第50話 意外とこんなもんなんだ

 どうしてそんなことをしたのか自分でも不思議だった。

 それに門限破りの相談なんて今までなかったから内心不安でいっぱいだ。


「もしもし、お母さん?」

『あら、紅百合。どうしたの?』


 電話に出るなり優しい声で語りかけてくれるお母さんに泣きそうになるがグッと堪える。

 失望されるのが怖い。今まで良い娘でいようとしたあたしが門限を破るなんてお母さんも想像していないだろう。


「その、ごめんね。本当は十八時までに帰るつもりだったんだけどさ……」


 自然と語尾が尻すぼみになってしまう。嫌ならやめてしまえばいいが、せっかく白君が自分から誘ってくれたんだ。こんな機会逃したくない。


「白君と映画を見たくなっちゃって、遅くなっちゃう、かもしれない……」

『ええ、行ってらっしゃい。白君なら安心ね』


 驚くほどあっさりお母さんは許可を出してくれた。


「でも、門限が……」

『そんなこと気にしてたの? こうしてちゃんと連絡してくれたじゃない。それで十分』


 子供の頃、悪戯をしたときのように怒られると思っていた。

 しかし、返ってきた言葉は予想に反して穏やかな口調のものだった。


『あっ、もちろん朝帰りとかはダメよ』

「えっ、あ、うん。それはもちろん」

『だったら問題ないわ。最後までデート楽しんでね』


 最後にそう言ってお母さんは電話を切った。あまりにもあっさり行き過ぎてあたしは呆然と立ち尽くしていた。


「恵莉花さん、なんだって?」

「行ってきなさいって」

「そっか。良かった良かった」


 ほっとした様子で胸を撫で下ろす白君を見て、あたしも同様にほっとしていた。


 意外とこんなもんなんだ。


 小さい頃にさんざん迷惑をかけた分、お母さんや雄一さんの前でも良い子でいなきゃいけない。そんな風に思っていた。

 でも、そこまで徹底的に猫を被る必要なんてなかったのかもしれない。

 お母さんはあたしのことは十分信頼してくれていた。そのことがよくわかった。


「白君、ありがとね」

「何が?」


 きょとんとする白君に対して笑みを零しながらあたしは再び彼の手を取った。


「何でもなーい!」


 きっと今のあたしは心から笑えているのだろう。鏡なんてなくてもそれだけはよくわかった。

 それからあたし達はサイネリアに行く前に映画館のチケット売り場に来ていた。


「えっと……」

「白君、何さがしてるの?」

「いや、チケットの券売機」

「電車じゃないんだから……チケットって受付から買うものよ」


 まったく、何を言っているんだろう。さては白君、映画館で映画見たことないわね。


「ああ、そうか。そうだった……」


 どうやら図星らしい。ホントに今までどうやって中学時代を過ごしてきたのだろうか。まあ、それも白君らしいから別にいいんけど……。


 受付でニドコイのチケットを購入すると、あたし達はサイネリアへと向かう。

 そういえば、白君。さっきから階段やエスカレーターのときは必ずあたしの下に立ってくれる気がする。今日は結構足を見せる服装だし、ガードしてくれているのだろう。それに万が一転んだときにすぐにフォローも出来る立ち位置だから、これは地味に好印象だ。


 そこで違和感を覚える。

 午前中、白君からそういう類の気遣いは全然感じなかった。

 たどたどしいデート慣れしていない男の子なりの頑張ったリード。そんな印象だった。

 でも、今はかなり女の子の扱いになれている人の動きに見えてしょうがない。

 それにさっきは聞き流しちゃったけど、白君ってお母さんの名前知ってたっけ?


「ほい、水」


 考え込んでいたら、いつの間にか白君があたしの分まで水を持ってきてくれていた。


「あ、ありがと……」


 サイネリアに入ってからも、白君はとにかく気配りの鬼だった。わざとらしくなく、気がついたらやられている。まるで午前中とは別人だ。


「さて、何を頼もうか」


 席に座ると、メニュー表を見ながら白君が呟いた。あたしも自分の分のメニューを見る。

 クラスメイト達と寄り道するときは無難にパスタを頼むところだけど、白君相手なら気遣う必要もない。普通に好きなものを頼むとしよう。


「やっぱ香味チキンでしょ――あ」


 しまった。今日は気合入れてネイルしてきたんだった。

 普段ならネイルしていようが気にしないけど、せっかくデートのために可愛くしたのに汚れたり剥がれたりしたら台無しだ。

 まあ、白君がそんなところに気づくはずないか……。


「チキン頼んで大丈夫そう? 今日ネイルしてるから頼みづらいんじゃない?」

「へあっ!?」


 気づくはずないと思っていた矢先の指摘に、再び素っ頓狂な声が口を突いて出てしまった。


「き、気づいてたの?」

「もちろん。そのネイル、可愛いよね。色も服と合ってて、薬指のストーンがオシャレで僕は好きだよ」


 照れくさそうにはにかみながら言うと、白君はすぐに店員さんを呼び注文を始めた。

 そんな彼を見つめたあと、あたしは自分の爪へと視線を向けた。

 今日のファッションに合わせた薄めのピンクベージュカラーのグラデーション。右手の薬指だけストーンでデコレーション。

 結構時間をかけて丁寧にやったネイルだから気づいてくれたことが嬉しかった。

 気づいてたなら最初から言えよ、とも思ったけど……。

 それから注文を済ませると、白君は笑顔を浮かべながら告げる。


「チキンは今度、僕の家でテイクアウトしたやつを食べようか」

「う、うん、ありがと……」


 もう、ホントに何なのよ! 今日の白君どっかおかしいって!

 結局いつものように注文したパスタの味はよくわからなかった。


「やっぱサイネって安いわよねー」

「あはは、高校生の味方は伊達じゃないよね」


 外食したとは思えないほど安価な会計金額にあたし達は思わず苦笑した。

 それにしても、白君がここまでエスコート上手だとは思わなかった。でも、もう動揺なんてしてやらないんだから。


「支払いは電子マネーで」


 気を引き締め直しているあたしの横で、白君は自然な動作で電子決済を行って会計を済ませてしまった。


「えっ」

「時間結構ギリギリだし、急ごうか」


 ちょぉぉぉぉぉお会計ぃぃぃぃぃ!


 さらっと奢られてしまい、あたしは心の中で悲鳴を上げた。


 やっぱり白君なんか変だ!

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