第138話 高校球児の進路
最後の大会が迫ってくる。
その中ではとことん、白富東と桜印の対戦が、煽られていたりもする。
まともな雑誌なら一応はアマチュア野球であるため、そういうことをしない。
するとガッツリ高野連が怒り狂うからだ。
だが今はネットが発達した時代である。
この両者を対比することで、面白おかしく煽っていく人間はいるものなのだ。
そんな外野の声など聞くな、というのが鬼塚の言葉である。
鬼塚の現役当時から色々とネットは言われていたが、今ほどに混沌とはしていなかったと思う。
まったくSNSというのは魔境である。
マスコミは無責任なので無視していればいいが、普通に一般人の悪意というのは、意外と選手に突き刺さるものだ。
ただ子供たちは子供たちで、そういったものに対応するようになっているとも思うが。
勝っている白富東さえ、昇馬のワンマンチームなどと言われるのだ。
負けている桜印はさぞ、酷い話になっているのではないか。
鬼塚はそう思っていたのだが、実際にもう情報開示請求などを、素早く行っているらしい。
上杉は色々と叩かれても鷹揚であったが、それが自分の息子に向かうと、容赦がないのは親の責務と言うべきか。
おかげでこの件に関しては、アンタッチャブルになりつつある。
まあ直史も直史で平気で、普通に誹謗中傷の損害賠償などを起こすので、弁護士を怒らせてはいけないのである。
金にならなくても法律案件をやってしまう人間は、この世にはちゃんといるのだから。
白富東の生徒というのは、基本的に頭がいい。
学力が高いということであるが、それは本当の知性とはまた別のものである。
また学力は低くても、賢明である人間はいる。
だがどれだけ賢明であって、さらに頭が回っても、精神力がそれに伴っているとは限らない。
野球をやって精神を鍛える、などというのは完全な建前だ。
結果的に鍛えられることはあるが、野球をやるだけでは鍛えられるはずもない。
メンタルコントロールは、特殊な技能と考えた方がいい。
この時期の野球部は、最後の夏に向けて追い込みをかけている。
土日に練習試合があることは多いが、それでも学生は学業が本分。
テストなどはあるし、部活動禁止期間もある。
ならばお互いに教えあって、少しでも楽に点を取った方がいい。
鬼塚も現役時代はトップクラスであったが、今ではさすがに内容が違っている。
特に歴史などは、色々と変わってしまった常識があるのだ。
使わなければ能力は退化する。
その点で鬼塚が比較的使ったのは、英語であると言えようか。
千葉にいた時代も、外国人選手はそれなりにいた。
基本的にプロ野球選手は馬鹿が多いので、鬼塚は頭も使ってプレイしたと言えよう。
実際のところ現在は、頭も使わなければ上達しなくなっている。
鬼塚はより、技術を学んではいる。
バージョンアップし続けないと、指導者は続けられないのだ。
とりあえず考えなければいけないのは、今年の夏のことである。
白富東は当然のように、甲子園の制覇を求められる。
おそらくもう二度とないであろう、夏の三連覇。
惜しくも春を入れて五連覇は逃したが、これでも充分な記録だ。
ただ練習試合では、どんどんと他のピッチャーを使っている。
秋以降の白富東は、おそらく県大会をどこまで勝ち進めるかというチームになる。
確かに今の二年生は、かなりレベルが高くはなっている。
しかし昇馬の全力を捕れるキャッチャーはいなかったのだ。
一年の佐上は、守備力特化のキャッチャーで、昇馬のボールでキャッチの練習もしている。
だが重要なのは、二年生の微妙なピッチャー六人と、一年生の左右二人で、戦っていかなければいけないということだ。
今の高校野球では、普通に常識的なこと。
つまり継投を上手くしていって、どうにか失点を最小限にするのだ。
得点源は主に、和真をどうするのか、ということが重要になる。
二番最強論を使うか、と鬼塚は考えていたりする。
四番に置いても他のバッターが、それぞれの役割を果たせない。
和真の足まで計算に入れて、二番がいいかと考えるのだ。
県内のチームは、あまり強くないところなら、練習試合も成立する。
一年生に投げさせるには、丁度いい相手であるのだ。
だが三年生を使った主戦力メンバーでは、県代表レベルでないと意味がない。
また帝都一の練習試合に、混ぜてもらって対戦する。
この時にジンは、帝都一相手の勝負には、昇馬を使わないように要求する。
