第19話 その鳥である理由・前編
夕陽のような色の鳥から撤退した翌日、授業中に校内放送が流れた。まだ午前中のことだ。
隣のクラスのことみが職員室に呼ばれていた。
彼女の祖母が入院していることを知っているので、優貴は胸騒ぎがした。
昼休みにメッセージが来て、「今日は行けない」とだけ書かれていた。胸騒ぎは当たっていたのだろうか。
わかった、と返信してから、昨日ラウンジで交わした鳥についての会話を思い出す。
次の部屋に現れた鳥は、自分たちの世界にはいない種だと言っていたのはフェレナードだ。
それから日本に戻ってきたらもう深夜で、寝て起きて朝になり、登校して今に至るので、すっかり検索の機会を逃してしまっていた。
メッセージのアプリを閉じ、検索アプリを呼び出して、思いつくままの言葉で探してみる。
顔の部分が赤くて、くちばしは黒くて長くて、羽の内側が夕焼けみたいな色。
どれも結果はいまいちだったが、最後に思い出した「赤い足」を入れると、ちょうどあの部屋で見た鳥とそっくりの画像が表示された。
検索ワードの通り、画像の鳥が羽を広げた姿は赤とオレンジを混ぜたような色だ。
「これだ……」
向こうの世界で見た鳥が、日本に存在していた。
その事実だけで心臓がどきどきした。
立ち入ってはいけない領域に足を踏み入れたような気分だ。
「名前、名前……」
画像検索から切り替えて、鳥の名前を探す。
日本の鳥、のようなページに、その画像はあった。
「朱鷺……」
トキ、聞いたことがある。
どのような鳥か調べなければ。これはフェレナードたちでは知り得ない、自分しか知ることのできない情報だ。
喧騒が溢れる休み時間の中、画面を辿る指は震えていた。
◇
そうしてその日の放課後、再び優貴は文献調査の部屋に立っている。
「……本当に大丈夫なのか?」
インティスは半ば心配そうに、先頭に立つ優貴を見やった。
「う、うん……」
ことみからは休むと連絡が来ていたので、ここにいるのは彼女以外の四人。
暁は腕を組んだまま黙っているが、ローザは不思議そうな顔をしていた。
「あの鳥はトキと言って、ニホンにいる鳥なのね?」
「そう……。絶滅危惧種で、日本を表す鳥って言われてるみたい」
既に部屋の対角で浮遊している大きい鳥を改めて四人で見上げる。羽を広げた時の内側の夕焼けのような色は朱鷺色と呼ばれているのだそうだ。名前だけ聞くとそのままだと思ったが、検索結果で見た朱鷺色は淡めの色で、大分違うんだなとも思った。
「……で、あいつをどうやっつけるって?」
インティスの質問に、優貴は絶滅危惧種の説明をしてから答えた。
「あいつの見た目は確かに強そうだし、昨日の石を投げた時の反撃はすごかった。火属性なのは見た目のせいだと思うけど、ああいう風に仕返しがとんでもないやつって、理由があるはずなんだ」
「理由?」
ローザが聞き返す。
「……た、多分なんだけど、こういう時はこっちから仕掛けたらだめなんだと思う」
え……?
