第21話 フラッシュバック

 七月二週目の木曜日。

 祖母の葬儀が終わり、参列者は帰り、通夜の準備が整った。

 翌日は告別式と火葬。

 棺が葬儀場の祭壇から通夜の大広間に移されると、棺の蓋の、顔にあたる部分は常に開けられていた。

 そこで思い出話に花が咲く親戚たちもいたが、どうしてもことみには顔を覗き込むことができなかった。


 冷たいやつ。


 頭の中であの声が繰り返される。世界をまたぎ、文献調査で鏡に閉じ込められた空間で聞こえた声。

 否定したかったが、祖母と昔どんなことをしたのか、今更思い出せる自信がなかった。

 大広間の簡易的な祭壇に葬儀場で使われていた遺影も移され、その笑っている写真が最近のものではないのはことみにもすぐにわかった。

 祖母は入院してからすっかり痩せてしまったが、写真ではふっくらとした頬をしている。ことみが覚えている中で一番印象に残っている顔だった。痩せてしまったのはここ数年のことなので、皆が一番覚えている顔、という理由から、母親が過去の写真から選んだらしい。

 通夜の間、話のネタになればと言って、母親が家から古いアルバムを持ってきていた。

 親戚一同、十人ほどが集まってわいわいしたが、ことみが見てもアルバムに知っている顔はいなかった。元々今ここにいる親戚たちは遠方から来ていて交流が少ない。写真を見てもピンと来ず、わかるのは母親と、祖母は若い頃こうだったんだな、ということくらいだった。

 それにしても、両親の若い頃の写真は何かと見ることはあったが、祖母の昔の写真を見るのはほとんどが初めてだ。意外にたくさんある。


「おじいちゃんが昔カメラに凝ってたからね〜」


 母親がそう言いながらアルバムのページをめくる。

 言われてみれば、写真にはモデルさながらの祖母ばかりが写っていた。野良猫を手懐けようとしていたり、どこかの橋の欄干に寄りかかって遠くを見ていたり、喫茶店でコーヒーを片手にしているのもあった。

 だが、ことみが生まれた頃や、その後のアルバムは母親が持ってくる巻数を間違えたらしく、家に置いて来てしまったそうだ。

 祖母の若い頃は美人だったんだな、ということはわかったが、思い出は蘇らなかった。



     ◇



 翌日は午前から告別式と火葬が控えていた。

 前日の葬儀のような流れをもう一度繰り返し、火葬場に向かう準備が始まる。


「最後のお別れとなりますので、献花でいただいたお花を棺に入れてあげて下さい」


 司会の女性がそう言うと、葬儀屋のスタッフが祭壇から棺を運んだり、壁一面に飾られた献花の花を抜いて茎を切り離し、盆に乗せ始めた。

 参列者は立ち上がってその花を受け取り、会場の中央にストレッチャーごと据えられた棺に向かう。棺は花をたくさん入れられるよう、蓋が全て外されていた。

 母親に促され、スタッフの持つ盆から白くて大きな菊の花を取った。


「お孫さんですか? せっかくなので、お顔の近くに入れてあげてください」

「は、はい……」


 スタッフにそう言われると、相反する行動は取れない。

 菊の花を持ったまま、棺の側まで行く。

 そこでようやく、亡くなって以来、遺影以外の祖母の顔を見た。


「え……?」


 生前、お見舞いに行った時の祖母は頬がこけるほど痩せていた。そのせいで昔遊んだ頃の祖母を思い出せなかったのに、棺の中で眠る祖母は、遺影と同じ、ふっくらした、自分がよく知っている祖母だった。


「びっくりしたでしょ、せっかく遺影があるならって、死化粧を遺影に近くなるようにしてくれたの」


 隣で母親が教えてくれた。



 どうしよう。


 これは、あたしのおばあちゃんだ。

 でも死んでしまった。もう目を覚まさない。

 体はここにあるのに空っぽ。

 おばあちゃんはもういないんだ。

 もうすぐこの体も燃やされてしまう。


 ねえ思い出したよ。


 小さい頃、一緒に裏庭できれいな石を拾ったり、

 おやつにはいつもあたしが好きなチョコを用意してくれてたり、

 たまにお母さんには内緒でおこづかいくれたり、

 一緒にトランプしたり、

 あやとりを教えてくれたり、

 家回りを散歩しながら、色んな虫や花や木の名前を教えてくれたり、

 裁縫が得意だからって、着なくなった服からあたしに新しい服を作ってくれたりした。


 覚えてるよ、覚えてる。


 それなのに、おばあちゃんは死んでしまった。

 あんなに優しかったのに。



 おばあちゃんは



 もういないんだ



    ◇



 当初の予定では、ことみからは十一日まで休むということだったが、その翌日になっても薬屋のラウンジに顔を出さなかった。

 メッセージで連絡は来ていたものの、優貴は心配で隣のクラスを覗いてみたが、どうやら学校も休んでいるようだ。

 だから、その次の日になってラウンジに現れたのを見て、その場にいた優貴は思わず声をかけてしまった。


「た、武村……大丈夫……?」

「……まあね」


 ことみは短くそれだけ答えてラウンジを見渡した。奥の壁際にインティスがいて、暁の姿は見当たらなかったが、恐らく自室にいるのだろう。

 本来なら昨日のうちに守護獣を倒して、今日には次の部屋の様子を見に行くのだが、ことみの祖母の葬式や次の部屋に行くことの憂鬱さが予定を大幅に遅らせてしまっていた。

 次の部屋に出てきた鏡の壁は、思い出すだけでも気分が悪くなる。


 まるで自分の嫌なところを見透かすような。

 冷たいやつ、とことみの頭に響く声。

 お見舞いの時にかけられた「えらいね」という言葉。


 息が苦しくなる。


「……インティス、お願いがあるの」

「何?」


 ことみに呼ばれ、インティスが壁から背中を離した。

 誰かに話を聞いてほしい。でも身内には話せない。

 クラスの友達は、以前優貴といたのをからかわれて以来すっかり疎遠になってしまった。

 もうこの世界にしか頼れない。


「ローザと話したいの……お願い」

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