第24話 本当の目的・前編

 前日の、さっぱりまとまらなかった作戦会議を思い出すと、今日の放課後も薬屋のラウンジに集まるように言われた高校生たちは少し憂鬱だった。

 三人がラウンジに顔を出すと、待っていたインティスは着替えるように指示を出した。


「ダグラス、今日も来るの?」


 制服だと汚れたりするので、ダグラスとの特訓の時は必ずクローゼットの旅装束に着替えることになっている。昨日の会議が散々だったのに、特訓を強行するのだろうか。


「いや、今日はダグラスは来ない」

「え?」

「なら何で着替えるの?」


 優貴が拍子抜けした声を出すので、代わりにことみがインティスに尋ねた。暁は黙ってインティスの方を向いた。


「……今日は特訓は休み。ちょっと出かけようと思って。フェレの許可は取ってある」


 出かける?

 どこに?

 高校生たちの疑問をよそに、インティスが先導して三人を連れ出した。



    ◇



 歩いてみてようやく、暁以外は優貴もことみも薬屋の外に出たことがなかったと気付いた。

 森の国の城下町は、そう呼ばれるだけあって緑が多い。空気も植物園の温室のような、土と緑の匂いがした。空は青く、風は多少の湿気は含んでいたが、不快ではなかった。

 暁が以前散歩したルートとは違う道のようだ。特に大きな通りを歩くことなく、細い道を何度か曲がると、二階建ての大きな木造の建物が見えてきた。

 建物の前の通りには木製のテーブルと椅子がいくつも置いてあり、何人かが食事を取っている。開け放たれた両開きの扉の内部にも、それらが同じように並んでいた。壁には何やら書かれた紙が沢山貼ってあって、その雰囲気はちょっと大きめの食堂に見えた。


「外だけ見るとオープンカフェみたいね」

「フェレがここをカフェって呼んでた」

「ほんとに?」


 ことみと優貴は意外そうな顔でインティスに聞き返した。異世界でカフェなんて外来語を聞くとは思わなかったのだ。

 そういえば、以前フェレナードは何度か日本に来たことがあると言っていた。だからかもしれない。


「ナディア、久し振り」

「おや、最近見ないと思ったんだよ。元気だったかい?」

「おかげさまで」


 中に入ったインティスが、カウンターに立つ主人らしき女性と話し始めた。ウェーブのかかった濃い色の髪を頭の後ろの高い所で一つにまとめた、いかにも店を切り盛りしてるという感じの、きっぷの良さそうな人物だ。

 インティスは壁側の貼り紙を指しながら話していて、その文字の意味は高校生たちにはわからないが、何やら食事を注文しているような雰囲気だ。


「こっち」


 話が終わると、インティスは三人を二階へ連れて行った。

 一階のテーブルはいくつか埋まっていたが、二階は空席ばかりだ。

 横長の窓側の席は街を一望できるようになっていて、三人はそこに座るよう言われた。


「まだ夕食の時間には早いから、結構空いてるな」


 インティスが立ったまま二階席を見渡す。

 戸惑う三人の視線に気付き、ようやくインティスは説明を始めた。


「この世界で食事ってしたことないと思って。好みがわかんないから適当に頼んで来たけど」

「やば、普通に楽しみなんだけど」

「お、お金は?」

「後でまとめてこっちで払うから大丈夫」


 純粋に嬉しそうなことみと、手配の心配をする優貴は対照的だ。暁は黙って座ったまま外を眺めていた。

 窓からは夕方の街並みが見えた。窓に取り付けられている庇で、西日が入り過ぎないようになっている。街は全体的に建物は平屋や二階建てが多いことから、普段自分たちが拠点にしている三階建ての薬屋はかなり大きい方になるだろう。

 すぐ目の前に見える通りは細いながらも食べ物屋が多いようで、露店も並んでいた。見る限り、品揃えは歩きながら食べられそうな軽いものがほとんどだ。

 男が丸い鉄板でクレープのような生地を焼きながら、前を通る客に声をかけている。何番目かにかけた女性が立ち止まり、お金のようなものを払ってその出来上がりを待ち始めた。男は近くにあった壷の蓋を開け、柄杓ですくった中身を生地の上に乗せる。色は明らかにスイーツではなく、何かを煮た物に見えた。窓は閉め切っているので会話や匂いはわからないが、純粋においしそうだ。

 この世界に通貨があることを、三人は初めて認識した。あって当たり前なのに、意識したことがなかったのだ。

 その時、インティスが階下に手伝いに呼ばれ、ほどなくして女主人と一緒に三人分の食事をトレイに乗せて運んで来た。三人分のメニューはそれぞれ違い、各々の席に置かれた少し早い独特の夕食を前にして、感嘆の溜息が漏れた。


