第1部 1−1 少女、ジェニファー


 「ジェニファー! ジェニファー! 一体どこにいるの!?」


ダークブロンドの髪を結い上げた女が、火の着いたように泣き叫ぶ赤子をあやしている。


「オギャアッ!! オギャアッ!!」


「あぁ! 全く、お願いだから泣き止んで頂戴! ジェニファー! 何してるのよ!早く来なさい!」


「はい! 叔母様!」


そこへエプロン姿の少女がほうきを手に、部屋の中へ駆け足でやってきた。


「全く、呼ばれたらすぐに来なさい! 本当に愚図なんだから! さぁ、早くニックの子守をして頂戴!」


女性は1歳にも満たない赤子をジェニファーに押し付けてきた。すると、すぐに赤子は泣き止む。


「叔母様! 私、今屋敷の掃除をしていたのですけよ? 子守なんて無理です!」


赤子のニックを抱きかかえながら、ジェニファーは訴えた。


「何言ってるの? おんぶ紐があるでしょう? 両手が空いていれば掃除くらい出来るじゃないの! 私は授乳で疲れているのよ。あなたは子供たちの中で一番お姉さんなのだから、子守位できるでしょう? 大体、私達がいるから貴女はここで暮らしていけるのよ? それを忘れたの!?」


ジェニファーの叔母、アンはベッドサイドに置かれたおんぶ紐を指さした。


「……いえ。忘れていません。分かりました、叔母様」


ジェニファーはため息をつくと、ニックをおんぶ紐で背負った。


「それじゃ、掃除の続きをしてきなさい。私はこれから少し仮眠を取るわ。15時になったら子供たちにオヤツをあげるのよ」


「はい、叔母様」


アンはカウチソファに横になると、すぐに寝息を立て始めた。


「……おやすみなさい、叔母様」


傍らにあったブランケットをそっと掛けてあげると、ジェニファーはほうきを持って掃除へ向かった――




****



 赤子を押し付けられ、まるで使用人のように働かされているジェニファー。

現在10歳で、正式なブルック家の男爵令嬢である。


ジェニファーは不運な娘だった。

彼女の母親はジェニファーを出産してすぐに亡くなってしまった為、父親によって育てられた。

しかし、その父親も彼女が8歳のときに病気で亡くなってしまった。

そこへジェニファーの後見人を名乗る、母親の妹が家族を連れてブルック家に上がり込んできたのだ。


そこから、ジェニファーの苦労が始まった。


叔母と叔父はとんでもない浪費家だった。

ブルック家は叔母家族によって散在され、あっという間に財産を失ってしまう。

使用人達に給料すら払えなくなり、半数以上が解雇されてしまった。


そこで叔母家族は働き手が減ったため、まだ子供だったジェニファーを働かせ始めたのだ。

やがてジェニファーが一通りの家事がこなせるようになったのを見計らい、叔父は残っていた使用人を全員解雇した。


そして、ついにジェニファーはたった1人で屋敷の仕事をさせられる羽目になってしまったのだった――



****



「ニック、お利口にしていてね」


ジェニファーはおぶっているニックに話しかけながら、部屋の掃除をしていた。


そのとき。


ボーン

ボーン

ボーン


屋敷の柱時計が午後3時を告げる鐘が鳴り響く。


「あ! いけない! サーシャとダンにオヤツをあげなくちゃ!」


ジェニファーは、急いで厨房へ向かった――



「お姉ちゃん! オヤツ遅いじゃないか!」

「お腹減ったよ〜」


食堂へお茶とオヤツを持っていくと、すでにダンとサーシャが椅子に座って待っていた。

ダンは8歳の少年、サーシャは6歳の少女で叔母の子供たちだった。


「ごめんね、お掃除していたらオヤツの時間になっていたの忘れちゃってたの」


2人の前に紅茶とクッキーを置いてあげると、ジェニファーも椅子に座った。

これからニックにミルクをあげなければならないからだ。


ジェニファーが哺乳瓶でニックにミルクをあげていると、オヤツを食べていたダンが話しかけてきた。


「お姉ちゃんはオヤツ、食べないのか?」


「う、うん。私はいいのよ」


もう買い置きしていたクッキーは無くなりかけていた。自分の分まで食べたら、2人のオヤツが無くなってしまう。


「ふ〜ん。だったら、僕の1枚やるよ」


「なら私もあげる」


ダンとサーシャが1枚ずつクッキーを空の皿に乗せてきた。


「いいの? 2人のオヤツを分けてもらっても」


「うん、いいよ」

「うん」


「ありがとう、ダン。サーシャ」


そう。

辛い生活の中でも、ジェニファーに取って唯一救いだったのは……子供たちに慕われていることだった。


だからジェニファーは家事に追われる辛い日々を耐えてこられたのだ。


やがて、ジェニファーの運命を変える出来事が起こることになる――

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