第32話 これが俺たちの距離感

 映画は映画館で見た方がいい。

 映画好きの人はよくそんなことを言っているが、それは違いがわかる人にしかわからない領域の話だ。


「で、今日は何する?」

「なんか映画見よ。今日は映画の気分なの」


 紅百合の所望する映画とは映画館で見る映画のことではない。ネットのサブスクリプションサービスで見れるようになった映画のことだ。

 そもそも今日の天気は雨だ。そんな日に限って物臭な紅百合が外出を求めるわけもない。


「気分と言いつつ、見たいモノは特にない、と」


 家にやってきた紅百合に尋ねると、紅百合はこくりと首を縦に振って肯定する。

 どうやら本当に彼女の中では何も決まっていなかったらしい。紅百合らしいノープラン具合だ。

 そんなわけで紅百合の要望通り、映画を見ることにした。映画館ではなく自宅でだ。


「とりあえず、適当な映画探すか」


 テレビのリモコンを操作し、登録しているサブスクから適当に有名な映画一覧を眺める。有名どころはだいぶ前に見ているし、最近公開された作品の方が新鮮味があっていいだろう。


「映画館デートって選択肢はないのね」

「あるわけないだろ。だって映画館じゃ――」

「ヤニは吸えない。好きにしゃべれない。気分が盛り上がってもエロいことができない」


 でしょ? と得意げな笑顔を浮かべると紅百合は俺の言葉を奪った。実際そのとおりなので何も言い返すことはできない。


「ま、あたしも純の意見に賛成よ。映画見るためだけに出かけても見たい作品は限られるし、こうしてダラダラ部屋で酒飲みながら適当な映画漁るのが一番よねー」


 そう言うと、紅百合は冷蔵庫に入れておいた缶ビールを二つ取り出した。


「さ、まずは乾杯しましょ」

「その前に薬はちゃんと飲んだのか?」

「ちょっと、せっかくの気分に水差さないでよ」


 紅百合は俺の指摘にゲンナリした表情を浮かべる。


「……大事なことだろ」

「はいはい、ちゃんとここに来る前に飲んできましたよー」


 語気を強めると、紅百合は観念したように両手を挙げて答えた。


「ならいいんだ。それじゃ、改め乾杯するか」


 プシュッ! といい音を立ててプルタブを開けると、俺達は缶をぶつけ合う。


「今日もお仕事お疲れ様!」

「ういー、お疲れ様ー!」


 一日の働きを労い合うと、お互いに喉を鳴らして缶ビールを呷る。冷えたアルコールが食道を通り抜けていく感覚が気持ち良い。


「で、何見るよ」


 再びテレビ画面を見ながら、紅百合へ話しかける。


「えー、何でもいい」

「何でもいいが一番困るんだよなぁ」


 しばらく流し見をしていると、とあるアニメ映画のタイトルが目に留まった。


[二度と会えない君と、二度とない恋を]


 確か、俺が高校生の頃に放送されていたアニメ映画だ。

 内容は何となく気になっていたのだが、青春色が強そうで敬遠していたのだ。


「これにするか」

「うわっ、ニドコイとか懐かし!」


 だが、今ならちょうど良い。年齢的にも青春とは程遠いし、そういうのに憧れていた時期でもない。


「見たことあるのか?」

「ないよ」

「ねぇのかよ」


 お互いに見たことがないなら、不意のネタバレの心配はなさそうだ。

 俺と紅百合は並んでソファに座って映画を見始める。


 映画の冒頭はよくある導入から始まる。

 主人公は冴えないサラリーマン。彼は会社では真面目に働いていて、日々の仕事にそれなりにやりがいを感じていた。

 生活に不満があるわけではないが、ふとした瞬間に自分の人生がひどくつまらないものに思えて仕方がなかった。

 しかし、ある日を境に彼の日常は一変する。目が覚めると、彼は高校生に戻っていたのだ。


「あー、これタイムリープモノか」

「ベタだねぇ」


 タバコに火を付けながら俺達は思い思いの感想を口にする。こういう映画を見るときは大抵の場合、内容を楽しむよりも内容にツッコミを入れて紅百合との会話を楽しむことの方が多い。


