気になるあの子

 やがて落ち着きを取り戻したところで、昴はようやく凜の身体を解放した。随分と長い間抱き締められていたせいか、支えを失った身体がバランスを崩しそうになったが、すぐに体勢を立て直して凜は言った。


「あのさ、昴。あたし、あんたにお願いがあるんだけど」


「何だ、デートでもしてほしいってのか? さっきまであんなにサービスしてやったのに、まだ足りないって?」


 昴が面白がるように言って笑う。さっきまで散々泣いていたくせに、すっかりいつもの調子に戻ってしまったようだ。


「そうじゃなくて! あたしはね、あんたに会わせてほしい人がいるの!」


「会わせてほしい人? 悪いけど、俺が紹介できるのは女の子だけだぜ?」


「そう、それでいいの。あたしが言ってるのは、あんたと一緒にこの世界に来た、あの中学生の……」


 先を続けることはできなかった。少女について言及した途端、昴はさっと顔を険しくすると、身を乗り出して凜の肩を摑んできたのだ。凜は咄嗟に言葉を飲み込み、その間に昴が凜の方にぐっと顔を近づけてくる。


「おい凜、お前、それをどこで聞いた?」


「ど、どこでって……。何でそんなこと気にするのよ?」


「いいから答えてくれ。あの子のことを誰から聞いたんだ?」

 

 詰問する昴の表情には鬼気迫るものがあり、凜は視線に耐えかねて顔を背けた。どうしてこんなに必死になるんだろう。やっぱりその子は昴にとって特別なのだろうか。


「……鷹が教えてくれたの。あんたがその女の子を連れ回して、それで学校に呼び出されて、そのままどっか行っちゃったってこと。あんたが女たらしなのは知ってたけど、中学生にまで手出すなんて、ホント、どんだけ飢えてんだか……」


 凜は嫌味を込めて言い、ちらりと昴の方を見て反応を窺ったが、昴は全く意に介していないようだった。深刻そうな表情のまま、視線を落として何かを逡巡している。やがて顔を上げた時、そこには警戒の色があった。


「それで……どうして凜は彼女に会いたいんだ?」


「どうしてって……」


 返答に窮して凜は黙り込んだ。その子のことが気になるのは事実だが、会ってどうしたいのかと聞かれれば、自分でもよくわからなかった。

 だが、昴は凛の沈黙を別の意味に解釈したのか、一段と険しい顔になった。


「あの子を……、現実に連れ戻すつもりなのか?」


 そう尋ねた昴の声色に並々ならぬものを感じ、凜はそっと彼の方に視線を戻した。眉間に皺を寄せて自分を見つめる昴の表情には妙に凄みがあって、凜は急に怖くなった。


「別にそういうわけじゃないけど……。ただほら、やっぱ気になるじゃん? あんたは女の子なら誰とでも仲いいみたいけど、その子は特別なわけでしょ? でなきゃ心中しようなんて思わないもんね。

 だから……その子がどんな子なのか、自分の目で見てみたいっていうか……」


 歯切れ悪くそう言いながら、凜は内心穏やかではなかった。嘘をついているわけでもないのに、不思議と胸がちくちくと痛む感覚がある。


 昴はなおも凜を見つめていたが、やがてふっと表情を緩めた。近づけた顔を凜から離し、悪戯っぽく口角を上げる。


「……そうか。そんなに俺のことが気になるか。全く、モテる男は辛いよなぁ」


「は?」


 凜が訝しげに眉をひそめる。さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、昴はいかにも面白がるように、にやにやと笑いながら凜を見つめている。


「俺に会うために夢遊界に戻ってきて、その上、彼女のことが気になるから会わせろって? 君がそこまで俺のことを想ってくれてるのは嬉しいけど、ちょっと愛が重過ぎるんじゃないか?」


「はぁ? 何言ってんの。あたしは別に、あんたのことなんてどうだって……」


 凜は大急ぎで否定しようとしだが、昴は凜の話など聞いていなかった。一人で納得したようにうんうんと頷いていたかと思うと、ぱっと凜の方に向き直って言った。


「よしわかった。そんなに会いたいなら、君をあいつに会わせてやろう。あいつも友達が増えたら喜ぶだろうしな」


 昴はそう結論づけると、凜の手を摑んでさっさと歩き出した。当惑したのは凜の方で、つんのめるようにして歩きながらも慌てて抗議の声を上げる。


「え……ちょっと待ってよ。今から行くの!?」


「当たり前だろ。何しろここは夢遊界だ。誰かに会いたいと思うのに都合をつける必要なんてない。会いに行きたいと思ったら、すぐに会いに行けばいいんだからな!」


 陽気にそう言ってのけ、昴は凜の手を握り締めたままずんずんと前に進んでいく。いや、確かにそうだけど、こっちにも心の準備ってもんが……! そう凜は叫んだものの昴はもはや聞いていないようで、結局彼に連れられるまま、凜は夢幻広場を後にしたのだった。

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