という視線が一気に優貴に集まった。
「何もしないって?」
思わずインティスが繰り返すので、優貴は恐る恐る頷いた。
「今までこっちから攻撃して核を破壊してきたけど、扉にわざわざ絵が彫ってあったように、あいつは特別なんだ。絶滅危惧種で、日本を表す鳥だから。そんな特別な鳥をやっつけようとするのはちょっと違うと思うし、だからこそ、やっつけようと思わせないくらい強いんだと思うんだ」
ファンタジー系のゲームでは特にその傾向にあることも、優貴は知っている。仕返しが酷い時は、イベントが進行するまで耐えるのだ。
だが、核は破壊しなければならない。
しばらく待ってみたが、浮遊する朱鷺はその姿を保ったままで、特に変化は見られなかった。
仕方がないので、優貴は少しだけ近づいてみることにした。
歩を進めるごとに、朱鷺の羽ばたきが強くなり、受ける風圧が大きくなる。風が少し熱い。
インティスと暁は警戒していたが、彼らには何もしないよう片腕で制したまま、優貴は相手との距離を詰めた。
大きな朱鷺を目の前にすると、その名前が由来となる朱鷺色の美しさに圧倒された。
遠くから見れば夕焼け色に見えたが、間近で見ると羽の重なり具合で深みが増す。真っ白い中の、赤とオレンジの世界。間の色は朱色。
風圧は更に大きくなり、踏ん張っていないと飛ばされそうだ。
部屋の天井近くで浮遊しながら羽ばたいていた朱鷺は、やがてゆっくりと床に真っ赤な足をつけた。着地しても大きいものは大きい。思い切り見上げないと顔は見えなかった。
赤い顔に埋め込まれた双眸と視線がぶつかると、鋭い眼光に射抜かれそうになる。日本であれば、動物園でも水族館でもこのような状況はあり得ない。核によって動くとはいえ、巨大な生き物が、手を伸ばせば触れられるほどの距離で、自分を睨んでいるのだ。
膝が勝手に震えた。自分で立てた仮説が正しい保証はない。今ここであの鳥に何かされれば、たとえ後ろに味方が待機していても確実に命はないだろう。すぐにでも逃げ出したい。けれど、朱鷺の鋭い視線がそれを許さない。恐怖で叫びそうになるのを必死に耐えた。
すると、赤とオレンジの世界が少しずつ薄れていることに優貴は気付いた。
向こうの壁が透けて見え、中心の核が露わになる。体を失って落ちそうになるのを、優貴は思わず両手で受け止めた。
それはずっしりと重く、生温くて赤い宝石のようなものだった。
「すごいわ! ユウキが言った通りよ」
ローザがぱちぱちと拍手すると、全員が夢から覚めたように現実を認識した。暁も意外そうな顔をしていた。
「どうなることかと思ったけど、作戦勝ちだな」
インティスはそう言って剣を抜くと、優貴が石畳に置いた核を破壊した。そうすることで次の部屋への扉が開くようになる。
「まさか今日のうちに解決するとは思わなかった。次の部屋は明日見に行くことにするか」
剣を鞘に戻してインティスが提案すると、全員が頷いた。
◇
翌日の放課後はことみも薬屋のラウンジにやってきたが、やはりいつもと様子が違った。
その思い詰めたような表情は、とてもこちらからは声をかけられない。
「……昨日はごめん」
「いや……」
ことみの方から話しかけて来たので、優貴はとりあえず昨日の朱鷺のことを共有した。
「……そう」
「……大丈夫?」
うつむき加減で頷いたことみを心配せずにはいられない。昨日学校で聞いた、ことみを呼ぶ校内放送が気になっていたからだ。
暁はラウンジで座ったままその様子を静観している。
「……おばあちゃんが死んだ」
ことみは優貴には答えず、それだけ言った。
周りはしんと静まり返ったが、ことみは気にしない様子で言葉を続けた。
「……鳥、あー……朱鷺、だっけ? 倒したんなら、次の部屋って見に行く?」
「い、一応この後見に行こうと思ってたけど……」
ことみがこれからの予定を聞いてくるので答えてはみたものの、状況を考えると誘いづらい。
「じゃああたしも行く」
「え? 来られるの?」
まさかの回答に、優貴は思わず聞き返してしまった。
「お葬式とかはまだ先だし、気持ち的に……あっちにはいたくなくて」
ことみのその言い方に、優貴は何となく気持ちがわかるような気がした。現実逃避と言うと言葉は悪いが、そういう時はある。
「……わかった。この後インティスが来ると思うから」
ことみは小さく頷くと、暁も見守る中、着替えのために自室に戻った。
ドアを閉め、クローゼットを開けると、今日も緑系統に色をまとめたこの世界での旅装束がかけられていた。
学校の制服から着替えながら、ことみはほっとしていた。祖母のことについて詳しく聞かれないか、内心不安だったからだ。
授業中に校内放送で職員室に呼ばれ、仕事先からまっすぐ迎えに来た父親の車で、祖母が入院する病院へ向かった。職員室では危篤、ということだったが、到着すると息を引き取った直後だった。ドラマでよく見る白い布さえかけられる前で、まだたくさんの線に繋がれたまま、祖母はそこにいた。
いや、それは祖母であると言えるのか、祖母だった、と言うべきか。眠っているように見えて、もう目が覚めることはない。起きたら何を話そうかとぼんやり考えていた自分を追い越して、祖母は抜け殻になってしまった。
祖父は物心つく前に亡くなっていたので、実質初めて向き合うヒトの死という存在に、ことみは動揺していた。
ベッドの上で目を閉じて横たわる、やせ細った老人。
最期を迎えてもなお、祖母との思い出は蘇って来なかった。
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