第2話 さあ自分を解き放て

 ジェオジュオハーレー様、愛と涙の婚約破棄宣言から2週間後。

 それはもう、怒涛どとうの2週間だった。


 結論から言うと婚約破棄は成立した。

 妹のプルウィアは事情を知った途端、女神と見まごう美しい笑顔で「あの庭園の赤いバラのように、彼を真っ赤な血で染め上げてやろう」と飛び出していこうとした。 母とウィンで必死に止めた。妹よ、淑女しゅくじょたれ。

 プルウィアに護身術を覚えさせた張本人、領主のサン・キャンベルは、娘の代わりに自分がジェオジュオハーレーを倒しに行くかちょっと迷っていた。

 この妹にしてこの親ありである。


 ハイル家の方もなかなか大変だったようだ。ジェオジュオハーレーの両親は大慌てで彼を説得したが、愛に燃える彼の心には届かなかったらしい。

 ちなみに、彼を真の愛に目覚めさせた女性はミレイユという。なんと彼女は、爵位を持たない街娘だった。中々類を見ない玉の輿である。


 情熱的な身分違いの恋は、またたくまに人々の間に広がった。

 身分を越えて結ばれたシンデレラストーリー。多くの人はおもしろがり、しまいにはゴシップ記事の隅っこで特集まで組まれた。

 そしてここからが問題だ。物語をおもしろくするため、敵役のウィン・キャンベル伯爵令嬢は、悪役の設定を盛りに盛られた。


 ――いわく。ウィン・キャンベルが街娘に嫌がらせをしていたところをジェオジュオハーレーが見かけた。

 これがミレイユとジェオジュオハーレーの運命の出会いである。

(そもそもウィンは2週間前に初めて彼女と会った)


 ――いわく。ウィン・キャンベルはジェオジュオハーレーという婚約者がいながら、他の男達を手玉にとりハーレムを作っていた。

(あいにく美人な妹と違い、ハーレムのはの字もない)


 …………いわく。ウィン・キャンベルは離れていく婚約者の心を縛りつけようと、悪の錬金術師を操り、惚れ薬を作っていた。

(悪の錬金術師ってなんだ)


 かくして。

 根も葉もない噂に巻かれ、ウィンはすっかり「真実の愛に打ち負けた極悪伯爵令嬢」として、時の人になってしまったのだ。



 □■□■□■



「あんまりです、あんまりです、お嬢さま」

「そうだねえ、あんまりだねえ」


 憤慨ふんがいしてくれるメイド長アリエラの言葉にウィンは力なく頷いた。

 婚約破棄による精神的な疲れと、根も葉もない噂への疲れで、ウィンは疲弊しきっていた。


「お嬢さまはハーレムができるほどモテたことがないのにっ」

「うん、その事実は私を傷つけるから、そっと胸にしまっておこうか」


 メイド長がさらに傷口を抉ってくる。

 もうやめて、ウィンのHPは0よと言わんばかりにテーブルに突っ伏した。

 アリエラの入れてくれた紅茶をずりずりと自分に引き寄せてすする。礼儀作法など知ったことではなかった。


「今度こそうまくいくと思ったんだけどねえ」


 貴族の結婚に愛などいらない、と利益目当ての結婚をしようとした途端「真実の愛」に負けてしまった。とんだ皮肉である。


「ジェオジュオハーレー様に対して、もっと愛情を持つべきだったかしら」

「なにを言ってるんです、お嬢様」


 アリエラは鼻を鳴らして拳を握る。


「お嬢さまはちゃんと彼のことを考えていましたよ。ジェオジュオハーレーさまが鳥が苦手だと知ってから、鷹狩りが催されないよう根回ししたり。彼がキャンベル領でうまくやっていけるよう、領民との顔合わせの場を積極的に作ったり」

「そりゃあ結婚しようとしてるんだから、相手のことを把握するでしょ」

「では、逆に彼がそんなふうにお嬢さまに心配りをしていましたか?」


 そう言われると、そんな場面はなかった気がする。

 思えば、ジェオジュオハーレーから好きなものや苦手なものを尋ねられたこともないことに気がつく。まあ、自分から発信したこともないのだが。


「そりゃあ、恋人のような燃える情熱ではなかったかもしれませんけど。そこにはちゃんと、相手を思いやる心がありましたとも」


 アリエラににっこりと微笑まれ、ウィンはじーんとした。

 メイド長として長年この家を支えてきた彼女の言葉には重みがある。


「だから私たちはジェオジュオハーレー様の行動に怒っていますし、プルウィア様や領主様が彼を血で真っ赤に染め上げたとしても仕方のないことなのです」

「染めちゃダメ、染めちゃあダメなのよ」


 ウィンはぶんぶんと首を横に振る。

 深イイ話だったのに、殺人の動機づけにつながってしまった。


「それにしても、これからどうしようかしら……」


 2人の恋人にフラれ、3人目はミュージカル婚約破棄だ。

 あげく、世間での評価は極悪令嬢。

 さすがのウィンも、こんな自分が結婚するのはさすがに難しいんじゃないだろうかと思い始めた。

 負担をかけるかもしれないが、将来の領主探しは妹にがんばってもらうほかあるまい。


「将来の領主探しはプルウィアに任せて、私は領地経営にいそしみますかねえ」


 キャンベル領を陰で支え、数十年後に甥っ子姪っ子達に「わたしゃ昔、ミュージカル婚約破棄にあったんじゃよ……」なんて暖炉の前で語る老後もいいかもしれない。

 つつましやかな将来設計に想いを馳せていると、アリエラが意外な提案をしてきた。


「お嬢さま。たまには息抜きをしませんか」

「え?」


 アリエラはそっとウィンの手を握り、目線を合わせた。


「お嬢さまは、家のことばかり考えすぎです」

「そりゃあ領主の娘で、長女だし……」

「それだけではないでしょう? お嬢さま。8年前、キャンベル家の領地が拡大したとき、領主様はかなり苦労なさっていました。その背中を間近で見ていたウィン様は、自分を押し殺して、家のために動くことばかり考えるようになってしまったんです」

「そ、そう?」

「そうですよ」


 アリエラは目元を拭う仕草をした。


「本当は深く物事を考えるのが苦手で、思いのままに突っ走る性格なのに……、もう無理をして、知性のある深窓の令嬢を演じる必要はないんです」

「え、もしかして私すごいバカって思われてる?」

「さあ、ありのままのウィン様を出して、幸せになりましょうっ」


 力強く手を握られ、ウィンはすごく複雑な気持ちになった。

 メイドに「バカになれ」とさとされる令嬢がいるだろうか。

 けれど、息抜きという言葉には魅力がある。

 

(やりたいこと、ね……)


 その言葉に、ウィンの心の奥の宝箱が「かちり」と鍵を開けて開いた。

 それはずっと心の奥底にしまい込んでいた願望。

 子どもの頃、ウィンが諦めた「夢」だった。


「息抜きの手始めに、まずはプルウィア様と一緒にお芝居を見てみるなどいかがですか?」

「それも良いんだけど……」


 子どもの頃に諦めた夢が、今だ今だ、と湧き上がってくる。

 確かに、今までがんばってきたのだ。

 ちょっとだけ息抜きして童心にかえってみようか。

 あふれる好奇心はもう止まらない。

 ウィンは目を輝かせて、自分の望みを口にした。


「私、錬金術を学んでみたいわ」



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