第15話 王子を守るため?・後編

 インティスは王子の呪いが発動したのを瞬時に見抜いた。

 その小さな体を手元の分厚いマントで覆って抱き込み、自らの炎の魔法の力を注ぐ。

 呪いは王子から生きる力を奪っていくが、マントでその呪いを最小限に抑え、逆に炎の力を呪いに吸収させる。それらのぶつかり合いで、マントの隙間からおびただしい量の水蒸気が上がった。

 これまでも同じことが起こる度にこのマントを使ってきたせいか、マントの肩当てに埋め込まれた源石が数個、音を立てて割れた。力の増幅として使われ続けた結果、込められた魔法の力を使い切ったようだ。

 王子は今もなお呪いに苛まれている。マントの下の体が震え、隙間から覗く小さな手足でその深刻さがわかってしまう。


「……誰にも言うなよ」


 蒸気が止むのを待ちながら、床に膝をついたままインティスは初老の教師を睨んだ。


「い、言えませんよ……私たちは全員、フェレナード様から風の精霊への誓いを立てさせられていますからね」


 教師はわずかに後ずさりながら、袖口の細い右手首を示した。

 そこには、若葉色に光る小さな石がいくつも連なって巻き付いていた。


「この石に宿る風の精霊が、私たちを見張っていると言うんですよ。王子に関することを誰かに喋ったら、風によって体が切り裂かれると」


 インティスは目を細めた。

 確かに、フェレナードは王子の部屋に出入りする者全員に、石のついたブレスレットをつけさせていた。それは自らの意志では外すことはできないもので、王子を守るためにフェレナードが作ったものだった。

 知識を与える立場の老齢の人間が、彼らからすれば年端も行かないフェレナードを敬称をつけて呼んでいるのが、インティスには滑稽に見えた。そもそもフェレナードは貴族でも高位の魔法使いでもないのに、皆揃いも揃って彼を言葉で敬っているのだ。話す機会や接点がないから、どうしても付き合いづらい相手として見えるのだろう。だから、フェレナード自身があえてそう見えるよう振る舞っていることには誰も気付かなかった。半分は人見知りの性格からきているが、おかげで王子の動向を伺おうと接触してくる人間は一人もいない。そうして他人と交流を持たないようにするという部分は、インティスも護衛という立場上見習っていることでもあった。

 水蒸気がようやく収まったのを確認すると、インティスはマントを解いて王子の体を抱き上げた。呪いを抑え、その作用で生成される黒い石がころんと落ちたが、生成物としては何の役にも立たないので、インティスが踏み潰して処分する。


「……王子」


 静かに呼ぶと、瞼がぴく、と動いた。

 ゆっくりと開かれた碧い目は、また少し大きくなったように見える。袖が少し長くなったようにも。

 それは王子が呪いのせいで幼くなったせいだ。生きる力を吸い取られたら老いていくように思えるが、彼は逆なのである。


「……大丈夫」


 何度か呼吸を整えた後、王子が何事もなかったように頷く。インティスは彼を椅子に座らせると、床に落ちたマントを拾い上げて壁際に戻った。


「ほら、続けてよ」

「は、はい……」


 平然と相手を見据える王子に対し、教師は恐縮した様子で、恐る恐る講義を再開した。



    ◇



 教師が講義を終え、王子の部屋から退出すると、入れ違いに給仕が昼食を運んで来た。

 インティスが王子を呼んでベッドに座らせる。ベッドの上は不思議と呪いの影響が少ないので、インティスやフェレナードのように呪いへの対処ができる者がいない時は、極力ベッドの上で過ごすようになっていた。

 ベッドの上で食事を取れるよう準備を始めた給仕に後を任せ、インティスは王子の塔を下りて城内の厨房へ向かい、そこでフェレナードと自分の昼食を受け取って、フェレナードの部屋に戻る。


「フェレ、昼の時間……あっ」


 インティスは思わず声を上げた。同じタイミングで、フェレナードがテーブルの上にあった物をさっと隠したからだ。何を隠したかなど聞かなくてもわかる。種の真ん中が入った小瓶だ。昨日持って来た分を取っておいたに違いない。

 駄目って言ったのに。

 と、言おうとしたが、言えなかった。

 決して病弱ではない体質の彼が毎日青い顔をしているのは、魔法を使うための素養が幻を見せているせいだ。その幻は、解読している文献の内容が反映され、決まって良くないものが見える。だが、実際にどういう幻が見えるのかはインティスは良く知らない。文献の内容は極秘事項だからだ。


