サークルの金を盗まれた彼らは、どうにかして金を取り戻したいようです。

アホウドリ

隆介視点

第1話

「じゃあ真田くんから始めて。しりとりの『り』からで」


 隆介はふと起き上がり、隣に向いて言った。六月も終盤に差し掛かり、夏も近づいていたこの日。二人は近くにある競馬場で大敗北を期し、多摩川にある河川敷で慰め合っていた。


 しかし、当の真田くんは寝転がったまま夕焼け空を眺めていて、口を開こうとしない。聞こえていなかったのだろうか、と思い、隆介は再度「しりとり」と言おうとした。


「ところで、去年の暮れあたりにあった、韓国での事故のこと覚えてるか」と真田くんはいきなり言った。


「は?」


「いや。ハロウィンの時期に梨泰院って地域で、百人以上が亡くなる事故があっただろ」


「あー、うん。あった。狭い道に人がごった返して、後ろからドミノみたいに倒れたっていう」


「そう、それだ。悲しい事故だったよな」


「まあそうだね。二度と起きてほしくない事故だと思うけど」と隆介は言った。そして続きを待った。


 が、その先は続かなかった。


 どうやらそれで話は終わりらしい。仕方なく隆介も空を眺めることにした。雲一つない綺麗なオレンジ色で、カラスの鳴き声がよく響く、気持ちのいい夕方だった。


 真田くんの名前は真田幸広といい、有名な俳優の名前を入れ替えたような名前をしている。都内にある某私立大学に通っている大学三年生で、隆介と同じ法学部である。茶色掛かった地毛の短髪に筋肉質な見た目で、背丈も比較より少し高い。なぜだかいつも、熊の顔が刺繍されたTシャツを着ている。それがイラスト調の熊なら可愛げがあるが、リアル調な熊なので、少し気味が悪いところがある。とても目に付きやすい男である。


 隆介は疑問に思い、ある日、なぜそんな服を着ているのか聞いてみたことがある。


 真田くんは得意げな顔で、「誰かが俺に用事があるとき、通り掛かった人に『熊の服を着た人を見ませんでしたか』と尋ねれば、『熊の服の奴ならあっちにいたよ』と咄嗟に答えられるだろ。嫌でも目に付くから、印象に残りやすい。俺はそうした忠犬ハチ公みたいなトレードマークになりたい」と答えた。少し変わった男である。なお、いまでこそTシャツを着ているが、秋から冬に掛けては熊の刺繍が入ったセーターに衣替えをする。彼は寒い時期でも徹底して熊になろうとしていた。むしろ冬場だからこそ、熊が活発になるのかもしれない


 それから一、二分ほどが経ち、することがなくなったので正面に向き直って、川べりをランニングしながら息を切らす中年の男を眺めていた。すると、真田くんはふたたび口を開いた。


「話は変わるけど、Netflixで梨泰院クラスっていうドラマがあったよな」


 真田くんという男はいい加減な性格をしていて、ときどき突拍子のないことを言い出す。友人の文也から言わせれば、昔はこんな性格ではなかったというが、まるで信じられなかった。


 そんな隆介という男は濱口隆介という、映画監督にいそうな人物である。背丈は真田くんよりほんの少し小さくて、文也よりは一周り大きい。黒い髪にマッシュヘアという、いかにも若者らしい見た目をしている。


 隆介が真田くんと知り合ったのは、大学に入学してからなので、まだ二年と少しの付き合いである。真田くんの変人さには未だ慣れないところや、未知のところもあった。しかし最近では、彼を昔から知っている鈴村音々や、彼の恋人である百瀬日葵ももせひまりのお陰もあって、どのような人格をしているのか、おおむね飲み込めるようになっていた。特に日葵は真田くんへの対処法について、「幸広はああいう人間だよ」と教えてくれていた。


 そんな一言では物足りないというか、助けとしては乏しいだろう。しかし真田くんとどうでもいい話をしていくうちに、徐々にだが性格もわかるようになっていた。真田くんはこういう人間なのだ。真田くんはこういう人間だから、いちいち取り合うだけ無駄だ。隆介は時間の経過とともに真田くんについて学んでいったため、このときも無視をすることが最善だとわかっていた。


 しかしこのときの隆介は、話に付き合うことにした。暇だったからだ。


「あったなあ。おれは見てないからわからないけど、結構面白いみたいで、評判もよかったらしい。日本でもかなり話題になっていたようだし」


「うん、まぁ俺も見てないから深くは語れないけど、日本でも六本木クラスっていうタイトルで、民放がリメイクしていたな。そっちも俺は見てないんだが」


「なんだよ」


 ふたたび沈黙が訪れた。


 結局のところ、真田くんが何を言いたいのかはわからなかった。隆介はふたたび正面に向き直り、コンクリートブロックにつまずいて転がっている中年の男を眺めた。そんなとき、隣で真田くんが、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出して、ゆっくり起き上がった。「文也から電話だ」


「あ」その名前を聞いて、すっかり忘れていたことに気が付いた。


 文也というのは今井文也のことで、隆介と同じ法学部三年の男である。同学年だが、隆介たちより二つ歳上でもある。真田くんとは同じ中学校出身かつ同じ部活に所属していた。容姿としてはあまり特筆すべきところはない。強いて書くなら、小柄な坊主頭だ。


