった。さすがにこの空気で、神楽坂会長のミッションを切り出せるほど、私の面の皮は厚くない。
「それ、何食べてるの?」
彼女が手にした丼を見やり、私は尋ねた。
正直、雑談の切り口になるならなんでもよかったけれど、気になっていたのも本当だ。
美少女に丼。
ミスマッチ感がすごすぎて、どうしても無視してできない。
硝子みたいに澄んだ声で、篠森が言う。
「他人丼です」
「他人? 親子じゃなくて?」
「ええ、まあ」
篠森の返事はそっけない。
食べた後なら、という断りのとおり、篠森は食事を再開した。
愛らしい見た目に反して凄まじく健啖で、ぱくぱくと丼の中身を胃袋に落としていく。
なんとも不思議な光景だ。夕焼けに溶けて消えてしまいそうな美少女が、放課後の校舎でがっつりと丼飯を食べている。
あまりに見事な食べっぷりなので、見ているだけでこちらもお腹が空いてきた。
……。
ていうか、普通に気になるな。なんだろう、他人丼って。
諸事情で冷凍食品とサンドイッチばかり食べていたことも相まって、思わず視線が丼に向いてしまう。
「なんですか」
「え?」
「さっきからずっとジロジロと。なんなんですか。そういう性癖の人ですか」
「そういう性癖って?」
「人がご飯を食べる姿に興奮するとか」
どんな性癖だ。
篠森は空になった丼をテーブルに置いて、小さく「ごちそうさまでした」といい、ポケットティッシュで口元を拭った。
「お待たせしました。で、なんのご用ですか。蘇芳先輩」
「ええと、それは──」
どうしたものか。
黒目がちな双眸は、私への敵対心に満ちている。話など聞いてやるものか、というオーラが滲んでいた。
こいつは難敵である。ううん、どこからどう切り出したものか……と、言葉を探していると。
きゅるるるる。
突然、私の腹の虫が悲鳴を上げた。
かあっと頬が熱くなる。間違いなく篠森にも聞こえたはずだ。先輩として、そして副会長としての威厳が、ガラガラと崩れ落ちていく。
篠森が、ぱちぱちと目を瞬いた。
「……先輩。もしかして、お腹減ってるんですか?」
「や、そんなことは」
と言ったタイミングで、もう一度腹の虫が鳴いた。終わった……。
「……。」
冷めた後輩の視線に耐えかねて、私は自白した。
「ごめん、本当はめっちゃ空いてる。お昼、購買のサンドイッチ一個だったから」
「……はあ」
篠森がため息をついた。何しに来たんだこの人は、とでも言いたげに。
気まずい沈黙の後、いささか唐突に篠森が言った。
「なら、先輩も食べますか。材料、まだ余ってるので」
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