「……そうだ、借りてたマントについてた石……」


 気付かないふりをして、運んだ昼食をテーブルに並べ終えると、インティスは思い出したように台車の下段に置いておいたマントを出した。


「いくつか壊れちゃって」

「後で直すよ」

「……ごめん」

「大丈夫」


 温かいうちにと思い、修理よりも昼食を先にしたが、温かいだけで味をさほど感じなかった。

 城の厨房で、料理長の息子が王子の食事と一緒に手配しているものなので、不味いはずはないというのに。



    ◇



 お互い何となく無言のまま食事を終えると、すぐにフェレナードはマントの修理に取りかかった。

 これくらいなら、薬屋にある魔法の師が使っていた作業部屋を使わなくてもできると言うので、インティスは少し後ろからその様子を見守るだけにした。

 石が割れてなくなったところへ、別の石を道具を使って切り出すなどして嵌めていくのかと思ったが、彼が手元に用意した源石はどれも小さいものばかりだ。

 しかし、フェレナードが作業台に置いたマントの肩当てに手をかざすと、小さな源石がいくつか浮き上がり、青白く光りながら肩当てのくぼみに集まった。そうして一際大きく光を放つと、くぼみにぴったりと嵌まる大きさの石になっていた。


「……それ、魔法でやってるの?」

「そうだよ」


 インティスの素朴な疑問にフェレナードが答える。

 王子の呪いにはもう五年近く関わっているが、インティスは今まで機会がなくてマントの石の修理を見たことがなかった。

 他の箇所にも同じようにして石を作り上げて嵌めていくので、修理はあっという間に終わってしまった。その方法は、インティスにはさっぱりわからない。自分も炎の魔法を使うことはあるが、彼の風の魔法のように何かを作ったりすることはできない。そういえば、自分の育ての親も、昔は何かの魔法で札に文字を書き入れたりしていたことがあったな、と何となく思い出していた。


「明日、魔法学院へ行って来る」


 フェレナードに声をかけられ、インティスは我に返った。


「学院に? 何で?」

「源石を使い切ったみたいだ」


 見ると、彼が用意した手元の石が無くなっていた。それは魔法学院の有志が作ったものを定期的に譲り受けているとインティスは聞いている。その繋がりはフェレナードが生徒として通っていたわけではなく、時々講師のようなことや、その手伝いをしていたからだと言う話も。


「……わかった」


 具体的な時間は明日の王子の予定を確認してからにしようと思い、インティスは返事だけ返しておいた。



    ◇



 塔での見張りを終え、その日の夜勤の者への申し送りを済ませると、ダグラスは自室に戻った。

 日が沈んでからは大分経っているので、廊下の壁の明かりはどこも最小限にとどめられ、足元は真っ暗になっていた。

 耳が痛くなるほどの静けさの中、自室の扉を開けようとすると、廊下に飾られた調度品の陰から声をかけられ、手を止めた。


「ダグラス、あの話は考えておいてくれたか」

「……お前……」


 物陰から現れたのは、いつも落ち着きのない、ゼラン家の次に王位継承権を狙っているコルトラン家の男だった。

 そういえば、コルトラン家の子息が王位を継いだら、ダグラスを侯爵として迎えたいと言っていた。あの話とはそのことだろう。


「…………」


 ダグラスはその場での回答を避け、扉を開けて灰色の髪の男を中に入れた。


「……まだ先の話だろ」


 そう言って、念のため扉に鍵をかける。


「お前の実力をかっているからこそだ。何としても他の二家に渡すわけにはいかん」


 コルトラン家の男の目は真剣だ。

 そのぎらついた光に、ダグラスが目を細めた。


「……そこまで言うのであれば、考えてやらなくもない」

「本当か!」

「ああ。ただし、条件がある」


 条件、という言葉に男は一瞬怯んだが、ぎらぎらとした光が弱まることはなかった。


「……条件とは何だ」


 半ばすがってくるようにも見えるその光に、ダグラスは道を示した。


「源石が欲しい。土の精霊に特化したものだ」

「何だと? そんなものを手に入れてどうする」


 源石など、魔法学院の専売特許のようなものだ。魔法を使う者にしか縁がない。


「己の力のためだ。有事の時に役に立たなくては困るだろう」


 ダグラスは当然のように答えたが、男は眉を顰める。

 剣を扱う者に源石など全く必要のないもの、というのは、素人でもわかるからだ。


「用意できるなら、爵位の件は考えてやる。どうだ?」

「……っ」


 おかしいと思ったところで、条件として出されれば飲むしかない。


「……わかった。用意させよう」

「恩に着る」


 ダグラスがそう言って唇だけで笑ってみせる。交渉が成立した瞬間だった。



 言い寄ってくる三貴族分、全ての。

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