 隆介は、「文也は読めない性格をしているから、よくわからないところも多い」という印象を持っている。つまり、文也という男は難ありである。


 そしてこの日の前夜、文也からは競馬について連絡するよう言われていた。それを今日、怒涛の時間によってすっかり記憶から抹消していた。


「もしもし俺だけど」と真田くんは名乗る。「おっと、スピーカーモードにしないと」と慌てて隆介にもマイクを寄せた。「隣に隆介もいるよ」


 隆介もマイクに向けて声を発する。「おれもいるよ」


「お前らどこいるの?」彼の第一声は不満そうな声だった。忘れられていたことに怒っているのだ。


「多摩川の河川敷だな」真田くんは答え、


「そこにある草の上で寝転がってるよ」と隆介は付け足した。


 文也は大きくため息をついた。「何やってんだ」電話越しではあるけれど、スピーカーからはとても大きな息の音が響いた。


「まあいいじゃんか別に」と隆介は返した。「ところで文也は何やってんの?」


「僕? 僕はいま、六法全書の真ん中のページを開いて、顔を埋めてるところだった」


「なんか汚いな」真田くんは悪態をついた。


「そんなことない。鼻が真ん中の凹みに収まるから、ちょうどいいんだ。真田くんも試してみるといい」と文也は説明しつつ、話を戻す。「そんな話はどうでもいいから、お前らはどうしたのかを教えてくれや」


 二人は大きなため息をついた。


「疲れて寝てるんだよ」と隆介は答えて、「絶望してるんだ」と真田くんが続けた。


 真田くんは加えて「俺らはもう駄目かもしれない」と頭を抱えた。彼のトレードマークである熊の刺繍は、心なしか哀しそうにしている。


 隆介は真田くんの肩を突く。「駄目なのは主に真田くんだけどな」


「何が起きたのかはよくわからんけど」文也は疑問を呈す。「結局のところどうなったのよ。競馬に行ったんだろ?」


 隆介は煮え切らない言い方で、「行ったんだけどね」と答える。


 時は遡り前の日の夜。真田くんは隆介と文也と組む三人のグループ宛に、あるメッセージを送ってきた。それは「金に飢えているんだ」という無茶な文言だった。


 隆介と文也は「働け」とか「ハイレバに突っ込め」などの茶々を入れると、真田くんは突然、競馬の話題を挙げた。「競馬なら増やせるんじゃないか」と。それに対し文也は「最近そういえばイクイなんちゃらが強いらしい」と言い出し、隆介は「イクイノックスは当たる」などと、無駄な横やりを入れた。調子に乗った真田くんは、何の根拠もないのに「俺はなんだか、運がいい気がするんだ」と自信を持ち始め、悪ノリした文也が「今週の真田くんの運勢は大吉だよ」と囃し立てた。


 その結果、真田くんは二人を誘って、「明日は競馬に行こう」と誘い始めた。隆介は断る旨を送ると、「お前らの知恵が必要なんだ」と返してきた。隆介はこの日、選択科目の講義しか取っていなかったこともあって、承諾せざるをえない状況にまで追い詰めてきた。「俺の命を助けてくれ」


 隆介はしぶしぶ「はいはい」と送ってしまった。


 その後三人で翌日の予定を立てていると、文也がいきなり「僕そういえばおみくじで凶引いたんだ」と言い始めた。隆介は勘弁してほしかったが、「明日は外せない講義があるから行けない」と加えて逃げ出してしまった。彼は法学部でありながら、文学部の講義も履修していたのだ。


 結局、隆介は真田くんと二人で競馬に行くことになった。そんな流れから、こうして電話で説明することになっている。


「俺はやっちまったんだ」真田くんは頭を抱え、


「こいつやりやがったんだ」と隆介は重ねる。

「いくら?」


 真田くんはゆっくりと息を吐き、はっきりと聞こえるように答える。「二〇万だ」


「正確には一九万円な」


「あー、うん。それは痛いな」文也はそう言ったが、なんだか薄い反応だった。「働き人ならもう少し感じ方も違うのかもしれないけど、大学生の身としてはなかなかのダメージ」


 しかし二人は声を揃えて「違うんだ」と即座に答えた。隆介が加える。「これは文也の思っているような問題じゃない」


 真田くんが続ける。「これが自分たちの財布から出した金ならまだ諦めもつくってもんだ。ただ俺が調子に乗りすぎて自滅した形になるから、いわば自業自得と言える。でも、この金は違う。出処が問題なんだ」


「は?」乾いた声がスピーカーから響いた。「盗んできたってこと?」


「いや違う」真田くんは即答した。


 隆介は「いや当たらずとも遠からずでしょ」と訂正する。


 真田くんは予想外の追撃に驚いたのか、隆介のことを睨みつける。


「早く教えろよ」文也は苛立ちを隠さなかった。


 すると、いきなり真田くんは「くわぁ」と河童のように呻きだした。


 隆介はわけがわからず戸惑ったが、真田くんはいきなり喉元を両手でかきむしって、苦しみだした。「苦しい苦しいよー」と感情のこもっていない下手な演技を始め、「俺の口からはとてもじゃないが言えない。代わりに答えてくれ」と唐突に話を振ってきた。


 あまりの無責任さに張り倒したい気持ちになったが、ここではどうすることもできない。


「あ、あぁ」


 仕方なく隆介は、一連の出来事を振り返ることにした。

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