レセ・ヴィブレの桎梏書(短編集)
二階堂友星
ランタンが無くても
「あ」
突然、視界が真っ暗になった。
右手に提げていたランタンを確認しようとして、諦めた。暗くて何も分からない。咄嗟に動いた左手の指先がヒヤリとした金属質の何かに触れたけれど、そこにランタンが存在するということを確かめたって仕方がない。
まぁ、大方、燃料の魔力缶が尽きてしまったのだろう。
歩くのもままならなくなり、その場に立ち竦む。
ここは図書館。数ある蔵書の劣化を防ぐため、日光が入りにくい造りになっている。太陽が煌々と輝く真昼であろうと、館内は少し薄暗い。
それが月明かりしか降らない夜ともなれば、明るさなど一欠片も入ってこなかった。辺りを見渡しても、瞼を落としても、視界には黒色しか映らない。自分の手のひらさえも、何処にあるのやら。
じわり、とランタンと指先との間に冷たさが現れて、吹き出てきた手汗を感じる。
焦燥感に駆られて、自身の隣へ顔を向けた。そこにいるはずだった。ランタンが役目を終えるまで連れ立って歩いていた、今晩の夜警の相方。
「大丈夫ですか? ミエッカさん」
「あ、あぁ……」
普段よりか細い、掠れ声。それは隣ではなく、一歩後ろから聞こえてきた。
「びっ……くりした」
「消えちゃいましたねぇ」
「くっそー、心臓に悪いぜ……」
優しく撫でるような声で悪態を吐くミエッカさんに、ふふ、と頬を緩める。暗闇から聞こえてきた「消えるなら消える前にそう言ってくれればいいのになぁ」なんて溜め息交じりの言葉に、それでもランタンを責めないのはミエッカさんらしいなぁと思った。
そう、ランタンに罪は無いのだ。暗闇に目が慣れたら、倉庫に行って燃料を補充すればいいだけ。それだけだ。
けれど、頭ではそう考えていても、胸中で暴れ回っているのは後悔の念だった。この暗闇をもたらしたランタンと、替えの燃料を持ってこなかった自分に、恨み言を吐かずにはいられなかった。
どうして、今。よりによって、この人と巡回をしている最中に。
「周り、見えてますか?」
「全っ然」
即答である。予想通りの言葉だった。
彼は、致命的に夜目が効かなかった。
それはどうやら、彼の瞳に掛けられた『色が見えない』という世にも珍しい魔法に起因しているらしい。
色による区別をしない分、彼の世界では明暗の境界線が全てだった。いつも黒い革手袋をつけて白い素肌を隠しているのは、そのためである。黒は何かに触れる時、その境界線をはっきりと浮かび上がらせてくれる。
そんな世界で生きる彼が、突然夜の暗闇に突き落とされたらどうなるか。彼の瞳は一切の境界線を映さず、徐々に明瞭になることもなく、いつまでも黒いまま。
そうなれば当然、塗りつぶされたムラの無い黒の中、何かを視認することは叶わない。
例え、他の感覚でもって、目の前に何かが確実に存在すると分かっていたとしても。
だから、ミエッカさんは暗闇を恐がっていた。
声が聞こえる方へ向けた視界の中で、白っぽい塊が左右に揺れているのがぼんやりと見える。ミエッカさんの頭だろうか。
「お前は? 見えてるのか?」
「……段々慣れてきましたかね?」
問われ、辺りをぐるりと一周見回してみれば、朧気な濃淡が見えてくる。今ならば、物の区別は出来るだろうか。あぁ、でも、貴方の表情まではよく見えない。そう迷いながら答えれば、自然と語尾が上がってしまった。
今ここにあるのは、壁一面の本棚と、暗い色の木材で出来た床と、立ち往生の二人だけ。互いに黒地の制服を着ているせいで、本棚や床の黒との境界線は不明瞭だ。
その中でも、はっきり見えるものがあった。天井近くの高窓から漏れ出た、一滴の雫ほどのかすかな月明かり。自分の手。そこに収まる銀色のランタン。それから、ミエッカさんの白い肌と明るいブロンドの髪。
ようやく、ようやく、目が暗闇に慣れてきたらしい。
「ミエッカさん」
「うん?」
「手を出してもらえませんか?」
「ん」
努めて穏やかに名前を呼び、問い掛ける。すると、閉口したままの短い返事と共に、視界の真ん中で黒い何かが動いた。
「握りますよ~」
「おう」
その何かを、ぎゅっと左手で握り込む。
滑らかな革の触り心地。ミエッカさんが愛用している、黒い革手袋の感触だ。
案の定、それは僅かに震えていた。
「……握手?」
「いえいえ。これなら、僕が何処にいるか伝わるかなと思いまして」
「あぁ、成程、確かに」
ミエッカさんはそう一言一言噛むように声に出して、繋いだ手をそっと握り返してくれた。
「そこにいるんだなぁ、フォルテ」
それから、ふわりと何かが揺れる気配。
どらやら微笑んだらしい。目も口もはっきり見てないけれど、そんな風に思える。
つられるように、ふにゃりと破顔した。こんなにだらしない顔をしていても、ミエッカさんには何も伝わっていないのだろう。
――貴方は今、どんな顔で笑っているんですか。
「じゃあ、補充用の燃料を取りに行きましょうか」
「うん、行こう」
その返事を聞き、立ち竦んで止まっていた足を一歩前へ踏み出した。半歩でも間違えれば本棚に激突してしまうような暗闇の中、背中に感じる温かな気配を先導しながら、倉庫への道を慎重に進んでいく。
繋いだ左の手のひらは、力強く握り返されていた。
【ランタンが無くても】 了
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