せこい考えであるが、昇馬とまともに対決すれば、打線が自信を失うからだ。
既に関東大会で蹂躙されているが、それを再起不能にするのは問題がある。
関東大会で負けるのと、夏の都大会で負けるのは、意味が違うのだ。
司朗が引退して卒業はしたものの、帝都一は普通に新たな、有望株が入ってきている。
二年に一度ぐらいは、コンスタントに甲子園に行かなければいけない。
強豪の監督というのは、大変なものなのである。
「夏はともかく、センバツは大変なんだよな」
一強とまでは言わないが、同じ東京でも東東京は、帝都一の覇権が長い。
そして西東京には、強豪がかなり多くなっている。
「お前らが神宮大会で先に負けてたら、東京から二校選出されたのにな」
ジンはそんなことを言うが、センバツの選出基準は、それなりに変わっている。
今年の夏、鬼塚は優勝を狙っている。
実際に主力が三年となる今年、一番戦力は高くなっているのだ。
そしてしばらくの間、また甲子園からは遠ざかるかもしれない。
それを覚悟の上で、鬼塚は監督をしているわけである。
和真がプロに行くのか、それとも大学に行くのか、そこまでは見守ってやる必要があるだろう。
今の白富東の強さを見てやってきた、一年生たちも同様だ。
正直なところプロにまで到達するのは、野球エリートの中でもほんの一部。
またプロで生き残るのは、プロになるよりもさらに難しい。
帝都一は白富東と違い、毎年のようにプロ注選手が入ってくる。
実際にプロに行ったのも、ジンは何人も見てきた。
だが多くの場合は、大学に進学することを勧めている。
プロで通用するなどと断言できる、そんな素材はそうそういないのだから。
ただ気性的にプロに行った方がいい、と思える選手は確かにいるのだ。
大学野球の理不尽さは、しっかりと経験してきたジンである。
上下関係を完全に破壊した、早稲谷のありようを羨ましく思ったものだ。
もちろんジンは自分自身、プロの世界は体験していない。
だが完全実力社会という点では、プロの方が公平だと感じる。
実際はある程度の上下関係はあるが、基本的に年長の方が上である。
鬼塚としてはスカウトと、色々と話す機会が多くなる。
特に練習試合などは、各球団のスカウトが見に来るのだ。
そこで見てほしいのは、アルトの打撃と守備である。
昇馬のピッチングは、1イニングも見れば分かるであろう。
一年生のピッチャーは、この入学から夏までの三ヶ月で、どれだけ伸びるかが重要である。
ただもう一つ悩ましいのは、あと一人一年生から、キャッチャーを一人ベンチ入りさせたいのだ。
野球の実力であるならば、五十歩百歩の選手が多い。
ならば普通に学年が上のほうが、ベンチに入るようにしている。
しかし実力ではなく、必要性という点では、また評価が違うのだ。
プロのスカウトもセンターを守れる、俊足強肩強打の選手は高く評価する。
外野の中でも特にバッティングで評価するのは、レフトである。
ライトはレフトに比べれば、肩の評価が高くなる。
MLBで使われるWARなどでは、レフトよりもライトの方が、守備の重要度は高い。
二塁から三塁のタッチアップ阻止などに、ライトの強肩が必要であったりするからだ。
またレフトからの本塁送球など、中継が入るパターンが多いのだ。
外野ではセンターが一番、守備の貢献度が高くなる。
レックスなどでもセンターだけは、打てない選手が入っているのもそのためだ。
練習試合などを見れば、白富東の外野守備が、強固であるのは分かるだろう。
だが実際に重要なのは、内野の守備であったりする。
これはしっかりと、守備の堅い選手で占めている。
女子の聖子がセカンドを守っていたり、真琴がファーストを守ったりもするが。
そして練習試合では、あえて真琴をピッチャーで使うことは少なくする。
意外なほどのピッチャーとしての実績が、高校野球で出来てしまっている。
彼女が大学に行ってから、野球をまだ続けるのかどうか。
大学野球は高校野球よりも、ずっと前から女子も参加している。
実際に左のサイドスローというのは、全国区でも通用するのだ。
しかし女子の野球選手には、プロという未来がない。
そのあたりを真琴はどう考えているのか。
考えるのは教師であって、監督の鬼塚ではない。
野球自体は続けていても、クラブチームなどでいいのではないか。
そう考えると真剣勝負の野球は、この夏が最後になるのかもしれない。
最後の夏を前に、進路相談が入ってくる。
