第20話 どうして怖いって思うの?・前編

 半月前、中間テストの準備を放り出して散歩していた暁は、花壇に座っている少女と出会った。

 彼女は、自分たちがいつも向かう文献調査の墓の近くの屋敷に住んでいて、体が弱く、歩くのにも人の手がいるほどだった。

 その少女は、今日も花壇に座っていた。


「アカツキ、こんにちは。久しぶりね」

「……おう」


 他人には基本的には興味はないが、ケイトと言う彼女の名前は覚えている。

 そして、文献調査の墓の主の家系であることも。


「私ね、前にあなたが言ってくれたように、晴れた日は外に出たいって召使いたちに言ってみたの。そしたら、毎日ここに座るのを手伝ってくれるようになったのよ」

「そうか」


 半月前に初めて会った時、太陽の光で自分の弱い体を元気にしたいと彼女が言っていたのを思い出した。一人で花壇によじ登った挙げ句落ちたりするので、やりたくてもできないなら周りに頼め、と暁が言ったのだ。

 それは、暁の七つ下の妹が、インスタントラーメンを作って欲しいと遠慮がちに自分に頼んで来た姿と重なったせいもあった。妹はまだ小学校四年生で、母親から火を使う調理をしないよう言われている。


「それからね、図鑑を一緒に運んでもらってるの。ほら、これで見たことのない植物もここですぐに調べられるでしょ?」


 ケイトがぽんぽんと叩く隣の書物はかなり分厚く、重そうだ。


「……一緒に落ちるなよ」

「わかってるわ。ありがとう」


 その時、屋敷の方で扉が開く音がした。

 暁が振り向くと、召使いが二人ほど出てきたが、暁とケイトを見てすぐに引っ込んだように見えた。


「時々私が心配で見に来るのよ」


 ケイトが答えると、暁は眉を顰めた。


「どうしたの?」


 暁の難しそうな顔に、ケイトは首を傾げる。


「……俺と喋ってるのを見られんのはあんまり良くねぇんじゃねえか」


 自分で言うのもどうだかなと思いつつ、暁は言った。


「どうして?」

「いや……周りが俺を見て怖がったり、警戒するからだろ」


 天然の拷問を受けてる気がした。わかれよ、と突っ込みたい。


「どうして怖いって思うの?」

「それは……」


 ケイトの純粋な質問に、とうとう虚しくなって暁は溜息をついた。


「私がアカツキのことを知らないから? アカツキのことを知ったら、私はアカツキを怖いって思うのかしら」

「知らねぇよ」

「じゃあ大丈夫ね」

「お前なぁ」


 ふざけたやりとりのように聞こえ、暁はケイトを睨んだが、彼女は思いの外真剣だった。


「……私、召使いたちは名前しか知らないわ。名前以外のことって、どうやって知るの?」


 会話術以前の質問に、さすがの暁も怪訝な顔をした。

 普通は、一緒にいれば成り行きで生い立ちなりを知ることが多いものだ。


「自分から聞いたこともねぇのか」

「え?」


 暁の質問に、ケイトは目を丸くした。明らかに、顔にはその発想はなかった、と書いてある。


「確かに私、聞いたことがなかったわ。聞いたら教えてくれるかしら」

「そいつにもよるだろ」

「そうね。それなら私、まずアカツキのことを知りたいわ」

「は?」


 突然の質問コーナーに、暁は眉根を寄せる。


「怖いなんて思ったりしないって、証明してあげる」


 大きな目を輝かせて、ケイトは自信満々だ。

 暁は眉を顰めた。

 彼女の歳はわからないが、自分より年下であることは間違いない。

 今は花壇に座っているから目線は少し下くらいだが、地面に立つと背丈は暁の肩にすら届かないのだ。

 ことみだってもう少し高いから、こいつはせいぜい中学生くらいだろうと暁は予想する。そんなやつに身の上話をして、何がわかると言うのか。


「……ね?」


 すぐ横で、全幅の信頼を笑顔で寄せてくるケイトと目が合った。

 これまで自分のことを誰かに話したことはなかった。優貴やことみにも。

 制服を着ている限り頭の程度は知れてしまう。市内でも最低ランクの高校だ。それだけで、評価は九十九パーセント決まっているようなものだ。

 だが、目の前の彼女はどうだろう。ここでは、日本の高校のランクは関係ない。

 合わせ鏡から聞こえた言葉を思い出す。

 自分は理解される価値のない人間。この外見は虚勢で、中身はゴミのようなもの。

 あの言葉は確かに、自分で思っていたことだ。他人からどう見えているかは知らない。

 自分は、彼女にどう映っているのだろうか。


「……話すことなんて大してねぇけどな」

「そんなことないわ、大丈夫よ」


 暁の溜息混じりの了承に、ケイトは嬉しそうに頷いた。




 家で起こることは毎日あることだ。俺はそれを当たり前だと思ってて、そんなもんだろと気にしたことはなかった。

 一番古い記憶が何歳の時かは覚えてないが、親父の怒鳴り声と母さんのすまなさそうに謝る声を、別の部屋から息を潜めて聞いていた。少なくともまだ俺は小学校にすら入る前で、妹のあかりも生まれてない頃だ。

 親父の顔は覚えてない。夜中に帰って来て朝にはもういなくなってた。いつも怒ってて、たまに機嫌がいい時はお菓子を大量にくれた。

 母さんは優しいから、親父のことを悪く言うことはなかった。そういう毎日だった。

 だが、小さなヒビが少しずつ広がっていくように、次第に両親は言い争いをするようになった。内容はわからない。

 優しいと思っていた母さんが、人が変わったように親父に向かって泣き叫んだり、俺に怒鳴りつけるようになった。


「お願いだから出てって! それを持って行かれると困るのよ!」

「うるせぇ! 次の週のてめぇの給料で何とかすりゃいいだろ! こっちは今すぐ金が必要なんだ!」

「暁! いつまで起きてるの! いい加減寝なさい!」


 その状態が一年続き、ある日親戚の人間たちが家に何人も来ると、親父は帰って来なくなった。

 俺は小学校に通うようになり、あかりが生まれた。

 母さんは元に戻ったように優しくなった。

 親父は相変わらずいなかったが、母さんが優しいままならそれでいいと思ってたぐらいだ。それくらい親父を父親だと思ったことはなかった。

 何年かして、親戚同士の話が漏れ聞こえ、当時何があったのかを知った。

 親父は根っからのギャンブル依存症、生活のために母さんが働いて稼いだ週払いの金さえ容赦なく持っていく状態だったんだそうだ。

 小学校に上がる前の俺を抱えて、あかりが腹の中にいた母さんは精神的に不安定で、偶然様子を見に来た母さん側の親族のおかげで何とか離婚が成立した。

 確かに、以降親父の姿は見てない。

 怒鳴り声が聞こえなくなっただけで、すごく平和になったように思えた。




「……じゃあ、そこからアカツキはお母様と妹さんと暮らしてたのね」

「まあ……」


 聞き入るケイトの表情は真剣だった。日本独自の用語の意味を聞かれて説明したが、それにも真面目に頷いていた。


「もう心配することはないと思うのに……」


 ケイトはそう言って口を結んだ。それは恐らく、今聞いた話の中に、暁自身が怖がられる理由が見つからなかったからだ。

 それは次に話す、高校に入るまでのことにある。

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