「てか、主人公高校生で一人暮らしかよ。普通あり得ないだろ」

「でも、高校生で一人暮らしって夢よねぇ。あたしも憧れるわ」

「紅百合はもう三十なんだし、家出りゃいいだろ」


 三十歳になっても紅百合は未だに実家暮らしだ。それについてとやかく言うつもりはないが、酔い潰れたこいつを家に送っていったときはご両親から彼氏と間違われて面倒だったのを覚えている。


「都心に実家あると出る気失せるのよ。ストレスは溜まるけど、少ない収入でも好きなものを買える現状は捨てがたいの」


 それに、と紅百合は続ける。


「自由な時間が欲しいときは純といればいいもんね」

「俺といる時間は自由なのかよ。自由ってのは一人の時間のことを言うんじゃねぇのか?」

「だって一人じゃ寂しいじゃない」


 紅百合は苦笑すると、俺の肩にもたれ掛かってきた。俺は特に抵抗せずに、そのまま彼女の体重を受け止める。

 これが俺たちの距離感だ。

 都合の良いときに家に上がり込んで、酒を飲みながらくだらない話をして、気が向けば体を重ねる。それだけの仲でしかないのだ。


 気がつけば、映画は中盤に差し掛った。

 どうやらヒロインは未来では死ぬ運命が待っているらしく、主人公はその未来を変えるために奔走しているようだった。

 よくあるテンプレ展開だなんてバカにして見ていたが、物語が動き出してからなかなかどうして面白い。

 紅百合も同じことを考えていたのか、気がつけば画面に釘付けになっていた。

 特に会話もなく、テレビから流れる音声だけが部屋に響く。


「ねぇ、どうしてこの主人公こんなに必死になってるの」


 唐突に、紅百合はポツリと呟く。


「そりゃ好きな人が死ぬって知ってたらこんくらい必死になるだろ」

「そうなの? あたしだったら好きでいることやめる。だって病むし」


 全く持って紅百合らしい考えだ。

 好きな人が死ぬと知って何もしなければ、その後の人生ずっと後悔し続けるのだ。それがわかっているのならば、好きでいることをやめればいい。

 俺も紅百合も自分に言い訳することは得意だ。自分の気持ちを誤魔化して見ない振りするくらいなんでもない。


 そうやって騙し騙しずっと生きてきた。

 現状にある不満に蓋をして、今日も楽しく一日を過ごしたと思わなければやっていられないからだ。


「それとも純にはいるの? 必死になれるほど好きになれる人」


 興味津々といった様子で覗き込むようにこちらを見つめてくる紅百合。そんな彼女に対して、俺はただ一言だけ口にする。


「いねぇよ」


 即答した俺に対し、紅百合はしばしの沈黙の後、俺の腕を抱きかかえると、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「へぇ、周りの女共は見る目があるね」

「うっせ」


 このやり取りはいつものことなので、俺は特に反応せずに映画へと意識を向けた。

 画面の中では主人公がヒロインに未来の情報を伝えていた。


『君はこれから交通事故にあって死んじゃうんだよ!』

『はぁ? わけわかんないよ!』


 しかし、どんなに必死に伝えたところで未来の情報なんて信じてもらえない。

 結局、最後まで主人公はボロボロになりながらもヒロインを救うために奔走し続け、ヒロインも救われた。


「結局なるようになったって感じだな」

「そうね。昔の映画だし、ベタなのが良かったんじゃない」


 エンドロールが流れる中、俺達はなんとなく余韻に浸っていた。


「高校生のときに見れば感じ方も違ったのかもしれねぇな」

「……かもね」


 高校生の頃は俺達もきっとまだ純粋で、今みたいに捻くれていなかったはずだ。いや、俺は既にその頃から荒んではいたが、今ほどではなかった。

 もしも、あの頃に紅百合と出会っていたら何かが変わっていただろうか。


「なんかさ、この映画劇場で見たかったかも」

「同感だ。内容はベタだけど、演出や音楽、作画めっちゃ良かったもんな」


 紅百合と一緒に見れたのなら、もっと楽しかったに違いない。

 同じことを考えていたのか、俺達は顔を合わせると、どちらからともなく笑い合う。


 その日は珍しく、俺達が身体を重ねることはなかった。

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