白富東は大学進学率が高いが、専門学校に進学する人間も多い。
またなぜか、数年に一度はインドへ向かう人間もいる。
「一応は実家から通える範囲で探したいなあ」
大学進学については、普通に考えている真琴である。
弟である明史は、頭脳は真琴よりも優れているが、バリバリの理系脳と言うべきか。
論理的思考が得意なので、文系も不得意なわけではない。
ただデータ分析にPCを使うことが多いので、やはりそちらの分野に進むのであろう。
母の実家である法律事務所は、現在直史の事業の一部となっている。
そこを継ぐ必要はないというか、普通に働けばいいだろう、という話になってくる。
なんならいくらでも伝手やコネがある。
ただ野球を引退した後、その身体能力を活かさないのはもったいないな、とは言われる。
それは聖子も同じなのだが、真琴の場合は聖子より、さらに体格で優れている。
「不動産やったら、うちのおかんの実家が紹介するで」
聖子の母方は、ホテルを経営していたり、テーマパークに絡んでいたり、不動産にも強い。
お嬢様である母が、庶民と結婚したというのは、ちょっと不思議な話である。
父は現在、普通の公務員というか、教師をしている。
対して母親は、母方の縁を使ってか、セレブの社交場に出ているのだ。
三姉妹の長女であるので、下の妹たちの世話を焼いてやったりもした。
だが大学は東京かな、と考えているのが聖子である。
色々と家庭内で複雑なことがあった真琴と違い、聖子は完全な陽キャである。
でかいという時点で男子から恋愛対象になりにくい真琴と違い、聖子はしっかりとモテているのだ。
もっともそういった有象無象をなぎ倒す、そういう強さが聖子にはある。
結局は母親同士が仲良しの、幼馴染とくっついているわけだが、未来はまだまだ分からない。
そもそも和真が高卒でプロ入りすればどうなるのか。
確かに今の時代、交流はネットでいくらでも出来る。
しかしそこに実体はないのだ。
「しょーちゃんはどうなんや?」
「どうなんやろうね」
聖子の問いに対して、関西弁で返す真琴である。
プロに入るのか、入らないのか。
そもそも野球を続けるのかどうかすら、確定していない昇馬である。
大学にしても昇馬なら、海外の大学に行ってもおかしくない。
従弟として話すことはあるが、基本的に昇馬は寡黙なのだ。
内心で何を考えているのか、おおよそは食欲に関することだろうが。
昇馬としては自分の進路が、他人にあれこれ詮索されるだけでも、充分にうっとうしいことである。
野球をやろうがやらまいが、たかが野球というものだ。
父である大介は、野球が好きでたまらないから、それを仕事にして成功した。
だが二人の母親は、特に野球だけを勧めたわけでもないのだ。
やりたいことはむしろ、色々とあるのだ。
その中では特に、登山などをしてみたいか。
世界中を旅してもみたいし、アフリカにも行ってみたい。
野球に専念するというのは、そういうことを全て放棄することだ。
(なんで日本人って、一つのことに熱中しすぎるんだろうなあ)
そういうわけでもないのだが、昇馬からはそう見えるのだ。
なので直史のような、色々なことに手をだしている、副業野球選手は好ましく見える。
プロで先発のローテに入ったら、試合に出る数は少なくなる。
もっとも昇馬の場合、バッティングの方を期待されて、代打で使われてもおかしくはないが。
野球に専念したならば、確かにその頂点を極めるのかもしれない。
だが本人としては、選択肢は多いほうがいい。
昇馬の場合は環境が、いくらでも選択する余地を残してくれた。
しかしそんな昇馬でも、一つだけはやっておきたいことがある。
そしてそれは、早い決断をしなければ、もう間に合わないものだ。
(親父とナオ伯父さん、二人と本気で対決したらどうなるのかな)
高校野球においては、昇馬はあまりに圧倒的過ぎた。
そのため二人に対して、大きな期待をしている。
二人が全力を出せるのは、もう一年か二年程度だろう。
特にバッターというのは、40代半ばで速球が打てなくなる。
父親を倒す機会は、もうわずかしかないのだ。
それを果たしたら野球をやめて、改めてやることを探せばいいのではないか。
(絶対にしたいわけでもないからなあ)
それでも自分の限界は、あの二人に勝てるかどうかで、考えることが出来るのだと思う昇馬であった。
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