推しをやめた日
西園寺 亜裕太
第1話 推していた子 1
推しに押された。
夕焼け空の中、近所の公園の辺りを走って逃げている最中に、わたしに追いついたさおちゃんに背中をグッと押されてしまった。そのまま階段の上から、バランスを崩してしまう。幸い、10段程の低い階段だったから、3段、2段、最後は5段分を大ジャンプして、雑に段差を飛ばしながらもなんとか着地はできた。
思いっきり両足をついて、不恰好な着地をしてしまったから、少し痛い。必死に走っていたせいですっかり荒れてしまっていた息を整えて、顔を歪めながら、階段の上を睨む。不安そうな顔をしたさおちゃんがこちらを見下ろしている。
テレビに出ている時とは違って、ノーメイクだし、青褪めた状態の顔ではあるけれど、それでも可愛らしい容姿には違いなかった。さおちゃんはどういう表情を切り取られても可愛らしい顔をしている。わたしとは別次元に住んでいるような子だ。考えれば考えるほど、やっぱりわたしは彼女のそばにいてはいけない気がしてしまう。
部屋着でノーメイクのままのせいもあり、普段よりもさらに子供っぽい顔つきをしたさおちゃんは、黙ったまま、不安そうな表情と悔しそうな表情を混ぜて佇んでいた。
わたしは、屈んで足首をさすりながら、彼女に問う。
「どういうつもり?」
「違っ……、そんなつもりじゃ……。きょ、
「わたしはさおちゃんのためを思って……」
「杏子ちゃん、意味わからないよ……」
さおちゃんは、ただ悲しそうに呟いてから、雑に瞳の涙を拭った後、クルリと背を向けて、逃げるようにして走り去っていった。さおちゃんの後ろ姿はあっという間に小さくなっていった。どんどん離れていくわたしたちの距離感はもう修復できないところまできているのだろうか。
初めはさおちゃんのことをただ純粋に応援してあげたかった。それなのに、いざ彼女に人気が出てくると、わたしのさおちゃんがどんどん遠くにいってしまう気がして、それが耐えられなかった。
もし、わたしがさおちゃんに親友以上の感情を持っていなかったら、きっと親友が人気になっていくことは純粋に嬉しかったと思う。けれど、わたしはいつしかさおちゃんに対して親友以上の特別の感情を持ってしまっていたのだ。
彼女の名前は、サオリンこと
小さな体で元気いっぱいに踊る姿、腰まである緩くパーマがかった髪の毛。ドール人形みたいに可愛らしい彼女の姿はとても人気があった。いつの間にか人気アイドルとして売れてしまっていた。
さおちゃんは努力家だ。アイドルになるには歌唱力は必須能力だけれど、さおちゃんは元々は歌はあんまり得意じゃなかった。アイドルになる前、中学時代によく行ったカラオケではわたしの方が採点機能で計測された点数は高かったし、音楽の授業ではさおちゃんよりもわたしの方が成績は良かった。それでも、さおちゃんはアイドルデビューをしてからはボイストレーニングを頑張り続けていた。その結果、今では当時よりも比べ物にならないくらいうまくなっているのは、彼女の努力の証なのだと思う(いまだに、ファンの間では下手だけど一生懸命みたいな評価をする人もいるけれど、それはそれでとても愛されていて微笑ましかった)。
わたしは彼女のことを、これでもかってくらいよく知っている。彼女がアイドルになってからのファンの人たちよりも、ずっと年季の入ったファンなのだから。……違うか、ファンだったのだから、か。もはやそれは過去のこと。
さおちゃんはわたしなんかが関わってもいい相手じゃない。もっとみんなに愛されなければならない子なのだ。けれど、みんなから愛されているさおちゃんを見ると、なぜか辛い気分になってしまう。嫉妬心みたいなものを抱きながら、彼女の活躍を喜べない自分が嫌になるから、さおちゃんとは距離を置いたのだ。
「一晩寝て痛みが引いてくれてたら良いけど……」
結構足に響く痛み方だったから、捻挫をしてしまったかもしれない。小さくため息をついてから、時々立ち止まりながら家に帰るのだった。
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