「すごい……」


 優貴のトレイは、日本人の感覚で言えばスープチャーハンがメインのようだった。そのチャーハンには米ではなく、色々な種類の穀物が使われている。少し深めの皿に盛られた周りには、一口大にされた数種類のキノコが入ったスープで満たされていて、チャーハンの中心には黒と緑の粒を砕いたスパイスが散らされていた。小皿には三人とも控えめな量の野菜と肉の煮物や、豆と葉物のサラダが添えられている。

 ことみのトレイのメインは麺物だった。東南アジアの国では米から作る平たいスパゲティのような麺があると聞くが、それに似ている。ソースは一見デミグラス、具材が大きめで、肉よりも木の実やうずらのような小さな卵が多めに乗っていた。

 肉がメインになっているのは暁だった。大皿に乗ったステーキ肉は手のひらを重ねたくらい厚い。食べやすいように始めからある程度切り分けられていて、覗いた断面は中心の層にほんのりと赤みが残っていることから、焼き加減が中くらいなのだとわかった。ソースは三種類あり、マスタード色、わさび色、梅じそ色という印象だが、それはあくまで日本人としての想像で、実際は食べてみないとわからない。

 それぞれの飲み物は大きめの木製のカップに入っていて、透明だが水ではないようだ。この世界では水代わりの、果汁を少しだけ混ぜた水なんだそうだ。確かに、果汁二パーセントくらいのペットボトル飲料に雰囲気は似ているが、香りはこちらの方が豊かに感じた。水じゃない、と三人が騒いでいると、真水は清めに使うことが多いので、そのまま飲むことは滅多にしないとインティスが教えてくれた。

 ことみが咄嗟に手元の端末で自分のトレイの写真を撮って、いざ実食である。


「…………」


 おいしい。

 おいしすぎて、言葉が出ない。

 テレビでよくある、食レポが無言になるやつ。まさにそれだ。

 よくよく考えたら、どんな材料が使われているのか、メニューの名前すらも全くわからないのである。

 なのにおいしい。

 一口目から味覚に違和感を感じず、馴染みやすい味だった。濃すぎることもない。チャーハンの穀物や麺の具材になっている木の実は柔らかすぎずに食感があって、噛む度に香ばしい香りが広がった。チャーハンのスープはあっさりめ、麺のソースはやはりデミグラスに似ていて濃厚だが、食材の旨味が合わさることでしつこくならない。ステーキは下味のスパイスで生臭さを感じることがなく、フォークを刺すだけで肉汁が溢れるくらいなのに、食べても重たい感じがしない。マスタード色のソースは柑橘系で爽やかな酸味、わさび色ははちみつのような甘み、梅じそ色は複数のスパイスが混ぜ込まれた辛み中心のものだった。日本基準だと見た目と味がさっぱり一致しないところが、逆に面白い。

 こんな機会、次にいつ来るかわからない。お互いメインの皿を交換したりして一通り堪能し、全て食べ終わると今度はデザートがやってきた。


「ちょっと、マジで……?」


 ことみが絶句するほど、日本で普通に学生生活を送る限り出会うことのないデザートだった。

 それは大皿に乗った巨大なパンケーキに見えた。

 料理人が使う大きなフライパンで焼いたようなパンケーキが三段重なって、そこにクリームや果物や木の実がトッピングされている。

 一枚が先ほどの暁のステーキよりも分厚いので、ケーキが丸ごと一個鎮座しているように錯覚してしまいそうだ。

 ナディアと呼ばれた女主人は、その大きなデザートを長めのナイフで綺麗に三等分してそれぞれの皿に乗せると、インティスが手伝って持って来たクリームが入った木製のボウルを受け取り、更に盛っていく。仕上げにもう一度木の実のトッピングが振りかけられた。


「すごぉい……」


 最終形態を写真に収め、ことみが呟いた。

 パフェとかこうした甘味には普段あまり興味のない優貴だったが、さすがにこのボリュームには目を見張ったし、隣の暁も視線を外さなかった。


「さあできたよ、召し上がれ」

「いただきます!」


 夕食の延長から改めて宣言すると、三人はそろってパンケーキを頬張った。

 それは見事に焼き立てだった。外側の本当に薄い部分がカリカリで、中はもちもちかと思いきやふわふわだ。クリーム自体はそれほど甘くないのに香りが甘い。よく見ると小さな褐色の粒が入っていて、恐らくこれが香りの元なのだろう。バニラに香ばしさを足したような香りだ。おまけに口当たりがなめらかで、パンケーキと一緒に口の中ですぐに溶けていく。トッピングの果物が甘酸っぱいおかげで飽きることがない。

 これはいつまでも食べられるやつだった。

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