2、花粉症は人を優しくするのかもしれない

 

「拾ってきた孤児などをエスカランタ公爵家の娘にするだって? ありえない!」

「お父様とお母様は許してくださいました!」


 アマンダ様は、兄君のレイヴン様と私の処遇について毎日のように大喧嘩している。

 

 レイヴン様は17歳で、鉄色の髪をオールバックにしている。

 瞳は私や弟と似ているヴァイオレット・ブルーで、銀縁の眼鏡をした、生真面目で冷たい印象のお兄様だ。

 

「兄に構っている時間はないわ。エリスは令嬢教育に集中なさい」

 

 アマンダ様はそう言って家庭教師に私を囲ませ、私に貴族令嬢としての教養を叩きこんだ。

 

「いいことエリス。あなたが入学するのは、上流階級の令嬢や令息が6年間通う学園なの。エリスの言動ひとつで、我が家の名誉が地に落ちてしまうのよ」

「はい、アマンダ様」

 

 貴族令嬢というと贅沢な暮らしや華やかなドレスといった優雅なイメージがあったけど、私を待っていたのは朝から深夜まで分刻みでお勉強をするハードすぎるスケジュールだった。


 礼儀作法や歴史や文学、芸術……たくさん学ばないといけないことがある。

 水面下で必死に足を動かす優雅な白鳥のよう。

 貴族のお嬢様って大変なんだ……。


「おとうさん、おかあさん。私は、元気です……」

 

 ポエムの授業では、心のままに言葉を書いてごらんなさいと言われた。

 だから私は、お父さんとお母さんへの想いを書いた。


「このおうちは大きくて、夜もあたたかいです。毎日ごはんを食べられます。お薬ももらえます。ベッドはふかふかで、清潔なの」


 公爵家は、居心地がいい。

 お金の心配をしなくていい。明日の食事の心配もない。


 ひとりでなんとかしなきゃって生きていた時より、楽だ。恵まれている。ありがたい。


「アマンダ様のおかげです。とても感謝しています。でも、お父さんとお母さんがいないから、本当は少しさびしいの……」


 あっ、アマンダ様が泣いてる……。


「こ、これは、花粉症よ!」


 その後、アマンダ様はちょっと優しくなった。

 

 * * *

 

 弟のノアは、清潔で暖かな部屋で、しっかりした食事と薬を与えられて、だいぶ体調が改善している。

 上質な素材のブランケットを指先できゅっとつまみ、私を見上げる瞳は可愛らしい。

 

「お姉ちゃん、むり、してない?」


 心配してくれる優しい心が感じられたから、私は泣きそうになった。


「ノア、お姉ちゃんは全然無理してないよ。ごはんは豪華だし、ベッドはふかふかで、ノアは心配しないで休んでね」


 窓から差し込む日差しを浴びて、弟の麦穂色の髪が金色の艶を魅せる。綺麗だ。

 

 頭を撫でると、さらさらとした手触りが心地いい。


 公爵家のメイドのお姉さんたちが「ノア様は可愛いですわね」「磨いたらもっと可愛くなりますね、腕がなります」と母性全開で手入れしてくれたおかげだ。


 弟の頬にキスをして、私は微笑んだ。


「……お姉ちゃん、ノアが元気な姿を見てるだけで元気が出る。いくらでも頑張れる。だから、いっぱい食べて、いっぱい寝て、元気でいてね」


 部屋から出ると、レイヴン様が扉の前にいた。


 唇を引き結んで、眉間に深い皺を寄せて、目を細くして――「ぐすっ」洟を鳴らしている。ちょっと目が赤い?


「……何を見ている? ここは俺の家なのだから廊下に俺がいてもおかしくないぞ。決して立ち聞きしていたわけでもない。この鼻水は……花粉症だ」


「さようでしたか……ハンカチをどうぞ」


「ふん。いらぬ。そうだ、婚約が決まったパーシヴァル王子殿下がお前に会いたいと仰せだが、まだまだ令嬢教育に不安があるゆえ、病気ということにしておくからな」


 レイヴン様はむすりとして、背を向けた。

 

「かしこまりました。公爵家の令嬢として恥ずかしくないよう、もっと頑張ります……花粉症、お大事に……」


「……くていい」

「はい?」

「……無理は、しなくていい……!」


 レイヴン様は絞り出すような声で言い捨てて、足早に去って行った。

 

 ちなみに、その出来事以来、レイヴン様も優しくなった。

 

 ……花粉症は人を優しくするのかもしれない。

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